1996N1120句(前日までの二句を含む)

November 20111996

 憂鬱の樽を積んでは泣き上戸

                           仁平 勝

代の泣き上戸に出会ったのは、まだ酒を覚えたての大学時代だった。後に詩人となる学友の佃學(94年没)がその人で、何が哀しいのか、彼は飲みながら実によく泣いた。次から次へと涙が溢れてきて、止らないのである。彼が泣きはじめると、テーブルの上はすぐに水浸しになった。それを、ゴシゴシと布巾で拭きながら、なおも泣きつづけるのだから、壮絶である。佃はいったい、「憂鬱の樽」をいくつくらい所持していたのだろうか。あまりの泣きっぷりに、そっとその場を外そうとすると、彼はいちはやく察知して「逃げるな」とわめき、またまた新しい「樽」を思いきりひっくり返すのであった。『東京物語』所収。(清水哲男)


November 19111996

 木枯や二十四文の遊女小屋

                           小林一茶

井蒼風著『俳諧寺一茶の芸術』に、こうある。「江戸時代、もっとも下等な遊女小屋である。一茶もまた貧苦。孤情の鴉で、木枯の夜、二十四文の遊女小屋に、冬の夜の哀れを味わったのかも知れない。木枯、二十四文の語が、とくに侘びしい場末の淪落の女を感じさせて、一人に哀れである」。荒涼たる性。その果てのさらなる荒涼たる心象風景。文政十年(1827)十一月十九日、小林一茶没。この人は農家に生まれながら、ついに生産的な農耕の仕事とは無縁であった。享年六十五歳。翌年四月、後妻やを女の娘やた誕生。(清水哲男)


November 18111996

 牛鍋はすぐ出る料理さつと食ふ

                           児玉忠志

会だったら、まずは一点も入らない句。「小学生よりもヘボだ」などと笑われるのがオチだろう。でも、結構ヘンなおかし味があって、忘れられない作品だ。定食屋か何かの安い牛鍋である。古びた凸凹の小さな鍋ですぐに出てくる。そいつを「さっと食っちまう」のだ。いつまでもモタモタ箸を運んだりしていると、だんだんわびしさが募ってきて、どうもいけない。牛鍋には、たしかにそういうところがある。(清水哲男)




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