季語が黄落の句

November 12111996

 一樹のみ黄落できず苦しめり

                           穴井 太

落(こうらく)を、このようなアングルからとらえた句も珍しい。なるほど、普通のことを遅滞なくできない樹は、さぞや苦しいことだろう。人生の場に移して思えば、思い当たることはたくさんある。動植物を人間になぞらえる手法に、私は冷淡なほうだが、ここではなぞらえることのほうが、むしろ自然に感じられてしまう。この句を知ってしまったからには、誰だって落葉を見る目は変わるはずである。『原郷樹林』所収。(清水哲男)


November 16111997

 黄落やジーンズ家族に空の青

                           藤田直子

ながら、この季節の家庭雑誌の表紙絵のようだ。晴れた日の昼下がり、ジーンズ姿の一家四人(とは書いてないけど)が黄落する山道か公園を歩いている。真青な空を背景に、黄色い木の葉がときおり舞い落ちてくる。おだやかな小春日の、なんでもない一齣だが、この種の記憶は案外いつまでも残るものなのだ。ひょっとすると「黄落」は「行楽」にかけられているのかもしれない。そう読むと、ちょっと怖い。この一家のささやかな幸福感も、やがては枯れて散りはててしまうことを、作者が予感していることになるからだ。でも、たぶんこれは深読みだろう。字面通りに素直に受け取っておくほうが楽しいし、精神衛生的にもよろしいと思う。余談だが、一年中ジーンズで通している私には、俳句にジーンズが出てくるだけで、単純に嬉しくなってしまうところがある。『極楽鳥花』(1997)所収。(清水哲男)


November 30111997

 黄落をあび黒猫もまた去れり

                           中嶋秀子

葉の黄色と猫の黒色を対比させた絵画的な作品だ。ここで落葉はほとんど金色であり、猫もビロードのような見事な黒色でなければならない。薄汚れた野良猫の類ではない。猫を詠んだ句は多いが、このように貴族的な感じのする猫が登場する句は稀である。実景なのか、幻想なのか。もはや黒猫が舞台から去ってしまった以上、それはどちらでもよいことで、残された作者は自然の描いた巧まざる傑作を胸に抱いて、またこの場を離れていくのである。中身は違っても、こういう種類の記憶の一つや二つは、誰にでもあるだろう。俳句という装置は、そのような曰く言い難い光景を取り込むのにも適している。『花響』(1974)所収。(清水哲男)


November 03112000

 黄落の我に減塩醤油かな

                           波多野爽波

嘲というよりも、戸惑いの苦笑に近い句。作句年齢は、還暦前後と推定される。比喩的に言えば、まさに人生の黄落(こうらく)期にさしかかってくる年齢での句だ。「我に」と言うのだから、「我」以外の家族は「減塩醤油」ではないわけだ。おそらくは、妻か嫁さんの特別な気遣いから出された「減塩醤油」なのである。その気遣いを、どう受け止めればよいのか。作者は「減塩醤油」の小瓶を「ほお」とひねくりまわしながら、複雑な心境にある。健康を気づかってくれるのはありがたいが、塩味を抜いた醤油の美味かろうはずもない。といって「普通の醤油でいいよ」と言えば角が立つ。さても、哀れなことになっちまったな。そういう句である。この句を読んで思い出したのは、学生時代に遊びに行くと、祖母が必ずこぼしていた言葉。「あの人たち(息子夫婦)は美味しいものを食べて、私には食べさせてくれない」。嫁さんに取材してみたら「お年寄りには毒ですさかいに……」。この行き違いが、掲句のモチーフに含まれているだろう。還暦を超えた私には、ようやく実感的に句意が響いてくる。で、ここからは私の願望と意見。年寄りには、好きなものを食わせよ。ついでに、禁酒禁煙などもとんでもない。小津映画でお馴染の俳優・中村伸郎さんは大の煙草好きだった。が、晩年は「健康」のためにと、医者からも周囲からも厳しく喫煙を禁じられた。当人が死ぬ苦しみで煙草を我慢しているうちに、本当に死んでしまった。通夜の席で誰言うとなく、みんなで煙草を吸って線香代わりに霊前に捧げたのだという。そんなアホな。中村さんにちらりと面識のあった私としては、大いに義憤を感じましたね。『骰子』(1986)所収。(清水哲男)


November 26112000

 黄落や或る悲しみの受話器置く

                           平畑静塔

落(こうらく)は、イチョウやケヤキなどの木の葉が黄色に染まって落ちること。対するに、「紅葉かつ散る」という長い秋の季語がある。こちらは、紅葉したままの木の葉が落ちることだ。「照紅葉且つ散る岩根みづきけり」(西島麦南)。掲句のポイントは「或る悲しみ」の「或る」だろう。「或る」と口ごもっているのだから、「悲しみ」の中身は、たとえば肉親や親しい人の訃報のように、作者の胸に直接ひびいたものではあるまい。受話器の向こうの人の「悲しみ」なのだ。それを、向こうの人は作者に訴えてきたのだと思う。内容は、聞くほどに切なくなるもので、同情はするのだが、さりとてどのようにも力にはなってあげられそうもないもどかしさ。折しも、窓外の黄落はしきりである。聞いているうちに、降り注ぐ黄色い光りのなかに立っているような哀切で抽象的な感覚に襲われ、その気分のままに受話器を置いた。置いてもなお、気持ちはしばらく現実に戻らない。ここで多分、作者は「ほおっ」と大きなため息をついただろう。黄葉であれ紅葉であれ、木の葉のしきりに散る様子は人を酔わせるところがある。「或る悲しみ」の「或る」は、そんな気分に照応していて、よく利いている。『新俳句歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


