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July 0971996

 大梅雨に茫々と沼らしきもの

                           高野素十

たまま俳句の名手が、ほとんど何も見えませんねと書いているのだから、なるほど大梅雨なのだろう。最近の梅雨はしばしば根性がなく、たぶん大梅雨先輩に叱られているのではないかしらん。(清水哲男)


June 0361997

 学成らずもんじゃ焼いてる梅雨の路地

                           小沢信男

書きに「月島西仲通り」とあり、東京下町の風景であることがわかる。この句と「もんじゃ焼き」については種村季弘の『好物漫遊記』(ちくま文庫)中に「月島もんじゃ考」の項があるので御覧を乞う。小沢さんは何言おう。評者達詩人の俳句会「余白句会」の師匠である。従って弟子としては梅雨がくる度にこの句を宣伝したい。人口に膾炙する迄「もんじゃの小沢」を宣伝しまくりますぞ。この句、小沢さんによれば「学のあるひとばっかりが誉めるんだよねえ……」。それはそうでしょう。小年老イ易ク 学成リ難シ 一寸ノ光陰 軽ンズベカラズ。『東京百景』(89年・河出書房新社)所収。(井川博年)


June 2861997

 貨車の扉の隙に飯喰う梅雨の顔

                           飴山 實

後十一年(1956)、国鉄労働者という存在が組織的には輝いていた時代の句。つらい労働の合間にふと垣間見せた一個人としての表情を、作者は見逃さなかった。無心ではあるが、暗い影のある表情。もとより、それはある日ある時の自分のそれでもあるはずなのだが……。飯のために働き、働くために飯を喰う。そんな単純で素朴な社会における人物スケッチだ。最近ではトラック輸送に追いやられて、長い貨車の列など見たことがない。子供らが競って、車体に表示された記号から、何を運ぶための貨車なのかを覚えた時代だった。『おりいぶ』所収。(清水哲男)


June 1861998

 学校をろうやにしているつゆの空

                           大橋清和

藤園主宰「おーいお茶俳句大賞」の第七回入賞句。作者は小学生か。雨降りつづきで、校庭で遊べない環境を「ろうや」みたいだと言っている。いかにも子供らしい発想を評価されての入選だろう。ただし、採り上げておいて文句を言うのも気がひけるが、私が選者だったら、この句によい点は入れない。子供としての作者の発想が、あまりにも類型的だからだ。それも、大人の描く子供像にはまり過ぎている。黛まどか主宰「東京ヘップバーン」のOL句にも共通する類型の「お化け」が、「らしさ」が鼻につく。最近はあちこちで子供の俳句大会が催されるが、入選句はおおむね類型沈没型であり、どうも面白くない。何かの雑誌で荒川洋治が讃めていた「群馬県異状乾燥注意報」のような破天荒な(?)発想の句のほうが、よほど子供らしいと思う。でも、作者の名誉のために付言しておけば、類型的であれ、表現力には確かなものを感じさせる。私がはじめて教室で作ったのは「春がきて小鳥さえずりたのしそう」という類型沈没の最たるものであり、思いだすのも恥ずかしい句だ。家に戻って父親に見せたら「こんなものは俳句じゃない」と一蹴された。こんなのに比べれば、大橋君の腕前はたいしたものではあるのだけれど。『十七文字のチカラコブ』(1996)所収。(清水哲男)


June 2061998

 梅雨ごもり眼鏡かけたりはずしたり

                           ジャック・スタム

國滋・佐藤和夫監修・訳の句集『俳句のおけいこ・MY HAIKU JOURNEY』(河出書房新社・1993)より。評者はこの1991年に東京で亡くなったアメリカの俳人が好きで、この句集を愛読している。ひとつには彼の俳句の下手なところが良く、下手は下手なりの愛敬があるのである。それに彼の句には英訳が付いていて(彼は英語と日本語で句を作った)、それを見て英語表現の面白さを知ることができる。この句の英語版は、Shut in by rain / puttkng on my glasses / taking them off. である。これを見ると、梅雨って単なるrainなのかァ。いま梅雨さなか。(井川博年)


