1996年9月10日の句(前日までの二句を含む)

September 1091996

 案山子たつれば群雀空にしづまらず

                           飯田蛇笏

っくき雀どもよ、来るなら来てみろ。ほとんど自分が案山子(かかし)になりきって、はったと天をにらんでいる図。まことに恰好がよろしい。風格がある。農家の子供だったので、私にも作者の気持ちはよくわかる。一方、清崎敏郎に「頼りなくあれど頼りの案山子かな」(『系譜』所収)という句がある。ここで蛇笏と敏郎は、ほぼ同じシチュエーションをうたっている。されど、この落差。才能の差ではない。俳句もまた人生の演出の場と捉えれば、その方法の差でしかないだろう。どちらが好ましいか。それは、読者が自らの人生に照らして決めることだ。『山盧集』所収。(清水哲男)


September 0991996

 菊を詰め箱詰めにしたい女あり

                           田中久美子

意の句は珍しい。だから、女はコワい。と、思っては、実はいけない。……のではないか。何度か読んでいるうちに、どこかで笑えてくる。奇妙な味。本質はユーモアだ。作者は俳人ではなくて、詩人。宮下和子と二人で同人誌「飴玉」を出している。いつだったか、一緒にビールを飲んだことがあるが、秋風のように繊細にして才気あふれる女性であった。『む印俳句』所収。(清水哲男)


September 0891996

 思ひ寝と言ふほどでなし秋しぐれ

                           中村苑子

ひ寝。「恋しい人を思いながら寝ること」(大辞林)。それほどではないけれど、好ましい誰かをふと思いうかべながら眠りにつく。いつか雨の音が聞こえている。しぐれ(時雨)は冬の季語だが、ここは秋のしぐれ。(辻征夫)




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