1996ソスN10ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 31101996

 竜胆は若き日のわが挫折の色

                           田川飛旅子

胆(りんどう)は、さながら「秋の精」のように美しい。吸い込まれるような花の色だ。しかし、その色を「挫折の色」とする人もいる。花の色が美しいだけに、傷の深かったことが想像されて、いたましい。挫折の中身はもちろん不明だが、失恋などではなくて、むしろ青春期の思想的ないしは政治的な挫折だと私は読んでおく。「挫折」という言葉を俳句で使った人を、他に知らない。ところで、あなたにかつて挫折の時があったとすれば、その「挫折の色」はどんな色でしょうか。(清水哲男)


October 30101996

 紅葉せり何もなき地の一樹にて

                           平畑静塔

化の日を中心にした今度の連休には、紅葉の名所にたくさんの人たちが繰り出すことだろう。それはそれで結構なことではあるが、名所の紅葉だけが紅葉ではない。たまにはこの句のような一樹にも、目をむけたいものだ。ところで、私が生まれてはじめて見た(!)本物の俳人は、静塔だったと記憶している。それこそ嵐山の紅葉の頃、京大の教室で行なわれた講演を聞きに行って、見た(!)のである。もう三十年以上も前の話。講演の中身はおろか、タイトルすらも忘れてしまった。(清水哲男)


October 29101996

 コスモスや今日殺される犬の声

                           國井克彦

常の不安の象徴的表現。そう読んでもよいのだが、これは実景である。場所は、韓国。昔、我が国の農家が飼い鶏を潰して客にご馳走したように、あちらでは食用の犬を潰して食卓に乗せるのが、最高のもてなしだった。この初秋、作者の訪れた家ではその風習が生きていて、到着するや「ご馳走しましょう」ということになった。コスモスの咲き乱れる庭の犬舎では「殺されるための」数頭の犬が鳴いている。夕食の犬料理は美味だったそうだが、帰国した今でも、そのときの犬の声が耳について離れないという。國井克彦は詩人。(清水哲男)




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