季語が夏草の句

August 1481996

 夏草に汽罐車の車輪来て止る

                           山口誓子

鉄の給料(父親の)で食わせてもらったせいか、引込線などに一輛だけとまっている蒸気機関車のことを思うと胸がとどろきます。中学生のとき出会ったと思われるこの句は、機関車のヒロイックな迫力を静かな状態で示してくれているようで、印象の深いものがあります。鉄サビや油や燃え尽きた石炭の匂いがなまなましい。ボクだとコドモの背丈で見上げているのです。(三木卓)


October 13101996

 夏草やベースボールの人遠し

                           正岡子規

苦しい「夏草」の季節はとっくに終ったが、「ベースボール」の方は日に日にアツくなるばかりで、巨人かオリックスかとかまびすしい限りだ。子規は俳人歌人の中では最初の野球狂ともいうべき人物で、明治二十年には「ベースボール程愉快にてみちたる戦争は他になかるべし」(「筆まかせ」)などと書いている。子規が「ベースボール」を「野球」と翻訳したというのは誤伝だが、野球に熱心で各ポジションの名称を翻訳したのは事実だ。子規の訳語中、打者(バッター)や四球(フォアボール)は今も生きているが、攫者(かくしゃ・キャッチャー)や本基(ほんき・ホームペース)はアウトということになる。(大串章)


June 0761998

 五月雨の降のこしてや光堂

                           松尾芭蕉

五月十三日、芭蕉と曽良は平泉見物に訪れ、別当の案内で光堂(正式には金色堂)を拝観している。「おくのほそ道」の途次のことだ。句意を岩波文庫から引いておく。……五月雨はすべてのものを腐らすのだが、ここだけは降らなかったのであろうか。五百年の風雪に耐えた光堂のなんと美しく輝いていることよ。とまあ、これは高校国語程度では正解であろうが、解釈に品がない。芭蕉はこのように光堂の美しさをのみ詠んだのではなくて、光堂の美しさの背景にある藤原氏三代やひいては義経主従の「榮耀一睡」の夢に思いを馳せているのだからである。有名な「夏草や兵どもが夢の跡」はこのときの句だ。ところで光堂であるが、現在は鉄筋コンクリートの覆堂(さやどう)で保護されている。たとえば花巻の光太郎山荘と同じように、元々の建物をそっくり別の建物で覆って保護しているわけだ。家の中の家という感じ。芭蕉の時代にも覆堂はあり(と、芭蕉自身がレポートしている)、学者によれば南北朝末の建設らしいが、いずれにしても五月雨からは物理的に逃れられていた。『おくのほそ道』の文脈のなかではなく、こうして一句だけを取り出して読むと、光堂はハダカに見える。また、ハダカでなければ句が生きない。その意味からすると状況矛盾の変な句でもあるのだが、覆堂の存在を忘れてしまうほどの美しさを言っているのであろう。昔の句は難しいデス。(清水哲男)


July 1371999

 夏草や兵どもがゆめの跡

                           松尾芭蕉

は「つわもの」。『おくのほそ道』には「奥州高館(源義経の居館だった)にて」との詞書。添えられた「三代の栄燿一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有……」云々は、すこぶるつきの名文だ。名句名文、文句無し。それはそれとして、芭蕉がこの古戦場に立ったのは、栄華を極めた藤原三代が滅亡して五百年後のことである。時間的には、現代と芭蕉の時代のほうがはるかに近い。私がわざわざここに引っ張りだしたのは、句における芭蕉の気持ちの半分以上は、実は自分のことを詠んでいるのではないのかという思いからだ。芭蕉は、武士だった。といっても生家は半分百姓で、藤堂家に仕えてからも、剣術なんかはさして必要はなかったようだ。いわば武士のはしくれでしかなかったわけだが、ひとたび古戦場に立てば、今日の私たちの感慨とは、かなりの差異があったはずである。若くして主君に先立たれた(それも自殺)芭蕉は、日常的な刃傷沙汰も知っていただろうし、五百年前の軍馬剣戟の響きに半ば本能的に反応する感覚は、十分に持ち合わせていたはずだ。血が騒いだはずだ。だから、このときの芭蕉が、「兵」に重ねて自らの喪失した「武士」を思うのは自然と言うべきだろう。このような解釈をする人にお目にかかったことはないが、私の読みはそういうことである。飛躍して、若き日の主君であった藤堂新七郎への秘めたる鎮魂歌と読んでよいとも。(清水哲男)


