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April 2641997

 頬よせて四つ葉のクローバー多感なり

                           柴田美代子

に描いたような少女像。四つ葉のクローバーを見つけた友だちと、頬寄せ合って眺め入っている少女たち。そんな光景を、作者はほほえましく見つめている。その一方で、みずからの多感期を思い出しているのでもある。もう少し深読みしておけば、幸福の象徴とされる四つ葉を見つけたからといって、少女の未来の幸福が保証されるわけではない。当たり前の話だ。が、そのことに、言いようのない切ない感情がわいてくるのを止めることができないでいる……。(清水哲男)


April 1042004

 クローバ咲き泉光りて十九世紀

                           加藤かけい

語は「クローバ」で春。「苜蓿(うまごやし・もくしゅく)」に分類。正確に言うとクローバと苜蓿は別種であり、前者は「白つめくさ」のことだが、俳句ではこれらを混同して使ってきている。作者は1900年生まれ(1983年没)だから、20世紀の俳人だ。すなわち掲句は、前世紀である「十九世紀」に思いを馳せた句ということになる。世紀を詠み込んだ句は珍しいと言えようが、クローバの咲く野の泉辺に立ったとき、作者の思いはごく自然に、おそらくはヨーロッパ絵画に描かれた野の風景に飛んだのではなかろうか。苜蓿は南ヨーロッパ原産だそうだが、そういうことは知らなくても、いちばん似合いそうなのはヨーロッパの田舎だろう。それも二十世紀でもなく十八世紀以前でもなくて、やはり十九世紀でなければならない。暗黒面だけを探れば、十九世紀のヨーロッパは戦争や殺戮の連続であり、決して句のように明るい時代ではなかった。が、一方では絵画などの芸術が花開いた世紀でもあって、それらの伝える野の風景は多く明るさを湛えていたのだった。暮らしは低くとも思いは高くとでも言おうか、そんなエネルギーに近代日本の芸術文化も多大な影響を受け、今日にいたるも私たちの感性の一部として働いている。二十世紀という世界的にギスギスした社会のなかで、そんなヨーロッパに憧れるのは、もはや戻ってこない青春を哀惜するのに似て、この句は手放しに明るい句柄ながら、底に流れている一抹の悲哀感に気づかされるのだ。ひるがえって、将来「二十世紀」が詠まれることがあるとすれば、どんな句になるのだろうか。少なくとも、明るい世界ではないだろうな。そんなことも思った。『俳句歳時記・春の部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)


August 2882007

 秋天に東京タワーといふ背骨

                           大高 翔

拗な残暑が続く毎日だが、東京の空にもようやく秋らしさが見られるようになった。東京タワーは昭和33年に完成した東京都港区に立つ333mの電波塔である。この高さは「どうせつくるなら世界一を…。エッフェル塔(320m)をしのぐものでなければ意味がない」(by東京タワーHP)という、戦後から復興し、世界を視野に見据え始めた東京の夢を叶えたものであったという。赤と白のツートンカラーは五年に一度という周期で塗り替えられているが、今年がちょうどその時期にあたり、4月から深夜作業が始まっている。足場を組まれ、小さなゴンドラをいくつも下げた東京タワーは、まるで背中を流してもらっているガリバーのようにも見え、一段と掲句を納得させる図でもある。来年から工事が始まるという墨田区押上の新東京タワーはデザイン画では輝く銀色をしており、610mの全長は世界一の高さになるのだそうだ。しかし、850万の人間が密集し、さまざまな生活が集中している東京の空には、無機質なメタリックタワーより、人間の体温を感じられる紅白のタワーが似合う。今夜は皆既月食。東京タワーを背景に月蝕を眺めるなんていうのも素敵だ。〈春雪や産み月の身のうすくれなゐ〉〈「はいどうぞ」しろつめくさといしころと〉『キリトリセン』(2007)所収。(土肥あき子)


January 1512008

 ごみ箱を洗って干してあっ風花

                           薮ノ内君代

五の「あっ風花」は作者のひとりごと。家庭の主婦はまず一日の天気を把握してから本日の家事一切のメニューを組み立てる。わたしのようなぐうたら者でさえ、輝く朝日を浴びたときには、布団も干したい、シーツも洗いたい、ところで猫を洗ったのは一体いつ!?などと考える。まるで人間の身体のどこかにソーラーパネルのようなものが埋め込まれていて、太陽の光にどん欲に反応しているかのようだ。掲句の日和はいたって上々。いつものメニューをこなしたあと、「たまにはごみ箱でも洗おうかしら」と思うくらいのお天気だったに違いない。大物を洗って、とっておきの日向に干して、そしてようやく人心地となったとき、青空から降るプレゼントのような風花に気がつく。雲ひとつない空からきらきらと風花が舞う不思議は、遥か遠くに降った雪が風に乗って届くのだという。風花に気づいた彼女は、ソーラーパネルを全開にして、空からの便りを読み取るのだろう。「ヤマノムコウハ雪デスヨ」。それじゃ、熱い紅茶でも入れてひと休みでもしましょうか。いそいそとパネルをたたんで、あたたかいリビングへと入っていく。〈さくらさくらただ立ち止まってみるさくら〉〈クローバー大人になって核家族〉『風のなぎさ』(2007)所収。(土肥あき子)


May 1052010

 苜蓿踏んで少年探偵団

                           小西昭夫

想句だろう。江戸川乱歩が創り出した「少年探偵団」は、戦前から戦後にかけて多くの少年たちを魅了した。私も虜になったひとりだが、いま振り返ってみると、魅力の秘密は次の二点に絞られると思う。その一つは登場する少年たちが大人と対等にふるまえたこと。もう一つは、掲句に関係するが、大都会が舞台であったことだ。探偵団は明智小五郎の補佐役という位置づけではあったけれど、数々の難事件に取り組むうちには、大人顔負けの活動も要求される。団長の小林少年などはなにしろピストルすら携帯していたのだから、立派な大人扱いである。しかも彼らの活躍舞台は、華やかな都・東京だ。探偵団の読者のほとんどは田舎かそれに近いところに暮らしていたので、東京というだけで胸の高鳴りを覚え、そこに住みかつ活躍する探偵団のメンバーには羨望の念を禁じ得なかったのだ。そんな読者の常で、いつしかファン気質が「ごっこ」遊びに発展してゆく。まさかピストルまでは持てないけれど、ちゃんと代替物を用意して、どこにもいるはずのない明智小五郎の指示に従い、怪人二十面相を追跡する遊びにしばし没入するというわけだ。そこで気分はすっかり探偵団になるのだが、哀しいことにここは東京じゃない。早い話が、二十面相を尾行する道も舗装などされていない田舎道であり、そこここには「苜蓿(うまごやし)・クローバー」なんぞが生えていたりする。それでも「ごっこ」に夢中になれたあの頃……。その純情が懐かしくもいとおしい。そんな思いが込められた一句だ。『小西昭夫句集』(2010)所収。(清水哲男)




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