June 2161998

 どっちみち梅雨の道へ出る地下道

                           池田澄子

降りの日は地下道が混雑する。少々遠回りでも、なるべく雨を避けて歩きたい人が多いからである。かくいう私ももちろんその一人だが、しかし、句の言うように、いずれは雨の道に出なければならないのだ。そう思うと、わずかの雨を嫌がって地下道を歩いている自分が情けなくも滑稽に見えてくる。晴れている日と同じように、いつもの地上の道を真っ直ぐに行けばよいものを……。と、思いつつも、やはり地下道を選んで歩いてしまう。これが人情というものである。なお「どっちみち」は「いずれにしても」と「どっちの道」の二重の意味にかけてある。なんということもないような句だが、読者に「なるほど」と思わせる作者のひらめきは、なかなかどうして脱帽ものだ。自由詩では書けない世界である。いつか梅雨時の地下道で、この句を思い出して苦笑いする読者も少なくないだろう。「池田さんは正直に、デリケートに、またユーモアを秘めて時代と向き合っていると思う」(谷川俊太郎)。『いつしか人に生まれて』(1993)所収。(清水哲男)


June 1061999

 吊皮にごとりとうごく梅雨の街

                           横山白虹

なずけますね。「ごとりとうごく」のは、物理的にはむろん電車のほうだが、梅雨空の下の街は灰白色でひとまとめになっているように見えるので、街のほうが傾いで動いたように思える。雪景色の場合はもっと鮮明に、そのように感じられる。これが逆に晴天だと、街の無数の色彩がそれぞれに定着した個を主張してくるので、街ぜんたいが揺れるようには写らない。「だから、どうなんだ」と言われても困るけれど、俳句表現とは面白いもので、この「だから、どうなんだ」という反問を、実は句の支えにして成立しているようなところがある。ここで俳句の歴史を詳述する余裕はないが、乱暴に言っておけば、俳句は常に一つの「質問」の構造を先験的に持つ文学だ。これは言うまでもなく「連句」の流れから来ている。発句を一行の詩として屹立させようとした正岡子規らの奮闘努力の甲斐もなく(!?)、無意識的にもせよ、反問をあらかじめ予知した上での俳句作りは後を絶たない。「反問」と言うから穏やかではないのであって、一句の後に読者が勝手に七七を付けてくださいよ(読者の印象を個人的にふくらませてくださいよ)と、いまだに多くの俳句は呼びかけを発しつづけている。こんなに独特な表現様式を持つ文学は、他にないだろう。(清水哲男)


May 2852000

 されど雨されど暗緑 竹に降る

                           大井恒行

季句。この句については、十五年前の初出句集に寄せた拙文があるので、そのまま書き写しておきたい。いささかキザですが……。「この鮮烈なイメージは、そのまま私の少年時代につながってしまう。竹薮を控えた山の中の粗末な家。裏山で脱皮をつづける竹の音を聞きながら、私はあらぬことばかりを考えていたようだ。雨が来ると、はたして妄想は募ったのである。そしてその妄想は、暗い緑のなかでつめたく逆上するのが常であった。不健康というにはあたるまい。むしろ妄想は、少年において健康の証ではないのか。妄想の力を伸ばしきったところに、見えていたもの。もはや少年でなくなった者は、かつてそうして見えていたものの、いわば貯金の利子をあやつって、質素に散文の世を生きていくしかないのだと恩う。晴れた目に、精神のバランスを取る。その秤を手に入れたのは少年の日であったことを、むろん大井恒行も承知している」。このページの読者にわからないのは「晴れた目に、精神のバランスを取る」の部分だろうが、拙文の前段で、句は雨降りの日にではなく、逆に「晴天」のもとで書かれたのではないか。「鏡の裏に、ひとは詩を発見するものであるらしい」と、そんな私の推測を受けた文章である。『風の銀漢』(1985)所収。(清水哲男)


