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February 1521997

 あの木ですアメリカ牡丹雪協会

                           坪内稔典

典句の傑作は数あれど、私なりのランキングでは、ベスト・スリーに入っている。意味不明なれども、一句が喚起する物語性が心地よい。一度も体験したことがない「懐しさ」。妙な言い方になるけれど、そんな雰囲気が伝わってきませんか。実は、今日この句を掲出するにあたって原典にあたりたかったのだが、句集が室内で行方不明。記憶のみに頼った引用となった。表記が間違っていない自信はあるのですが、ひょっとして……の場合、後日訂正します。(清水哲男)


March 1431997

 春光へすべり落ちたる領収書

                           岡田史乃

スにでも乗ろうとしたときだろうか。財布から小銭を取り出そうとして、中の領収書がひらひらと滑り落ちてしまった。他人から見ればほほえましい光景だが、領収書というものは、当人にとってはけっこう生々しかったりする。それが明るい春の日差しのなかに舞うということになると、生々しさが一瞬気恥ずかしさに転化する。束の間の微妙な心の揺れを描いていて、味わい深い句だ。作者には、この種の繊細な神経に触発された作品が多い。「繃帯の指を離れよしゃぼん玉」「ぼたん雪机の上のオブラート」など。『浮いてこい』所収。(清水哲男)


March 0631998

 菜屑捨てしそこより春の雪腐る

                           寺田京子

治体によるゴミの収集がなかった時代には、裏庭などに小さな穴を掘って、句のように無造作に捨てていた。春の雪は溶けやすいから、ばさっと菜屑を捨てると、すぐにその周辺が溶けて、少々汚い感じになってしまう。そんな情景を、作者は「雪が腐る」と表現した。腐るのは菜屑であって雪が腐るわけもないが、一瞬の実感としては納得できる。たしかに、いかにも「雪が腐る」ような感じがする。言いえて妙だ。ところで、このように燃えないゴミ(現代的定義とは大違いだが)は穴に捨て、紙などの燃えるゴミは庭の隅で燃やしていたころに、誰が今日のゴミ問題を予測できただろうか。ひどい世の中を歎くだけでは何もはじまらないが、菜屑は土に返すべし。菜屑くらいは勢いよくばさっと捨ててみたいものだ。来たるべき世紀の我が国は、この句が理解できない人たちでいっぱいになるだろう。もう二度と、このような情景が詠まれる時代は訪れないだろう。(清水哲男)


February 2022005

 淡雪富士ひとつの素船出てゆくも

                           赤尾兜子

語は「淡雪」で春、「春の雪」に分類。美しい写生句だ。作者名が伏せられていれば、前衛俳句の旗手として知られた兜子の句とは思えない。柔らかい春の雪が降りしきる富士の裾野の湖から、何の変哲もない一掃の船が漕ぎ出されたところだ。その「素船(すぶね)」は淡雪を透かして、静かに黒々と沖に向かっていく。無音、そしてモノトーン、さながら一幅の墨絵を思わせる情景だ。この句に触れて小林恭二は「しかしこの『出てゆくも』という反語は何なのでしょうね」と書いている(「俳句研究」2005年3月号)。「おそらく兜子は強めの表現として反語を使っているのではなく、余韻を響かすために反語を使っているのでしょう。そしてその余韻のなかにこそ、真に語るべきものがあると考えていたのでしょう。それはひょっとしたら俳句の本道かもしれません」。結局は同じ解釈になるのかもしれないが、私はこの解答のない反語を作者のニヒリズムの表白のように思う。眼前の世界が美しければ美しいほど、その美しさの生命は短いということ。まるで淡雪のようにそれははかなく消えてしまうのだという確信が、作者には(たぶん何事につけても)抜き難くあった。だから、ただ情景の美しさを句に定着させる気持ちなどはさらさらなくて、むしろ情景の滅びのほうに力点を置こうとしている。滅びの予感を詠み込む方法として、曖昧な反語を使わざるを得なかったのだ。すなわち、眼前の現在に未来をはらませる必要からの反語なのだろうと思った。『玄玄』(1982)所収。(清水哲男)


