1996ソスN9ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0691996

 表紙絵の明治の女秋の声

                           杉本 寛

ずもって、字面がきれい。漢字の間に配された「の」が、見事に利いている。日本語ならではの美しさだ。翻訳不能。こういうところを、俳句作家はもっと大切にすべきだろう。句意は涼しいほどに明瞭だが、これまた翻訳不能。訳したとしても間抜けとなる。ところで、誰にとっても「母」の世代を四季のどれかになぞらえるとすれば、「秋」となるだろう。大正生まれの作者は、表紙絵の明治美人に、どこかで若き日の「母」も感じているのではあるまいか。だから「秋の声」なのである。もちろん、この句をそのまま素直に受け取っておいてもよいのだが、読んでいるうちに、だんだんそんな気がしてきた。『杉本寛集』(自註現代俳句シリーズ・俳人協会)所収。(清水哲男)


September 0591996

 九月の教室蝉がじーんと別れにくる

                           穴井 太

き中学教師だったころの作品。そういえば、そうでしたね。この季節、遅生まれ(?)の油蝉なんかが、校庭の樹にいきなりやってきて鳴いていました。蝉しぐれの時も終っているだけに、その一匹の声が、ヤケに声高に聞こえたものです。懐しくも切なく感じられる一句です。私は学校が嫌いでしたが、やはり学校はみんなが通った共通の場。この句を読むと、それぞれにそれぞれの郷愁をかきたてられるのではないでしょうか。字余りは作者得意の技法ともいえ、これを指して「武骨に澄んでいる」と評した城門次人の言は的確です。『鶏と鳩と夕焼と』所収。(清水哲男)


September 0491996

 大阪はこのへん柳散るところ

                           後藤夜半

句もいいけれど、技巧的に優れた作品ばかり読んでいると、だんだん疲れてくる。飽きてしまう。そのようなときに、夜半はいい。ホッとさせられる。夜半は、生涯「都会の人」ではなく「町の人」(日野草城)だったから、一時期をのぞいて、ごちゃごちゃしんきくさいことを言うことを嫌った。芸術家ではなく、芸人だった。生まれた大阪の土地や文化をこよなく愛した。自筆の短冊を写真で見たことがあるが、いまどきの女の子の丸字の先駆けのようにも思える。ちっとも偉そうな字ではないのである。昭和51年初秋、柳の散り初めるころに没。享年81歳。『底紅』所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます