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April 3041997

 永き日のにはとり柵を越えにけり

                           芝不器男

間でいちばん日照時間が長いのは夏至だが、俳句では「永き日」を春の季語としてきた。ゆったりとした春の日の実感からきたものだろう。ちなみに、夏は夜に焦点を移動して「短夜(みじかよ)」という季語を使う。このあたりの私たちの微妙な感覚は、外国人にはなかなか理解できないかもしれない。ところで、この句。ありのままの情景を詠んだものだが、無音のスローモーション・フィルムを見ているようで、句全体が春の日永の趣きを的確に描出している。句は忘れても、このシーンだけはいつまでも脳裏に残りそうだ。(清水哲男)


March 0532000

 準急のしばらくとまる霞かな

                           原田 暹

急に乗っているのだから、長旅の途中ではない。ちょっとした遠出というところだ。ポイントの切り換えか、後からの急行を追い抜かせるためか、いずれにしても、数分間の停車である。急いでいるわけでもないので、春がすみにつつまれた周辺の風景を、作者はのんびりと楽しんでいる。急行だったら苛々するところを、準急ゆえの、この心のゆとり。車内もガラガラに空いていて、快適な環境だ。こんなときに私などは、どうかすると、このままずうっと停車していてほしいと思うときがある。時間通りに目的地に着くのが、もったいないような……。都会の「通勤快速」だとか「快速電車」だとかは、命名からしてあわただしい感じだけれど、「準急」とはよくも名付けたり。名付けた人は、単に「急行」に準ずる速さだからと散文的に考えたのだろうが、なかなかにポエティックな味がある。同じ作者に「折り返す電車にひとり日永かな」もあって、ローカル線の楽しさがにじみ出ている。「鉄道俳句」(?!)もいろいろあるなかで、地味ながら異色の作品と言ってよいだろう。ああ、どこかへ「準急」で行きたくなってきた。『天下』(1998)所収。(清水哲男)


April 2142003

 永き日や石ぬけ落る愛宕山

                           湯本希杖

語は「永き日(日永)」で春。暦の上で最も日の長いのは夏至のころだが、春は日の短い冬を体験した後だけに、日永の心持ちが強い季節だ。さて、この「愛宕山(あたごやま)」はどこの山だろうか。愛宕山と名前のつく山は全国に散在している。作者は江戸期信州の人だから、いまの軽井沢駅から見える愛宕山かもしれないが、判然としない。とにかく、その山を削って作った道に、高いところから「石」が「ぬけ落」ちてくる情景だ。といっても、そんなにたいそうな落石ではないだろう。ときに、ぱらっと小石や拳大ほどの石が落ちてくる程度。雪深い冬の間は、そういうことが起こらないので、「ほお」と作者は目を細めている。落石に春の日の長閑さを感じているわけだ。昔の山国の人ならではの春の味わい方である。作者の希杖は湯田中温泉の湯元で、一茶に傾倒し、一茶のために「如意の湯」という別荘まで建ててやっている。つまり、パトロンの一人であった。一茶も好んでよく滞在したようだが、ある日別荘から女中に託した希杖宛の手紙に曰く。「長々ありありしかれば此度が長のいとまごひになるかもしれず今夕ちと小ばやく一盃奉願上候」。要するに、しばらく会えなくなりそうだからと希杖を強迫(笑)して、晩酌の一本を無心しているのだ。むろん、希杖は早速酒を届けただろう。希杖は一茶よりも一つ年上だった。栗山純夫編『一茶十哲句集』(1942・信濃郷土誌出版社)所載。(清水哲男)


