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July 2471996

 青田中信濃の踏切唄ふごとし

                           大串 章

註に、こうある。「昭和三十八年作。初めて信州に旅をした。大空のかがやき。青田のひかり。信州の緑の中で聞く踏切の音は都会のそれとは全く異なっていた」。先日私が新幹線から見た青田も美しかったが、新幹線に踏切はない。青田中から新幹線の姿を叙情的にうたうとすれば、どんな句になるのだろうか。『自註現代俳句シリーズ7・大串章集』所収。(清水哲男)


May 2652004

 青田風チェンジのときも賑やかに

                           中田尚子

語は「青田(風)」で夏。一面の青田を渡ってくる風が心地よい。そんな運動場で行われている少年野球だ。両チームともに元気で、試合中にもよく声が出ているが、攻守交代時にもすこぶる賑やかである。周囲で応援している親や大人の緊張ぶりに比べて、少年たちのほうは伸び伸びと屈託がない。私が子供だったころの小学校の校庭を思い出す。清々しい句だ。ただ思い出してみると、少年たちが賑やかなのは、必ずしもリラックスしているときだけではなかった。緊張感が増してくると、逆にそれを和らげようとして、妙に饒舌になったりはしゃいでみたりする奴も出てくるのだ。接戦ともなれば、異常に騒々しく賑やかになったりする。ふだんは無口な奴が、奇声を発したりもする。やはり勝負事は、なかなかクールでいるわけにはいかないようだ。そしてたしかに、大声を出してみると、緊張感は多少とも薄らぐのである。いま住んでいる家の近くに立派なグラウンドがあって、ときたま少年野球の公式戦に出くわすことがある。先日見物していたら、チェンジでベンチに帰ってくる小学生たちに、しきりに檄を飛ばしている大人のコーチがいた。円陣を組ませては、何やら叫ばせている。遠くからでは何を言っているのかわからないので、ベンチ裏まで近づくと、コーチの指示がはっきり聞こえてきた。「いいか、これは英語だからお前らにはわからんだろうが、大事な言葉だぞ。さあ、元気な声でいってみよう。『ネバー・ネバー・サレンダーッ !』」。つづいて子供たちが唱和していたが、いまひとつ元気な声が出てこない。やっぱり意味不明の言語では、気合いが入らないのだろう。『主審の笛』(2003)所収。(清水哲男)


May 1952008

 二重にじ青田の上にうすれゆく

                           作者不詳

日につづいて虹の句。こちらは農村の光景だ。どこまでも広がる早苗そよぐ青田の上に、虹がかかった。それだけでも美しい絵になるが、かかった虹は珍しい「二重にじ」だった。作者以外、周辺には人影がない。月並みな言い方だが、まるで夢を見ているみたいだ。空に写った天然の色彩のグラデーション。それが見ているうちに、外側の虹(副虹)からうすれていき、主虹もはや消えかかってきた。虹は空に溶けていくわけだが、このときに作者もまた風景の中に溶けていく感じになっている。束の間の至福のとき、とでも言うべきか。「虹」と「青田」の季重なりなどと野暮なことは言いっこなし。自然がそれこそ自然にもたらす光景や風物は、いつだってどこでだって季重なりなのである。こしゃくな人間の知恵などは、この圧倒的な季重なりのシーンの前では、吹けば飛ぶようなものではないか。作者はおそらく子供なのだろうが、この素直な汚れのない感受性には打たれるし、大いに羨ましいとも思ったことである。国定教科書『国語・四学年(下)』(1947)所載。(清水哲男)