February 0722006

 玻璃窓に来て大きさや春の雪

                           高浜虚子

語は「春(の)雪」。北国の雪ではなく、この季節に関東以西に降る雪のこと。春雨になるはずの水滴が、気温が少し低いために雪になるのだ。淡く、溶けやすい。また湿り気があるので結晶がくっつきやすく、いわゆる「牡丹雪(ぼたんゆき)」になることもある。掲句の読みどころは、何と言っても「大きさや」の言い止め方にある。作者は室内から「玻璃(はり)窓」を通して降る雪を見ているわけだが、雪片がガラス窓に近づいてくると、その「大きさ」がよくわかると言うのだ。それこそ牡丹雪だろうか。窓から離れて降っていても、普通の雪とは違う大きさには見えているが、こうして窓に「来て」みれば、ちょっと想像を越えた大きさだった。が、この「大きさ」がどれほどのものかは書いてない。それどころか、厳密に読むと、雪片が「大きい」とも書いてない。あくまでも「大きさや」なのであり、つまり「表面積や」と書くのと同じことなのであって、その後のことは読者の想像にゆだねてしまっている。読者の側にしてみれば、「大きさ」をなんとなく「大きい」と読んでしまいがちだけれど、作者はおそらくそのことも計算に入れて、あえて「大きさ」と詠んだのだろう。つまり窓に来る雪片の大きさには、大きいことは大きくても、それなりに大小いろいろあって、そのいろいろを全てひっくるめての「大きさや」という感慨なのだ。単に春の雪片は「大きいなあ」と表現するよりも、いろいろあって見飽きないという気分がよく伝わってくる。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


March 0332006

 春の雪ひとごとならず消えてゆく

                           久米三汀

語は「春の雪」。作者の「三汀」は、小説家として知られた久米正雄の俳号である。掲句は、小室善弘『文人俳句の世界』で知った。追悼句だ。『ブラリひょうたん』などの名随筆家・高田保が亡くなったのは、1952年(昭和二十七年)二月二十日だった。このときの作者は病床にあったので、通夜にも告別式にも参列はしていない。訃報に接して,大磯の高田邸に掲句を電報で打ったものだ。したがって、原文は「ハルノユキヒトゴトナラズキエテユク クメマサオ」と片仮名表記である。電報が届いたのは、ちょうどみんなが火葬場に行く支度をしているところで、その一人だった車谷弘の回想によれば、緊急の場合で、すぐには電文の意味を解しかねたという。紋切り型の弔電が多いなかで、いきなりこれでは、確かに何だろうかと首をかしげたことだろう。しかし、しんみりした味わいのある佳句だ。淡く降ってはすぐに消えてゆく春の雪に重ねて、友人の死を悼んでいるのだが、その死を「ひとごとならず」と我が身に引きつけたところに、個人に対する友情が滲み出ている。しかもこの電報のあと、わずか十日にして、今度は作者自身が世を去ったのだから、「ひとごとならず」の切なさはよりいっそう募ってくる。閏(うるう)二月二十九日、六十一歳の生涯であった。掲句を紹介した永井龍男は「終戦後の生活に心身ともに疲れ果てたと見られる死であった」と述べ、追悼の三句を書いている。そのうちの一句、「如月のことに閏の月繊く」。永井龍男『文壇句会今昔』(1972)所載。(清水哲男)


August 2882007

 秋天に東京タワーといふ背骨

                           大高 翔

拗な残暑が続く毎日だが、東京の空にもようやく秋らしさが見られるようになった。東京タワーは昭和33年に完成した東京都港区に立つ333mの電波塔である。この高さは「どうせつくるなら世界一を…。エッフェル塔(320m)をしのぐものでなければ意味がない」(by東京タワーHP)という、戦後から復興し、世界を視野に見据え始めた東京の夢を叶えたものであったという。赤と白のツートンカラーは五年に一度という周期で塗り替えられているが、今年がちょうどその時期にあたり、4月から深夜作業が始まっている。足場を組まれ、小さなゴンドラをいくつも下げた東京タワーは、まるで背中を流してもらっているガリバーのようにも見え、一段と掲句を納得させる図でもある。来年から工事が始まるという墨田区押上の新東京タワーはデザイン画では輝く銀色をしており、610mの全長は世界一の高さになるのだそうだ。しかし、850万の人間が密集し、さまざまな生活が集中している東京の空には、無機質なメタリックタワーより、人間の体温を感じられる紅白のタワーが似合う。今夜は皆既月食。東京タワーを背景に月蝕を眺めるなんていうのも素敵だ。〈春雪や産み月の身のうすくれなゐ〉〈「はいどうぞ」しろつめくさといしころと〉『キリトリセン』(2007)所収。(土肥あき子)