June 1162000

 走り梅雨ちりめんじゃこがはねまわる

                           坪内稔典

雨の兆し。そのただならぬ気配に、「ちりめんじゃこ」がはねまわっている。昔から鯰は地震を予知すると言われるが、「ちりめんじゃこ」も雨期を予知するのだろうか。予知して、こんな大騒をするのだろうか。そんなはずはない。そんなことはありっこない。このとき、ただならぬのは「ちりめんじゃこ」よりも作者の感覚のほうである。誰にでも、他人はともかくとして、なんとなくそんな気がするという場面はしばしばだ。独断的な感受という心の動きがある。詩歌の作者は、この独断に言葉を与え、なんとか独断を普遍化しようと試みる。平たく言えば、「ねえ、こんな感じがするじゃない」と説得を試みるのだ。その説得の方法が、俳句と短歌と自由詩と、はたまた小説とでは異なってくる。そのことから考えて、掲句の世界は俳句でしか語れないものだと思う。たとえば、詩の書き手である私は、この独断を句のように放置してはおけない。はねまわる「ちりめんじゃこ」の様態までを自然に書きたくなってしまう。書かないと、気がおさまらないのだ。したがって、こうした句をこそ「俳句の中の俳句」と言うべきではなかろうか。ふと、そう思った。なお「ちりめんじゃこ」は関西以西の呼称だろうか。東京あたりでは「しらすぼし」と言う人が多い。『猫の木』(1987)所収。(清水哲男)


June 2962000

 学成らずもんじゃ焼いてる梅雨の路地

                           小沢信男

書に「月島西仲通り」とある。東京の下町だ。「もんじゃ(焼き)」は近年マスコミで紹介され、東京土産としてセットも売られているので、全国的に知られるようになってきた。一応『広辞苑』から定義を引いておくと、「小麦粉をゆるく溶き、具をあまり入れずに、鉄板で焼きながら食べる料理。焼く時に鉄板にたねで字を書いて楽しんだことで『文字焼き』の転という」。句意は明瞭にして、句感はひどく切ない。同じような食べ物でも、「お好み焼き」だとこうはいかないだろう。座が、はなやぎ過ぎるからだ。ところで、当ページにときどき出てくる「余白句会」は、実はこの句に発している。作者と辻征夫などが詩誌「詩学」投稿欄の選者だった折り、雑談で俳句の話になり、そのときに辻が好きな句としてあげたのが、この句だった。彼は種村季弘が句を激賞していた文章で覚えていたのだが、作者名は失念してしまっていた。で、「作者は忘れちゃったんですけど……」と、作者本人を前に滔々と激賞したというわけだ。このときの作者の困ったような顔を想像すると、可笑しい。それがきっかけとなって楽しい句会が誕生したのだが、こういう場合はいったい誰に感謝すればよいのだろうか(笑)。井川博年の観察によれば、掲句は学者など「学成った人」に評判がよいそうだ。わかるような気がする。なお掲句については、既にその井川君の観賞が掲載されています(1997年6月3日付)。『んの字 小沢信男全句集』(2000)。(清水哲男)


July 1372000

 藺ざぶとん難しき字は拡大し

                           波多野爽波

は「い」と読み、「藺ざぶとん」は藺草(いぐさ)で織った夏用の座布団のこと。よく見かける座布団で、四角いものも丸いものもある。なるほど「藺」という字は難しい。何気なく尻に敷いている「藺ざぶとん」だが、ふと「藺」というややこしい漢字が気になったので、調べてみたのだろう。でも、辞書の文字が小さくて、よく見えない。早速、天眼鏡で拡大してみて、ははあんとうなずいている。最近は、いつもこうだ。だいぶ視力が衰えてきたなア。そんな思いを、深刻めかさずに詠んでいる。テーマが「藺ざぶとん」そのものにはなく、名前の一文字であるところから、とぼけた味わいが浮かんでくるのだ。多くの読者にとっては、どうでもよいようなことであり、もとより爽波もそんなことは承知の上で作っている。これぞ、人をクッた爽波流。そういえば辻征夫(俳号・貨物船)にも似たような才質があって、たとえば「つという雨ゆという雨ぽつりぽつり」であるが、上手いのか下手なのか、さっぱりわからない。でも、確実にとぼけた良い味は出せている。『一筆』(1990)所収。(清水哲男)


