1996ソスN10ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 11101996

 掌の中に持ちゆく気なき木の実かな

                           北野平八

は「て」と読ませる。作者は、このときひとりではない。女性といっしよに公園か林の道を歩いている。会話も途切れがちで、ぎくしゃくとした雰囲気の中、落ちていた木の実を拾ってはみたものの、その場をとりつくろうためだけの行為であった。どうして俺はこうなんだろうか。……と、実は作者の意図は他にあったのかもしれないが、私としては、こんな具合に読んでしまった。若いころの思い出に、ちょっとだけ似たシーンがあったものですから。『北野平八句集』所収。(清水哲男)


October 10101996

 秋晴の運動会をしてゐるよ

                           富安風生

書に「北海道を縦断して、一日汽車に乗り通す」とある。子供みたいな句ですが、面白いですね。俳句は、短歌でも現代詩でもない。こうした句を読むと、つくづくこの世界の懐の深さが思われます。パソコンなんて捨てちゃって、それこそ秋晴れの下、一日中汽車に乗り通してみたくなってくる。窓際には、冷たい缶ビールと上等な乾き物を少々。こんなふうに思わせるところが、俳句の力だというべきでしょう。(清水哲男)


October 09101996

 すっぽりカーテン女子寮は青無花果

                           小堤郁代

住んでいた集合住宅の裏手に、某女子短大の寮があった。夕暮れ過ぎともなると、いっせいにカーテンが引かれて、まさに青い無花果(いちじく)の観。住人も、みんなまだ青い果実。のぞくつもりじゃないけれど、帰宅のたびにいやでも目に入った。寮全体がじいっと息を詰めて何かを警戒しているような雰囲気は、かえって不気味に思えたものだ。あのころ毎夜きちんとカーテンを引いていた乙女らは、いま、花も実もある人生を生きているだろうか。(清水哲男)




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