January 041997
味気なきたるみ俳句の御慶かな
加藤郁乎
寅さんではないが「それを言っちゃあオシマイよ」という句。御慶本来の意味は、新年にお互いに述べ合う祝辞のことだが、ここでは賀状での挨拶と読んでおく。となれば、なるほど賀状に記されてくる句は、昔から「たるみ俳句」が多い。傑作は少ない。めでたさを意識するあまりに、句づくりの姿勢までもが、ついおめでたくなってしまうからだろう。といって、ここで作者はべつに目くじらを立てているわけでもない。酔余の舌打ち。そんな程度である。これよりも郁乎新春の句に「ひめはじめ昔男に腰の物」という凄いのがある。さしあたっての私には、この句を解説する「めでたさ」の持ち合わせはないのだけれど……。『粋座』(ふらんす堂文庫)所収。(清水哲男)
January 031997
初刷の選外佳作のうまさかな
木山捷平
昭和36年12月作。この句の選外佳作は小説であろうか、俳句であろうか。恐らくは俳句であろう。入選句ではなく選外佳作の方に面白味を見付けたところが、いかにもこの作者らしい。木山捷平の俳句はヘタな中にヘタの味というべきものがあって、余人には真似のできない句となっている。この句の季語は初刷。正確には新年に印刷されたものをいうが、この場合のように新年号を含むとしても良いだろう。『木山捷平全詩集』(講談社文芸文庫)所収。(井川博年)
January 021997
年賀やめて小さくなりて籠りをり
加藤楸邨
名句とは必ずしも言えないであろう。一行が屹立する句でもない。私は夏場にこの句を読んだのだが、やけに後をひく句である。楸邨の晩年は知らない。そして、楸邨を貶めるためにこの句を引いているのではない。楸邨は現代俳句の巨人でもあり、実際の体格は知らないが、少なくとも精神的には大男であったように思える。最後まで弟子にかこまれての晩年であったような気もする。すくなくとも弟子はそうしたいと思ったであろう。いずれにしてもこの句はだれにも確実に来る老年のある風景をたんたんと影絵のように表現している。同じ句集に「二人して(たら)の芽摘みし覚えあり」(春日部・ここに赴任、ここに結婚)と亡き知世子夫人への静かな恋の句もあり、私小説的な読み方だが、泣けてくるのである。『望岳』所収。(佐々木敏光)
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