February 1122008

 春の雪ふるふる最終授業かな

                           巻 良夫

校三年の最後の「授業」だろう。三月のはじめには卒業式があるので、最終授業は二月の中旬から下旬のはじめくらいか。最終授業を受ける気持ちは、もとより生徒それぞれに違うのだが、ただ共通の感慨としては、やはり今後はもう二度とみんなでこんなふうにして一緒に勉強をすることはないという惜別のそれだろう。この授業が好きか嫌いかなどは問題外であり、誰もがやがて否応なく訪れてくる別れの時を意識して、平素よりも神妙な顔つきになっている。折りから、外は春の雪だ。「ふるふる」と言うくらいだから、かなり激しくぼたん雪が降っている。そしてこの激しい降りが、教室内のみんなの心情をいっそう高ぶらせる。みんながセンチメンタルな気分に沈んでゆく。それは一種心地よい哀感なのでもあり、また暗黙のうちに連帯感を高める効果も生むのである。かくして後年には甘酸っぱい思い出となるのであろう最後の授業は、表面的には実に淡々と、いつもと同じように終わりに近づいていくのだった。現代俳句協会編『現代俳句歳時記・春』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


February 2122008

 牡丹雪紺碧の肉天奥に

                           大原テルカズ

先にひらひらと舞う牡丹雪。大きな雪片が牡丹の花びらに似ているのでこの名がついたのだろう。「牡丹」という言葉に触発されて雪でありながら紅が連想され不思議に美しい。牡丹雪が降ってくる空は重たい灰色の雲で覆われてはいるが、その奥に青空の一部が覗いている。説明してしまえばそれだけだが、この句は景を描写しているのではない。仕掛けられた言葉の連想の背後には作者の存在が光っている。「紺碧の肉」は青空の表現としては異質であるが、内面の痛みを読み手に感じさせる。牡丹雪を降らせる雲の切れ目は彼自身の心の裂け目なのだろう。「彼が秘かに貯えてきた多くの財宝─幼なさ、卑しさ、愚かさ、古さ、きたならしさ、ひねくれ、独り、独善、恣意と彼が呼ぶところのもの」を俳句に結晶させた。と、句集の序文で高柳重信が述べている。戦後の混乱の暮らしの中で彼自身が掴み取った精神の履歴が、従来の俳句に収まらない言葉で表現されている。「ポケットからパンツが出て来た淋しい虎」「血吐くなど浪士のごとしおばあさん」作者にとって俳句は混乱した現実を自分に引き寄せる唯一の手段であり、句になった後はもはや無用と振り返ることもなかっただろう。『黒い星』(1959)所収。(三宅やよい)


February 2522008

 師の影をしっかり踏んで春の雪

                           鈴木みのり

はは、こりゃ面白いや。もちろんこの句は「三尺下がって(「去って」とも)師の影を踏まず」を踏まえている。弟子が師に随行するとき、あまり近づくことは礼を失するので、三尺後ろに離れて従うべきである。弟子は師を尊敬して礼儀を失わないようにしなければならないという戒めだ。でも、春の雪は解けやすく、滑りやすい。そんな戒めなど、この際はどうでもよく、とにかく転ばないようにと「師の影」をしっかり意識して踏みながら随いてゆくのである。ところで、この戒め。ネットで見ていたら、まったく別の解釈もあるそうで、概略はこうだ。師の影を踏むほどの近くにいると、視点がいつも師と同じになるために、それでは師を越えられない。せいぜいが師の劣化コピーにしかなれないので、常に師からは少し離れて独自の視点を持つべきだという教訓というものだ。どこか屁理屈めいてはいるが、この解釈で掲句を読み直すと、滑って転ばぬようにという必死は消えてしまい、どこまでも師と同じ視点に立ちたい必死の歩行ということになる。こちらはこちらで、哀れっぽいユーモアが感じられて面白い。作者は「船団」のメンバーだから、いずれにしても影を踏まれているのはネンテン氏だろうな。『ブラックホール』(2008)所収。(清水哲男)


