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February 1321997

 地下街の日暮混み合ふ青目刺

                           神崎 忠

刺は、冬場から早春にかけてが旬(しゅん)。たまさかぶらつく食料品売り場は、見飽きない。句のように、季節を感じさせてくれる魚や野菜と出会ったりするからだ。もうひとつ、晩飯のおかずを考える立場にない気楽さもある。主婦に言わせれば「いい気なもの」でしかないというわけだ。でも、楽しいものは楽しい。余談だが、詩人仲間とよく行く新宿の酒場に、まことに美味な真鰯の目刺を食べさせる店がある。ああいうものは、たぶん地下街の売り場などでは手に入らないのではなかろうか。(清水哲男)


March 2031997

 嫁して食ふ目刺の骨を残しつつ

                           皆吉爽雨

の字は「か」と発音する。二世代(ないしは三世代)同居の家に嫁いできて、まだお客様待遇の間の新妻の膳に目刺しが出された。さあ、困った。いきなり頭からバリバリやるのははしたないし、かといって残すのも気がひける。結局は、少しずつ端から小さく噛んで、骨を残しながら食べることにした。まさに、新妻悪戦苦闘の図。「味なんてしやしない」。そして、その姿を見るともなく見ている家人(作者もそのひとりだ)の鋭い目。いまどきの若い女性なら、頓着せずに食べてしまうのかもしれないが、昔の嫁たるものはかくのごとくに大変であった。蛇足ながら、作者の皆吉爽雨は、私が中学生のときに下手な句を投稿していた「毎日中学生新聞」の選者だった。よく採っていただき、いい人だなと思っていたけれど、この句のように、けっこう意地悪な目も持ったオジサンでもあったわけだ……。現代俳人・皆吉司の祖父。(清水哲男)


March 1731998

 目刺焼くラジオが喋る皆ひとごと

                           波多野爽波

のようなラジオマンからすれば、句の中身は「ひとごと」じゃない(笑)。それはともかく、ラジオをつけっぱなしにして目刺しを焼いている作者は、少々ムシの居所が悪いと見た。どうせラジオは「ひとごと」ばかり喋(しゃべ)っているのだから、自分には関係はないのだから、いま大事なのは「ひとごと」じゃない目刺しのほうである。こちらに集中しなければ……。と思いつつも、少しはまたラジオを聞いてしまう。そしてまた「ひとごと」放送に腹を立て、またまた目刺しに集中する。そのうちに、しかし目刺しもラジオも「皆ひとごと」に思えてきてしまう。そんな図だろうか。目刺しは、あれで焼き方が難しい。黒焦げになったり生焼きになったりするから、これはもうしょっちゅう焼いている酒場のおばさんなどにはかなわないのである。ラジオをつけていてもいなくても、うまく焼けないので苛々する。そこで「みんなラジオが悪いのよ」と言いたくもなる作者の気持ちは、わからぬでもない。いや、よくわかる。ところで「ひとごと」は漢字で「他人事」と書く。最近のラジオやテレビでは、これを平気で「たにんごと」と読むアナウンサーやタレントがいるが、あれは何とかならないものか。「ひとごと」ながら、恥ずかしいかぎりである。『鋪道の花』(1956)所収。(清水哲男)


April 1441999

 目刺やく恋のねた刃を胸に研ぎ

                           稲垣きくの

そらく、焼かれている目刺(めざし)はぼうぼうと燃えているのだろう。が、なぜ作者が目刺を燃やすほどに焼いているのかは、知るよしもない。知るよしはないが、句の勢いだけはわかるような気がする。嫉妬することを俗に「やく」というけれど、この場合の目刺には気の毒ながら(というよりも、誰が食べるのだろう。食べさせられる人には大いに気の毒ながら)、作者は「こんちくしょう」とばかりに、目刺にアタッている。この「恋のねた刃」は、相当に曰くありげだ。誰にでも嫉妬心はあり、誰にもなかなか解消法は見つからない。昔から落語などで「嫉妬心(りんき)は、こんがり焼くものだ」と言ってきた。ほどほどに、ということだ。庶民の智恵だ。が、そんなことは承知しているつもりでも、いざとなったら、そうはいかないのがヒトの常だろう。で、かくのごとくに、盛んに大煙を上げることになる。この研がれた「ねた刃」は、いったい誰に向けられるのか。なんだか、他人事ながらハラハラしてくる。でも、逆に言えば、作品的にそう思わせているにすぎない作者のしたたかな芸なのかもしれず、作った後で舌をぺろっと出している顔を想像すると、実にシャクにさわる。いっそ単純に、現代の「滑稽句」ととったほうがよいのかもしれない。(清水哲男)