June 2762001

 梅雨と書き陳者と書き嫌になりぬ

                           永作火童

礼的な手紙か、商用の挨拶文だろうか。とにかく、紋切り型の手紙を書く必要が生じた。そこで「梅雨の候時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます」などと時候の挨拶を書き、さて「陳者(のぶれば)」と本題に入るところで「嫌に」なってしまつた。よくあることだが、梅雨期の鬱陶しさも手伝うので、「梅雨」と書くだけでも「嫌に」なった気持ちがよく出ている。紋切り型の手紙文は親しくもない相手にも、欠礼することなく何事かを伝えられて便利だが、個人的な感情や感覚の披歴ができないので、おのずから書き手の存在は希薄になる。受け取るほうも同じことで、まず隅から隅まで丹念に読むことはしない。お互いにそれがわかっていても、なおこの種の手紙が必要なのは、自己を希薄にしての人間関係が実は社会生活の大元を占めているからだろう。手紙の作法はもちろん、その他の礼儀作法にしても、希薄な人間関係を希薄なままに保つ知恵の一つと言ってもよいと思う。そんな表面的な礼儀など知るものかと、放り出すことも可能だ。簡単だ。だが、世の希薄な人間関係は、放り出した人間にも常に希薄な関係を迫ってくる。どのようにか。ここで我が若き日の苦い体験を思い出して、それこそ「陳者」と披露したいところだが、私もだんだん「嫌に」なってきたので、これにて失礼。早々頓首。『今はじめる人のための俳句歳時記・夏』(1997・角川mini文庫)所載。(清水哲男)


June 1262002

 物指をもつて遊ぶ子梅雨の宿

                           星野立子

のために表に出られない旅館の子が、帳場のあたりでひとりで遊んでいる。それも子供らしい遊び道具でではなく、「物指(ものさし)」を持って遊んでいるところへの着目が面白い。男の子だったら、物指を刀に擬してのチャンバラの真似事だろうか。宿の様子については何も描写はされていないけれど、子供と物指との取りあわせが宿全体の雰囲気を雄弁に語っている。観光地にあるような大きな旅館ではなく、経営者の家族の住まいも片隅にある小さな宿であることが知れる。それも満室ではなく、閑散としている。もしかすると、他に泊まり客はいないのかもしれない。作者は出そびれて無聊をかこち、子供はそれなりの遊びに無心に没頭していて、さて表の雨はいっこうに止む気配もない。そんな雨の降りようまでが感じ取れる。うっとおしいと言うよりも、今日はもう出かけるのをあきらめようと思い決めた作者の気持ちが、じわりと伝わってくるような句だ。子供がいる宿には何度か泊まったことがあるが、店主の子供が出入りする町の食堂などと同じように、そういうところの子供には不思議な存在感がある。あちらはごく普通の生活空間として動き回り、こちらは非日常空間として受け止めるからなのだろう。その昔香港の食堂で、大きな飼い犬までが出てきたときには、さすがにまいった。『続立子句集第二』(1947)所収。(清水哲男)


June 3062002

 梅雨荒川酒の色して秩父より

                           久保田慶子

強く、そして美しい句。ポイントは「酒の色して」だが、この酒は濁(にご)り酒だろう。梅雨のさなか、茫々たる「荒川」に見る水の色はさもありなんと思わせる。はるかな秩父の山中に発し、長い道程を経て初発の色から大きく変化した川水の色は、なまなかな形容では捉えきれまいが、はっしと「酒の色」と言い止めた作者の炯眼には感心させられるのみ。おのずから発酵し熟成した水を指し示した比喩の確かさは、どうだろう。堂々たる貫録のある句だ。こんなふうに風景を見ることができたなら、どんなに心豊かな時を過ごせるだろうかと、作者の感受性がうらやましい。以下、荒川の水脈については、電子百科事典による。「関東山地、奥秩父(おくちちぶ)主峰甲武信(こぶし)ヶ岳(2475メートル)に源を発し、奥秩父全域の水を集めて、秩父盆地、長瀞(ながとろ)を経て、寄居(よりい)町で関東平野に出る。熊谷(くまがや)市久下(くげ)で流路を南東に変え、さいたま、川越(かわごえ)両市の間で入間(いるま)川をあわせ、戸田(とだ)市付近で東に転じて埼玉県と東京都との境をなす。東京都北区の岩淵(いわぶち)水門で支流の隅田(すみだ)川と本流の荒川に分かれて東京湾に注ぐ。延長169キロ、流域面積2940平方キロの関東第二の大河川である。(C)小学館」。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