January 2812009

 座布団を猫に取らるゝ日向哉

                           谷崎潤一郎

の日当りのいい縁側あたりで、日向ぼこをしている。その折のちょっとしたスケッチ。手洗いにでも立ったのかもしれない。戻ってみると、ご主人さまがすわっていた座布団の上に、猫がやってきて心地良さそうにまあるくなっている、という図である。猫は上目づかいでのうのうとして、尻尾をぱたりぱたりさせているばかり。人の気も知らぬげに、図々しくも動く気配は微塵もない。お日さまとご主人さまとが温めてくれた座布団は、寒い日に猫にとっても心地よいことこの上もあるまい。猫を無碍に追いたてるわけにもいかず、読みさしの新聞か雑誌を持って、ご主人さましばし困惑す――といった光景がじつにほほえましい。文豪谷崎も飼い猫の前では形無しである。ご主人さまを夏目漱石で想定してみても愉快である。心やさしい文豪たち。「日向ぼこ」は「日向ぼこり」の略とされる。「日向ぼっこ」とも言う。古くは「日向ぶくり」「日向ぼこう」とも言われたという。「ぼこ」や「ぼこり」どころか、あくせく働かなければならない人にとっては、のんびりとした日向での時間など思いもよらない。日向ぼこの句にはやはり幸せそうな姿のものが多い。「うとうとと生死の外や日向ぼこ」(鬼城)「日に酔ひて死にたる如し日向ぼこ」(虚子)。「死」という言葉が詠みこまれていても、日向ゆえ少しも暗くはない。潤一郎の俳句は少ないが、他に「提燈にさはりて消ゆる春の雪」という繊細な句もある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


February 1922009

 スペインで暮らす哀しみ牡丹雪

                           小西昭夫

本にしか暮らしたことがないので、言葉も習慣も違う国で暮らす哀しみは想像するしかない。とはいえ生まれ育ったのが神戸だったので子供のころ外国へ移住する人々を乗せた客船を見送ったことはある。色とりどりの紙テープをひきずって巨船がゆっくり波止場を離れてゆくのに合わせ蛍の光が流れていた。あれから半世紀近く経つが、船のデッキから身を乗り出して手を振っていた人々はどうしているのだろう。外国で年を重ねるごとに望郷の念は強くならないのだろうか。白いご飯や、ごみごみした路地、湿った空気が恋しくはならないだろうか。異国でも雪は降るだろうが、薄明るい空から軒先にひらひら降りてくる大きな雪を見て、「ああ、牡丹雪だねぇ、春が近いねぇ」と頷き合う相手がいてこその言葉の満足。そう考えるとこの句の「哀しみ」はスペインでなくとも生まれ育った場所から遠く見知らぬ人々の間で孤独を噛みしめる感情に通じるかもしれない。だけれど掲句では情熱の国の名が「牡丹雪」の字面に響き、やはりどこの地名でもない「スペイン」が異国で暮らす哀しみを切なく灯しているように感じられる。『ペリカンと駱駝』(1994)所収。(三宅やよい)


March 0832009

 湯屋まではぬれて行きけり春の雪

                           小西来山

の気持ち、実にそうだなと、思うのです。これから歩いて行く先は、間違いなく全身をあたたかく濡らしてくれる場所なのだから、そこまでの道のりで、多少ぬれてしまってもかまわないわけです。というよりもむしろ、身体を冷やしておいたほうがさらにお湯の気持ちよさは増すに違いなく、まちがっても無粋な傘などをさす気にはならなかったのでしょう。また、手ぬぐいや風呂桶などを手に持った上で、さらに傘を差すことは、歩くのに不自由でもあり、これくらいの雪ならば、体の上に好きに降らせたまま気分よく歩いてゆきたいと思う気持ちもわかります。時間は夜ではなく、まだ日のあるうち、道の両側に広がる風景や、雪を降らせている雲をでも、ゆったりと眺めながら歩いているようです。日ごろの鬱屈はひとまず忘れることにして、頭の中ではすでに服をすべて脱ぎ去り、やわらかな湯気の立ったお湯の表面に、つま先を差し入れているところなのかもしれません。句のはじめから最後まで、なんとも気持ちのよい出来上がりになっています。『角川俳句大歳時記 春』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