February 2322004

 寿限無寿限無子の名貰ひに日永寺

                           櫛原希伊子

際に「日永寺」という名の寺は千葉県にあるけれど、ここでは春の季語「日永」で切って読み、春の寺のおだやかなたたずまいを想起すべきだろう。「寿限無」はむろん、落語でお馴染みの長い名前だ。はじめて男の子を授かった長屋の八五郎が、何かめでたい名前をつけてほしいと坊さんに相談したところ、出てきた名前がこれだった。「じゅげむ じゅげむ ごこうのすりきれず かいじゃりすいぎょのすいぎょうまつ うんらいまつ ふうらいまつ くうねるところに すむところ やぶらこうじのぶらこうじ ぱいぽぱいぽ ぱいぽのしゅーりんがん しゅーりんがんの ぐーりんだい ぐーりんだいのぽんぽこぴーの ぽんぽこなの ちょうきゅうめいのちょうすけ」。最初の「じゅげむ(寿限無)」からして、寿(よわい)限り無しと、すこぶるめでたい。落語の登場人物だからまったくのフィクションかと思っていたら、実在の人物と聞いて驚いた。それが証拠に、戦中まで東京四谷の法眼寺に彼の墓があったそうだ。なにしろ馬鹿長い名前なので、高さは33メートルもあり、天気が良ければ上野あたりからでも見えたという。惜しいことには空襲で真ん中あたりが破損し、折れたら危険だというので撤去されてしまった。姓は鈴木で神田の生まれ、長じて大工職、1897年(明治30年)に98歳で亡くなっている。寿限無とまではいかなかったが、昔にすればかなりの長寿だ。こんな墓を建てたほうも建てたほうだとも思うが、まるでそれこそ落語みたいな呑気さを地でいったところに心がなごむ。こんな話を思い合わせて掲句に帰ると、春風駘蕩、ギスギスした世の中をしばし忘れさせてくれるのである。『櫛原希伊子集』(2000)所収。(清水哲男)


April 1542007

 老の身は日の永いにも泪かな

                           小林一茶

つまでも色あせることのない感性、というものがまれにあります。また、文芸にさほどの興味を持たない人にも、たやすく理解され受け入れられる感性、というものがあります。一茶というのは、読めば読むほどに、そのような才を持って生まれた人なのかと思います。遠く、江戸期に生きていたとしても、呟きは直接に、現代を生活しているわたしたちに響いてきます。むろん、創作に没頭していた一茶本人にとっては、そんなことはどうでもよかったのでしょう。自分の句が、将来にわたってみずみずしさを失わないだろうなどとは、少しも思っていなかったに違いありません。それは結果として、たまたまそうであったということなのです。たまたま一茶の発想の根が、人間の時を越えた普遍の部分に結びついていたからなのです。さて掲句、内容を説明する必要はありません。明解な句です。季語は「日永し」、日が永くなるのを実感する春です。まさか、老齢化が進む現代の日本を予想したわけでもないでしょうが、この切実感は、今でこそ読むものに深く入り込んできます。「日が永く」なり、ものみな明るい方向へ進む、そんな時でさえ、わが身を振り返ると泪(なみだ)が流れるのだと言っています。外が明るければ明るいほどに、自分の命という無常の闇は、その濃度を増すようです。特別な題材を扱っているわけではない、変わった表現を駆使しているのでもない、それでも一茶はやはり、特別なのです。『新訂俳句シリーズ・人と作品 小林一茶』(1980・桜楓社)所収。(松下育男)


March 2432008

 泥棒や強盗に日の永くなり

                           鈴木六林男

日それとわかるほどに、日が永くなってきた。以前にも書いたように、私は「春は夕暮れ」派だから、このところは毎夕ちっぽけな幸福感を味わっている。そんなある日の夕暮れに、この句と出会った。思わず、吹き出した。そうか、日永を迷惑に感じる人間もいるのだ。例外はあるにしても、たいていの「泥棒」や「強盗」は、夜陰に乗じて動くものである。明るいと、仕事がしにくい。したがって、多くの人たちが歓迎する日永も、彼らにとっては敵なのである。泥棒や強盗を専業(?)にしている人間がいるとすれば、立春を過ぎたあたりから、だんだんと不愉快さが増してくるはずだ。部屋にこもって仏頂面をしたまんま、じりじりしながらひたすら表が暗くなるのを待っている姿を想像すると、無性におかしい。おかしがりながらも、しかし作者は句の裏側で日永をゆったりと楽しんでいるわけで、このひねくれ具合も、また十分におかしくも楽しいではないか。六林男の晩年に近い時期の句であるが、こうした発想やセンスはいったいどこから沸いてくるものなのだろうか。あやかりたいとは思うけれども、私にはとても出来ない相談のように思える。『鈴木六林男全句集』(2008)所収。(清水哲男)


