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May 0951997

 たはむれにハンカチ振つて別れけり

                           星野立子

目っけを上手に発揮できる女性は、意外に少ない。男性に「モテる」条件の一つだけれど……。この場合は女性同士の挨拶で、何かとても楽しいことのあった後での別れにちがいない。お互い、少しハイな気分になっている。考えてみれば、ハンカチを振る別れなどは、映画の一シーンくらいでしか見たことはない。たいていの人が、実際に体験することは一生ないだろう。それにふと気がついて、早速実行してしまったというわけだ。「たはむれ」とはいいながらも、胸に残ったのは生きていることの充足感である。『立子句集』所収。(清水哲男)


June 1461999

 ハンカチは美しからずいい女

                           京極杞陽

からいわれているように、女は不可解である。女は、「男の考えていることは単純で、手に取るように分かる」と考えて男を軽視し、自分たちは、不可解であることをいいことに、好きなことをし放題である。だが、男は女が考えるほど単純ではない。……と、これは実はお茶の水女子大で哲学を講じている土屋賢二氏のエッセイのイントロダクションだ。全日空のPR誌「ていくおふ」(86号)に載っていた。私などは臆病だから、怖くてとてもこんなことは言えない。が、たまに遠回しにこんな句をあげることで、単純ではない男の証明を試みてみたくはなる。ただ、よくよく考えてみると、この句もまた逆に男の単純さを証明しているだけのものかもしれない。作者は女の持つ小物にいたるまで、「いい女」としての完全性を求めているわけで、この求め方そのものが単純にして現実離れしているからである。この要求に応えられる女がいるとすれば、彼女は絵空事の世界にしか存在できないだろう。作者が「いい女」にがっかりした気持ちはわかるが、絵空事を現実化したいという欲求を、男の世界では、幼稚にして単純と評価することになっている。『但馬住』(1961)所収。(清水哲男)


June 2362003

 ハンカチをきつちり八つに折り抗す

                           後藤綾子

語は「ハンカチ」で夏。どのような状況で、誰に(あるいは、何に)対して「抗」しているのかは、わからない。が、作者の抗議の姿勢はよくわかる。普段は慣れもあって、なんとなく折り畳んでいるハンカチを、このときにはことさらに丁寧に「八つ折り」にした。意識的に、寸分の乱れもないように「きつちり」と折ったのだ。その必要以上の馬鹿丁寧さが、怒りをこらえた作者の心情を見事に具現している。感情を爆発させるのではなく内側に押しとどめ、相手が人間であれば、なおかつ相手にもわからせる仕草というものがある。押し黙ってこいつをやられると、相手にはだんだんボディブローのように効いてくる。女性に特有の遠回しの感情表現法とでも言うべきか。男としては、実にコワい。ところで話はころりと変わるが、欧米では日本のように、女性が手を拭いたり汗を拭うための実用的なハンカチは持ち歩かない。ヨーロッパではあくまでも洟をかむためのものだし、アメリカやカナダではそもそも最初から持つ習慣がない。私の番組の相棒だった女性がカナダ育ちで、あるとき不思議そうに「なんで、みんなハンカチ持ってるんですか」と聞かれて、思わず「えっ、君は持ってないの」と聞き返した覚えがある。掲句を翻訳するとしたら、日本のハンカチ使いの習慣を註記しておく必要がありそうだ。『綾』(1971)所収。(清水哲男)


December 27122011

 温め鳥由の字に宀(うかんむり)かぶす

                           中村堯子

談社日本大歳時記の森澄雄の解説によると「暖鳥(ぬくめどり)」とは「鷹は寒夜、鳥を捕えて、その体温でおのが足を暖め、夜が明けると放ってやるという。連歌作法書『温故日録』にはその鷹は鶻(こつ)となっているが、鶻は放った鳥の飛び去る方を見て、その日はその鳥を捕えないという。」と書かれている。最後の「その日はその鳥を捕えない」という部分に強者が弱者へほどこす慈悲を感じ、真偽のほどより報恩の話しとして事実を超えた季語のひとつである。掲句の由の字に宀をかぶせれば宙になる。ひと晩を生きた心地のしなかった小鳥が放り出された空中を思い、また宀の形が鷹のするどい爪根を思わせる。いつまでもあたたまらない指先をストーブにかざしながら、鳥の逸話と漢字が一致する不思議な一句が心を捕えて離さない。〈鳥渡る紙を鋏がわたりきり〉〈ハンカチを膝に肉派も魚派も〉『ショートノウズ・ガー』(2011)所収。(土肥あき子)


June 0662013

 逝く猫に小さきハンカチ持たせやる

                           大木あまり

むたびに切なさに胸が痛くなる句である。身近に動物を飼ったことのある人なら年をとって弱ってゆく姿も、息を引き取るまで見守るつらさを知っているだろう。二度と動物は飼わないと心に決めてもぽっかり穴のあいた不在を埋めるのは難しい。この頃はペットもちゃんと棺に入れて火葬してくれる業者がいるらしいが、小さな棺に収まった猫に小さなハンカチを持たせてやる飼い主の気持ちが愛おしくも哀しい。とめどなくあふれる涙を拭いながら、小さい子供が幼稚園や小学校に行くときの母の気遣いのようにあの世に旅立つ猫にハンカチを持たせてやる。永久の別れを告げる飼い主の涙をぬぐうハンカチと猫の亡きがらに添えられた小さなハンカチ。掲句の「ハンカチ」は季語以上の働きをこの句の中で付与されていると思う。『星涼』(2010)所収。(三宅やよい)




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