June 1162003

 見送るや君たちまちに梅雨の景

                           大住日呂姿

では、立春より百三十五日目にあたる今日十一日を入梅としている。だから、年によっては上天気の入梅日もあるわけだが、今年は暦より一日早く、昨日、関東甲信、近畿、中国、四国、東海地方が入梅を迎えた。いよいよ、茫々たる長雨の季節がやってきた。作者は、親しい人を「梅雨」の中に見送っている。たったいま「じゃあ、また……」と別れたその人が、「たちまち」にして「梅雨の景」と化したというスケッチは卓抜だ。つい先ほどまでの賑やかな人間臭さが嘘のように、その人は梅雨の景色にすうっと溶けていき、一点景にすぎなくなってしまつたと言うのである。往来を行き交う人があっても、みな同じような点景に見えている。無常を感じたというほどではないにしても、何かそこに通じる寂しさが、ふっと作者をとらえたのだ。直截に主観を述べることなく、しかし主観を述べている。俳句にしかできない技と言うべきか。ところで、近着の矢島渚男主宰の俳誌「梟」(第145号・2003年6月)を開いたら、作者の死が告げられていて驚いた。転居したばかりのアパートで、倒れておられたという。一面識もなかったけれど、私は大住ファンで、これまでに四句書かせていただいている。「家庭というものの味を知らなかった大住さんの孤独の死、いや、幸せな死だったかも知れない。いつか死は誰にも平等に訪れるのだ。折りしも東京は桜の季節であった。……」(矢島昭子・同誌より)。享年七十八。生涯にただ一冊の句集が、茫々と残された。合掌。『埒中埒外』(2001)所収。(清水哲男)


June 2262003

 姥捨の梅雨の奥なる歯朶浄土

                           櫛原希伊子

捨(うばすて)伝説にもいくつかあるが、掲句の背景にある話は『大和物語』のそれだろう。この話が、なかでいちばん切なくも人間的だ。「信濃の国に更級といふところに、男住けり。若き時に親死にければ、をばなむ親の如くに、若くよりあひ添ひてあるに、この妻(め)の心いと心憂きこと多くて、この姑(しうとめ)の老いかがまりてゐたるをつねに憎みつつ、男にもこのをばの御心(みこころ)さがなく悪しきことを言ひ聞かせければ、昔のごとくにもあらず、疎(おろ)かなること多くこのをばのためになりゆきけり」。かくして妻の圧力に抗しきれなくなった男は、ある月夜の晩に養母を騙して山に置き去りにしてしまう。が、一夜悶々として良心の呵責に耐えきれず、明くる日に迎えに行ったという話だ。当然といえば当然だけれど、この話を、男は捨てた「男」に感情移入して受け取り、女は捨てられた「女」の身になって受け取る。子供でも、そうだ。掲句でもそのように受け止められていて、どんなところかと訪ねていった捨てられた場所の近辺を、さながら「浄土」のようだと素直に感じて、ある意味では安堵すらしている。それも、いちめん「歯朶(しだ)」の美しい緑に覆われたところだ。「梅雨の奥」のあたりには神秘的な山の霊気が満ちていて、とても人間界とは思えない。「捨てられるならここでもいいか、とふと思う」と自註にあった。『櫛原希伊子集』(2000)所収(清水哲男)


March 1632004

 自分の田でない田となってれんげも咲く

                           三浦成一郎

語は「れんげ(蓮華草・紫雲英)」で春。いまでは化学肥料の発達で見られなくなったが、かつては緑肥として稲田で広く栽培されていた。この季節に紅紫色の小さな花が無数に田に咲いている様子は、子供だった私などの目にもまことに美しかった。春の田園の風物詩だったと言ってもよいだろう。その美しい情景が、もはや「自分の田でない田」に展開している。生活苦から手放した田と思われるが、他の動産などとちがって、売った田や山は、このようにいつまでも眼前にあるのだから辛い。「れんげも」の「も」に注目すると、自分が所有していたころには「れんげ」を咲かすこともできなかったのだろう。どうせ手放すのだからと、秋に種を蒔かなかった年があったのかもしれない。いずれにしても、他人の手に渡ってから美しくよみがえったのである。その現実を突きつけられた作者の胸の疼きが、ひしひしと伝わってくる。戦前の一時期に澎湃として起こったプロレタリア俳句の流れを組む一句だ。五七五になっていないのは、虚子などの有季定型・花鳥諷詠をブルジョア的様式として否定する立場からは当然のことだったろう。プロレタリア俳句の萌芽は、自由律俳句を提唱した荻原井泉水の「層雲」にあったことからしてもうなずける。リーダー格の栗林一石路や橋本夢道、横山林二などは、みな「層雲」で育った。「山を売りに雨の日を父はおらざり」(一石路)、「ばい雨の雲がうごいてゆく今日も仕事がない」(夢道)。掲句が発表されて数年後には京大俳句事件などが起き、言論への弾圧は苛烈を極めていく。俳句を詠み発表しただけで逮捕される。今から思えば嘘のような話だが、しかしこれは厳然たる事実なのだ。自由な言論がいかに大切か。こうした歴史的事実を思うとき、いやが上にもその思いは深くなる。「俳句生活」(1935年7・8月合併号)所載。(清水哲男)


