1997ソスN4ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1641997

 頭悪き日やげんげ田に牛暴れ

                           西東三鬼

われてみると、私たちには頭の「悪い日」と「よい日」とがあるような気がする。運の「よい日」と「悪い日」とがあるように……。そんな頭の悪い憂鬱な日に、美しいげんげ田を眺めていると、猛り狂った牛が暴れこんできた。せっかくの紫雲英が踏み荒らされて台無しである。昔の漫才師・花菱アチャコの台詞ではないけれど、「もうムチャクチャでござりまするわ」の図。よくよくツイてない日だと作者はうなだれている。読者にはそこが笑えるし、そこで楽しくなる。もっとも他方では、この句を抽象的に精神の劇として読もうとする人もいると思う。が、このまま素直に実景として受けとっておくほうが、私はそれこそ「頭」にも「身体」にもよいと思うのである。(清水哲男)


April 1541997

 がうがうと欅芽ぶけり風の中

                           石田波郷

(けやき)の大木が、あちらこちらで芽吹き始めている。大木になるために、小さな家の庭は勿論、小さな公園でも、又街路樹としても余り歓迎されない。「困」るという字には、元々、屋敷「□」の「木」が大きくなって「困」るという意味があるようである。狭い土地を更に分割して庇を寄せあって暮らしている人間を尻目に超然と、欅は、今年も、風を相手に蘇ってきている。(板津森秋)


April 1441997

 濯ぎ水あふれ細紐生きはじむ

                           今井真子

濯機なんてなかったから、学生時代にはタライで下着などを洗った(下宿のタライの裏側には、私の生年と同じ購入年度が墨で書かれていた)。暖かくなってくると、水仕事も楽になる。そんな嬉しさが、この句には溢れているようだ。濯ぐために勢いよく水を注ぐと、脇役の細紐が主役のような顔をして踊りだす。そんな些事をとらえて、大きな自然の変化を表現した作者の感性が素敵だ。いわゆる季語は使われていないけれど、句全体が春の輝きのなかにある。『水彩パレット』所収。(清水哲男)




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