May 0852000

 青草の朝まだきなる日向かな

                           中村草田男

だすっかり夜の明けきらぬころ、窓を開けると、今日もいい天気。勢いよく生い茂る夏草の上には、早くも朝日が日向をつくっている。すがすがしく心地よい情景だ。胸中には、おのずから今日一日を生きるための活力がわいてくるようである。草田男は夏が好きな人で、「毒消し飲むやわが詩多産の夏来る」は有名。事実、夏の句を多く残した。ところで、仕事との関係からではあるが、四十代以降からの私は早起きになった。それまでは午前四時ころに寝ていたのが、百八十度回転した。だから、私にこの句の味わいがわかったのは、二十年前くらいのことだった。これからの季節、しばらくは毎朝、青草の日向が楽しめる。たまさか曇っている朝だと、なんだか大損をしたような気にすらなってしまう。「朝日影」という言葉があって、辞書的定義では「朝の光」をさすが、これは早朝の日差しがもたらす「光」と「影」のコントラストの美しさを言った言葉だと思う。昔かよった田舎の小学校の校歌に、いきなり「朝日影」と出てきた。作詞者は、その学校の教師だったと記憶している。きっと、早起きの大好きな先生だったのだろう。『長子』(1937)所収。(清水哲男)


April 2242009

 つじかぜやつばめつばくろつばくらめ

                           日夏耿之介

は「つばくろ」「つばくら」「つばくらめ」などとも呼ばれ、「乙鳥(おつどり)」「玄鳥(げんちやう)」とも書かれる。「燕」は夏の季語とまちがわれやすいけれど、春の季語である。しかも「燕の子」だと夏の季語となり、「燕帰る」は秋の季語となる。それだけ四季を通じて、私たちに親しまれ、珍重されてきた身近かな鳥だということなのであろう。さて、耿之介の詩句には、たとえば「神の聖座に熟睡(うまい)するは偏寵(へんちょう)の児(うなゐ) われ也/人畜(もの)ありて許多(ここだく)に寒夜(かんや)を叫ぶ……」という一例がある。漢語の多用や独自な訓読など、和漢洋の語彙を夥しく散りばめた異色の詩のスタイルで知られた耿之介が、反動のように平仮名だけで詠ったのが掲出句。しかも春の辻風つまり旋風に煽られて、舞うがごとく旋回するがごとく何羽もの燕たちが勢いよく飛び交っている情景だろう。燕は空高くではなく低空を素早く飛ぶ。「つばめつばくろつばくらめ」と重ねることによって、燕たちがたくさん飛んでいる様子がダイナミックに見えてくる。勢いのある俳句である。俳号は黄眠。『婆羅門俳諧』など二冊の句集があり、「夏くさやかへるの目玉神のごとし」という句もある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


June 1762009

 海月海月暗げに浮かぶ海の月

                           榎本バソン了壱

水浴シーズンの終わり頃になるとクラゲが発生して、日焼けした河童たちも海からあがる。先日(5月下旬)東京湾で、岸壁近くに浮かぶクラゲを二つほど見つけた。「海月」はクラゲで「水母」とも書く。ミズクラゲ、タコクラゲ、食用になるのがビゼンクラゲ。近年はエチゼンクラゲという、漁の妨害になる厄介者も大量発生する。掲出句は海水浴も終わりの時節、暗い波間に海月がいくつも浮かんで、まるで海面を漂う月を思わせるような光景である。実際の月が映っているというよりも、ふわふわ白く漂う海月を月と見なしている。解釈はむずかしくはないが、「海月(くらげ)」と「暗げ」は了壱得意のあそびであり、K音を四つ重ねたのもあそびごころ。「海の月」と「天の月」をならべる類想は他にもあるが、ここはまあそのあそびごころに、詠む側のこころも重ねて素直にふわふわと浮かべてみたい。了壱は「句風吹き根岸の糸瓜死期を知る」というあそびごころの句にも挑戦して、既成俳壇などは尻目に果敢に独自の「句風」を吹きあげつづけている。かつて、芭蕉の「夏草や兵共が夢の跡」を、得意のアナグラムで「腿(もも)が露サドの縄目の痕(あと)付くや」というケシカランあそびで、『おくのほそ道』の句に秘められた暗号の謎(?)をエロチックに解明してみせて、読者を驚き呆れさせた才人である。そう、俳句の詩嚢は大いにかきまわすべし。『春の画集』(2007)所収。(八木忠栄)


April 1742015

 河原鶸天地返しの田に降りる

                           嶋崎茂子

原鶸は山林や田、河原などで群れをなしている雀に似た鳥で、飛ぶ時の鮮明な黄色で鶸だと分かる。双眼鏡で見るとピンクの太いくちばしと翼の太く黄色いしま模様が見える。見晴しのよい葦先にとまりキリキリ、コロロと鳴いたりジュイーンとさえずったりする。農事では厳寒期に土を氷雪にさらして病害虫を殺すために「天地返し」という作業がなされる。そんな労苦も終わった頃に春の兆しがやって来る。鶸の訪れもその一つである。今百羽にも及ぼうかという河原鶸の群れが一斉に大地に舞い降りてきた。春到来したり。その他<御慶いふ小さな町の小さな駅><夏草の匂ひいのちのにほひかな><冬鴎飛ぶといふこと繰り返す>などあり。『ひたすら』(2010年)所収。(藤嶋 務)




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