May 1252004

 走り梅雨ホテルの朝餉玉子焼

                           馬渕結子

の週末、久留米(福岡県)に出かける。気になるので週間天気予報を見てみると、明日あたりからずうっと福岡地方には曇りと雨のマークが並んでいる。北九州の梅雨入りは、平年だと来月初旬なので、明日からの天候不良は「走り梅雨」と言ってよいだろう。いまどきから本格的な梅雨入りまでの旅は、これだから困る。日取りが近づかないと、なかなか天気が読めないのだ。五月なので晴天薫風を期待しているだけに、がっかりすることも多い。しかし、旅程は変えられない。ま、雨男だから仕方がないかな……。作者もまた、そんな天候のなかで旅をしている。降っているのか、あるいはいまにも降り出しそうなのか。ホテルで朝食をとりながら、空ばかりを気にしている。雨降りとなると、今日のスケジュールを修正しなければならないのかもしれない。そんなときに、ふっくらと焼き上がった黄金色の「玉子焼」は、なぜか吉兆のように見えるから不思議である。いまにもパアっと日がさしてきそうな、そんな予感を覚えて、作者の気持ちは少しやすらいでいるのだ。むろん気休めにすぎないとはわかっていても、旅の空の下では、普段ならさして気にもとめない玉子焼ひとつにも心を動かされることがある。そして、これも立派な旅情だと言うべきだろう。もしかすると、句の玉子焼は目玉焼なのかもしれないと思った。だとすれば、気休めにはそのほうがより効果的なような気がする。「目玉焼きは太陽である」というタイトルのエッセイが、草森紳一にあったのを思い出した。『勾玉』(2004)所収。(清水哲男)


June 0862005

 梅雨よわが名刀肥後ノ守錆びたり

                           原子公平

語は「梅雨」で夏。作者、晩年の句。慷慨句とでも言うべきか。茫々たる梅雨のなか、もはや沈滞した気分を払いのけるでもなく、鬱々と楽しめぬままに過ごしている。これで若ければ、なにくその気概もわいてきたろうが、そんな気力も出てこない。このときに「肥後ノ守(ひごのかみ)」とは、いわば若い気力の代名詞だろう。昔の子供はみな、この肥後ノ守という名前の小刀(こがたな)を携帯していた。直接的な用途は鉛筆を削るためなのだが、なにせ小なりといえども刃物なのだから、実にさまざまな場面で活用されたものである。私の場合で言うと、蛙の解剖から野球のバット作りまで、教室の机にイニシァルを刻んだり、茱萸などの枝を伐ったりと、実に用途はバラエティ豊かなものがあった。たまに忘れて学校に行くと、なんだか自分が頼りなく思えたのだから、単なる鉛筆削りの道具以上の意味合いがあったことは確かだ。したがって、上級生くらいになるとときどき砥石で研いでは切れ味を確保することになる。まさに「名刀」扱いだった。でも、喧嘩に使われることは皆無に近かった。それこそ小なりといえどもが、昔の子供には節度を逸脱しないプライドがあったからである。そんなことをしたら、たちまち周囲から軽蔑される環境もあった。このような体験を持っていると、この雨の季節に掲句を吐いた作者の心情は痛いほどによくわかる。ならば「老いる」とは、いたましい存在になるだけなのか。私は私の肥後ノ守を、いま見つめなおしている最中である。いささかの錆は、隠し難くあるような。『夢明り』(2001)所収。(清水哲男)


