蟄」隱槭′譏・縺ョ證ョ縺ョ句

March 1031997

 手を拍つて小鮒追ひこむ春の暮

                           大串 章

ずは作者自註より。「小川に鮒の群を見つけると、手を打ち鳴らして石垣の穴に追い込む。ころあいをみて、その穴の中に手をつっこんで鮒を捕る」。学校帰りだろうか。私も、よく小川で遊んだ。唱歌の文句のように川水はサラサラと流れており、水の中を覗いているだけでも飽きることはなかった。小さな魚と小さな植物たち……。なかでも、私は岩蔭に住む蟹たちの剽軽な動きが好きだった。ただ、残念なことに、この句のような鮒の捕獲法があることは知らなかった。ずいぶんと楽しそうだ。なお「春の暮」は春の夕刻の意。春の終りを言う「暮春」などとは区別する。(清水哲男)


March 1231998

 先代の顔になりたる種物屋

                           能村研三

物は、野菜や草花の種のこと。それを売るのが種物屋。花屋とはちがって、種物屋は小さくて薄暗い店が多い。作者は毎春、決まった店で種を求めてきたのだろう。主人が代替わりしたほどだから、店との付き合いもずいぶんと長い。気がつくと、二代目の顔が先代とそっくりになってきた。ときに、先代と向き合っているような錯覚さえ覚えてしまう。対象が命の種を商う人だけに、生命の連続性に着目したところが冴えている。そっくりといえば、谷川俊太郎さんが亡き谷川徹三氏に間違えられたことがあった。二年ほど前だったか、句会の後である庭園を歩いていたら、いかにも懐しそうに詩人に声をかけてきた老人がいた。詩人としては記憶にない人なので曖昧な応答をしているうちに、父親と間違えられていることに気がついた。で、そのことを相手に告げようとしたのだが、少々ボケ加減のその人には通じない。ついには記念に一緒に写真に写ってほしいと言いだし、老人は満足化に「谷川徹三」氏とのツー・ショット写真に収まったのだった。見ていたら、詩人のほうはまことに生真面目な表情で撮されていた。そういえば、句の作者も俳人・能村登四郎氏の三男だ。「春の暮老人と逢ふそれが父」という、息子(!)としての作品がある。(清水哲男)


January 2511999

 寒の坂女に越され力抜け

                           岸田稚魚

体が弱っているのに、寒さのなかを外出しなければならぬ用事があり、きつい坂道を登っていく。あえぎつつという感じで歩いていると、後ろから来た女に、いとも簡単についと抜かれてしまった。途端に、全身の力が抜けてしまったというシーン。老人の句ならばユーモラスとも取れようが、このときの稚魚はまだ三十歳だった。かつての肺結核が再発した年であり、若いだけに体力の衰えは精神的にも悔しかったろう。それを「女に越され」と、端的に表現したのだ。以後に書かれたおびただしい闘病の句は、悲哀の心に満ちている。「春の暮おのれ見棄つるはまづわれか」。裏を返せば、このようなときにまず恃むのはおのれ自身でしかないということであり、この覚悟で稚魚は七十歳まで生きた。没年は1988年。私なりの見聞に従えば、男は総じて短気な感じで死んでしまう。あきらめが早いといえばそれまでだが、なにかポキリと折れるような具合だ。寝たきりになるのも、男のほうが早い。這ってでも、自分のことは自分でやるという根性に欠けている。心せねばなりませぬな、ご同輩。『雁渡し』(1951)所収。(清水哲男)


March 0632000

 月曜は銀座で飲む日おぼろかな

                           草間時彦

暦を過ぎたあたりの句。当時の作者は講談社版『日本大歳時記』の編集に携わっていたはずなので、定期的な仕事のために、月曜日が東京に出てくる日だったのかもしれない。事情はともかくとしても、「月曜日」に飲むというのが、いかにも年齢的にふさわしい。銀座の夜が、いちばん空いている日。若いサラリーマンたちは、体力温存のためにさっさと家路をたどる曜日だからだ。仕事を終えて、気のおけない友人の待っている銀座の酒房へと向かうときは、気持ちそのものが楽しき春「おぼろ」なのである。ほぼ同時期の「しろがねのやがてむらさき春の暮」は伊豆での作句だが、銀座の夕景だとて、春は「むらさき」に暮れていく。酒飲みならではのワクワクする気分が、よく伝わってくる。酒房での会話は、とくに何を話すというわけでもない。「ああ…」だとか「うん…」だとかと、言葉少なだ。それでも何かが確実に通じ合うのは、積年の友人のありがたさというものである。なんだか、さながらに小津安二郎の映画のなかにいるようではないか。ひるがえって私などは、いまだにあくせくしていて、飲むとなると「金曜日」。人生は、なかなか映画のようには運んでくれない。『夜咄』(1986)所収。(清水哲男)


March 1032000

 天が下に春いくたびを洗ふ箸

                           沼尻巳津子

の訪れは、もちろん水の温んできた感触から知れるのだ。悠久の自然の摂理にしたがって、また春がめぐってきた。「天が下に」ちんまりと暮らしている人間にも、大自然の恩寵がとどけられた。そんな大きい時空間の移り行きのなかで、私は「いくたび」の春を迎えてきただろうか。小さな水仕事をしながら、ふと感慨が頭をよぎった。人の営みは小さいけれど、ここで作者はその小ささをこそ愛しているのだ。台所はしばしば俳句の題材に採り上げられるが、「天が下に」と大きく張って「洗ふ箸」と小さく収めたところが、作者の手柄である。水仕事だけではなくて、人間のすべてのちんまりとした営みを「天が下に」置いてみるという気持ちなのだろう。同じ作者の句に「一斉にもの食む春の夕まぐれ」の佳句があって、ここでも「天が下に」が意識されている。「全体」から「個」へ、はたまた「個」から「全体」へと。そうしたスケールの、絶妙な出し入れの才に秀でた俳人だと思う。『背守紋』(1988)所収。(清水哲男)


April 1342002

 先人は必死に春を惜しみけり

                           相生垣瓜人

多喜代子が「俳句研究」(2001年5月号)で紹介していた句。思わず吹きだしてしまった。皮肉たっぷりな句だが、しかし不思議に毒は感じられない。惜春の情などというものは自然にわき出てくるのが本来なのに、詩歌の先人たちの作品を見ていると、みな「必死に」なって行く春を惜しんでいる。どこに、そんな必要があるのか。妙なこってすなア。とまあ、そんな句意だろう。この句を読んでから、あらためて諸家の惜春の句を眺めてみると面白い。事例はいくらでもあげられるが、たとえば先人中の先人である芭蕉の句だ。『奥の細道』には載っていないけれど、同行の曽良が書き留めた句に「鐘つかぬ里は何をか春の暮」がある。旅の二日目に、室の八島(現・栃木市惣社)で詠んだ句だ。「何をか」は「何をか言はんや」などのそれで、入相の鐘(晩鐘)もつかないこの里では、何をたよりに春を惜しめばよいのかと口をとんがらかしている。だったら別に惜しまなくてもいいじゃんというのが、瓜人の立場。天下の芭蕉も、掲句の前では形無しである。はっはつは。なお「春の暮」は、いまでは春の夕暮れの意に使われるが、古くは暮春の意味だった。その点で、芭蕉の用法は曖昧模糊としている。たぶん、暮春と春夕の両者にかけられているのだろう。詠んだのが、旧暦三月二十九日であったから。(清水哲男)


