1996ソスN7ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2371996

 夏痩せて釘散らしたる中にをり

                           能村登四郎

然をうたう俳人が多いなか、登四郎は人間を数多く詠んできた。七十代の作者は、ちょっとしたはずみで手にした釘箱をひっくりかえしてしまい、呆然としている。若いころであればそんな自分に腹も立つが、いまはおのれの失策を老いの必然として自認する心境にある。誰にも訪れる老い。しかし、その自覚のきっかけはさまざまだ。だから、人間は面白いのだし、一筋縄ではいかないのである。『寒九』所収。(清水哲男)


July 2271996

 水打つてあそびごころの見えており

                           森 澄雄

を打っているのは、作者の妻。眺めていると、ときどきとんでもないものにも水をかけている。木陰で昼寝中の猫だとか、届きもしない木の梢めがけてだとか……。「しようがないヤツだ」と苦笑する夫の内面には、妻への愛情がじわりとにじみでている。作者が間もなくこの妻を失うことになる事情を知って読むと、哀切限りない。『はなはみな』所収。(清水哲男)


July 2071996

 かたまるや散るや蛍の川の上

                           夏目漱石

年時代、夏休みになると、近所のお姉さん(18歳くらいだった)に頼んで、よく野外映画会に連れていってもらった。往復二里の山道である。帰り道ではこの句のとおり、川の上には蛍が密集して光っていた。そんな情景のなか、お姉さんと僕は、互いに無言のままひたすら家路を急いだのだった。漱石がこの句を作ったのは明治29年。ちょうど百年前である。敗戦直後の山口県の田舎の蛍は、明治期の漱石が見た蛍と同じように、群れながら明滅していたというわけである。ということは、お姉さんと僕は、いつも黙って明治の夜道を歩いていたということにもなる……。長生きしている気分だ。『漱石俳句集』(岩波文庫・坪内稔典編)所収。(清水哲男)




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