June 1262005

 だんだんにけぶりて梅雨の木となれり

                           石田勝彦

語は「梅雨」で夏。しとしとと降りはじめた六月の雨。青葉の盛んな木は、はじめのうちは雨にあらがうような様子を見せていた。が、それもひそやかな雨に「だんだんに」けぶってゆくうちに、いつしかしっくりと梅雨に似合う木と化したと言うのである。句意はこんなところだろうが、私なりの掲句への関心は、作者が何故このような情景を詠んだのかという点にある。というのも、この情景は格別に新鮮でもなければ意外性があるわけでもないからだ。なのに、この素材で一句を構えた作者の発想の根っ子には何があるのだろうか。句にするからには、作者はこのいわば平凡な情景に面白さを覚えていることになる。その意識の先には、煎じ詰めれば自然の秩序への憧憬といったものがあるのだろう。いろいろな現象や事物が、収まるべきところに収まる。この自然の秩序に目が向くのは、やはり作者自身も収まるところに収まりたいからだと言える。つまり作者は人であって木ではないけれど、こうした情景に触れるにつけ、人であるよりもむしろ木でありたいと願望するのだ。言い換えれば、小癪な人智で自然に拮抗するのではなく、人智を離れて自然に同化したい心持ちからの作である。八十歳を越えた作者の年輪が、しみじみと腑に落ちる一句だ。『秋興以後』(2005)所収。(清水哲男)


June 1662005

 堀こえてにはとりの声梅雨小止む

                           星野恒彦

陶しい梅雨の長雨が、どういう加減からか、すうっと降り止んだ。心無しか、空も明るくなっているようだ。こういうときには単純に心が明るくなってくるものだが、その明るい心が、堀の向こう側で鳴いている「にはとりの声」を捉えたのである。「声」はいわゆる「コケコッコー」の鶏鳴ではなく、「ククククッ」といったような雌鳥のかすかな鳴き声だろう。このときに限らず、その声はいつでも聞こえているはずなのだが、普段はほとんど気がつかない。すなわち、私たちの耳はそのときの心持ちによって、聞いたり聞かなかったりしているわけだ。長雨の小休止でほっとした耳に、同じように鬱陶しさを耐えていたのであろう「にはとり」の洩らした鳴き声の、何と明るく心地よいことか。そのかすかな声には、同じ生き物として通い合う心が宿っているかのようである。句集によれば、作句は1985年(昭和六十年)だ。そんなに昔の句ではない。となれば、この声は遠くの大きな養鶏場から聞こえてきたとも解釈できるが、しかし「にはとり」の表記の意図は、やはり多くても二三羽の鶏を指しているのだと思われる。小さな農家の小さな鶏小屋。そんな懐かしいような風景が堀の向こう側にあってこそ、この句は生きてくる。たとえ想像句であったとしても、そんな現実の世界のなかで味わいたいものだ。『連凧』(1986)所収。(清水哲男)


June 1462006

 幼子に抽出一つ貸して梅雨

                           市村究一郎

語は「梅雨」。ふけとしこさんから、近著の『究一郎俳句365日』をいただいた。俳誌「カリヨン」主宰である市村究一郎の句を、一日一句ずつ一年間にわたって書き続けた鑑賞集だ。同一俳人の句を長期にわたって鑑賞した本も珍しいが、ふけさんの持続力も素晴らしい。掲句は、その六月の項にあった一句。しとしとと表は降っているので、「幼子」は遊びに出られず退屈している。たぶん、お孫さんだろう。それを何とかしてやろうと、作者は机の抽出(ひきだし)を一つ空にして貸してやったというのである。総じて幼い子は、箱の類が好きだ。理由はわからないが、段ボール箱一つ与えておけば、いつまでも物を出したり入れたり、ときには自分が入り込んだりして遊んでいる。したがって、とうぜん抽出にも関心を示すわけで、ふけさんは書いている。「機嫌よく遊ぶ子と苦笑しつつも見守っている作者の優しさが微笑ましい」。私は一読、作者のこの抽出を貸すという発想が素敵だと思った。作者が理屈からではなく、直感的に幼子の好奇心を満たす方策を思いついたところが、だ。こういうことは、案外幼子の若い両親などは思いつかないのではあるまいか。そこには、祖父と孫という年齢差から生じる不思議な親和性があるようだ。最近読んだ吉本隆明の『老いの流儀』のなかに、こんな件りが出てくる。「老人は幼稚園や中学一、二年までの子供たちだったらうまが合うんです。老人はだんだんと死に向かい、子供たちはこれから育っていく。そういう関係がいちばん合うんです」。これまた理屈ではなく、高齢者になった吉本さんの実感が言わしめた言葉だ。そこで、老人ホームを新設するのだったら幼稚園を隣接してほしいと、吉本さんは提言している。『庭つ鳥』(1996)所収。(清水哲男)