April 1742005

 養生は図に乗らぬこと春の草

                           藤田湘子

にご存知のように、作者は一昨日亡くなられた。享年七十九。主宰誌「鷹」のいちばん新しい号(2005年4月号)で見ると、掲句のように闘病生活を詠んだ句が目立つ。この句ではしかし、だいぶ体調が良くなってこられていたようなので、一愛読者としてはほっとしていたのだが……。元気な人がこんな句を詠んだとしたら、教訓臭ふんぷんで嫌みな感じしか受けないけれど、病者の句となると話は別だ。一般的な教訓などではなく、自戒の意が自然に伝わってくるからである。少しくらい調子が戻ってきたからといって、萌え出てきた「春の草」に喜びを覚えたからといって、ここで「図に乗」っては危険だ。過去に失敗したことがあるからだろうが、作者は懸命に浮き立ちたい気分を押さえ込もうとしている。春の草の勢いとは反対に、おのれのそれを封じ込める努力が「養生(ようじょう)」なのだからと、自分に言い含めているのだ。このモノローグは、同じ号に載っている「春夕好きな言葉を呼びあつめ」「着尽くさぬ衣服の数や万愚節」などと読み合わせると、老いた病者の養生が如何に孤独なものかがうかがわれて、胸が痛む。これらの句は、作者の状況を知らない者にとっては、相当にゆるくて甘い句と読めるかもしれない。だが、掲載誌は結社誌なのだから、これで通じるのだし、これでよいのである。俳句が座の文芸であることを、しみじみと感じさせられたことであった。合掌。(清水哲男)


April 2242005

 春ゆふべあまたのびつこ跳ねゆけり

                           西東三鬼

和十一年(1936年)の句。現代であれば、差別語云々で物議をかもすに違いない。ただし前書きに「びつことなりぬ」とあるから、自分のことも含めて言っているわけで、厳密には差別語が使用されていることにはならないだろう。現今のマスコミではあれも駄目これも駄目と非常に神経質だが、前後の脈絡などは無視して、ただ単語のみに拘泥するのはいかがなものか。意識が甘くとろけるような「春ゆふべ」、見渡せば「あまたのびつこ」がそこらじゅうを次々に「跳ね」て行き過ぎてゆく。そしてここには彼らだけが存在し、他の人は誰もいないのである。しかも「跳ね」ている人たちは嬉々としているようでもあって、ずいぶんと奇妙な幻想空間と言おうか、一種狂的なイメージの世界を描き出している。この情景に、理屈をつけて解釈できないわけではない。完璧な肉体の所有者はどこにもいないのだから、人はみな「びつこ」のようなものなのだなどと……。だが、私はそのように理に落して観賞するよりも、むしろイメージをそのまま丸呑みにしておきたい。丸呑みにすることで伝わってくるのは「春ゆふべ」の咽せるがごとき濃密な空間性であり、そのなかにどっぷりと浸されていることの自虐的な心地よさだろう。急に訪れた身体的不自由を嘆くのではなく、むしろ毒喰わば皿までと開き直れば、狂気の世界に身を沈めたくなる気持ちは奇妙でも不思議でもあるまい。詩人の橋本真理は三鬼句や生涯について「転落を"上がり"とする奇妙な双六を見るようだ」と書いているが、掲句にもよく当てはまっている。『旗』(1940)所収。(清水哲男)


April 1642006

 春夕好きな言葉を呼びあつめ

                           藤田湘子

語は「春夕(はるゆうべ)」、「春の暮」に分類。一年前(2005年4月15日)に亡くなった作者の最晩年の句である。そう思って読むせいか、どこか寂しげな感じを受ける。あまやかな春の宵を迎える少し前のひととき、病身の作者がひとりぽつねんといて、「好きな言葉を呼びあつめ」ているのだ。長年にわたる俳句修業ののちに、心の内をまさぐって呼びあつめた好きな言葉とは、どんな言葉だったのだろうか。その数は多かったのか、あるいは逆に寥々たるものだったのか。いずれにしても、この句は作者の意図がどうであれ、老いの切なさをはからずも露出していると思われる。またふんわりとした詠み方ではあるが、最期まで言葉に執した人の鬼気も、いくぶんかは含まれているだろう。読後ふと、ならば読者である私に、好きな言葉はあるだろうかと思わされた。しばらく考えてみて、いまの私にそのような言葉は一つも呼べなかった。若い頃にはいくらもあった好きな言葉は、みななんだか陳腐でくだらなく思えてしまい、もはや「無し」としか言いようがない。これが曲がりなりにも詩を書いている人間として、恥ずかしいことなのかどうかもわからない。でも無理やりに記憶の底を掻き回してみているうちに、エジソンの言葉とされる「少年よ、時計を見るな」がやっと浮かんできたのだったが、もはや私は少年ではないので、やはり好きな言葉と言うには無理があるということである。遺句集『てんてん』(2006)所収。(清水哲男)


