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July 2871996

 海南風尾をまきあげて紀州犬

                           杉本 寛

南風(かいなんぷう)は、夏の海から吹き寄せる季節風。当然のことながら、高温多湿となり蒸し暑い。そんな暑さの中で、舌も垂れずに昂然と沖を見ている紀州犬。まさに勇姿である。犬をうたった句は多いが、これほど直截にずばりとその姿を言い切った作品は、案外珍しい。この犬、切手の図柄になりそうだ。『杉本寛集』(俳人協会)所収。(清水哲男)


May 3151998

 海南風時給八百六拾円

                           桐木榮子

からの湿った南風が吹いてくるアルバイト先。この蒸し暑さに耐えながらの忙しい仕事で、時給が八百六拾円だとは……。ともすると不機嫌になりそうな気持ちを取り直しつつ、今日も働く……。そんな心境の句だろう。海南風は、そのまま「かいなんぷう」と読む。西日本では「まじ」や「まぜ」とも呼ぶらしい。ところで、この句には作者による自註的短文が添えられているので、引用しておく。これを読むと、作者が自分のことを詠んだのではないことがわかるが、一般的には、以上の解釈のほうがノーマルだろう。「此の夏、大洗海岸のファーストフード店で、目撃した光景が一句になった。昼時の店内は既に満員だと云うのに、レジの前には行列が出来て、何となく殺気が漂っていた。レジ係の若い女性は、喧騒の中で老人客の注文する声が聞き取れずに幾度となく聞き返した。『おめえ! 頓痴気じゃねえのか』と老人客に罵られた刹那、店内は一瞬静まり返った。レジ係は透かさず注文を尋ね返し今度は了解した。上気した女性の顔が、私の心を打った」。俳誌「船団」(35号・1997)所載。(清水哲男)


May 1052001

 大南風黒羊羹を吹きわたる

                           川崎展宏

語は「南風(みなみ)」。元来は船乗りの用語だったらしく、夏の季節風のことだ。あたたかく湿った風で、多く日本海側で吹く強い風を「大南風(おおみなみ)」と言う。旅先だろうか。作者は見晴らしのよい室内にいて、お茶をいただいている。茶請けには「黒羊羹(くろようかん)」が添えられている。外では猛烈な南風がふきまくり、木々はゆさゆさと揺れざわめいている。近似の体験は誰にもあるだろうし日常的なものだが、それを「黒羊羹」を中心に据えて詠んだワザが、情景をぐんと引き立たせ異彩にした。実際にはどうか知らないけれど、黒い羊羹は素材の密度がぎっしりと詰まっているように見える。人間で言えば沈着にして冷静、どっしりとしている。その感じをいわば盤石と捉え、激しくゆさぶられている周辺の木々と対比させながら、「大南風」の吹く壮観を詠み上げた句だ。動くものは動かぬものとの対比において、より動きが強調される。この場合の動かぬものとは、しかし目の前のちつぽけな羊羹なので、多分に作者のいたずら心も感じられ、激しい風の「吹きわたる」壮観を言ってはいながら、全体としては陽性な句だ。秋の台風だったら、こうはいかない。やはり夏ならではの感じ方になっている。以下、蛇足。羊羹でもカステラでも、あるいは食パンでも、私は端(耳)の部分が好きだ。貧乏性なのだろうか。存外、こういう人は多いようだ。『義仲』(1978)所収。(清水哲男)


June 3062009

 青梅雨や櫂の届かぬ水底も

                           高柳克弘

梅雨という言葉は、俳句を始めるずっと以前に永井龍男の小説で知った。ある雨の日のできごとを淡々と綴るこの作品は、いつ読み返しても、平明な言葉のかたまりが、突如人間の肉体と表情を持ってそこにあらわれる。掲句でも、中七の「櫂」が、まるで水中に伸ばした腕の、開いた五指の、さらにもっと先をまさぐるような感触を思わせ、うっとりと、少し気味悪く、水の底の景色を見せている。そして、おしまいにそっと置かれた「水底も」の「も」に、この世のあらゆるものが濡れ濡れと雨に輝いている様子につながる。質のよい一節は時折、見えないものを手にとるように見せてくれる。青々と茂る葉を打つ梅雨の雨は、路上を打ち、水面を打ち、ぐっしょりと水底を濡らしている。降り続く雨のなか、小さな傘の内側で濡れない自分をどうにも居心地悪く思うことがある。小説のなかで会話する家族より、櫂の届かない水底より、ずっと不自然な場所に立たされているかのように、ふわふわと足元がおぼつかなくなる。〈噴水の虹くぐりては巣作りす〉〈巻貝は時間のかたち南風〉『未踏』(2009)所収。(土肥あき子)


May 1652012

 南風や小猿の赤いちゃんちゃんこ

                           菊田一夫

、5月頃から吹きはじめる湿った暖かい風が南風。北風とちがって大方は待たれている風であるゆえに、日本の各地でさまざまな呼び方がされている。正南風(まみなみ、まはえ)、南風(みなみかぜ、なんぷう、はえ)、南東風(はえごち)、南西風(はえにし)……。気候と密接な関係にある農/漁業者の労働にとって,特に無視できない南から吹く風である。夏の到来を告げる風。小猿が着ている「ちゃんちゃんこ」は冬の季語だが、小猿が季節はずれのちゃんちゃんこをまだ着ているうちに,夏がやってきたよ、というやさしい気持ちが句にはこめられている。動物園などに飼われている猿ではなく、動物好きの個人に飼われて愛嬌を振りまいているのを、通りがかりに目にしたのだろう。赤いちゃんちゃんこをまだ着せたままになっていることに対する気持ちと、「もう夏だというのに……」という気持ちの両方をこめながら、作者は微笑んでいるようだ。芭蕉は「猿も小蓑をほしげなり」と詠んだが、ここはすでに「蓑」の時代ではない。加藤楸邨に「遺書封ず南風の雲のしかかり」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


July 2472015

 海鳥の取り落とす餌や大南風

                           依光陽子

風(みなみ)は元来船乗りの用語だったらしく、夏の季節風のことだ。あたたかく湿った風で、多く日本海側で吹く強い風を「大南風(おおみなみ)」と言う。結構な荒波で海鳥も捕獲した餌を取り落とすことがある。閑話休題。佐渡へ向かう定期便は割と大きな船なので少々の風では欠航しない。甲板に出ると鴎が寄ってきて餌をねだる。長年観光客が面白がって餌を与え続けたので、そうした習慣が身に着いてしまったのだろう。日本の海岸線には多くの島が点在し、そこへは何処でも何らかの渡船ルートや観光船コースがある。ある時遊覧船で鯛に餌を撒いていたら海面に落ちる前に鴎に奪われた。あんなひらひら風に舞う餌をさっと咥えるとは名人技である。今度こそ取られまいと餌を投げた瞬間に「こらっ!」と言って手をぱちんと叩いたら鴎が餌を取り損ねた。非日常の想定外の状況下では、猿も木から落ちるし海鳥も餌を取り落とすものである。「俳壇」(2014年12月号)所載。(藤嶋 務)




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