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February 1921997

 メロンパン体内すこし朧なり

                           奥坂まや

の句を、どうかメロンパンのように味わっていただきたい。というのも、以前、俳句雑誌ではじめて読んだときには、ひどく気に入った。友人たちにも、ずいぶんと吹聴してまわった。身体的に表現された抒情が、とても素晴らしいと感じられたからである。ところが、しばらくするうちに、一時的にだが、つまらなくも思われてきた。しょせんは、机上で考えた句じゃないか、小賢しい句だなどと……。しかし、またいつしか、やはりこの句は素敵だなと思い直したり、あっちへ行ったりこっちへ来たりと、私にとっては面倒な作品となってしまった。うーむ。「朧」は「おぼろ」。『列柱』所収。(清水哲男)

ロンパンの好きなひとにはすぐわかる。あのパンの衣をめくって見れば、ほら、ほのかに春の衣の朧ろなような明りが射して、あたかも胎内にいるよう……。朧をこのように見事に表現した例はない。メロンパンの句の傑作であろう。パンはパンでもあんパンなら三好達治に「あんぱんの葡萄の臍や春惜しむ 」があり、こちらもあんパン句の傑作であろう。奥坂さんはこの句集により俳人協会新人賞を受賞。一躍若手俳人のスターとなった。『列柱』所収。(井川博年)


February 2621997

 春日三球ひとりとなりし朧かな

                           能村登四郎

下鉄の電車。「あれはどっから入れるんでしょうねエ」で笑いを取った漫才師の三球が、相方に死別した後の句。ひとりでテレビに出ている姿は、痛々しかった。が、作者は「それでいいのだ」と言っているように思える。運命は運命として甘受するしかないし、甘受できたときに醸成されてくる心地よさ。それを「朧」に託したということ。「人間というものはいい奴も仕方がない奴もさまざまいるが、それが又面白く魅力でもある。私は自分をふくめて人間が大好きである」という作者ならではの人間句だろう。『菊塵』所収。(清水哲男)


March 2931999

 朧にて寝ることさへやなつかしき

                           森 澄雄

の夜。寒くもなく暑くもなく、心地好い体感とともに、作者の心持ちも朧(おぼろ)にかすんでいる。世に「春宵一刻価千金」と言うが、まさに故なき一種の至福の状態にある。春宵の雰囲気に、いわば酔っている。そして、そろそろ寝るとするかと立ち上がったときに、ふと、就寝という平凡な日常的行為がひどく懐しく思えたというのである。それこそ「故なき」心の動きではあるが、しかし、読者をすうっと納得させてしまう力が、この句にはある。「そんな馬鹿な」などとは、誰も思わないだろう。力の根拠は、おそらく「寝ることさへや」の「や」にあるのではないかと読んだ。これが例えば「寝ることさへも」と「も」であったとしたら、叙述としてはわかりやすいが、句の力は甘くなる。きっぱりと「や」と強調することで、「も」の気分をも包含しての懐しさが立ちこめるということになった。もうひとつ、作者がこのとき還暦を少し過ぎていたという年令的な背景も「力」となっているだろう。少年少女期が懐しいという人は、意外にも若い人に多い。年寄りはむしろ昨日今日をいつくしむので、懐しむための世代的な共通の分母を、若い人が想像するほどには持ち合わせていないということだ。『四遠』(1986)所収。(清水哲男)