April 2342008

 鶯もこちらへござれお茶ひとつ

                           村上元三

は「春告草」、鰊(にしん)は「春告魚」と呼ばれ、鶯は「春告鳥」と呼ばれる。鶯には特に「歌よみ鳥」「経よみ鳥」という呼び方もある。その姿かたちよりも啼き声のほうが古くから珍重され、親しまれてきた。啼くのはオスのほうである。鶯の啼く声を聞くチャンスは、そう滅多にないけれども、聞いたときの驚きと喜びは何とも言い尽くせないものがある。誰しもトクをした気分になるだろう。しかし、春を告げようとして、そんなにせわしく啼いてばかりいないで、こちらへきて一緒にゆっくりお茶でもいかが?といった句意には、思わずニンマリとせざるを得ない。時代小説家として売れっ子だった元三が、ふと仕事の合間に暖かくなってきた縁側へでも出てきて、鶯の声にしばし聞き惚れているのだろうか。微笑ましい早春のひとときである。「こちらへござれ」とはいい言葉だ。のどかでうれしい響きを残してくれる。妙な気取りのない率直な俳句である。何年前だったかの夏、余白句会の面々で宇治の多田道太郎邸にあそんだ折、邸の庭でしきりに鶯が啼いていたっけ。あれは夏のことだから老鶯だった。歓迎のつもりだったのか、美しい声でしきりに啼いてくれた。春浅い時季の鶯の声はまだ寝ぼけているようで、たどたどしいところがむしろ微笑ましい。元三には「重箱の隅ほじくつて日永かな」「弁慶の祈りの声す冬の海」などの句もあり、どこかしらユーモラスな味わいがあるのが、意外に感じられる。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


April 0342010

 花時の赤子の爪を切りにけり

                           藤本美和子

すももいろがほわっと広がる、まさに今頃だろう。〈春満月生後一日目の赤子〉〈嬰児の臍のあたりの日永かな〉に続いての一句なので、生まれたばかりの赤ちゃんとわかるが、一句として読んでも、桜の頃のその赤ちゃんの頬の色、花びらよりも小さな小さな爪、やわらかな風、そんなあれこれが見える。そして、その一連のふわふわ感で終わってしまわずに、切りにけり、と文字通りきっちり切ることで、花時の茫洋とした空気がよりいっそう感じられる一句となった。赤ちゃんの爪を切るのは一苦労、と言うが、私がまだ言葉らしい言葉を発していなかったほどの赤ん坊だった時、母がつい深爪をしたとたん「イタイ」と言ったらしい。「あなた、最初にしゃべった言葉が、イタイ、だったのよ。昔からちょっとおかしな子だったわね」だそうだ。『天空』(2009)所収。(今井肖子)


April 0842010

 羽のある蛇を描きて日永かな

                           有馬朗人

野火、メキシコと題された中の一句。羽のある蛇はアステカの遺跡の壁画に残された絵なのだろうか。幾何学模様がエキゾチックなリズムとともに描き出されていることだろう。こうして「日永」という季語を合わさってみるとのんびりした春の季感を超えて、もっと長い長い時間へ巻き戻されてゆくようだ。羽のある蛇は人間が自分と動物・植物を分かつことなく畏敬の念をもって交わっていた時代、身近にいる蛇が空中を飛ぶとき羽が見えたのかもしれない。描かれた壁画を見ているのだろうが、「蛇を描きて」という言葉に眼の前で彩色しているのを眺めている気分になる。きっと作者は画を眺めながらワープしているのだろう。この句集ではそんな時間的混沌が季語と合わさって不思議な世界を紡ぎだしている。「春の雨悪魔の舌をぬらしけり」これも寺院の屋根にある彫像なのだろうが、おどろおどろしく長い舌を出して耳まで裂けた口でにやっと笑う悪魔の顔が春の雨の情緒を怪しいものに塗り替えている。『鵬翼』(2009)所収。(三宅やよい)


