1997ソスN2ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0721997

 赤椿咲きし真下へ落ちにけり

                           加藤暁台

台は十八世紀の俳人。もと尾張藩士。椿の花は、桜のようには散らずに、ぽとりと落ちる。桜の散る様子は武士のようにいさぎよいとされてきたが、椿の落ちる様は武士道とは無縁だ。花を失うという意味では、むしろ椿のほうが鮮烈だというのに、なぜだろうか。おそらくは、花そのものの風情に関わる問題だろう。椿の花はぽってりとした女性的な風情だから、武士の手本に見立てるのには抵抗があったのだと思う。それにしても、こんなに花の死に様ばかりが詠まれてきた植物も珍しい。「赤い椿白い椿と落ちにけり」(河東碧梧桐)、「狐来てあそべるあとか落椿」(水原秋桜子)など。(清水哲男)


February 0621997

 楽屋口水の江滝子ジャケツきて

                           星野立子

和九年の作品。このとき、水の江滝子十九歳。断髪、男装の麗人として、松竹レビューのトップスターだった。愛称ターキー。そんな大スターの素顔を、素早くスケッチした立子は三十一歳。ターキーの日常的スタイルを目撃できた作者は、おそらく天下を取ったような気分だったはずだが、その気分の高まりをぐっと抑制している句風が、実にいい。これ以上、余計な解説は不要だろう。昔はよかった(この言葉は、こういう句を読んだときに使うのである)。いまはスターならぬ人気タレントの素顔どころか裏の顔まで、テレビが写し出してしまう時代だ。「スター」なんて存在が成立するはずもないのである。『立子句集』所収。(清水哲男)


February 0521997

 受験期の母てふ友はみな疎し

                           山田みづえ

茶店などにいると、とくにこの季節、辺りから受験の話題が聞こえてくる。たいていが女たちの声だ。いつまでも途切れる様子もなく、話はつづいてゆく。なんという女どもだ、他に話題はないのかよ。と、言いたくなるが、まさかそうするわけにもいかない。この句は、たとえ同性であり友人であっても、受験生を持たない自分にとっては、そんな存在が疎(うと)ましいと書いている。だとすれば、異性で他人である私が疎ましく感じるのは、しごく当然ということになるわけだ。母親たちの受験の話が聞きづらいのは、たいていがお利口な子供を媒介にして、結局は自分の自慢話に終始するからだろう。(清水哲男)




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