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September 0591996

 九月の教室蝉がじーんと別れにくる

                           穴井 太

き中学教師だったころの作品。そういえば、そうでしたね。この季節、遅生まれ(?)の油蝉なんかが、校庭の樹にいきなりやってきて鳴いていました。蝉しぐれの時も終っているだけに、その一匹の声が、ヤケに声高に聞こえたものです。懐しくも切なく感じられる一句です。私は学校が嫌いでしたが、やはり学校はみんなが通った共通の場。この句を読むと、それぞれにそれぞれの郷愁をかきたてられるのではないでしょうか。字余りは作者得意の技法ともいえ、これを指して「武骨に澄んでいる」と評した城門次人の言は的確です。『鶏と鳩と夕焼と』所収。(清水哲男)


September 0191999

 九月来箸をつかんでまた生きる

                           橋本多佳子

佳子は生来の病弱で、とくに夏の暑さには弱かったという。したがって、秋到来の九月は待ちかねた月であった。涼しくなれば、食欲もわいてくる。「さあ、また元気に生きぬくぞ」の気概に溢れた句だ。それにしても「箸をつかんで」は、女性の表現としては荒々しい。気性の激しさが、飛んで出ている。なにしろこの人には、有名な「雪はげし抱かれて息のつまりしこと」がある。この句を得たのは五十一歳。「箸をつかんで」くらいは、へっちゃらだったろう。しかも、この荒々しさには少しも嫌みがなく、読者もまた作者とともに、九月が来たことに嬉しさを覚えてしまうのである。九月来の句には感傷に流れるものが多いなかで、この句は断然異彩を放っている。ちなみに、若き日の多佳子は、これまた感情の起伏の激しかった杉田久女に俳句の手ほどきを受けている。「橋本多佳子さんは、男の道を歩く稀な女流作家の一人」と言ったのは、山口誓子である。(清水哲男)


September 0192000

 九月はじまる無礼なる電話より

                           伊藤白潮

あ、今日から九月。学校もはじまり、人々の生活も普段の落ち着きを取り戻す。気分一新。さわやかにスタートといきたかったのに、受話器を取ったら、まことに不愉快な電話だった。張り切ろうとした出鼻をくじかれた。プンプン怒っている作者の姿が、目に浮かぶ。同情はするけれど、なんとなく滑稽でもある。伊藤白潮は、このような人事の機微を詠ませたら、当代一流の俳人だ。なんとなく滑稽なのは、それこそなんとなく私たちが抱いている「九月」の常識的なイメージを、ひょいと外しているからである。この外し方の妙が、滑稽味を呼び寄せる。むろん、作者は承知の上。なんでもないようでいて、そこが手だれの腕の冴えと言うべきだろう。季語に執しつつ、季語にべたべたしない。実作者にはおわかりだろうが、この関係を句に反映させるのは、なかなかに困難だ。その意味で、掲句は大いに参考になるのではなかろうか。……と、私の「九月」は、この短い観賞文からはじまりました。あなたの「九月」は、どんなふうにはじまったのでしょう。『新日本大歳時記・秋』(1999)所載。(清水哲男)


September 0192003

 鼻を流れる目薬九月のひかる船出

                           蔦 悦子

のところ目の調子がよくないので、この句が目についた。「鼻を流れる目薬」は目薬をさしそこなったのではなく、一滴か二滴多めにさしたので、目を閉じたときに少し溢れて鼻梁を伝って流れている状態を言っている。そのひんやりした感触と再び目を開けたときに見える「ひかり」との取り合わせに、作者は「九月」を感じたのだ。よく晴れた朝だろう。目薬をさし終えた直後に見えるのは、眼前の具体物ではなく、目の中の目薬に乱反射する「ひかり」である。その束の間の「ひかり」の戯れをさざ波のようだとイメージし、鼻を伝い落ちる雫の清涼感と合わせて、「九月のひかる船出」と見立てたわけだ。「鼻を流れる目薬」に着目したところが、数多い目薬の句のなかでも異彩を放っている。ご覧のように、掲句は五七五で詠まれていない。いわゆる字余りと字足らずが混在したかたちだ。私の読み方だと十一・四・六となり、破調もいいところである。ここまで来ると、定型に愛着のある人は眉をひそめるだろう。同じようなイメージなら、五七五に収められるのにと思うかもしれない。私も、上手な詠み手ならば可能だろうとは思う。だが、作者はあえてそれをしなかった。理由は、おそらく「九月」のはじまりころの季節感の中途半端性にあると見たい。まったき秋でもなく、残暑が厳しい日中でも夏というにははばかられる。そんなぎくしゃくがたぴしした季節の「船出」なのだ。定型のなめらかな口調では、そのリアリティは伝えられないのではなかろうか。ただし、このような音数律の使用は、べつに珍しくはないことを付記しておく。ある種の傾向の俳句にとっては、ほとんど定型と言ってもよい書き方だ。これについては、いつか触れる機会もあるだろう。金子兜太編『現代俳句歳時記』(1989)所載。(清水哲男)


