大野朱香の句

March 0731997

 空をゆく花粉の見ゆるエレベーター

                           大野朱香

じめて乗ったエレベーターは、大阪梅田は阪急百貨店のそれだった。小学二年。敗戦直後。まだ蛇腹式の扉で、昇降するときには各階の売り場が見え、その不思議さに圧倒された記憶がある。余談だが、ベーブ・ルースのエレベーター好きは有名で、遠征先のホテルで暇さえあれば楽しんでいたという。ボーイへのチップも莫大だったらしい。ところで昭和初期のエチケット読本の類には「昇降機の正しい乗り方」なる項目があり、「乗った人は扉と正対すること」などと書いてある。この句のエレベーターは、扉を背にして乗る(というよりも、どこを向いて乗っていればよいのか困ってしまう)最近のタイプのもの。花粉が見えるわけはないけれど、外が見える楽しさから、心がついこのように浮き立ってしまうときもある。(清水哲男)


October 03101997

 登高ののぼりつめればラーメン屋

                           大野朱香

野朱香さんは1955年生れの女流俳人。「これはもう裸といえる水着かな」という句で知られる。亡き江國滋さんが『微苦笑俳句コレクション』に何句も採っているのもうなずける。江國さん、好きだったんだ。私も好きな俳人です。「登高(とうこう)」は秋の季語。もともとは重陽の節句に、文人が高きに登って詩を詠じた故事をいう。最近は秋の気候の良い頃のハイキング気分の語となっている。その坂道ののぼりつめたところがラーメン屋だったんだ。なんだ、なんだ、といいながら、それでも食べるラーメンは、きっと美味しいだろうなあ。(井川博年)


January 1412000

 一畳の電気カーペットに二人

                           大野朱香

か暖かそうな句はないかと探していたら、この句に行き当たった。侘びしくも色っぽい暖かさだ。その昔に流行した歌「神田川」の世界を想起させる。あの二人が風呂屋から戻ると、アパートではこういう世界が待っているような……。小さな電気カーペットだから、二人で常用するには狭すぎる。日ごろは女の領分である。そこに、すっとさりげなく男が入ってきた。そんな暖かさ。このとき、男はわざわざ暖をとりに入ってきたのではあるまい。そこがまた、作者には暖かいのだ。それでよいのである。従来のカーペット(絨緞・絨毯)だと、こういう世界は現出しようもない。生活のための新しい道具が、新しいドラマを生んだ好例だろう。俳句は、作者が読者に「思い当たらせる」文学だ。その手段の最たるものは季語の使用であるが、その季語も時代とともにうつろっていく。「絨毯(じゅうたん)」でいえば、柴田白葉女に「絨毯の美女とばらの絵ひるまず踏む」がある。この句のよさは、本当は踏む前に一瞬「ひるんだ」ところにあるのだけれど、若い読者に理解されるかどうか。電気カーペットと同じくらいに、絨毯の存在も身近になってしまった。『21世紀俳句ガイダンス』(1997)所載。(清水哲男)


July 1672000

 あらはなる脳うつくしき水着かな

                           高山れおな

小限の衣服とも呼ぶべき「ビキニ」。それを身につけた状態は「肌もあらはに」という言葉の領域をはるかに越えている。「これはもう裸といえる水着かな」(大野朱香)だとすれば、どんな具合に形容すればよいのだろうか。いささかの皮肉をまじえて、作者は「脳もあらはに」とやってみた。言い当てて妙と私は支持したいが、どうだろう。この水着について「最初の水爆が投下された三平方キロの小島が、ついに到達したぎりぎり最小限の衣服と同じくビキニという名であることは、充分考慮に値する。いささか不気味なウイットである」と書いたのは、ヘルマン・シュライバーというドイツ人だった(『羞恥心の文化史』関楠生訳)。彼によれば、ベルリンの内務省は1932年に次のような警告を発している。「女子が公開の場で水浴することを許されるのは、上半身の前面において胸と体を完全に覆い、両腕の下に密着し、両脚の端の部分を切り落とし、三角形の補布をあてた水着を着用する場合にかぎられる。水着の背のあきは、肩甲骨の下端を越えてはならない……いわゆる家族浴場においては、男子は水着(すなわちパンツと上の部分)を着用することを要する」。この警告からビキニの世界的な普及までには、三十年程度しかかからなかった。ビキニは、二十世紀文化を「脳もあらはに」象徴する記念碑的衣服の一つということになる。俳誌「豈」(32号・2000年5月)所載。(清水哲男)


April 0842001

 虚子の忌の写真の虚子の薄笑ひ

                           大野朱香

日、四月八日は高浜虚子の命日。1959年(昭和三十四年)没。「椿壽忌」とも称される。このときに私は大学生だったが、何も覚えていない。新聞は、一面でも大きく扱ったはずだけれど……。掲句は、なんといっても「薄笑ひ」が効いている。作者がどんな写真を見ているのかはわからないが、おそらくは微笑を湛えているであろう一見柔和な表情に、そうではないものを嗅ぎ取っている。小人(しょうじん)どもには、しょせん俺のことなどわかるまい。皮肉と侮蔑が入り交じったような、向き合う者をじわりと威圧するような、そんな表情に見えているのだ。虚子忌の句は掃いて捨てるほどあり、今日もたくさん作られるだろうが、微笑の奥に「薄笑ひ」を読んだ掲句の鮮烈さにかなう句を、他に知らない。しかも作者が、意地悪で作句しているのではないところに注目。虚子を巨人と思うからこその発想で、いささか敬遠気味ではあるとしても、虚子の大きさを的確に言い当てている。俳句的な腰は、ちゃんと入っている。ところで、これはいつかも書いたことだが、俳句では命日をやたらと季語にする風潮がある。人はどんどん死んでゆくから、忌日の季語もどんどん増えていく。反対だ。理由は単純。「○○忌」と作句されても、そんなのいちいち覚えちゃいられないからだ。命日と季節は、第三者には関係がつけられない。したがって、季語とは言えない。頼むから、仲間内だけでやってくれ。『今はじめる人のための俳句歳時記・春』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


