1997ソスN2ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2521997

 梅やなぎさぞ若衆かな女かな

                           松尾芭蕉

まり、梅はいい男みたいで、柳はいい女みたいというわけだ。見立ての句。「立てば芍薬 坐れば牡丹 歩く姿は百合の花」などの類であるが、ひるがえって最近の美男美女は、とんと花に見立てられることがなくなってきたようだ。人間と自然との交感が薄らいできたせいだろう。「牡丹のようなお嬢さん」と言われたって、第一、誉められた当人がわからない。「隆達小唄」に、こんなのがある。「梅は匂ひよ 木立はいらぬ 人はこころよ 姿はいらぬ」。……と、うたいながらも人に姿を求めている屈折した古人の「粋」を、君知るや。このとき三十九歳の芭蕉は、単なる野暮な男でしかないのである。(清水哲男)


February 2421997

 ごうごうと鳴る産み月のかざぐるま

                           鎌倉佐弓

ょせん、男にはわからない句かもしれない。が、子供の玩具である風車が轟いて聞こえるという妊婦のありようには、出産への凛とした気構えが感じられる。やがて訪れる事態は甘いものではない。人生の一大事なのだ。作者には他に「手がさむし君のあばらに手をやれば」「受胎して象のあくびを眩しみぬ」などがある。いずれの句にも、どこかで風車がまわっている。『天窓から』所収。(清水哲男)


February 2321997

 春風や恥より赤きドレスを着て

                           中烏健二

て、どんな色だろう、「恥より赤き」色とは……。などと考えてみても、もちろんわかりっこない。そもそもが「赤恥」というときの「赤」それ自体が色彩ではないからだ。これは、作者のちょっとした思いつきで書かれた句。書いてみたら、作者にはなんだかとんでもなくトンチンカンな色彩が現出してきたようで、面白い味が出たというところか。春風のおおらかな気分ともマッチしている。言葉遊びの句には飽きてしまうものが多いが、少なくとも私のなかでは、この句、けっこう長生きなのである。『愛のフランケンシュタイン』所収。(清水哲男)




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