1996ソスN10ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 25101996

 牡蛎の酢に噎せてうなじのうつくしき

                           鷹羽狩行

行には、女性をうたった句が多い。『女人抄』(ふらんす堂文庫)というアンソロジーがあるくらいだ。この句、異性とともにあるときの男の視線の動きを如実に伝えていて、面白い。相手が男だったら、このような視線の動きはありえないだろう。ある人が「狩行は現代の談林派だ」といったが、的を得ている。大衆性があるという意味だ。小説家でいえば、最近では『失楽園』で話題の渡辺淳一に共通する資質を持っていると思う。たまさか甘すぎて、私などには気恥ずかしく感じられる句もある人だ。が、現代俳句にとっては、それもまた貴重な試みだと受け取っておきたい。『七草』所収。(清水哲男)


October 24101996

 清水を祇園へ下る菊の雨

                           田中冬二

の句は、もちろん与謝野晶子の有名な歌を意識している。というよりも、対抗しているというべきか。「桜月夜」に対して「菊の雨」。「春」対「秋」。しかし、勝敗の帰趨は明らかで、冬二の完敗である。情感のふくらみで劣っている。田中冬二は『青い夜道』『海の見える石段』などの著書を持つ著名な抒情詩人だが、俳句もよくした。例外はあるとしても、どうも詩人の句には貧弱なものが多い。冬二ほどの凄い詩人でも、この始末。悪い句ではないけれど、イメージ的に何か物足らないのである。天は二物を与えないということだろうか。『若葉雨』所収。(清水哲男)


October 23101996

 秋風や鼠のこかす杖の音

                           稲津祇空

者は江戸期大阪の人。談林系から蕉門へ近づき、江戸に出て基角に師事した。「こかす」は、今でも方言として生きている地方もあるが、「たおす、ひっくりかえす」の意。私が子供だったころにも、寒い日の夜ともなれば、鼠どもが天井裏などを走り回っていた。人間が寝てしまうと、土間にも出没して、こういうこともやらかしてくれる。杖の倒れた音に作者は一瞬驚くのだが、いたずらをした犯人もまた一瞬にして見当がつく。耳をすますと、表ではひゅうひゅうと風の吹き渡る音。心ぼそい秋の夜、いたずら鼠にむしろ親愛の情すら感じてしまう。淋しかったでしょうね、大昔の秋の夜は。(清水哲男)




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