September 0292007

 縄とびの縄を抜ければ九月の町

                           大西泰世

年の夏の暑さは尋常ではありませんでした。昔は普通の家にクーラーなどなかったし、わたしが子供の頃もたしかに暑くはありました。しかしそのころの夏は、どこか、見当の付く暑さでした。今年の、39度とか40度とかは、どう考えても日本の暑さとは思えません。そんな記録尽くめの夏も、時が経てば当然のことながら過ぎ去ってゆきます。掲句、こんなふうに出会う9月もよいかなと、思います。遠くに、縄跳びをしている子供たちの姿が見えます。夕方でしょうか。縄を持つ子供が両側に立って、大きく腕をまわしています。一人、一人と順番に、その縄に飛び込んでは、向こう側へ抜けてゆく、その先はもう9月をしっかりと受け止めた町なのです。縄跳びの縄が、新しい季節の入り口のように感じられます。飛び上がる空の高さと、9月という時の推移の、両方を感じさせる気持ちのよい句です。陽が沈むのが日に日に早くなり、あたりも暗くなり始めました。今日の遊びもおしまいと、誰かが言い、縄跳びの縄は小さく丸められます。帰ってゆく子供たちのむかう家は、もちろんあたらしい季節の、中にあるのです。『現代の俳句』(2005・角川書店)所載。(松下育男)


June 1662010

 雨霽(は)れて別れは侘し鮎の歌

                           中村真一郎

ったい誰との「別れ」なのだろうか。俳句として、そのへんのことにはあまりこだわらなくてもよいのかもしれない。けれども、誰との「別れ」だから侘しいのだ、という理屈がついてまわっても仕方があるまい。真一郎が敬愛していた立原道造は、大学を卒業して建築事務所に勤めたが、健康を害して追分村のかの油屋で療養していた。道造に声をかけられた真一郎は、同じ部屋でひと夏を過ごした。けれども、翌年の夏には道造はすでに亡き人になっていた。そんな背景があって、同年輩の詩人たちと道造追悼の歌仙を巻いたおり、掲句はその発句として作られたという。「鮎の歌」は道造が生前に出版したいと考えていた連作物語集である。そうした掲句の背景を知っておけば、改めて句の意味や解釈などを縷々述べる必要はあるまい。雨が降っているより、霽(は)れたからこそ侘しさはいっそう強く感じられるのだ。真一郎には「薔薇の香や向ひは西脇順三郎」という句もある。堀辰雄は中村真一郎を「山九月日々長身の友とあり」と詠んでいる。真一郎という人は長身・洒脱の人だったし、氏が酒場などで語るどんな話にせよ、人を飽きさせない魅力と好奇心に富んでいたことを思い出す。見かけによらず気さくな人だった。『俳句のたのしみ』(1996)所載。(八木忠栄)


September 0692011

 早稲の香や雲また月を孕みたる

                           三森鉄治

方によっても異なるが、早稲の収穫は8月下旬。今年はほんの少しだが田植えの手伝いをさせていただいたこともあり、日本中のどこの田の様子もなにかと気になる。早苗が青田になり、稲になるまでの間に台風の通過や大雨のニュースがこんなにあるとは思わなかったので、早稲刈り取りの記事に胸をほっと撫で下ろす思いがした。月を隠しては明らかにする流れる雲を「月を孕む」と表現した掲句に、稲が幾多の障害をくぐりぬけ、色づき豊かに実る姿を重ねる。みごとに実った稲は甘い香りがするという。実は今まで稲が香るなど、感じたことも思ったこともなかった。今年はどこかで、実った田の香りを身体いっぱいに詰めてこようかと思う。田んぼも畑もずいぶんある場所で育ったはずなのだ。「あー、これなら知ってる」と身体が頷いてくれるかもしれない。〈まつさきに老いし鹿来て水飲めり〉〈それぞれの丈に山ある九月かな〉『栖雲』(2011)所収。(土肥あき子)


September 0192014

 その中の紺を選びし九月かな

                           木村三男

るほどな、と思う。が、読み返してみると、何も書いてない。書いてないは言い過ぎだろうが、書いてあることはいろいろな色彩の中から、(誰か、あるいは何か)が「紺」色を選んだという、はなはだ頼りないことだけである。それでいて、句の磁石は真直ぐ九月という季節を指している。したがって、何も書かれていないようでいて、作者の言いたいことは誰にでもわかりやすく、きちんと書かれているということになる。すなわち、ここにひとつの俳句の典型がある。好き嫌いはべつにして、俳句づくりは誰もがこの典型に突き当たらざるをえないのだろう。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


September 2392014

 九月の風さわわセブンスターの木

                           酒井弘司

海道美瑛町の観光スポットには、タバコのセブンスターのパッケージに採用されたことから「セブンスターの木」と呼ばれる柏の木がある。セブンスターといえば、シルバーの星小紋のなかに金色の星が7の数字をかたどったパッケージが思い浮かぶが、JTが専売公社だった1976年、特別包装タバコとして地域限定で販売されていたものがあったらしい。しかし、紹介する美瑛町にも、販売元のJTにも、箱の実物もなければ写真もなく、インターネットのどこを探してもセブンスターの木がプリントされているパッケージを見つけることはできなかった。38年という歳月は商品をすっかり過去のものとしてしまったが、大樹はそのままの姿を保ち続ける。じゃがいも畑が続く丘陵の頂上付近に枝を広げた美しい木は、今までも、これからも変わらず、豊饒のときが来たことを知らせるように、風が通り抜けるたび、さわわさわわと葉を鳴らす。ところで、同集には〈裏妙義みどりを吸って一夜寝る〉が収められており、てっきり「みどり」という名のたばこを一服したのかと思ってしまったが、すぐに「わかば」と勘違いしていることと、みどりは季題であったと気づき赤面した。それにしても「わかば」や「いこい」などの名称は、タバコが息抜きや気分転換などを象徴していた名であったと思い、時代の変遷をあらためて思うのだった。『谷戸抄』(2014)所収。(土肥あき子)


September 1692015

 秋虫の声に灯ともすおしゃれ町

                           伊藤信吉

虫にもいろいろあるけれど、この場合はコオロギなのかマツムシなのかカネタタキを指しているのか、それははっきりしない。限定する必要はないし、いや,それら何種類もの虫がきっといっせいに鳴いているのだろう。おそらくそうなのだ。秋は灯ともし頃ともなれば、さまざまな虫の声であちこちの闇がにぎやかにふくらむ。おしゃれな町が、一段とおしゃれに感じられるということ。添書に「東京原宿、その通りにわが好むヒレカツの店あり」とある。1977年の作だから、原宿がいわゆる若者の町になって、おしゃれになってきた時代が舞台である。信吉は当時77歳。老年にして原宿へお気に入りのヒレカツを食べに行っていたのだから、町のみならず信吉もおしゃれではないか。老いてなお茶目っ気を失わなかった詩人の句として頷ける。夕刻、虫の声に押されるようにして、お気に入りのトンカツ屋さんの暖簾をうれしそうにくぐる様子が見えてくるようだ。他に「九月はやさびさびとして木枯しや」がある。『たそがれのうた』(2004)所収。(八木忠栄)


September 3092015

 蚊帳の穴むすびむすびて九月哉

                           永井荷風

月も今日で終りである。「蚊帳」は夏の季語だが、ここでは「九月哉」で秋。かつて下町では蚊が特に多いから、九月になってもまだ蚊帳を吊っていたのだろう。今はもう蚊帳というものは、下町でも見られなくなったのではないか。私などはいなかで子どものころ、夏は毎晩寝部屋の蚊帳吊りをさせられたっけ。木綿の重たい蚊帳だった。掲出句は荷風の「濹東綺譚」のなかに八句あげられている蚊の句のうちの一句。他に「残る蚊をかぞへる壁や雨のしみ」がならぶ。「溝(どぶ)の蚊の唸る声は今日に在つても隅田川を東に渡つて行けば、どうやら三十年前のむかしと変りなく、場末の町のわびしさを歌つてゐる」と書いて、八句が「旧作」として掲げられている。ここでの「場末の町」は寺島町をさしている。「家中にわめく蚊の群は顔を刺すのみならず、口の中へも飛込まうとする」とも書かれている。「わめく蚊の群」は、すさまじい。「むすびむすびて」だから、蚊帳の破れは一つだけではなく幾つもあるのだ。そんな破れ蚊帳で今年の夏は過ごしたことよ。ーーそんな町があり、時代があった。『現代日本文學大系24・永井荷風集(二)』(1971)所載。(八木忠栄)




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