October 02102007

 新涼や三回試着して買はず

                           田口茉於

々続いた凶暴な残暑にもどうやら終わりがきたようだ。先月からはやばやと秋の装いのニットやブーツを身につけていたショーウィンドーのマネキンも、ようやく落ち着いて眺めることができるようになった。しかしまだ更衣をしていないこの時期に、新しい洋服の購入はとても危険なのである。また同じようなものを買ってしまったという後悔や、手持ちのどの洋服とも合わないという失敗を毎年繰り返しているにも関わらず、ついつい真新しいファッションを手にしたくなるのが女心というものだ。手を出しかねていたレギンスから、世間は一転してカラータイツになっているようだけれど、これもきっと取り入れずに終わるだろう。それにしても掲句の作者はずいぶん用心深く、わたしが懲りずに度々犯す「衝動買い」という愚かな過ちを上手に回避しているようだ。今年は掲句を繰り返しながら街を歩くことにしようかと思う。〈携帯でつながつてゐる春夕べ〉〈私から届く荷物や金木犀〉『はじまりの音』(2006)所収。(土肥あき子)


March 0132008

 遊び子のこゑの漣はるのくれ

                           林 翔

月の空はきっぱり青い。春一番が吹いて以来冴返る東京だが、空の色は少しずつうす濁ってきて今日から三月。通勤途中、どこからとなく鳥の声が降ってくるようになり、しつこい春の風邪に沈みがちな気分を和らげてくれる。春の音はきらきらしている。鳥の声も、水の流れも、聞き慣れた電車の音も、人の声も。最近の子供は外で遊ばなくなった、と言われて久しいが、買い物袋を下げて通る近所の公園には、いつもたくさんの子供が集まって、ぶらんこやシーソーに乗り、気の毒なくらい狭いスペースでバレーボールやドッヂボールに興じている。遊び子という表現は、遊んでいる子供の意であろうが、いかにも、今遊んでいるそのこと以外何も考えていない子供である。その子供達の楽しそうな笑い声が、日の落ちかけた茜色の空に漣のように広がっていく。こゑ、と、はるのくれ、のやわらかな表記にはさまれた、漣。さざなみ、の音のさらさら感と、水が連なるという、文字から来る実感を持つこの一文字が効果的に配されている。今日より確実に春色の深まる明日へ続く夕暮れである。『幻化』(1984)所収。(今井肖子)


March 0932008

 いづかたも水行く途中春の暮

                           永田耕衣

の暮といえば、春の夕暮れを意味し、暮の春といえば、晩春のことを意味します。この句はですから、春の夕暮れ時を詠んでいます。「いづかたも」を「どちらの方向へも」と読むなら、その日の夕暮れ時に、ぬるんだ水が、どちらの方向へも広がるように流れて行くと、この句を解釈することができます。その流れの悠揚さが、自然のおおきないとなみにしたがっており、「途中」の一語が、世の無常を示しているようにも読み取れます。あるいは、「いづかたも」を「だれも」と解釈すれば、だれでもが、内面にたえまなく流れ去るものを持ち、すべてのおこないや出来事は、命の果てへ到達する途中のことでしかないのだと、読みとることも出来ます。どちらの解釈をとるにしても、どこか達観した意識で、物事を見つめているように感じられます。春は卒業、入学試験、人事異動と、大切な区切り目を越えなければならない時期です。見事にその区切りを越えられた人はともかく、そうでなかった人も、たくさんいるはずです。しかし、どんなに気の滅入る結果でも、所詮は流れ行く水のように、「途中」の出来事でしかないのだと、この句に肩をたたかれたように感じても、かまわないと思うのです。『俳句観賞450番勝負』(2007・文芸春秋) 所載。(松下育男)


