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February 2021997

 沈丁や風塵つねの多摩郡

                           有働 亨

摩郡は「たまごおり」と読ませて、すなわち東京の西部地域を指している。関東ローム層と呼ばれる赤土で有名な地帯だ。春先になると、この赤土が強い風でいっせいに舞い上がり、まさに風塵。目があけていられないほどのときも、しばしば。そんななかでの沈丁花だ。いまひとつ風雅には遠い感じである。……という時代も、実は昔のことで、畑や自然の道路が極度に少なくなってきた昨今、さすがの関東ローム層も暴れる余地はなくなってしまった。(清水哲男)


March 1031999

 深追いの恋はすまじき沈丁花

                           芳村うつぎ

丁花は春咲きの花のくせに、暗いイメージと結びつきやすいようである。何冊かの歳時記を開いてみても、ひとしなみに暗い句ばかり(と言ってもよいほどだ)。この稿を書くにあたって、庭に咲いている花を、あらためて観察してみた。花そのものは可憐といってもよいほど可愛らしいのだけれど、暗い印象は、花を囲む葉の色がつややかではあるが暗緑色で重い色感のせいだろうか。よく見ないと、一瞥するだけだと、たしかに陰欝な感じを受ける。香りもきついので、けっこう嫌う人も多いのだという。だから、こんな具合に、沈丁花には迷惑な話ながら、人間の深情けの反省のきっかけにされてしまったりもするのだ。句の中身は演歌に近いが、かろうじて沈丁花に救われて「俳句」になったというところ。と言って、私はべつに演歌を馬鹿にしているのではない。演歌の主体には常に匿名性があって、それも私は昔から好きだった。が、匿名性によりかかれない現代俳句という表現ジャンルには、このような作者なりの取り合わせの工夫が必要であるということだ。三橋鷹女には、別の理由によって、決して演歌にはならないであろう次の句がある。「沈丁やをんなにはある憂鬱日」。(清水哲男)


March 0932009

 沈丁花が一株あり日本社会党に与す

                           中塚一碧楼

戦翌年(1946)春の作句だ。沈丁花が一株、庭にある。花は地味だけれど、芳香は強い。この植物におのれを託した気持ちは、地味な国民のひとりとして「小なりといえども」の気概からだろう。未曽有の混乱期、作者に限らず国民の政治にかける期待は大きかった。一碧楼は同時に「小母さん自由党をいふ春のうすい日ざし地に照る」「浅蜊そのほかの貝持参共産党支持のこの友」とも詠んでいる。この年四月に戦後初の総選挙が行われることになっていたので、寄ると触ると選挙の話題が出たことをうかがわせる。前年12月の選挙法改正で20歳以上の男女が投票権を得て、はじめての選挙であった。女性参政権がはじめて認められたこともあり、立候補者はなんと2770人。いかにみんなが熱くなっていたかが推察できるだろう。結果はしかし、鳩山一郎率いる自由党が第一党と保守色が強く、作者の与(くみ)した日本社会党は進歩党についでの第三党に終わった。戦前からの知名度が物を言ったということか。ちなみに女性当選者は39人の多きを数え、そのひとりで後に白亜の恋で話題を呼ぶことになる若干27歳の松谷天光光の所属政党は「餓死防衛同盟」というものであり、当時の厳しい世相を反映している。作者はこの年の末に60歳で永眠。翌年の新憲法下ではじめて行われた選挙で片山哲の日本社会党が第一党になったことは、知る由もなかった。『日本の詩歌・俳句集』(1970・中央公論社)所載。(清水哲男)




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