March 0632000

 月曜は銀座で飲む日おぼろかな

                           草間時彦

暦を過ぎたあたりの句。当時の作者は講談社版『日本大歳時記』の編集に携わっていたはずなので、定期的な仕事のために、月曜日が東京に出てくる日だったのかもしれない。事情はともかくとしても、「月曜日」に飲むというのが、いかにも年齢的にふさわしい。銀座の夜が、いちばん空いている日。若いサラリーマンたちは、体力温存のためにさっさと家路をたどる曜日だからだ。仕事を終えて、気のおけない友人の待っている銀座の酒房へと向かうときは、気持ちそのものが楽しき春「おぼろ」なのである。ほぼ同時期の「しろがねのやがてむらさき春の暮」は伊豆での作句だが、銀座の夕景だとて、春は「むらさき」に暮れていく。酒飲みならではのワクワクする気分が、よく伝わってくる。酒房での会話は、とくに何を話すというわけでもない。「ああ…」だとか「うん…」だとかと、言葉少なだ。それでも何かが確実に通じ合うのは、積年の友人のありがたさというものである。なんだか、さながらに小津安二郎の映画のなかにいるようではないか。ひるがえって私などは、いまだにあくせくしていて、飲むとなると「金曜日」。人生は、なかなか映画のようには運んでくれない。『夜咄』(1986)所収。(清水哲男)


March 2432001

 一斉に客の帰りし朧かな

                           塩谷康子

は「おぼろ」。「では、そろそろ失礼します……」。「あっ、もうこんな時間……」。一人が立ち上がると、うながされたように、みんなが「一斉に」立ち上がる。玄関まで見送って部屋に戻ると、そこには独特の雰囲気の空間が残っている。つい先刻まで笑いさざめいていた人たちの余韻があって、なんだか淋しいような、ホッとしたような。これから後片づけが待っているのだが、時は春。もてなした側の気配りの疲労感も、ぼおっと心地よく「朧」に溶けて、しばし室内を見渡している。どこか「一期一会」に通じるような、そんな作者の心情の通ってくる句だ。やはり春でなければ、こうは詠めまい。「朧」が客たちの余韻をふうわりと包み込み、引き摺るのである。むろん、これはホストとしての句。客によっては、ホストになれない家族もいる。子供の頃の来客は、いやだった。たいていが父の客で、子供は挨拶させられるだけ。客のいる間は、どこかに引っ込んでいるしか仕方がない。昼間ならば表で遊ぶというテもあるけれど、夜は別の部屋で息を殺すようにして過ごさねばならなかった。本でも読もうかと思うのだが、どうも気になって身が入らない。家の中に普段いない人が長時間いるということは、一つの事件と言ってもよさそうだ。教師の家庭訪問などは、さしずめ大事件と言うべきか。現状では、我が家の客には、圧倒的に連れ合いの客が多い。ついで、子供の客。その間は、別室で小さくなっている。私に客が少ないのは、男同士の交友はたいてい外の飲屋ですませてしまうせいと思うが、こういう句に触れると、たまには自宅で楽しくやりたくなってくる。春おぼろ……。今日あたり、この句を実感する読者もおられるだろう。『素足』(1997)所収。(清水哲男)


April 2142001

 両手で顔被う朧月去りぬ

                           金子兜太

くはわからないけれど、しかし、印象に残る句がある。私にとっては、掲句もその一つになる。つまり、捨てがたい。この句が厄介なのは、まずどこで切って読むのかが不明な点だろう。二通りに読める。一つは「朧月」を季語として捉え「顔被う」で切る読み方。もう一つは「朧」で切って「月去りぬ」と止める読み方だ。ひとたび作者の手を離れた句を、読者がどのように読もうと自由である。だから逆に、読者は作者の意図を忖度しかねて、あがくことにもなる。あがきつつ私は、後者で読むことになった。前者では、世界が平板になりすぎる。幼児相手の「いないいない、ばあ」を思い出していただきたい。人間、顔を被うと、自分がこの世から消えたように感じる。むろん、錯覚だ。そこに「頭隠して尻隠さず」の皮肉も出てくるけれど、この錯覚は根深く深層心理と結びついているようだ。単に、目を閉じるのとは違う。みずからの意志で、みずからを無き者にするのだから……。掲句では、そうして被った両手の暖かい皮膚感覚に「朧」を感じ、短い時間にせよ、その心地よい自己滅却の世界に陶酔しているうちに「月去りぬ」となって、人が陶酔から覚醒したときの一抹の哀感に通じていく。私なりの理屈はこのようだが、句の本意はもっと違うところにあるのかもしれない。従来の「俳句的な」春月を、あえて見ようとしない作者多年の「俳句的な」姿勢に発していると読めば、また別の解釈も成立する。と、いま気がついて、それこそまた一あがき。『東風抄』(2001)所収。(清水哲男)