October 22102001

 黄落のひかり突切る高校生

                           廣瀬直人

く晴れた日の通学路。黄色く色づいた銀杏の葉が、日差しを受けてきらきらと舞いながら落ちてくる。その「ひかり」を自転車通学の高校生たちが、勢いよく「突切」っていく。「ひかり突切る」で、句の焦点が見事に定まった。「突切る」高校生には、「黄落(こうらく)」の情趣など関係はない。そういうことには、一切無頓着である。彼らにとっては、ただ爽やかな「ひかり」でしかない。それが若さだ。一瞬、そんな姿に作者は見ほれてしまった。歌われているのは、若さへの賛歌である。ある程度の年齢になると、こういう感じ方は誰にでも起きるのではなかろうか。私に若さが多少ともあったころには、他人の若さなんて、ひたすらに猥雑で生臭く騒々しいばかりで、むしろ遠ざけたい対象だった。それがいつの間にか、ただ若いというだけの存在を許容しはじめ、果ては見ほれるようなことにもなってきた。しかし人間は皮肉にできていて、そのただ中にあるときには、おのれの若さには気がつかない。何も感じない。句の「高校生」にしても、むろん同じ感覚だろう。あくまでも気持ちのよい句なのだが、そんなことも同時に思われて、ちょっとセンチメンタルな気分にもさせられてしまった。『日の鳥』(1975)所収。(清水哲男)


December 02122002

 黄落や大工六人の宇宙

                           河原珠美

語は「黄落(こうらく)」で秋。しかし、ただいま現在、我が家に近くの銀杏の落葉しきりなり。たまに拾ってきて、本の栞に使う。さて、掲句は黄落のなか、家の新築が進んでいる様子を詠んでいる。よく晴れた日だ。高いところには大工が六人いて、黙々と仕事をしている。そして、彼らよりもさらに高いところから、金色の葉がはらはらと舞い落ちている。青空を背景に、真新しい木の枠組みと、そこで働く大工たちの姿は、なるほど一つの「宇宙」を形成している。何度か見かけたことのある情景で、たいていはすぐに忘れてしまうのだけれど、こうして「宇宙」と断言されることにより、いつかどこかで見た記憶が鮮かに蘇ってくる(ような気がする)。そのときには、決して「宇宙」と認識して見たわけではないのだが、潜在的にはぼんやりとでも「宇宙」ととらえていたのだろう。そして、この「宇宙」にリアリティを与えているのは「黄落」でもなければ「大工」でもない。「六人」である。実際に六人だったかどうかは、関係がない。仮に「七人」だとか「五人」だとかに入れ替えてみれば、実に六人が絶妙な数であることがわかる。「七人」では無理に「宇宙」をこしらえているようだし、「五人」では「ホントに五人だったのです」と力が入っている感じを受けてしまう。奇数と偶数のニュアンスの差だ。でも、これが「四人」や「二人」となると大工のいる高い位置と広いスペースが確保されないので、「宇宙」と呼ぶには狭すぎる。やはり「六人」しかないでしょうね。『どうぶつビスケット』(2002)所収。(清水哲男)


November 23112004

 黄落や寮歌でおくる葬あり

                           大森 藍

語は「黄落(こうらく)」で秋。銀杏などの葉が黄ばんで落ちること。東京辺りではこれからだが、もうはじまっている地方もあるだろう。黄落がはじまると、いよいよ寒くなってくる。作者は葬儀に列席したのか、あるいは偶然に見かけたのだろうか。いずれにしても、ありそうでいて、なかなかな無い「葬」(「とむらい」と読むのかしらん)風景ではある。故人は、おそらくかつての旧制高校で青春期をおくった人なのだ。当時の寮の仲間数人が参列していて、出棺のときに誰かひとりが歌いだすと、あとの何人かも唱和して歌いだした。若い作者にははじめて聞く歌なのだが、歌う高齢の男たちの様子から彼らの遠い青春時代が思われて、心がしいんとなった。帰らざる青春……。そんな言葉も、胸をよぎる。折りから、黄色くなった木々の葉もほろほろと柩に降りかかっている。人は必ず死ぬ。そんな思いをあらためて確認するのは、こういうときだろう。寮歌といえば、私は学友であり詩友であった佃学から叩き込まれた。彼が若くして死んだときに、私は声にこそ出せなかったけれど、通夜の席の胸の内で歌ったことを思い出す。彼が愛していた五高寮歌だ。「武夫原頭(ぶふげんとう)に草萌えて/花の香(か)甘く夢に入り/竜田の山に秋逝いて/雁が音遠き月影に/高く聳ゆる三寮の歴史やうつる十余年」と、この世界は詩人・佃学の初期の抒情詩にとてもよく似ている。『遠くに馬』(2004)所収。(清水哲男)




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