February 1522012

 大腸の如き路地あり冬銀河

                           長谷邦夫

の「路地」は特定しなくとも、どこの街にもあって猥雑な雰囲気をもった路地を想定してかまわない。でも、作者は「新宿漂流」なるタイトルで詠んだいくつかの俳句がある、と断わっているからこれは新宿にある路地だろう。大腸のようにうねくねとした新宿の路地と言えば、酒場が軒をつらねている界隈ということになろう。すっきりととりすました健やかな界隈ではあるまい。深夜、酔って良い機嫌になった連中が、うるさい声をあげながら路地をうろつきまわっている光景が見えてくる。ふと見あげれば冴えわたる冬空に、銀河がくっきり横たわっている。銀河と路地、どちらもうねっているという対比。邦夫は「少し古い新宿を知っておられる方ならば、多少は感じていただけるか……」と付記し、さらに「これはゴールデン街内にはない店や場所を詠んでいる」と断わっている。とすると、さてどこらあたりか? まあ、新宿にはゴールデン街や柳街、小便横丁に限らず、大腸や小腸のごとき路地はあちらこちらにあった。邦夫は詩人でもあり、赤塚不二夫を支えた漫画家。かつて清水昶の「俳句航海日誌」にも、多くの俳句を書きこんでいた。他に古い新宿を詠んだ句に「永き日や『風月堂』で一茶論」がある。『桜三月散歩道』(2011)所載。(八木忠栄)


February 1922013

 子猫あそばせ漱石の眠る墓

                           村上 護

所の野良猫たちも朝な夕なに恋の声をあげる。じきに子猫の声も混じることだろう。恋のシーズンの恋猫からお腹の大きい孕猫、さらには子猫まで、くまなく季語になっている動物は他にいない。これは猫好きの人間が多いというより、猫が人間の日常への食い込み具合を物語るものだろう。夏目漱石は雑司が谷墓地に眠る。日当りの良い、猫には居心地のよさそうな場所だ。漱石の墓石は大きすぎて下品と苦言するむきもあるが、漱石の一周忌に合わせ妹婿が製作したという墓石は、鏡子夫人の『漱石の思ひ出』によると「何でも西洋の墓でもなし日本の墓でもない、譬へば安楽椅子にでもかけたといつた形の墓をこさへようといふので、まかせ切りにしておきますと、出来上つたのが今のお墓でございます」とある通り、確かに周囲に異彩を放つ。しかし、自然石でもなく、四角四面でもない墓石は、お洒落な漱石にぴったりだと思う。肘掛け椅子のようなやわらかなフォームには幾匹も猫が収まりそうなおっとりとした大らかさがある。とはいえ、大の猫嫌いだったといわれる鏡子夫人は、この墓石のかたちにしたことを多少後悔しているかもしれない。〈ひと枡に一字一字や目借時〉〈四方(よも)見ゆる其中つれづれ日永かな〉『其中つれづれ』(2012)所収。(土肥あき子)


February 1522015

 けふよりの妻と泊るや宵の春

                           日野草城

和九年。「ミヤコ ホテル」連作の第一句です。私は、学生時代に俳句好きの後輩に教わり、何人かで回し読みをしました。性に疎い青年たちが、貴重な情報を共有し合い、想像力を補完し合いながら来るべき日を夢想していました。実行が伴わず、それを想像力あるいは妄想で埋めようとする時期を思春期というのでしょう。昭和の終わり頃までの青年たちにとって、性的な情報は、活字、写真、体験談が中心で、動画情報はポルノ映画と深夜テレビに限られていました。しかし、パソコンを個人 所有できる現在、リアルな動画情報が、青年たちから妄想する力を奪い、共通の謎を語り合える場を奪っているのかもしれません。掲句は、新婚旅行の宵。「春の宵なほをとめなる妻と居り」貞操観念が確固としていた時代です。「枕辺の春の灯は妻が消しぬ」「をみなとはかかるものかも春の闇」こういうところに想像の余地があり、青年たちは口角泡を飛ばし議論します。「薔薇匂ふはじめての夜のしらみつつ」「妻の額に春の曙はやかりき」闇から光へと明るさが変化して、時の経過をたどれます。「うららかな朝の焼麵麭(トースト)はづかしく」連作の中で、唯一、音が存在しています。トーストを噛む音も恥ずかしい。青年たちの間で最も評判のよかった句です。「湯あがりの素顔したしも春の昼」「永き日や相触れし手は触れしまま」青年たちは、ここに理想を読みます。「うしなひしものをおもへり花ぐもり」この連作、若い世代に読み継がれたい。『日野草城句集』(2001)所収。(小笠原高志)




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