1997ソスN2ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0221997

 何といふ淋しきところ宇治の冬

                           星野立子

和十四年の宇治(京都)での句。大学に入って私が宇治に下宿したのは、この句の約二十年後ということになるが、やはり同様に淋しいところであった。喫茶店ひとつなかったから、若い人間にとっては、それこそ「何といふ淋しきところ」と感じるしかなかった。とりわけて、冬は寒く寂寥感に満ちていた。宇治川の流れは、見るだけで胸にコタえた。先年亡くなった学友で詩人の佃学と、いっそのこと「大学なんてやめちまおうか」などと語りあったことを思い出す。立子は、ここでいわば通行人として宇治の感想を述べているわけだが、通行人にまで淋しさをいわれる町は、心底淋しいところなのである。現在の宇治はにぎやかだが、いま訪れると、逆に往時の淋しさが懐しい。『続立子句集第一』所収。(清水哲男)


February 0121997

 暮色もて人とつながる坂二月

                           野沢節子

月。春も間近だ。気分はそうであっても、まだまだ寒い日がつづく。この句は、そのあたりの人の心の機微を、実に巧みにとらえている。すなわち、夕暮れの坂を歩いている作者は、そこここの光景から春の間近を感じてはいるのだが、風の坂道はかなり寒い。ふと前を行く人や擦れ違う見知らぬ人に、故なく親和の情を覚えてしまうというのである。これが花咲く春の夕刻であれば、どうだろうか。決して、心はこのようには動かない。浮き浮きした心は、むしろ手前勝手に孤立する。自己愛に傾きがちだ。(清水哲男)


January 3111997

 軒氷柱百姓の掌が一と薙す

                           細川加賀

こかの私立中学の入試で「『氷柱』を何と読むか」という問題が出た。「こんな難問を出すから、受験地獄がなくならないのだ」と、ある新聞が書いていた。そうかなア。それはともかく、この句のように、農村の人たちにとって軒の「つらら」なんぞは出入りの邪魔物でしかない。子供の頃、こんな朝の光景はいつものことだった。それが、かくのごとくに句になってしまう驚き。土地の生活者と観照者との違いである。(清水哲男)




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