March 1332004

 あの店はいつつぶれしや辻朧

                           小沢信男

語は「朧(おぼろ)」で春。普段よく通る道なのだけれど、はじめて「あの店」が閉じられていることに気がついた。あるいはもう、店自体が跡形も無くなっていたのかもしれない。たぶんその店は古くからそこにあって、ひっそりと「辻」のたたずまいの中に溶け込んでいたのだろう。作者には無縁の店だったから、あってもなくても日常の生活には影響がない。たとえば小間物屋だとか駄菓子屋だとか……。はてな、いつごろ「つぶれ」たのだろうか。なんだか狐につままれたような気持ちで、あらためて辻を眺め渡してみるのだが、やはり無いものは無いのだった。こういうことは、むろん春夏秋冬いずれの季節にもあることなのだが、つぶれた店にはお気の毒ながら、まるで「朧」のように朦朧と霞んで消えていたところに、淡くて苦い詩情が浮かんでくるのだ。他の季節では、こうはいくまい。私は、いまの土地(東京・三鷹)に暮らして四半世紀になる。このあたりは都心に近いベッドタウンということもあって、句の辻とは反対に店の消長が激しすぎ、「はてな」といぶかる間もあらばこそ、どんどん店が入れ替わってきた。ここは元は何屋だったのか。と、思い出す気にもならないほどだ。住みはじめたころの店は、近所に一軒も残っていない。スーパーやコンビニ、それになぜか美容院が乱立している町では、消えてしまっても掲句のような情緒は望むべくもないのである。ネギ一本でも売ってもらえた八百屋が懐しいな。夕方になるとラッパを吹いて売りに来ていた豆腐屋のおじさんも、いつしか姿を消してしまった。『足の裏』(1998)所収。(清水哲男)


March 2032004

 朧より少年刃の目もて来る

                           大森 藍

年同士は、まず時候の挨拶などは交わさない。「暑い」だの「寒い」だのと言い交わすことはあるけれど、あれは挨拶ではない。一種の自己確認なのであって、独り言みたいなものである。一方の少女はというと、時候の挨拶まではいかなくても、わりに小さいころから挨拶めいた会話をはじめるようだ。挨拶は世間的なコミュニケーションの潤滑油として働くから、一般的に少年よりも少女のほうが早く世間に目覚めると言ってよいだろう。良く言えば少年は精神性が高く、少女は社会性に敏感なのだ。回り道をしたが、句はそういうことを言っている。春「朧(おぼろ)」、上天気。作者がなんとなく浮き立つような気分でいるところに、「少年」がやってきた。子供が外出から帰宅したのかもしれない。ふと見ると、ずいぶんと険しい「刃の」ような目をしている。どきりとした。何かあったのだろうか。などと思う以前に、春うららの雰囲気に全くそぐわない「刃の目」を、しばし作者は異物のように感じたのだった。このことは、すなわち少年に挨拶性が欠落していることに結びつく。句は、少年の特質を実に正確に描破している。つまり、少年は人に挨拶することはおろか、周囲の環境に対しても挨拶することをしないのである。作者は大人だから「朧」にいわば挨拶して機嫌よくいるわけだが、少年からすれば「朧」への挨拶などは自身の精神性にとって何の意味もない。そもそも「朧」という実体不分明な概念に、なぜ大人がふうちゃかと浮き立つのかがわからないのだ。飛躍するようだが、多くの少年が俳句を好まないのは、あるいは苦手にするのは、俳句の挨拶性が理解できないからである。俳句の挨拶にもいろいろあるが、なかで最もわからないのは季語が内包する挨拶性だろう。季語にはすべて、単なる事象概念を超えた挨拶としての機能がある。そして、この機能は常に一定の方向を指し示すものだ。たとえば「朧」は明るさに顔を向けるが、暗さを示す機能はないという具合に、である。変じゃないか。と、少年は素朴に思う。……これらのことに関しては長くなるので、いずれ稿を改めたい。『遠くに馬』(2004)所収。(清水哲男)


