November 141996
暖炉昏し壷の椿を投げ入れよ
三橋鷹女
暖炉とは縁がないままに来た。これから先もそうだろう。ホテルなどの暖炉も、いまは装飾用に切ってあるだけだ。だから、句意はわかるような気がするけれど、実感的には知らない世界だ。ちょっと謡曲の「鉢の木」を思いださせる句でもある。そんななかで、私の知っている唯一のちゃんとした暖炉は、安岡章太郎邸の客間のそれだ。燃えていると、ほろほろと実に暖かい。豪勢な気分になる。「最近は、薪がなくてねえ…」。何年かぶりに仕事で訪れた私に、作家はふんだんに火のご馳走をしてくださった。今夜あたりも、あの暖炉はあかあかと、そしてほろほろと燃えていることだろう。(清水哲男)
November 131996
銀杏散るまつたヾ中に法科あり
山口青邨
舞台は東大の銀杏並木。ラジオでこの句を紹介したことがあって、聞いていた友人の松本哉が「ほうか」の音を「放歌」と理解して大いに共感したのだった。ところが後に「法科」だと知り、「なあんだ、つまらない」ということになった。このことは、もはや絶版の彼との共著『今朝の一句』(河出書房新社・1989)で、口惜しそうに当人が書いている。絵葉書的にはかっちりとよくできてはいるが、「東京帝国大学万歳」のエリート意識を嫌だと思う人には、たしかに嫌な感じだろう。ラジオで話すのも大変だが、散る場所によっては銀杏もなかなか大変である。(清水哲男)
November 121996
一樹のみ黄落できず苦しめり
穴井 太
黄落(こうらく)を、このようなアングルからとらえた句も珍しい。なるほど、普通のことを遅滞なくできない樹は、さぞや苦しいことだろう。人生の場に移して思えば、思い当たることはたくさんある。動植物を人間になぞらえる手法に、私は冷淡なほうだが、ここではなぞらえることのほうが、むしろ自然に感じられてしまう。この句を知ってしまったからには、誰だって落葉を見る目は変わるはずである。『原郷樹林』所収。(清水哲男)
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