March 1132009

 春の雪誰かに電話したくなり

                           桂 米朝

球温暖化のせいで、雪国だというのに雪が少なくてスキー場が困ったりしている。春を思わせる暖かい日があるかと思えば、一晩に一挙に30センチ以上も降ったりすることが、近年珍しくない。私の記憶では、東京では冬よりもむしろ三月に雪が降ることが少なくなかった。季節はずれに雪が降ったりすると、なぜかしら親しい友人につい電話して、雪のことにとどまらず、あれこれの近況を語り合ったりしたくなる。電話口で身を縮めながらも、「今ごろになってよう降るやないか。昼席がハネたら雪見酒としゃれようか」とでも話しているのかもしれない。もっとも雪国でないかぎり、昼席がハネる頃には雪はすっかりあがっているかもしれない。雪は口実、お目当ては酒。春の雪は悪くはない。顔をしかめる人は少ないだろう。むしろ人恋しい気持ちにさせ、ご機嫌を伺いたいような気持ちにさせてくれるところがある。米朝は八十八の俳号で、東京やなぎ句会の一員。言うまでもなく、上方落語の第一人者で人間国宝。息子の小米朝が、昨年10月に五代目桂米団治を襲名した。四代目は米朝の師匠だった。米朝が俳句に興味をもったのは小学生の時からで、のち蕪村や一茶を読みふけり、「ホトトギス」や「俳句研究」を読んだという勉強家。「咳一つしても明治の人であり」「少しづつ場所移りゆく猫の恋」などがある。小沢昭一『友あり駄句あり三十年』(1999)所収。(八木忠栄)


February 2722011

 この道しかない春の雪ふる

                           種田山頭火

がわかる、というのは詠まれている意味内容に不明な点がないということだけではありません。語られていることがわかっても、どうしてこんなことを句にするのだろうと、思っているうちはたぶんわかっていないのです。あるいは、もともと理解を届かせるほどの句ではないということもあります。今日の句は、意味内容ということでは、前半と後半がどのようにつながっているのかが明解ではありません。でも、全体をそのまま素直に受け止めると、不思議とわかるのです。わかったような気分にさせてくれるのです。そこが大切なのだと思うのです。「この道しかない」と、決断した思いの切れ味と、目の前に降っている柔らかな雪のありさまが、ちょうどよく釣り合っているのです。そうだそうだ、こういうふうにしか詠ってはいけないのだと、思わせてくれる句は、理屈抜きにすごいなと思うわけです。『新日本大歳時記 春』(2000・講談社)所載。(松下育男)


August 0382011

 点滴の落つ先に見ゆ夏の雲

                           坂東彌十郎

、歌舞伎座は再建中で、しばらく更地での工事がつづいている。木挽町界隈は淋しい限りである。掲句は、近年、大柄な存在感で売り出してきている彌十郎の句として、繊細にしてスケールの大きい夏らしい姿がしっかり決まっている。点滴と作者の大柄な体躯との対比に、一種の好もしさを感じる。タク…タク…とゆっくり落ちてゆく点滴のしずくの向こう、病室の窓越し、青空に白い雲がでっかく鮮やかに見えているのだろう。病院ネタにしては暗さが感じられず、カラリとしていて後味がいい。一刻も早く健康を取り戻し、点滴から解放されて夏雲のほうへ出かけて行きたい、そんなはやる気持ちがあふれている。彌十郎によれば、古くから歌舞伎と俳句は深いつながりがあって、十五代目羽左衛門、六代目菊五郎、十七代目勘三郎らをはじめ、俳句をやっていた役者は少なくない。彼らは俳号もちゃんともっていた。彌十郎の俳号は酔寿。暇を見つけては句会に熱心に足をはこんでいる。彼の亡き兄・吉弥もかつては俳句を嗜んでいた。初代吉右衛門や現幸四郎の俳句もよく知られている。彌十郎には他に「街灯の下のみ激し春の雪」がある。『かいぶつ句集』42号(2008)所収。(八木忠栄)


August 2482011

 うちの子でない子がいてる昼寝覚め

                           桂 米朝

寝から覚めてあたりを見まわすと、うちの子のなかによその子が混ざって寝ていたという驚き。昔はよくそんなことがありました。私も子供のころ友だちの家に行き、遊びくたびれていつの間にか昼寝をした、そんな経験がある。蜩の声でようやく寝覚めて「エッ!」と面喰らったことが一度ならずあった。その家で、平気で昼食や夕飯をご馳走になったりもした。「かまへん。これからうちの子と夕飯食べたら帰しますさかいに」……米朝が言う「うちの子」だからといって、幼い日の彼の息子(現・桂米團治)と限定して考える必要はあるまい。上方弁の「いてる」にほほえましい驚きが感じられて愉快である。その子はスイカでもご馳走になって、けろりとして家へ帰って行くのかもしれない。去る七月二十一日から八月二日まで、新宿の紀伊國屋画廊で「桂米朝展」が開催された。上方落語の中興に多大な尽力をしてきた。貴重な上方演芸の資料は見応えがあった。期間中に、紀伊國屋ホールでは米朝特選落語会などが開催された。そのうちの「東京やなぎ句会」メンバー(米朝もメンバー)による「米朝よもやま噺」のパートで、加藤武が好きな句として掲句をあげていた。米朝には他に「春の雪誰かに電話したくなり」という佳句がある。米朝の俳号は八十八。来年いよいよ数えで八十八歳の米寿を迎える。『楽し句も、苦し句もあり、五・七・五』(2011)所載。(八木忠栄)


