1996N112句(前日までの二句を含む)

November 02111996

 奉公にある子を思ふ寝酒かな

                           増田龍雨

い句とは、お世辞にも言い難い。しかし、子規や虚子の句の隣りにおいても、この句はきちんと立つはずである。そこが、俳句という器の大きさであり、マジカルなところでもある。多くの子供たちが、ごく当たり前のように働いていた時代。それは大昔から、ねじめ正一の『高円寺純情商店街』の頃までつづいてきた。奉公に出した子供を思う、寒い夜の親心の哀切。上手ではないからといって、作者を笑うわけにはいかないではないか。これが俳句であり、これぞ俳句なのだ。「事実の重さ」が、いまなお俳句という文芸の大黒柱なのである。昨今の俳界で、テレビを見て作句する姿勢が顰蹙をかっているのも、むべなるかな。なお、上掲の句は「俳句文芸」に連載中の西村和子「子育て春秋・第42回」(96年11月号)で紹介されていたもの。毎号、この連載は愛読している。(清水哲男)


November 01111996

 少女の素足路地へすつ飛ぶ十一月

                           能村登四郎

れぞれの月には、それぞれのイメージがある。たとえば北村太郎の詩に「五月はみがかれた緑の耳飾り」という有名なフレーズがあるように……。ただ、十二カ月のなかでも、イメージのわきやすい月とそうでない月とがあって、十一月などはわきにくい月のトップ・クラスではなかろうか。したがって、佳句も少ない。そんななかで、私が好きな句はこれである。元気のいい女の子になかば見惚れている作者の人生暦もまた、はや十一月というところに妙味がある。(清水哲男)


October 31101996

 竜胆は若き日のわが挫折の色

                           田川飛旅子

胆(りんどう)は、さながら「秋の精」のように美しい。吸い込まれるような花の色だ。しかし、その色を「挫折の色」とする人もいる。花の色が美しいだけに、傷の深かったことが想像されて、いたましい。挫折の中身はもちろん不明だが、失恋などではなくて、むしろ青春期の思想的ないしは政治的な挫折だと私は読んでおく。「挫折」という言葉を俳句で使った人を、他に知らない。ところで、あなたにかつて挫折の時があったとすれば、その「挫折の色」はどんな色でしょうか。(清水哲男)




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