December 011996
駅時計の真下にゐたり十二月
北野平八
普段であれば、そんなところにいるはずもないのに、気がついたらそんなところにいたという図。駅舎での待ち合わせだろう。何か、追い立てられるような気持ちで人を待っている。そのうちに苛々してきて、構内をうろうろしているうちに、ふと見上げると真上に大時計。知らぬ間に駅舎の真ん中に立っていたというわけだ。せわしない師走ならではの振るまいである。さりげない光景だが、この季節、誰にでも納得できそうな句。『北野平八句集』所収。(清水哲男)
November 301996
あたゝかき十一月もすみにけり
中村草田男
旧版の角川書店編『俳句歳時記』には、この句と並んで細見綾子の「峠見ゆ十一月のむなしさに」が載っている。長年親しんできた歳時記だから、毎年この時期になると、二つの句をセットで思いだすことになる。並んでいるのは偶然だが、いずれもが、十一月という中途半端で地味な月に見事な輪郭を与えていて、忘れられないのだ。忙中閑あり。……ならぬ、年の瀬をひかえて「忙前閑あり」といえば当たり前だが、両句ともそんな当たり前をすらりと表現していて、しかもよい味を出している。ただ草田男句の場合は、どちらかといえば玄人受けのする作品かもしれない。(清水哲男)
November 291996
白鳥は悲しからんに黒鳥も
高屋窓秋
季語は白鳥。もとより若山牧水の「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」のパロディ。作者は明治34年生まれ。戦前の新興俳句運動の旗手として「山鳩よみればまはりに雪がふる」等の名作を書いている。「馬酔木」「天狼」を経て、平成の世になってから孫ほども年の違う若い世代の集う前衛誌「未定」の同人となる。この句を見てもまったく年を感じさせない。永遠の青年である。平成8年作。「未定」(68号)所載。(井川博年)
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