September 2092011

 いつもあなたに褒められたかつた初涼

                           阿部知代

山本紫黄の前書がある。「面」を主宰していた山本紫黄は〈新涼の水の重たき紙コップ〉〈日の丸は余白の旗や春の雪〉など、諧謔と抒情の匙加減の絶妙な作家であった。俳縁とは不思議な縁である。ともすれば、その人の年齢も生業も知らないまま、何十年と付き合いが続く。亡くなって初めて、ご家族の顔を知ることも少なくない。俳人の葬儀では、故人が句会で発していた名乗りを真似た声が、どこからともなく上がるという。おそらく家族や親戚も知らない、座を共有した者たちだけが知る故人の声である。それはまるで鳴き交わしあった群れが、去っていく仲間に送る最後の挨拶のようだと、今も深く印象に残っている。俳句は、おおかたが大人になってから出会うこともあり、褒められるという機会がなくなった頃、句会で「この句が好きだ」と臆面もなく他人から言われることの喜びを得られる場である。そして、誰にも振り向かれなくても心から慕う人だけに取られたときの充足はこのうえないものだ。師を失った弟子の慟哭は限りない。生前は言えなかったが、もう会えない聞いてもらえないからこそ吐露できる言葉がある。そして、これほど切ない恋句はないと気づかされる。「かいぶつ句集」(2011年9月・第60号特別記念号)所載。(土肥あき子)


December 15122012

 階段の螺旋の中を牡丹雪

                           齋藤朝比古

雪や思いがけない大雪のニュースがテレビから流れているのを見ていて、数年前の雪の日を思い出した。雪降る中、数人で空を仰いでいたのだがそのうち誰かが、なんだかどんどん昇っていくみたい、と言ったのだった。雪は上から降ってくるのだから相対的に自分が昇っていくように感じるのは当然なのだが、同じように見上げていた私は、逆に雪と一緒にどんどん沈んでいくように感じていた。掲出句の場合、そこに螺旋という動きを感じさせる曲線が加わったことで、また違った感覚になる。普通の階段は、昇っても降りても前へ進むことになるが、螺旋階段はひたすら上へ、または下へ。牡丹雪もひたすら、階段もひたすら、永遠に続く一本の螺旋の中を雪がただただ落ちてゆく、そんな映像も思い浮かんで美しい。合同句集『青炎』(1997)所載。(今井肖子)


February 1522014

 春の雪波の如くに塀をこゆ

                           高野素十

前歳時記でこの句を見たとき、あまりピンと来なかった。春の雪は降ったそばから光に溶けてしまうようなイメージで、波の如く、という感じが今ひとつわからなかったからだ。そこへ先週の雪、牡丹雪というにはあまりに細かい雪の粒が止む気配もなく降り続き時折の強風にまさに、波の如く、を実感した。傘をたたんでフードをかぶり、これを吹雪って言ったら雪国の人に叱られそうだけど吹雪だね、などと言い合いながら歩いたが、やや水っぽい春の粉雪は風に乗って塀を越え屋根を越え、東京を覆っていった。溶け残った雪にいつまでも街は冷たいままだが、日差しは確実に明るくなってきている。『合本俳句歳時記』(2008・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


February 2522016

 春雪や吹きガラスまだ蜜のごと

                           津川絵理子

樽のガラス工場を見学したことがある。ちょうど積雪のころでまだ寒い戸外と対照的に工場中は火がかんかんと熾り、長い吹き竿にふーっと息を吹き込むと竿の先に色ガラスがふくらんでいく。飴のように柔らかいガラスの様を「まだ蜜のごと」と表現したことで熱をもったガラス器の触れればぐにゃりと歪んでしまいそうな状態がよく言い表されている。明るく軽い春雪との取り合わせも新鮮だ。「まだ」の一言が単なる比喩を超えた臨場感といきいきとした印象を読み手に残すのだろう。上手く書けている俳句と心に残る俳句の違いは些細なようで大きい。『俳コレ』(2011)所載。(三宅やよい)




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