1996N1121句(前日までの二句を含む)

November 21111996

 比良初雪碁盤を窓に重ねる店

                           竹中 宏

良は、琵琶湖の西岸を南北に走る地塁山地。近江八景の比良の暮雪は名高い。商売になっているのか、なっていないのか。いつもひっそりとしている店が、初雪のなかで一層静かに小さく感じられる。窓越しに見える積み上げられた商売物が、この小さな町で生きてきた店の主人の吐息を伝えているようだ。どこか田中冬二の詩情に通うところのある世界である。作者は私の京大時代の後輩にあたるが、名前と作品は彼が高校生だったころから知っていた。すなわち、彼は十代にして「萬緑」投稿者の優等生だったということ。一度だけいっしょに中村草田男に会ったことがある。二人とも詰襟姿で、ひどく緊張したことを覚えている。俳誌「翔臨」(竹中宏主宰)26号所載。(清水哲男)


November 20111996

 憂鬱の樽を積んでは泣き上戸

                           仁平 勝

代の泣き上戸に出会ったのは、まだ酒を覚えたての大学時代だった。後に詩人となる学友の佃學(94年没)がその人で、何が哀しいのか、彼は飲みながら実によく泣いた。次から次へと涙が溢れてきて、止らないのである。彼が泣きはじめると、テーブルの上はすぐに水浸しになった。それを、ゴシゴシと布巾で拭きながら、なおも泣きつづけるのだから、壮絶である。佃はいったい、「憂鬱の樽」をいくつくらい所持していたのだろうか。あまりの泣きっぷりに、そっとその場を外そうとすると、彼はいちはやく察知して「逃げるな」とわめき、またまた新しい「樽」を思いきりひっくり返すのであった。『東京物語』所収。(清水哲男)


November 19111996

 木枯や二十四文の遊女小屋

                           小林一茶

井蒼風著『俳諧寺一茶の芸術』に、こうある。「江戸時代、もっとも下等な遊女小屋である。一茶もまた貧苦。孤情の鴉で、木枯の夜、二十四文の遊女小屋に、冬の夜の哀れを味わったのかも知れない。木枯、二十四文の語が、とくに侘びしい場末の淪落の女を感じさせて、一人に哀れである」。荒涼たる性。その果てのさらなる荒涼たる心象風景。文政十年(1827)十一月十九日、小林一茶没。この人は農家に生まれながら、ついに生産的な農耕の仕事とは無縁であった。享年六十五歳。翌年四月、後妻やを女の娘やた誕生。(清水哲男)




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