April 2342005

 焼肉を食ひにあつまる朧かな

                           吉田汀史

語は「朧(おぼろ)」で春。「食ひにあつまる」「朧かな」と切るのではなく、「食ひにあつまる朧かな」とゆっくりと読み下したい。前者だと朧の宵にあつまるの意であり、実際にはそうであったかもしれないが、読み下すと「あつまること」それ自体が「朧」だということになる。むろん、両者の情感の差は大きい。私が後者と読むのは、作者の年輪を思うからだ。若い人の句であれば、あつまることがすなわち朧だという認識はまずないだろうから、切って読まざるを得なくなる。それに若者だと焼肉を食べることがあつまる大きな目的になるけれど、高齢者にはそのような意識は多く希薄だ。焼肉のためにあつまるというよりも、食べ物などは焼肉でも何でもよろしいわけで、とにかくあつまる楽しみのほうが優先するようになるのである。あくまでも、焼肉は脇役であるにすぎない。だから「朧」なのであり、この意識を拡大してゆけば、あつまる人々それぞれの人生も朧であり夢のようにも写ってくるだろう。かつての健啖家ももう多くは口にせず、あつまったメンバーの醸し出す雰囲気のほうをこそむしろ味わうというとき、ぼんやりとそれぞれの身を包む束の間の楽しさには無上のものがあると同時に無常の哀感もある。一見なんでもないような句に思えるかもしれないが、凡百の色付きの朧句よりも、よほど朧の本義に適った詠み方になっている。俳誌「航標」(2005年4月号)所載。(清水哲男)


April 2842007

 書庫瞑しゆふべおぼろの書魔あそぶ

                           竹下しづの女

、春の夜の物みな朦朧とした感じをいう、と歳時記にある。春特有のぼんやりとした景をいう時、日中は霞、夜は朧、と区別するというが、朧は、草朧や鐘朧のように、ものの形や音の響きが漠としていることを表すこともある。また、さらりと平面的な霞にくらべて、朧には茫洋とした中にどこか妖しさが潜んでいるようにも思える。書物は生きものではないけれど、そこには言霊が文字となって宿っている。子供の頃、昼でも薄暗い図書館の書庫で、あれこれ本を手にとって読むのは幸せな時間だったが、ふと気がつくとまわりに誰もいなかったりすると、不思議な不安感にとらわれたものだ。書魔は、作者の造語というが、それぞれの本にはまさにそんな魔力を持った何かが息づいているように思える。夫が急逝し、五人の子と共にのこされた作者は、その翌年から福岡県立図書館に勤務している。読書欲旺盛で学問好きだったというから、願ってもない職場であったことだろう。日が落ちて、春の宵闇に包まれようとしている書庫の、ほのかに黴臭いような空気感までが、朧という季題を得て不思議なリアリティをもって描かれている。次男、健次郎氏編のこの本の帯には、「理知と才気に溢れた現代女流俳句の先駆者」と書かれている。表紙の隅にはしづの女の写真。ふっくらとした頬に微笑みを浮かべ、少し戸惑っているようにも見える。『解説しづの女句文集』(2000・梓書院)所載。(今井肖子)


September 1292007

 東京の寄席の灯遠き夜長かな

                           正岡 容

句に「ふるさと」のルビが振ってある。正岡容(いるる)は神田の生まれ。よく知られた寄席芸能研究家であり、作家でもあった。小説に『寄席』『円朝』などがあり、落語の台本も書いた。神田っ子にとっては、なるほど東京はふるさと。しかも旅回りではなく、空襲をよけて今は遠い土地(角館)に来ている。秋の夜長、東京の灯がこよなく恋しくてならない。東京生まれの人間にとって、この恋慕は共感できるものであろう。まして「ふるさと」と呼べるような東京が、まだ息づいていた昭和二十年のことである。敗戦に近く、東京では空襲が激化していた。容は四月、五月の空襲により、羽後の山村に四ヵ月ほど起臥した。さらにその後、角館へ寄席芸術に関する講演に赴いた折、求められて掲出句を即吟で詠んだ。そういう背景を念頭において読むと、「寄席の灯」の見え方もしみじみとして映し出される。人々はせめてひとときの笑いと安息を求めて、その灯のもとに肩寄せあっているはずであり、容にはその光景がくっきりと見えている。もちろん同時期に、「寄席の灯」どころではなく、血みどろになって敗戦末期の戦地を敗走し、あるいは斃れていった東京っ子、空襲の犠牲になった東京っ子も数多くいたわけである。容は句の後に「わが郷愁は、こゝに極まり、きはまつてゐたのである・・・・」と書き付けている。深川で詠んだ「春愁の町尽くるとこ講釈場」「君が家も窓も手摺も朧かな」などの句もある。『東京恋慕帳』(1948)所収。(八木忠栄)


February 0622008

 転がりしバケツ冷たき二月かな

                           辻貨物船

の句は貨物船(征夫の俳号)の句のなかで、けっして上出来というわけではない。けれども、いかにも貨物船らしい無造作な手つきが生きている句で、私には捨てがたい。「冷たき」と「二月」はつき過ぎ、などと人は指摘するかもしれない。しかし、寒さをひきずりつつも二月には、二月の響きには、もう春の気配がすでにふくらんできている。厳寒を過ぎて、春に向かいつつある陽気のなかで、ふと目にしたのが、そこいらに無造作に転がっているバケツである。じかにさわってみなくても、バケツに残る冷たさは十分に感じられるのである。「バケツ」という名称も含めてまだ冷たく寒々しい。バケツを眺めている作者の心のどこかにも、何かしら寒々としたものが残っていて、両者は冷たい二月を共有しているのであろう。同じ光景を、俳人ならば、もっと気のきいた詠み方をするのかもしれない。無造作に見たままを詠んだところにこそ、貨物船俳句の味わいが生まれている。掲出句の前と後には「大バケツかかえて今日のおぼろかな」と「新しきバケツに跳ねる春の魚」という句がそれぞれはべっている。私たちの生活空間から次第に姿を消しつつある金属バケツ、その姿かたちと響きとが甦る如月二月はもう春である。蛇足ながら、『貨物船句集』には切れ字「かな」を用いた句が目立つ。226句のうち43句である。つまり5.3句に1句の「かな」ということになる。それらは屈託ない世界の響きを残す。『貨物船句集』(2001)所収。(八木忠栄)


March 0532008

 春うらら葛西の橋の親子づれ

                           北條 誠

んなのどかな春の風景はもうなくなった、とは思いたくない。都会を離れれば、こういううららかな親子づれの光景はまだ見られるだろう。いかにものどかで、思わずあくびでも出そうな味わいの景色である。時折、こんな句に出くわすと、足を止めてしばし呼吸を整えたくなる。葛西は荒川を越えた東に位置する江戸川区の土地である。「葛西の橋」を「葛西橋」と特定してもいいように思う。もちろん葛西には旧江戸川にかかる橋もあることはある。江東区南砂と江戸川区葛西を一直線で結ぶ道路の、荒川にかかっているのが葛西橋である。葛西橋は他にも俳句に詠まれていて、のどかな時間がゆったり流れていることもあれば、せつなくも侘しい時間が流れていることもある。「葛西」という川向こうの土地がかもし出すイメージが、「親子づれ」をごく自然に導き出してくれている。小津安二郎(?)か誰かの映画のワンカットで、「葛西橋」とはっきり書かれた木の橋の欄干が映し出された画面が私の記憶に残っている。映画の題名も監督も、今や正確には思い出せない。この「親子」はどんな氏素性をもった親子なのか、何やらドラマの一場面のようにも想像されてくる。北條誠は脚本家として映画「この世の花」をはじめ、多くの小説や脚本を残した。「まつ人もなくて手酌のおぼろかな」「永代の橋の長さや夏祭」等々、気張らず穏かな俳句が多い。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


