1996ソスN12ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 13121996

 クリスマスカード消印までも讀む

                           後藤夜半

半、晩年の句。外国にいる知人から届いたカードだろう。クリスマスカード自体も珍しかったころだから、感に入って、消印までを読んでしまったのだ。しかし夜半ならずとも、またクリスマスのメッセージならずとも、誰しもがたまさかの外国からの便りに接すると、消印までを読みたくなるのではなかろうか。消印の日付などから、出してくれた相手の心配りのありがたさを読み取るのである。『底紅』所収。(清水哲男)


December 12121996

 踊り子と終の電車の十二月

                           清水基吉

電車に乗っているのだから、踊り子といっても、場末のキャバレーあたりで踊っている女だろうか。一見派手な身なりだが、いかにもくたびれた風情が、十二月のあわただしさ、わびしさの暗喩のようにも見えてくる。このとき、もとより作者自身も、うらぶれた心持ちにあるのだろう。その他大勢の人々の、なにやら切ない感情を乗せて、終電車は歳末の闇の中を走りつづける……。戦後間もなくの日本映画の一場面のようだ。『宿命』所収。(清水哲男)


December 11121996

 一片のパセリ掃かるゝ暖炉かな

                           芝不器男

かあかと暖炉の燃えるレストラン。清潔を旨とするこの店では、床に落ちた一片のパセリでも、たちまちにしてさっと掃きとられてしまう。炎の赤とパセリの緑。この対比が印象的だ。至福感に溢れたこの句は、実は作者が瀕死の床でよんだもの。昭和四年(1929)の暮、病床の作者を励まそうと、横山白虹らが不器男の枕元で開いた句会での作品である。このときの作品には、他に「大舷の窓被ふある暖炉かな」「ストーブや黒奴給仕の銭ボタン」の二句。年が明けて二月二十四日、不器男は二十六歳の若さで力尽き、絶筆となった。(清水哲男)




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