1997年2月12日の句(前日までの二句を含む)

February 1221997

 東京は我が敗北の市街地図

                           斎藤冬海

験。その是非を論じる大人たちをよそに、時代の流れには抗うスベもなく、若い私は苦すぎる「敗北」を一度ならず味わった。傷が癒えるまでには、十年という歳月が必要であった。もとよりこの句の作者の「敗北」の中身は知るよしもないが、受験に限らず、東京は多くの敗北者を生み続けてきた街でもある。その意味で、この作品は作者の個人的な体験を越えた普遍性を持つ。この無季句に、季節を感じざるを得ない読者は少なくないはずである。(清水哲男)


February 1121997

 まひる梅の咲くさえ朧愛人あり

                           末永有紀

ならば「朧(おぼろ)」が似合うが、作者は梅の咲いている様子が「朧」だと言うのである。しかも、輪郭のくっきりした真昼の梅をさえ、ぼおっと感じているのだ。すなわち、作者には「恋人」ではなくて、世間に秘めた「愛人」がいるからである。危険な関係のこの上ない甘美さが、きりりとした梅の花をすら朦朧とした存在に変えてしまう。そういう句なのデス。羨ましくもあり、おっかなそうでもあり……。(清水哲男)


February 1021997

 目覚めけり青き何かを握りしめ

                           沼尻巳津子

動。「青き何か」の意味はわからないけれど、作った人の心のありようは、すっきりとよくわかる。決して曖昧な世界ではない。一所懸命に生きている人でないと、絶対にこうした句はできないだろう。繰り返し読むほどに、読者の心も引き締まる。作者は俳句的には晩学の人で、四十代になってから作句をはじめたようだ。それにしても、最近の私は、夢の中でさえ何かを強く握り締めたことはない。そうしようと思ったこともない。猛省。『華彌撒』所収。(清水哲男)




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