May 2052010

 夏来る農家の次男たるぼくに

                           小西昭夫

をわたって吹く風が陽射しに明るくきらめいている。すっかり故郷とはご無沙汰だけど来週あたりは田植えかなぁ、机上の書類に向けていた視線をふっと窓外に移したときそんな考えがよぎるのは「農家の次男」だからか。この限定があるからこそ夏を迎えての作者の心持ちが読み手に実感となって伝わってくる。高野素十の句に「百姓の血筋の吾に麦青む」という句があるが、掲句のなだらかな口語表現はその現代版といった味わい。素十の時代、家と土地は代々長男が受け継ぐ習わしだった。次男、三男は出稼ぎいくか、新天地を開発するか、街で新しい仕事へ就くほかなかったろう。自然から離れた仕事をしていても身のうちには自然の順行に従って生活が回っていた頃の感覚が残っている。青々とつらなる田んぼを思うだけ胸のうちが波立ってくるのかもしれない。今は家を継ぐのは長男と決まっているわけではないが、いったん都会へ就職すると定年になるまでなかなか故郷へ帰れない世の中。そんな人たちにとって、老いた両親だけの農村の営みは常に気にかかるものかもしれない。ゴールデンウィークや週末の休みを利用して田舎へ帰り、田んぼの畦塗りに、代掻きに忙しく立ち働いた人達も多かったかもしれない「今日からは青田とよんでよい青さ」「遠い日の遠い海鳴り夏みかん」。『小西昭夫句集』(2010)所収。(三宅やよい)


June 3062010

 千枚の青田 渚になだれ入る

                           佐藤春夫

書に「能登・千枚田」とある。輪島市にあって観光地としてもよく知られる千枚田であり、白米(しろよね)の千枚田のことである。場所は輪島と曽々木のほぼ中間にあたる、白米町の山裾の斜面いっぱいに広がる棚田を言う。国が指定する部分として実際には1,004枚の田があるらしい。私は三十年ほど前の夏、乗り合いバスでゆっくり能登半島を一人旅したことがあった。そのとき初めて千枚田を一望して思わず息をのんだ。「耕して天に到る」という言葉があるが、この国にはそのような耕作地が各地にたくさんあり、白米千枚田は「日本の棚田百選」に選ばれている。まさしく山の斜面から稲の青がなだれ落ちて、日本海につっこむというような景色だった。秋になれば、いちめんの黄金がなだれ落ちるはずである。千枚田では田植えの時期と稲刈りの時期に、今も全国からボランティアを募集して作業しているのだろうか。春夫が千枚田を訪れたのはいつの頃だったのか。日本海へとなだれ落ちる青田の壮観を前にして、圧倒され、驚嘆している様子が伝わってくる。いちめんの稲の青が斜面から渚になだれ入る――それだけの俳句であるし、それだけでいいのだと思う。この文壇の大御所は折々に俳句を作ったけれど、雑誌などに発表することはなかったらしい。他に「松の風また竹の風みな涼し」「涼しさの累々としてまり藻あり」など、出かけた土地で詠んだ句がある。いずれも屈託がない。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


July 1172010

 選挙カー連呼せず過ぐ青田道

                           日下徳一

日は参議院議員選挙投票日ということで、選挙にまつわる句です。選挙といえば選挙カーのやかましい連呼を取り上げたくなりますが、そこをひとひねりして、連呼していないところを詠んでいるのがこの句のミソです。たしかに、聞く人がいなければ連呼する必要はないのだなと、あたりまえのことに改めて納得させられてしまいます。それよりもなによりも、この句を読んでいると、なんだかくっきりとした線のイラストを思い浮かべてしまいます。選挙という、まさに人の世の生々しい出来事を詠みながら、そんなことからは離れて、盛夏に真っ白な雲が遠景に浮かび、青田の間の道をはるか遠目に通過してゆく選挙カーのすがすがしい映像が、ジブリアニメのタッチで見えてきます。車の中では、さきほどまで声をからして叫んでいた女性が、冷たいお茶を飲んでしばし休憩でもしているのでしょうか。その顔さえ、なんだかジブリ映画によく出てくる、鼻筋の通った一途な女性の横顔になっています。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2010年7月5日付)所載。(松下育男)