July 0472003

 金魚えきんぎょ錠剤とりおとし

                           大野朱香

魚売りの声「金魚えきんぎょ」を聞かなくなってから、久しい。昔はこの季節になると、天秤棒で荷をかついだり、屋台の曳き売りがやってきたものだった。それももはや懐しい夏の風物詩として、記憶のなかに存在するだけになった。むろん、作者にとっても同様だ。ところがある日、不意にどこからか「金魚えきんぎょ」と聞こえてきた。一瞬「えっ」と作者は耳を疑い、声の方向に意識をやったとたんに、手元の「錠剤」を「とりおとし」たと言うのである。それだけの情景なのだが、なかなかに奥深い句だ。というのも、作者は金魚売りの声に、そんなにびっくりしているわけではないからだ。「まさか」くらいの軽い心の揺れである。なのに、錠剤を落としてしまった。何故だろうか、と掲句は考えさせる。いや、まず作者自身がややうろたえて考えたのだろう。強い地震が発生したわけでもなく、火事になりかけたわけでもない。ただ物売りの声が聞こえてきただけなのに、思わぬヘマをしでかしてしまったのだ。何故なのか。考えるに、錠剤をつまんだり掌に受けたりする行為は、ほとんど意識的なそれではない。半ば習慣として身体になじんでいるので、手順も何も意識せずにする行為だ。逆に言えば、だから少々の突発的な出来事があったとしても、習慣の力が働いて行為を中断させることはないだろう。ぐらっと来たくらいでは、まず「とりおとす」ことはあるまい。でも、仰天しているわけでもない作者はちゃんと(と言うのも変だが)落としてしまった。つまり、実は人はこういうときにこそ手元が狂うのだと、掲句は言っているように思える。心理的に十分な余裕があるなかで、些細なことに意識が向くことが、いちばん習慣の力を崩しやすいのだと。敷衍しておけば、無意識の力は非常事態のときには十全に発揮されても、日常的には句のように案外と脆いところがあるということだ。そのあたりの意識と無意識との微妙な関係を見事に捉えた句として、唸らされた。俳誌「童子」(2003年7月号)所載。(清水哲男)


July 0972007

 箸とどかざり瓶底のらつきように

                           大野朱香

語は「らつきよう(らっきょう・辣韮)」で夏。ちょうど今頃が収穫期だ。らっきょうに限らず、瓶詰めのものを食べていると、こういうことがよく起きる。最後の二個か三個。箸をのばしても届かない。で、ちょっと振ったりしてみるのだが、底にへばりついていて離れてくれない。食べたいものがすぐそこにあるのに、取ることができない事態には、かなり苛々させられる。心当たりがあるだけに、この句には誰でもがくすりとさせられてしまうだろう。何の変哲もない「そのまんま」の出来事を詠んでいるだけなのだけれど、何故か可笑しい。こういうことを句にしてしまう作者の目の付け所自体が、ほほ笑ましいと言うべきか。大野朱香の既刊句集について、この句が収められた新刊句集の栞で小沢信男が書いている。「無造作に読めて、気楽にたのしい。しかも存外な魅力を秘め、いや、秘めてなぞいないのがチャーミングなのですよ」。この言い方は、掲句にもぴったりと当てはまる。言い換えれば、作者の感受性は、素のままで常に俳句の魅力を引き出す方向に働くということなのだろう。「節穴をのぞけば白き花吹雪」、「へたりをる枕に月の光かな」。小沢信男は「なにやら不穏な大野朱香の行く手に、たのしき冒険あれ!」と、栞を結んでいる。『一雫』(2007)所収。(清水哲男)


November 25112008

 枇杷咲くや針山に針ひしめける

                           大野朱香

語は枇杷の花。今頃が盛りといえば盛りの花だが、夕焼け色の美しい果実に引きかえ、人間に愛でられる可能性を完全に否定しているような花群は、本当にこれがあの枇杷になるのか、と悲しくなるほど地味な姿だ。一方、針山に針が刺されていることに別段不思議はないのだが、先の尖った針がびっしりと刺さっている様子もなにかと心を騒がせる。これらのふたつは「ひしめける」ことによって、まったく違う質感であるにも関わらず、お互いに触れ合っている。群れ咲く枇杷の花は決して奥ゆかしくもなく陰気で、どちらかというと貪欲な生命力さえも感じられる。針山という文字から地獄を連想される掲句によって、それは地獄に生える木なのだと言われれば、なんとなく似合う風情もあるように思えてしまう。と、ここまで書いて、これでは枇杷の木に対してあんまりな誹謗をしているようだが、そのじつ枇杷の実は大好物である。果実が好ましいあまり、花も美しくあって欲しかったという詮無い気持ちが本日の鑑賞の目を曇らせている。〈ダッフルコートダックスフンドを連れ歩き〉〈年の湯や両の乳房のそつぽむき〉『一雫』(2008)所収。(土肥あき子)




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