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April 0241997

 眼を先へ先へ送りて蕨採る

                           右城暮石

(わらび)で思い起こすのは「万葉集」の志貴皇子の次の歌だ。「石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」。春が来た喜びを、これほど素直にして上品に歌うことのできた人の心根がしのばれる。この歌の影響だろうか。そんなことはないはずなのに、蕨というと「和歌的な植物」と感じてしまう。対するに、ぜんまいは「俳句的植物」か。食料難に悩まされた子供の頃、蕨採りは日課であった。風流のためではなく生活のためだから、この句のようにいささか血まなこめくのであった。(清水哲男)


March 2532000

 深山に蕨採りつつ滅びるか

                           鈴木六林男

い山の奥。こんなところまでは、さすがに誰も蕨(わらび)など採りには来ない。人気(ひとけ)のないそんな山奥で蕨を摘んでいるうちに、ふと「俺はこのままでよいのか」という気持ちが、頭をよぎった。希望も野望も、何一つ成就できないままに、自分は亡びてしまうのではないか。やわらかくて明るい春の日差しの中で、作者はしばし落莫たる思いにふけることになった。「蕨狩」という季語もあって、これは「桜狩」「潮干狩」のように行楽の意味合いを持つが、この場合は行楽ではないだろう。食料難を補うため、生活のために、作者は蕨を摘んでいるのだ。だから、深山にまで入り込んでいる。大人も子供も、生活のために蕨を摘みに出かけた敗戦直後の体験を持つ私などには、とりわけてよくわかる句だ。子供の私に「亡びる」意識はなかったものの、「こんなところで何をやってんだろう」という気持ちには、何度も囚われた。篭にどっさり採って帰ったつもりが、いざ茹でてみると、情けないほどに量が減ってしまう。あのときの徒労感、消耗感も忘れられない。『新日本大歳時記』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


March 0632004

 冗費とも当然とも初わらび買ふ

                           及川 貞

語は「はつわらび(初蕨)」で春。「蕨」の項に分類。「薇(ぜんまい)」とともに、春を告げる山菜の代表だ。なるほど、主婦としての作者の気持ちはよくわかる。事情があって、最近の私はよくこまごました買い物をするが、「冗費(じょうひ)」かどうかで思案すること、しばしばだ。ついこの間の雛祭りの日にも、桜餅の前でちょっと逡巡した。買わなくてもよいといえば、買わなくてもすむ。しかし、買えば生活のうるおいにはなる。結局買って帰ったのだが、そのときの心持ちは、まさに句の通りだった。買うときは何ほどの出費でもないにしても、初物だの季節物だのにこだわって買い物をつづけていると、年間での総額にはかなりの差が出てしまう。家計をあずかる主婦としては、だからいちいち自分で自分を説得して買わなければならない。でも、句の「はつわらび」などの場合は、完全に説得することは無理だろう。それでなくとも初物は高価だし、もっと出回るようになってから求めたほうが、味覚的にも満足できる。が、買いたい。筍にさきがけて、早春の味を家族といっしょに楽しみたい。こう思うのは、自然な気持ちからで「当然」じゃないだろうか。いやいや、やはり無駄遣いになるのかしらん。買ってしまっても、まだ自分を説得できないでいるのである。主婦であるならば、誰しもが掲句の世界は、日々親しいものだろう。これは男の「ケチ」とは、性質的にまったく異る。例外はあるにしても、主婦の日常的な買い物の背後には、常に家族がいるのだからだ。男の買い物には、自分しかいないことが多い。この差は、実に大きいのである。『夕焼』(1967)所収。(清水哲男)


March 0932004

 早わらびの味にも似たる乙女なり

                           遠藤周作

語は「早わらび(さわらび・早蕨)」で春。「蕨」の項に分類。題材にした詩歌では、ことに『万葉集』の「石走る垂水のうえのさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」(志貴皇子)が有名だ。芽を出したばかりの蕨は、歌のようにいかにも初々しい緑の色彩で春を告げる。その意味で、この歌は完ぺきだ。あまりにも完成しすぎているために、今日でも「早蕨」を詠むとなると、どうしてもこの歌がちらりと頭をかすめてしまう。歌が詠まれてから千数百年も経ているというのに、いまだ影響力を持ちつづけているのだから、詩歌世界の怪物みたいな存在である。だから後世の人々はそれぞれに工夫して、志賀皇子の世界とは一線を画すべく苦労してきた。なかには現代俳人・堀葦男のように「早蕨や天の岩戸の常濡れに」と詠んで、志賀皇子の時代よりもはるか昔にさかのぼった時間設定をして、オリジナリティを担保しようと試みた例もある。小説家である作者もそんなことは百も承知だから、故意に「色」は出さずに「味」で詠んだのだと思われる。「乙女(おとめ)」を形容するのに「味」とはいささか突飛だが、そこは周到に「味にも」とやることで、句には当然「色」も「香」も含まれていることを暗示させている。早蕨のほろ苦い味。そんな初々しい野性味を感じさせる「乙女」ということだろう。そよ吹く春の風のように、そのような若い女性が眼前に現れた。そのときの心の弾みが詠まれている。が、不思議なことに、句からは女性その人よりも、むしろ目を細めている作者の姿のほうが浮び上ってくる気がするのは何故だろうか。金子兜太編『各界俳人三百句』(1989)所載。(清水哲男)


October 06102010

 台風の去つて玄海灘の月

                           中村吉右衛門

右衛門は初代(現吉右衛門は二代目)。今年はこれまで、日本列島に接近した台風の数は例年にくらべて少ない。猛暑がカベになって台風を近づけなかったようなフシもある。九州を襲ってあばれた台風が福岡県西方の玄海灘を通過して、日本海か朝鮮半島方面へ去ったのだろう。玄海灘の空には、台風一過のみごとな月がぽっかり出ている。うたの歌詞のように「玄海灘の月」がどっしりと決まっている。「ゲンカイナダ」の響きにある種のロマンと緊張感が感じられる。「玄海灘」は「玄界灘」とも書くが、地図をひらくと海上に小さな玄界島があり、玄海町が福岡県と佐賀県の両方に実在している。玄海灘には対馬海流が流れこみ、世界有数の漁場となっている。また1905年には東郷平八郎率いる連合艦隊が、ロシアのバルチック艦隊を迎え撃った、知る人ぞ知る日本海海戦の激戦地でもある。海戦当時、吉右衛門は19歳。何ごともなかったかのような月に、日本海海戦の記憶を蘇らせ重ねているのかもしれない。高浜虚子と交流があり、「ホトトギス」にも顔を出した吉右衛門には『吉右衛門句集』がある。俳句と弓道を趣味としたそうである。浅草神社の句碑には「女房も同じ氏子や除夜詣」、修善寺梅林の句碑には「鶯の鳴くがままなるわらび狩」が刻まれている。台風の句には加藤楸邨の「颱風の心支ふべき灯を点ず」がある。平井照敏編『新歳時記』(1996)所収。(八木忠栄)


March 0932014

 集つて散つて集まる蕨狩

                           宇多喜代子

ジオ体操のような句の作りです。前半の動作が後半でくり返されるところが似ています。このように感じるのは、日本的な集団主義のおかしさがみてとれるからでしょう。仲間同士か町内会の行事か、参加者を募って車を手配し、蕨山まで団体行動をとる。ここまでの手配と段取りは、律儀な幹事が取りまとめ、参加者はそれに従います。しかし、「散つて蕨狩」をする段になると、狩猟採集本能がよみがえってきて、我先に蕨を獲得しようと躍起になる者もあらわれます。日本人は、このように自然と向き合うときに、集団から解放された自身にたちかえられるのかもしれません。しかし、集合の時間になると、皆整然と集まり、一緒に来た路を帰ります。この行動様式は、小学校の遠足にも似ているし、大人のツアー旅行にも似ています。句会も吟行も同様です。掲句がもつ、集合と拡散と集合の運動に、読む者をほぐすおかしみがあるのでしょう。『記憶』(2011)所収。(小笠原高志)


April 2242015

 早蕨よ疑問符のまま立ちつくせ

                           狩野敏也

どものころ蕗の薹の時季が終わると、すぐ薇や蕨採りに野へ山へと走りまわったものである。あの可愛くておいしそうな蕨の「拳のかたち」を、土の上に発見したときの喜びは格別だった。今でさえ時々夢に見るほどである。まさに「……早蕨の萌え出づる春になりにけるかも」である。蕨の季語には「早蕨」もあるが、「老蕨」もあるのが可笑しい。うっかりしていると、たちまち拳を開いてのさばってしまう。早蕨のかたちを「拳」とか「拳骨」と称するけれど、敏也は「疑問符」ととらえてみせた。そう言われれば、なるほど「疑問符」にも見えるし、「ゼンマイ」のようにも見える。「薇」は芥川龍之介の句に「蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな」があったなあ。ここでは蕨の形体にとどまらず、中七・下五は蕨に対して「成長とともに開いてしまうのではなく、いつまでも疑問符をもちつづけ、物事を簡単に了解するなよ」という作者の気持ちがこめられているように、私には思われる。これは早蕨を自分に見立てて、詩人が自分に対して「立ちつくせ!」と言っている、一つの姿勢なのではないか。そんなふうにも解釈したい。他に「譲ること多き日々衣被」がある。「花村花2015」(2015)所収。(八木忠栄)




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