June 2262011

 川面吹き青田吹き風袖にみつ

                           平塚らいてう

性解放運動家らいてう(雷鳥)は、戦時中、茨城県取手に疎開していた。慣れない農作業に明け暮れながら、日記に俳句を書きつけていたという。小貝川が利根川に流れこむ農村地帯だったというから、いずれかの川の「川面」であろう。見渡すかぎりの田園地帯を風は吹きわたり、稲は青々と育っている。いかにも男顔負けの闘士の面目躍如、といった力強い句ではないか。疎開隠棲中の身とはいえ、袖に風を満たして毅然として立つ女史の姿が見えてくる。「風袖にみつ」にらいてうの意志というか姿勢がこめられている。虚子の句「春風や闘志いだきて丘に立つ」が連想される。らいてうが掲句と同じ土地で作った句に「筑波までつづく青田の広さかな」がある。さすがにこせこせしてはいない。らいてうが姉の影響で俳句を作りはじめたのは二十三歳の頃で、「日本及日本人」の俳壇(選者:内藤鳴雪)に投句し、何句か入選していたらしい。自ら創刊した「青鞜」にも俳句を発表していたようだ。戦後は「風花」(主宰:中村汀女)の句会に参加した。他に「相模大野おほふばかりの鰯雲」という壮大な句もある。『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)


July 0172011

 石斧出て峡の青田の浮上せり

                           石井野洲子

斧が出土したというニュースが流れたとたんに、あたりの山間の青田がぐっと浮き上がって見えて来たという句。自分の住む地が古代からひらけていたという証の発見があるとその地の人は喜ぶ。観光地としての発展を喜ぶのは一部の人。多くはそういう伝統ある地に生まれ育った自分を血を受け継ぐ存在として誇りに思うのだ。北京原人の骨が出て中国が喜び、アウストラロピテクス(猿人)の骨が出てエチオピアが狂気する。伝統への誇りはどこかで正系といった意識と結びついてナショナリズムに行ったりするんだろうな。石斧出土から新しいドラマが始まるかもしれない。『月山筍』(2011)所収。(今井 聖)


July 0272011

 夕青田見てゐる父のやうな人

                           本宮哲郎

や山を一面の水に映していた植田から青田へ、日一日と育ってゆく苗を、朝な夕な畦に立って見るのだろう。今、夕風は青田風となって、作者の視線の先に立つ人を包んでいる。〈農継いで六十年目種を蒔く〉。作者の御尊父が亡くなられたのが昭和六十三年、この句が詠まれたのは平成十二年。句集のあとがきに「亡くなってから、むしろ父母への思いが深まり、俳句の原風景もふくらんでまいりました」とある。青田に立つ人の後ろ姿は、共に過ごした日々の記憶の断片がふと目の前に現れたようで、亡き人への思いはまた深くなるのだろう。『伊夜日子』(2006)所収。(今井肖子)


July 0672014

 合掌の村に青田の迫りくる

                           宮本郁江

川郷の夏でしょうか。村全体を見晴らしのよい地点から眺めているようです。「迫りくる」という動詞は、何者かがある対象に向かって迫ってくることですが、掲句を文字通りに読むと、青田の生育が活発で、合掌造りの村全体を席巻している状態であるととることができます。この場合、作者の立ち位置はある程度高所から、村全体を平面的に眺めている見方になります。ところで、合掌造りの屋根は、日本では稀な鋭角です。一般的に、キリスト教系の建築物は先鋭的な屋根を持つのに対し、神社仏閣はそれよりも鈍角的に広がる屋根を持っています。前者は天に向かう意志を表し、後者は内側を庇護する傾向にあるとも考えられますが、日本の建築では、鋭角の屋根は例外であったことは事実です。それが、宗教的な観念からではなく、豪雪地帯という風土条件からもたらされた形態であるというところに日本らしさを感じます。ここで、合掌造りの鋭角的な屋根を意識に入れてもう一度掲句を読み直してみます。すると、平面的に広がっている青田が、読む者に向かって垂直的に迫ってきます。合掌の鋭角的な屋根と、稲の先鋭的な葉先が、天に向かって迫っています。絵画でいうなら、ビュッフェではなく、棟方志功でしょう。『馬の表札』(2014)所収。(小笠原高志)




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