April 2642007

 目刺焼くええんとちゃうかでたらめも

                           児玉硝子

年中ある目刺だけど、春の季語である。春鰯は脂がのっておいしいからと勝手に決めていたが、本当のところはどうなんだろう。掲句は炉辺焼きか、一杯飲み屋か、家庭の風景でもいい。目刺を焼きながら相談ごとを聞いていたおかみさんが、「ええんとちゃうかでたらめも」と、慰めとも解決ともわからないおおらかな言い回しで話を締めくくる場面が思われる。カドの立たない収め方がいかにも大阪といった感じ。目刺を焼く情景と時間が、句にほどよい実感を与えている。口語の文体は親しみ易さ敷居の低さが魅力であるが、話し言葉がすぐ俳句持ち込めるわけではない。日常の言葉を俳句に生かすならそこからある場面や情感を喚起させる力がないとつぶやきに終ってしまう。俳句は時代時代の言葉を取り入れることで詩型に生命を吹き込んできた。口語、特に方言の独特の言い回しに幾重もの連想をたたみこんだ季語を連結することで、斬新なイメージを作り出すことが出来るのではないだろうか。その土地に根付いたニュアンスをどう受けとめるか。9日の「はんなりといけずな言葉春日傘」(朝日彩湖)で清水哲男さんの鑑賞文に「方言句は難しいが面白い」と、あったが本当にその通りだとおもう。各地のお国言葉で書かれた俳句がその土地特有の習慣、食べ物、植物などとともに編纂されれば、俳句を読む楽しみも広がるだろう。『青葉同心』(2004)所収。(三宅やよい)


April 0742013

 鯛よりも目刺のうまさ知らざるや

                           鈴木真砂女

のある真砂女の声が届いています。「知らざるや」という言い切りに、軽い怒り、あるいは戒めを聞き取ります。店主をつとめた銀座「卯浪」の常連客に向けた本音のようでもあります。たしかに鯛は、お造りにしてよし、握り、かぶら蒸し、鯛茶漬という贅沢もあり、晴れがましい和食の席には欠かせない食材です。しかし、それらは華美な器に盛られる料理でもあり、実よりも名が勝っているのだ、という声を聞き取ります。ちなみに、食材としてのタイ科の魚はマダイ、クロダイですが、タイの名を冠された別種魚は、ブダイ、スズメダイをはじめとして、数十種類をこえ、これは全国にある○○銀座と同じあやかり方でしょう。ところで、目刺の句といえば、芥川龍之介の「こがらしや目刺しにのこるうみのいろ」が有名です。ただし、芥川の場合は目刺を見ている句なのに対し、真砂女は目刺を食っている。九十六歳まで生きた糧です。目刺は、小イワシを塩水に漬けたあと天日で干したもの。これを頭から骨ごと尾まで食い尽くす。真砂女の気丈はここで養われ、同時に、目刺のように白日に身をさらしてきた天然の塩辛い生きざまと重なります。鯛には養殖物も多く出ていますが、目刺にそれはありません。ほかに「目刺焼くくらし可もなく不可もなく」「目刺焼く火は強からず弱からず」「目刺し焼けば消えてしまひし海の色」「目刺し焼くここ東京のド真中」「海の色連れて目刺のとどきけり」「締切りの迫る目刺を焦がしけり」。いよいよ真砂女が、目刺の化身に見えてきました。『鈴木真砂女全句集』(2010)所収(小笠原高志)




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