December 211996
冬至南瓜戦中戦後鮮烈に
小高和子
団塊の世代でも、句の意味がわかるかどうか。若い人には謎に近いだろう。戦中戦後の食料難の時代に、生命力の強い南瓜は、庭はもちろん屋根の上でまで栽培され、主食同然の食べ物であった。来る日も来る日も南瓜ばかり食べていたせいで、我が家ではみんな顔が黄色くなってしまったほどだ。そんな思い出を持つ人間が、冬至の南瓜にむかえば、句のような感慨を抱くのは当然のことだろう。私もそうだが、私の世代には南瓜嫌いが多い。したがって、柚子湯は好んでも、冬至といえども南瓜など食べる気にはなれないのである。(清水哲男)
December 201996
横顔の記憶ぞ慥か賀状書く
谷口小糸
賀状の友が、年々増えてくる。「今年こそは会いたいもの」と書きながら、十年くらいはすぐに経ってしまう。ましてや遠い地にある幼いときの友人ともなると「うつし身の逢ふ日なからむ賀状書く」(渡辺千枝子)という心持ち。面ざしの記憶も薄れがちだが、作者にははっきりと横顔だけはよみがえってくる。その昔、正対して顔を見られなかった初恋のひとでもあろうか。年賀状を書いていると、実にいろいろな過去が顔をあらわす。「慥か」は「たしか」。(清水哲男)
December 191996
隅田川見て刻待てり年わすれ
水原秋桜子
忘年会がはじまる時刻までには、まだ間がある。ひさしぶりに会場近くの隅田川を眺めながら、時間をつぶしている図。ゆったりとした川の流れが今年一年の時の流れへの思いと重なって、歳末の情感がしみじみと胸にわいてくる……。今宵は、静かな席での良い酒になりそうだ。秋桜子の代表句といってよいだろう。(清水哲男)
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