June 2562008

 蝋の鮨のぞく少女のうなじ細く

                           高見 順

にかぎらず、レストランのウィンドーにディスプレイされている食品サンプルの精巧さには驚かされる。みごとなオブジェ作品である。昔は蝋細工だったが、現在は塩化ビニールやプラスチックを素材にしているようだ。食品サンプルはもともと日本独自のものであり、その精巧さはみごとである。目の悪い人には本物に見えてしまうだろう。掲出句の「蝋の鮨」は鮨屋のウィンドーというよりは、鮨からラーメンまでいろいろ取りそろえているファミリー・レストラン入口のウィンドーあたりではないか。蝋細工のさまざまなサンプルがならんでいるなかで、とりわけおいしそうな鮨に少女は釘付けになっているといった図である。たとえファミリー・レストランであるにしても、鮨の値段は安くはない。食べたいけれど、ふところと相談しているか、またはその精巧さに感心しているのかもしれない。作者は店に入ろうとしてか、通りがかりにか、そこに足を止めている少女の細いうなじが目に入った。少女の見えない表情を、うなじで読みとろうとしている。作家らしい好奇心だけでなく、やさしい心がそこに働いている。どこかしらドラマの一場面のようにも読めそうではないか。鮨と細いうなじの清潔感、それを見逃さない一瞬の小さな驚きがここにはある。江戸前の握り鮨は、鬱陶しい雨期や炎暑の真夏にはすがすがしい。高見順が残した俳句は少ないが、小説家らしい句。鮨の俳句と言えば、徳川夢声に「冷々と寿司の皿ある楽屋かな」、桂信子に「鮨食うて皿の残れる春の暮」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


March 3132009

 春荒や水車は水を翼とし

                           菅 美緒

書のうえでは春の嵐と同義にされる「春荒(はるあれ)」だが、心情的には「嵐」とひとくくりにされるより、もっと春の持つ爆発的なエネルギーを感じさせる独特な荒々しさを持っているように思う。掲句では、激しい風にあおられながら、水車のこぼす水がまるで白い翼を持つ生きもののようだという。村上春樹の小説『納屋を焼く』(新潮文庫)に「世の中にはいっぱい納屋があって、それらがみんな僕に焼かれるのを待っているような気がする」という印象的な文章があった。そこにはあらゆる種類の暗闇が立ちこめていたが、掲句では水車が能動的に羽ばたくことを選び、大空へ飛ぶチャンスをうかがっているように見える。それは人をやすやすと近づけることを許さない「春荒」という季題が、水車に雄々しい自由と自尊心を与えているのだろう。〈子のごとく母を洗へり春の暮〉〈交みゐて蛙しづかに四つの目〉『洛北』(2009)所収。(土肥あき子)


March 0932011

 足のうら足をはなれてはるのくれ

                           武田 肇

は身も心も浮き立つ季節である。日も永くなってきて、やわらかい日ざしのなかを、どこまでも歩いて行きたい心地がする。軽快に歩いているうちに、うっかりしていつのまにか、足のうらが足を離れてしまったような錯覚に陥ってしまったというのであろう。うん、わかります。夢うつつの境地での散策なのかもしれない。足跡には足を離れてしまった足のうらが、名残りのようにそっくりそのまま、ずっと春の宵の口のほうまで、ひたひたつづいているのだ、きっと。足をなくした足のうら、足のうらをなくした足――春なればこそのややこしい椿事? 春の暮ならではの奇妙な時空が、そこに刻みこまれているように思われる。「…はなれて/はるのくれ」の「ha」音の連続が心地よい。「春の暮」と「春の夕」とでは暗さの重みのニュアンスが微妙にちがう。肇は句集にこう記している。「俳句も進化すべきであり、必然的に進化するであらう。もつといへば季題に内在する普遍的な力がさうさせる筈である」。他の句に「あしのうらはどこからきたかあまのがは」「春風や引戸に掛ける手のかたち」などがある。『ダス・ゲハイムニス』(2011)所収。(八木忠栄)


