1997ソスN1ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2711997

 スケートの終り降る雪真直ぐなり

                           山崎秋穂

外のスケート場。レース途中から白いものがちらつきはじめ、終わって気がつくと、本格的な雪になっていた。熱戦の興奮が残る心には、激しい雪も心地よい。そんな場面だろう。句とは直接関係はないが、私は氷の張った田圃(たんぼ)の上でスケートを覚えたから、室内のリンクにはどうも抵抗を覚えてしまう。草野球とドーム野球の対比においても、また然り。いつだったか、スピード女子の花形だった高見沢初枝さんと話していたら、彼女は長野の田圃派だった。「いまの選手は恵まれ過ぎている」とも言った。(清水哲男)


January 2611997

 人も子をなせり天地も雪ふれり

                           野見山朱鳥

いものの舞いはじめた夕暮れのレストランで、知り合いの若い女性に妊っていることを暗示された。急遽、結婚することにしたという。相手は私の知らない男性である。とたんにこの句を思いだし、彼女には言わなかったが、ひそやかに「おお、舞台装置も今宵は満点」と祝杯のつもりでジョッキをかかげた。もとより、この句はそのような「はしゃぎ」とは無縁のところで作られたものだ。死に近い床での自然との交感の産物である。だからこそ、逆に私は、若い彼女の出発にふさわしいと感じたのだった。妊った女性は、必然的に現実を見る目が変わる。そのときにはじめて「自然」と向き合うからだ。すなわち、みずからの身体を賭けて「自然」の意味を具体的に知るからなのである。『愁絶』所収。(清水哲男)


January 2511997

 冬旱眼鏡を置けば陽が集う

                           金子兜太

は「ひでり」。カラカラ天気。読書か書き物に少し疲れて、眼鏡を外して机上に置くと、低い冬の日差しが窓越しに眼鏡のレンズに集まってきた。暖かいのはありがたいが、そろそろ一雨ほしいところだ。そんな作者の心情だろうか。生まれつき目の良い人にとっては、わかりにくい感覚だろう。私も非常に良いほうだったので、目が不自由になってから、この句の味がようやくわかったような気がしたものだった。『金子兜太全句集』(昭和50年刊)所収。(清水哲男)




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