1996年12月22日の句(前日までの二句を含む)

December 22121996

 あかんべのように師走のファクシミリ

                           小沢信男

ァクシミリから出てくる情報は、たいていが仕事に関わるものである。それでなくとも追い立てられる気持ちでいるところに、追い討ちをかけるような情報が届く。読まなくても中身はほとんどわかっているのだが、家庭用の機械からのろのろと吐き出されてくるロール紙を見ていると、まるで「あかんべ」とからかわれているかのようだ。わかりますねえ、この気持ち。小沢信男は作家だが、こうした時事句は、専門俳人こそもっと数多くつくってしかるべきべきだろう。『昨日少年』所収。(清水哲男)


December 21121996

 冬至南瓜戦中戦後鮮烈に

                           小高和子

塊の世代でも、句の意味がわかるかどうか。若い人には謎に近いだろう。戦中戦後の食料難の時代に、生命力の強い南瓜は、庭はもちろん屋根の上でまで栽培され、主食同然の食べ物であった。来る日も来る日も南瓜ばかり食べていたせいで、我が家ではみんな顔が黄色くなってしまったほどだ。そんな思い出を持つ人間が、冬至の南瓜にむかえば、句のような感慨を抱くのは当然のことだろう。私もそうだが、私の世代には南瓜嫌いが多い。したがって、柚子湯は好んでも、冬至といえども南瓜など食べる気にはなれないのである。(清水哲男)


December 20121996

 横顔の記憶ぞ慥か賀状書く

                           谷口小糸

状の友が、年々増えてくる。「今年こそは会いたいもの」と書きながら、十年くらいはすぐに経ってしまう。ましてや遠い地にある幼いときの友人ともなると「うつし身の逢ふ日なからむ賀状書く」(渡辺千枝子)という心持ち。面ざしの記憶も薄れがちだが、作者にははっきりと横顔だけはよみがえってくる。その昔、正対して顔を見られなかった初恋のひとでもあろうか。年賀状を書いていると、実にいろいろな過去が顔をあらわす。「慥か」は「たしか」。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます