1996N1127句(前日までの二句を含む)

November 27111996

 河豚刺身何しんみりとさすものぞ

                           中村汀女

豚(ふぐ)は、足を運んで外に食べにいく魚である。高価だから、決心して食べにいく魚でもある。だから、いよいよ河豚の皿を前にしたときの気持ちは、普段とは違っていささか高ぶっている。人間には妙なところがあって、こういうときにはただ喜々としていればよいものを、逆に何だかしんみりとしてしまったりする。そんな理由は、とりあえず何もないというのに……。どうしてなのか……。庶民ならではの哀感。でも、こういう人を、私は好きですね。それにしても、ここ何年かの私は、河豚刺身なんぞは食べたことがない。この冬には、一大決心をせねばなるまい。(清水哲男)


November 26111996

 ふろふき味噌へ指で字をかく馬喰宿

                           奥山甲子男

理屋などの膳の上に、ちょこんと乗っている上品な「風呂吹き大根」ではない。太い大根をザクリザクリと輪切りにして茹で、無造作に大皿に盛って客に出す。したがって、たれ味噌もたっぷりだ。話の途中で、紙と鉛筆なんて面倒臭いから、目の前の皿の味噌に字を書いて何かを説明しているという構図。馬を扱う荒くれ男たちの表情までが浮かんでくる、野趣あふれる作品である。(清水哲男)


November 25111996

 鶴の宿一人の膳を子が覗く

                           大串 章

が飛来することで有名な土地の、小さな旅館の夕膳である。宿の子にとっては、客に出されるご馳走が羨ましい。使用人などいないから、膳を運ぶ母親について部屋に入り、「いいなあ」とつい覗きこむのだ。私もかつて秋田の角館の宿屋で、同じ体験をしたことがある。あそこは、桜の名所であった。何の名所であれ、一人きりの泊りはわびしい。たまの客を迎えた宿屋の子も、それなりにわびしい気持ちなのだろう。この句がよまれた土地は、山口県熊毛郡熊毛町八代。ナベヅルの里。山口育ちのくせに、私はこの地をまったく知らない。『百鳥』所収。(清水哲男)




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