森賀まりの句

November 28111996

 母が家の布団の重き朴落葉

                           森賀まり

さしぶりの実家。おふくろの味など、実家を感じる要素にはいろいろとあるが、夜やすむときの布団の重さもそのひとつだ。まだ隙間風が入ってきた時代にこしらえた布団だから、分厚くて重いのである。遅寝して目覚めると、よい天気。早速、その重い布団を干そうと庭に出てみれば、大きな朴の落葉が何枚も……。布団と朴落葉のイメージは、質感も含めてどこかで類似しており、いま実家にあることの不思議な幸福感に、作者は満足しているようだ。この人の感性は鋭く、しかし表現は実に柔らかい。『ねむる手』所収。(清水哲男)


October 13102009

 月入るや人を探しに行くやうに

                           森賀まり

陽がはっきりした明るさを伴って日没するのと違い、月の退場は実にあいまいである。日の出とともに月は地平線に消えているものとばかり思っていた時期もあり、昼間青空に半分身を透かせるようにして浮かぶ白い月を理解するまで相当頭を悩ませた。月の出時間というものをあらためて見てみると毎日50分ずつ遅れており、またまったく出ない日もあったりで、律儀な日の出と比べずいぶん気ままにも思えてくる。実際、太陽は月の400倍も大きく、400倍も遠いところにあるのだから、同じ天体にあるものとしてひとまとめに見てしまうこと自体乱暴な話しなのだが、どうしても昼は太陽、夜は月、というような存在で比較してしまう。太陽が次の出番を待つ国へと堅実に働きに行っている留守を、月が勤めているわけではない。月はもっと自由に地球と関係を持っているのだ。本日の月の入りは午後2時。輝きを控えた月が、そっと誰かを追うように地平線に消えていく。〈道の先夜になりゆく落葉かな〉〈思うより深くて春のにはたづみ〉『瞬く』(2009)所収。(土肥あき子)


September 0292011

 籾殻のけぶり冷たき人のそば

                           森賀まり

ぶりは名詞煙。または動詞煙るの連用形。僕は前者のように思う。けぶりが冷たいのではない。けぶりではっきりと切る。冷たきはこころの問題ではなく体の冷えだろう。そうでないと嫌な人に添っていることになる。籾殻も冷えも季感をあらわすがそんなことは問題ではない。体が冷えてしまった人のそばにいてその人の冷えを感じている。籾殻を焼く煙が二人を包んでいる。淋しい句だがこころが熱くなる句だ。『ねむる手』(1996)所収。(今井 聖)




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