August 1982008

 本といふ紙の重さの残暑かな

                           大川ゆかり

さは立秋を迎えてから残暑と名を変えて、あらためてのしかかるように襲ってくる。俳句を始めてから知った「炎帝」という名は、火の神、夏の神、または太陽そのものを指すという。立秋のあとの長い長い残暑を思うと、炎帝の姿にはふさふさと重苦しい長い尻尾がついていると、勝手に確信ある想像していたのだが、ポケモンに登場する「エンテイ」は「獅子のような風格。背中には噴煙を思わせるたてがみを持つ」とされ、残念ながら尻尾には言及されていない。掲句は残暑という底なしの不快さを、本来「軽さ」を思わせる「紙」で表現した。インターネットから多くの情報を得るようになってから、紙の重さを忘れることもたびたびある現代だが、「広辞苑」といって、あの本の厚みを想像できることの健やかさを思う。ずっしりと思わぬ重さに、まだまだ続く残暑を重ね、本の重さという手応えをあらためて身体に刻印している。〈泳ぐとはゆつくりと海纏ふこと〉〈月朧わたくしといふかたちかな〉〈あきらめて冬木となりてゐたりけり〉『炎帝』(2007)所収。(土肥あき子)


March 0332009

 雛の間につづく廊下もにぎはへる

                           原 霞

が家は地方の新興住宅地にあったので、そこらじゅうに同世代の女の子が住んでいて、二月に入ると月曜日の登校時は「きのう出した」「うちも出した」とにぎやかに雛人形のお出ましを報告し、「学校が終わったら見に行くね」と約束し合うのだった。のんびり屋の母に「みんなもう出したんだってー」とせっつき、「うちはうち」などと言われていたのも懐かしいやりとりだ。それにしても、これほど居場所を選ぶ人形もないだろう。なにしろ和室でないとさまにならない。そして何段飾りともなると、雛壇に使用する場所だけでなく、一体ずつ収まっている人形を箱から出すためのスペースが必要であり、あれがないこれがないと作業エリアは果てしなく広がっていく。これはこっちの部屋に移して、これは一時廊下に出しておいて、などと算段するのも母と娘の楽しみの一つだった。かくして雛の間ができあがり、友人たちの雛詣を待つ。女の子たちの笑い声に続き、軽やかな足音が雛の間へと吸い込まれていくのは、きらきら光る動線のようだったことだろう。雛人形を飾らなくなって久しいが、毎年三月三日になると、あちらこちらのお宅のなかで華やかな光りの筋が行き交っていることを思い、ちょっぴりわくわくするのだった。〈山おぼろ湯をすべらせて立ち上がる〉〈包丁が南瓜の中で動かない〉『翼を買ひに』(2008)所収。(土肥あき子)


March 2432009

 朧夜のぽこんと鳴りし流し台

                           金子 敦

の回りのものが立てる音には、住人にそっと寄り添うような優し気なものと、ぞっと孤独を引き立てる音とがある。前者は、階段がきゅーと鳴る場所だったり(暗闇のなかわざわざ踏んで下りたりする)、水道の出だしのキョッという音(あ、準備して待っていたんですがついうっかり眠ってしまって、ちょっと驚いちゃいましたよ、という感じ)などは、思わず「一緒に暮らしているんだね」と微笑みかけたくなる。しかし、掲句の「ぽこん」は後者である。この音に聞き覚えのある方は、インスタント焼きそばの湯切り経験者だと確信する。流し台に熱い湯を捨てるとき、必ずステンレスが「ぽこん」というか「ぼこっ」と音を立てる。それはもう、とてつもなく唐突に孤独を感じさせる音なのである。なるべく音がしないように場所を変えてみたり、少量ずつこぼしてみたりするが、流し台は「どうだ、寂しいだろう」とばかりに必ず鳴る。固く錠をかけていた胸の奥の扉が開き、潤んだ春の夜がするするっと忍び込んでくる。『冬夕焼』(2008)所収。(土肥あき子)


