1997ソスN2ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2121997

 胸にさす鉛筆日脚伸びにけり

                           斎藤優二郎

来「日脚(ひあし)伸ぶ」は冬の季語。冬至過ぎの少しずつ日脚が伸びていく状態を言う。だが「伸びにけり」となれば、早春と考えたほうがよいだろう。真冬に比べると、このごろはずいぶんと日没が遅くなってきた。作者は戸外で仕事をしているのだろうか。あるいは吟行の夕暮れ時かもしれない。いずれにしても、本格的な春の訪れの予感のなかで、作者の胸の内は明るくなっている。胸ポケットにさした鉛筆も明るい色だ。平凡な句のようでいて、そうではない。鋭い。「俳句研究年鑑'95」所載。(清水哲男)


February 2021997

 沈丁や風塵つねの多摩郡

                           有働 亨

摩郡は「たまごおり」と読ませて、すなわち東京の西部地域を指している。関東ローム層と呼ばれる赤土で有名な地帯だ。春先になると、この赤土が強い風でいっせいに舞い上がり、まさに風塵。目があけていられないほどのときも、しばしば。そんななかでの沈丁花だ。いまひとつ風雅には遠い感じである。……という時代も、実は昔のことで、畑や自然の道路が極度に少なくなってきた昨今、さすがの関東ローム層も暴れる余地はなくなってしまった。(清水哲男)


February 1921997

 メロンパン体内すこし朧なり

                           奥坂まや

の句を、どうかメロンパンのように味わっていただきたい。というのも、以前、俳句雑誌ではじめて読んだときには、ひどく気に入った。友人たちにも、ずいぶんと吹聴してまわった。身体的に表現された抒情が、とても素晴らしいと感じられたからである。ところが、しばらくするうちに、一時的にだが、つまらなくも思われてきた。しょせんは、机上で考えた句じゃないか、小賢しい句だなどと……。しかし、またいつしか、やはりこの句は素敵だなと思い直したり、あっちへ行ったりこっちへ来たりと、私にとっては面倒な作品となってしまった。うーむ。「朧」は「おぼろ」。『列柱』所収。(清水哲男)

ロンパンの好きなひとにはすぐわかる。あのパンの衣をめくって見れば、ほら、ほのかに春の衣の朧ろなような明りが射して、あたかも胎内にいるよう……。朧をこのように見事に表現した例はない。メロンパンの句の傑作であろう。パンはパンでもあんパンなら三好達治に「あんぱんの葡萄の臍や春惜しむ 」があり、こちらもあんパン句の傑作であろう。奥坂さんはこの句集により俳人協会新人賞を受賞。一躍若手俳人のスターとなった。『列柱』所収。(井川博年)




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