1996ソスN10ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 02101996

 秋の日の老齢ねむりつづけたり

                           平井照敏

新作。「槙」(1996年8月号)所載。涼しくなって実に良く眠れることよ、特に老人は……。しかし、眠りつづけられると少し不気味。同じ号に「病人と老人の町秋ふかむ」あり。とすればこれは病院の句? 最近の映画にも『眠る男』というのがあった。(井川博年)


October 01101996

 ヒト科ヒトふと鶏頭の脇に立つ

                           摂津幸彦

モサピエンスかホモルーデンスか。鶏頭の十四、五本を数えなくとも、ただその脇に立つだけでいい。するとどうだろう。言葉のハ行とカ行とタ行の音がおのずと遊びはじめる。巧まぬ何気なさ。ぼーっとつっ立っているのは誰。『鹿々集』(1996)所収。(八木幹夫)


September 3091996

 鶏頭の十四五本もありぬべし

                           正岡子規

学の教室で習った。明治三十三年の作。教師は「名句」だといったが、私にはどこがよい句なのか、さっぱりわからなかった。しかし、年令を重ねるにつれて、だんだん親しみがわいてきた。この季節になると、ふと思いだす句のひとつである。作家にして歌人の長塚節がこの句を称揚し、子規の弟子である虚子が生涯この作品を黙殺しつづけたのは有名な話だ。この件について山本健吉は、意識下で師をライバル視せざるをえなかった「表面は静謐の極みのような」虚子の「内面に渦巻く激しい修羅の苦患であった」と書いている。その虚子の鶏頭の句。「鶏頭のうしろまでよく掃かれたり」。なんとなく両者の鶏頭への思いが似ていると感じるのは、私だけでしょうか。(清水哲男)




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