April 2842009

 朧夜の切株は木を恋うてをり

                           百瀬七生子

い輪郭の春の月と、鮮やかに輝く秋の月。どちらもそれぞれ美しく、古来より人々に愛されてきたものだが、理屈をいえばその差は空気中の湿度が影響している気象現象である。しかし朧夜が持つ格別な風情には、明るくもなく、暗くもなく、曖昧という音感に漂う月のありようが、大気を一層潤ませているように思う。まろやかな月光がしっとりしみ込む春の夜。年輪をあらわに夜気にさらした切株が、ありし日の思い出に身をゆだねている。大樹だった頃の一本の幹の輪郭をうっとりと懐かしみ、千枚の若葉の繁りを狂おしく宙に描く。太陽の光をやさしく漉してから注ぐ乳白色の月の光に、春の大気が加わると、痛みを持つものに声を与えてしまうのかもしれない。朧夜にそっと耳を澄ませば、木の言葉や、石のつぶやきに地上は満たされていることだろう。〈胴ながく兎抱かるる山桜〉〈仏にも木の香のむかし朴の花〉『海光』(2009)所収。(土肥あき子)


March 0532012

 暗室に酸ゆき朧のありて父

                           正木ゆう子

ジカメの普及で、フィルム現像液の「酸ゆき」匂いを知る人も少なくなってきた。昔のカメラ・マニアは、撮影したフィルムを自宅で現像し、自宅でプリントしたものだった。私の父もそんな一人だったので、句意はよくわかる。「暗室」といっても、プロでないかぎりは、どこかの部屋の片隅の空間を利用した。私の父の場合は風呂場を使っていたので、入浴するたびに独特の酸っぱい匂いがしたものだ。戦争中にもかかわらず、私の国民学校入学時の写真が残っているのは、父が風呂場にこもって現像してくれたおかげである。句の「朧」は詠んだ素材の季節を指しているのと同時に、そんな父親の姿を「おぼろげ」に思い出すという意味が重ねられている。それを一言で「酸ゆき朧」と言ったところに、若き正木ゆう子の感受性がきらめいている。昔の写真は、カメラ本体を除いてはみなこうした手仕事の産物だ。おろそかにしては罰が当たる。……というような思いも、だんだんそれこそ「朧」のなかに溶けていってしまうのだろうが。『水晶体』(1986)所収。(清水哲男)


October 13102015

 虫の音に満ちたる湯舟誕生日

                           山田径子

の声が力強く響く夜。同じ季節の風物詩でありながら蝉や蛙のように「うるさい!」と一喝されないのは、心地よい秋の空気も味方をしてくれているのだろう。西欧人が虫や鳥の声を音楽脳で処理するのに対し、日本人は言語脳が働くという。鳥の聞きなしや虫の音を「虫の声」と表現する日本語を思うと、大きく頷ける。掲句は湯船につかる幸せなひとときに、虫の音がたっぷりと届く。「満ちる」の斡旋によって、さみしげな印象を振り払い、誕生日の今日を寿ぎ、一斉に合奏してくれているようなにぎやかさに包まれた。湯船にひとり、幸せな虫の音の海にたゆたう。と、私事ながら本日誕生日(^^)〈いくたびも大志を乗せし船おぼろ〉〈林立も孤立も蒲の穂の太し〉『楓樹』(2015)所収。(土肥あき子)


March 2632016

 コンサート星の朧を帰りけり

                           平川玲子

の夜の朦朧とした感じを表す朧。朧夜、というと朧月夜のことだが、草朧、谷朧、鐘朧、など様々なものの茫とした感じを表すおぼろである。掲出句、コンサート会場から出て興奮冷めやらぬまま大きく深呼吸しながら夜空を仰いだ作者に、春の星が瞬きかけている。星が見えているのだから月も出ていたかもしれないが、コンサートの余韻に包まれながら帰路につく作者には、朧月より小さな星々のやさしい光の方がしっくりきたのだろう。星の朧、というと、星が出ているなんとなく潤んだ夜気の中を歩いている、といった趣になり、帰りけり、の切れに軽い足取りも感じられる。『南日俳壇』(「南日本新聞」2016年3月24日付)所載。(今井肖子)




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