1997ソスN4ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1741997

 草餅に異な振舞や鯲汁

                           服部土芳

馳走になるのは嬉しいが、草餅と鯲汁(どじょうじる)がいっしょに出てきた。現代ならば、さしずめケーキに味噌汁が添えられているようなものだ。一瞬、何故なんだと挨拶に困ってしまう。ミスマッチである。しかし、いつの時代にもその家の流儀というものはあるわけで、今では西瓜に砂糖添え程度ならザラだろう。もっとも、コーラを飲みながら寿司を食べる現代っ子たちには、草餅と鯲汁だって平気かもしれない。となると、この句の面白さを理解できる人は、遠からず存在しなくなってしまうということになる。土芳は伊賀上野藩士。蕉門。(清水哲男)


April 1641997

 頭悪き日やげんげ田に牛暴れ

                           西東三鬼

われてみると、私たちには頭の「悪い日」と「よい日」とがあるような気がする。運の「よい日」と「悪い日」とがあるように……。そんな頭の悪い憂鬱な日に、美しいげんげ田を眺めていると、猛り狂った牛が暴れこんできた。せっかくの紫雲英が踏み荒らされて台無しである。昔の漫才師・花菱アチャコの台詞ではないけれど、「もうムチャクチャでござりまするわ」の図。よくよくツイてない日だと作者はうなだれている。読者にはそこが笑えるし、そこで楽しくなる。もっとも他方では、この句を抽象的に精神の劇として読もうとする人もいると思う。が、このまま素直に実景として受けとっておくほうが、私はそれこそ「頭」にも「身体」にもよいと思うのである。(清水哲男)


April 1541997

 がうがうと欅芽ぶけり風の中

                           石田波郷

(けやき)の大木が、あちらこちらで芽吹き始めている。大木になるために、小さな家の庭は勿論、小さな公園でも、又街路樹としても余り歓迎されない。「困」るという字には、元々、屋敷「□」の「木」が大きくなって「困」るという意味があるようである。狭い土地を更に分割して庇を寄せあって暮らしている人間を尻目に超然と、欅は、今年も、風を相手に蘇ってきている。(板津森秋)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます