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August 3181996

 秋風や酔ひざめに似し鯉の泡

                           大木あまり

夜は、つい調子にのって飲み過ぎた。重い頭で目覚めたが、連れの友人たちはまだ起きてこない。旅館の庭に出てみると、池には大きな鯉が飼われていた。のろのろと動き、ときにふうっと泡を吹いている。秋風のなかの白い光景。酔いざめのときにも、俳人は句心を忘れない。作者と面識はないが、なかなかにいける口の女性だという噂を、かつて新宿で聞いたことがある。『火のいろに』所収。(清水哲男)


August 3081996

 しその葉に秋風にほひそめにけり

                           木下夕爾

いねいに、しみじみとした境地でつくられた句。ちょっと出来過ぎの気がしないでもないが(類似の句もありそうだが)、この季節、同じ思いの人も多いことだろう。作者は、詩人としても著名。というよりも、俳句は余技というべきか。ただ、私に言わせれば、詩も俳句もいかにも線が細い。華奢である。それを評して「空きビンの中につくられた精巧な船の模型」みたいだと、書いたことがある。1965年に五十歳の若さで亡くなった。久保田万太郎門。『菜の花集』所収。(清水哲男)


August 2981996

 朝顔の好色たただよう朝の老人

                           原子公平

根に這わせた朝顔が、今朝も見事に咲いている。部屋着のままで表に出て、老人がいとおしげに眺めている。どこにでも、よくある平和な朝の光景だ。多くの人たちは微笑してその場を通過していく。だが、作者は違った。なんでもないそのシーンに、一瞬なにか生臭いものを感じてしまったのである。老人のいまの「男」のありどころを…。あるいはまた、その人の来し方の生々しい情欲のありようなども。人間は厄介だ。悲しい歌である。『良酔の歌』所収。(清水哲男)




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