May 1752011

 田水張る静謐といふ四角形

                           安徳由美子

前は6月上旬に一斉にしていた田植えも、現在ではゴールデンウイークに合わせて早めになったという。田植えを前に土をおこしたり、畦を作ったり、下準備を経て、いよいよ水を満たした田は、凛と張りつめした静謐そのものといった風情になる。全面に空を映し、鳥の影が渡り、わずかな風にささやかなさざ波を立てる。頼りない苗が風になびく植田は、青々と力強い青田へ、そして秋には黄金色の稲穂が揃う。この美しい移り変わりが、都会ではもう間近には見られないようになってしまった。田の漢字のありようが、耕作地と畦道であることをいつまでも当然と思いたいものだ。今月末、ようやく雪が消えて、準備が整った新潟に田植えをさせてもらいに行く。機械が余した片隅や変形部分を手植えする補植を体験する。はたして手伝いになるのか、どうか。しかし田水の張った聖なる四角に足を踏み入れるチャンスに、胸は高鳴るばかりである。〈ひしひしと我一人なり春の暮〉〈この坂を上れば未来花なづな〉『藻の花明かり』(2011)所収。(土肥あき子)


August 2382011

 いくたびも手紙は読まれ天の川

                           中西夕紀

の川と並び銀漢、銀砂子が秋季に置かれているのは、秋の空気がもっとも星を美しく見せるという理由からである。とはいえ、連歌の時代から天の川は七夕との関係で詠まれてきた。掲句も何度も開かれる手紙に、天の川を斡旋したことで七夕を匂わせ、恋文を予感させ、また上五の「いくたび」が、単に何回もというよりずっと、女性らしい丁寧な所作を感じさせる。今年の旧暦の七夕は8月6日だった。新暦の7月では梅雨さなかで、旧暦になると台風のおそれがあるという、七夕はまことに雨に降られやすい時期にあたる。一年にたった一度の逢瀬もままならないふたりの間に大きく広がる天の川が、縷々と書き綴られた巻紙にも見え、会えない日々を埋めているように思えてくる。今夜の月齢は23.3。欠けゆく月に星の美しさは一層際立ち、夜空にきらめくことだろう。〈貝殻の別れつぱなし春の暮〉〈白魚の雪の匂ひを掬ひけり〉『朝涼』(2011)所収。(土肥あき子)


April 2642015

 いづかたも水行く途中春の暮

                           永田耕衣

は、水行く季節でもあったのですね。雪解けの水は、山から谷へ、谷から里へ流れて行きます。樹木、草花、農作物は、根から水を吸います。昆虫も魚も鳥も動物たちも、水行く季節になると捕食と生殖活動を活発化させていき、体液の循環も盛んになるでしょう。動植物を支えている大気から地表、地下水まで、水行く水量は増していきます。それは、暖かくなってきたからです。温度が上がると水の分子の運動も活発になる。当たり前ですね。そんな暮春の候の句ですが、ここからは、二つの見解が可能です。一つ目は、中七で切って読む場合です。森羅万象の活動は、人も含めて全て「途中」なのだという見解で、水行きには終点がないということです。水は循環している から常に「途中」です。 二つ目は、中七で切らない場合です。そうすると、「春の暮」が句の主眼になってきて、冬を過ぎて暮春になったから、水行きは活発なんだという見解になります。どちらを選ぶかは、各人の好みになるでしょうが、句から驚きを得られるのは、前者です。なぜなら、無常観を「途中」という俗語で言い表しているからです。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)


April 0942016

 目つむれば何もかもある春の暮

                           藺草慶子

人的なことだがつい先日の旅先での母の話を思い出した。日々の暮らしの中では、明日は句会へ行くとかあれが食べたいとか牛乳を買ってきてとか電球が切れたとか、そんな会話で明け暮れるわけだが非日常の旅先では、たとえばドライブをしながら昔のことを話す。登場するのは、もう記憶の中でしか会えないたくさんの人々や、既に無くなってしまった昔家族で住んでいた家などなど。なにもかも今は存在していないが、少し目を閉じるときっと鮮やかに思い出されるのだ。それは、ただ懐かしい思い出とかありありとよみがえる記憶というよりまさに、何もかもある、であり生きて来た現実なのだろう。春の夕日を遠く見ながらそんなことを思った。〈花の翳すべて逢ふべく逢ひし人〉。『櫻翳』(2015)所収。(今井肖子)




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