1997ソスN1ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2911997

 おでんやは夜霧のなかにあるならひ

                           久永雁水荘

かったころ、銀座で友人と制作プロダクションをやっていたことがある。事務所の真ん前には「お多幸」という有名なおでん屋。しかし、我々は、夜がはじまる時間に近所に出てくる屋台のおでん屋のほうを贔屓にしていた。隣のビルには、これまた有名な二流のキャバレーがあって、そこに勤務しているお姉さんたちと、無言でおでんを食べるのが、我々の恰好のよいところだった。そう思っていた。いつも、おでんに茶めしを組み合わせたセット。それに、コップ一杯の酒。昨日記念切手が売りだされた石原裕次郎の歌みたいだが、「夜霧よ今夜もありがとう」という雰囲気がぴったりの銀座の裏通りであった。我が二十代の終りのおでんの味は、いまでもほのかに覚えている。(清水哲男)


January 2811997

 枯芝に置きて再びピアノ運ぶ

                           今井 聖

の情景は、家にピアノを運び入れているのか、あるいは運び出しているのか。しばし、考えた。考えているうちに、この質問は心理テストに使えるな、と思ったりした。私は「運び出している」と結論づけた。その根拠が、句の中に示されているわけじゃない。芝生のあるような大きな邸宅から、何らかの事情でピアノがなくなっていく……。枯れ芝の上に置くのは、単にピアノが重いからだけではなくて、しばし別れを惜しむという意味が含まれている。そんな没落感覚(?)が、私は好きなようである。(清水哲男)


January 2711997

 スケートの終り降る雪真直ぐなり

                           山崎秋穂

外のスケート場。レース途中から白いものがちらつきはじめ、終わって気がつくと、本格的な雪になっていた。熱戦の興奮が残る心には、激しい雪も心地よい。そんな場面だろう。句とは直接関係はないが、私は氷の張った田圃(たんぼ)の上でスケートを覚えたから、室内のリンクにはどうも抵抗を覚えてしまう。草野球とドーム野球の対比においても、また然り。いつだったか、スピード女子の花形だった高見沢初枝さんと話していたら、彼女は長野の田圃派だった。「いまの選手は恵まれ過ぎている」とも言った。(清水哲男)




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