June 1162007

 螢火に男の唇の照らさるる

                           折井眞琴

の「男」が作者とどういう関係にあるのかは、わからない。でも、そのほうが良い。見知らぬ男というわけにはいくまいが、恋人や愛人のたぐいでもないだろう。作者に掌のなかでか、虫かごのなかでか、明滅している蛍を気軽に見せてくれるほどの近しさの男である。親族や兄弟かもしれないし、単なる隣近所の知りあいかもしれない。男が見せようと近づけてきたのは「螢火」であるのだが、のぞき込もうとした作者は、蛍の光よりも、それに照らされた男の「唇」に目がいってしまった。すなわち、それまでには感じたことのなかった人に、一瞬生の「男」を感じたのである。それがどうしたということでもないのだけれど、このように相手が突然突出して異性化する瞬間は、男女を問わず、誰にも思い当たるフシはあると思う。その瞬きする間ほどのエロスを、作者はよく形象化し得ている。同工の句に「弟の指美しき梅雨の家」もあって、作者の腕前もさることながら、このような内容をさらりと表現せしめる俳句という様式には、感じ入らないわけにはいかない。『孔雀の庭』(2007)所収。(清水哲男)


June 0962008

 継ぎ接ぎて延ばすいのちや梅雨に入る

                           清水基吉

者はこの三月の末に亡くなった。享年八十九。ちょうど一年前の句だ。「継ぎ接ぎて」と、「つぐ」に別々の漢字をあてたところに、この年齢ならではの実感を読み取ることができる。「継ぐ」は親からさずかった命の自然的な継承を意味し、「接ぐ」には入院治療など本人の意思で延命をはかってきたことを指している。両者あいまっての寿命というわけだが、そんな一種のあがきのなかで、今年も梅雨の季節を迎えたと言うのである。この年齢まで来ると、もはや梅雨が鬱陶しいだとか憂鬱だとかという心情的なレベルは越えていて、作者はただ季節の移り変わりの様子に呆然としているかのようである。生きてまた、今年も梅雨を迎えてしまったか……。それはしかし感慨でもなく、ましてや詠嘆でもなく、作者はただうずくまるようにして、そのことを自分に言い聞かせている。高齢の人の偽りのない気持ちがよく出ていて、読者はそこに救われるのである。この句を収めた最後の句集を、作者は生きて見ることはできなかった。『惜別』(2008)所収。(清水哲男)


June 1162008

 蛞蝓の化けて枕や梅雨長き

                           高橋睦郎

や、蛞蝓(なめくじ)の本物になど、なかなかお目にかかることはできなくなった。じめじめした梅雨どき、まあ、今なおいるところにはいるけれど。睦郎の連載「百枕」については、2007年7月にも一句とりあげてコメントしたのでくり返さない。その後媒体に変更があって、現在は小澤實の「澤」に連載されている。掲出句は「梅雨枕」という題のもとに十句発表されたなかのもの。この句とならんで「此處はしも蛞蝓長屋梅雨枕」の一句がある。「蛞蝓長屋」は古今亭志ん生が昔住んだ、知る人ぞ知る「なめくじ長屋」を指している。業平橋近くの湿地帯に建てられたこの長屋に、赤貧洗うが如き志ん生は蛞蝓や蚊柱に悩まされながら、家族と昭和三年から七年間ほど住んだ。一晩で蛞蝓が十能にいっぱいとれたという伝説的な長屋。蛞蝓はおカミさんの足に喰いつき、塩などかけても顎で左右によけて這い、夜にはピシッピシッと鳴いた、と志ん生は語っていた。睦郎は好きだったという志ん生や「なめくじ長屋」にもふれているが、蛞蝓が「枕」に化けるというのだから豪儀な句ではないか。この枕、気持ち悪さを通り越して滑稽千万な味わいがある。「なめくじ長屋」の縁の下あたりには、枕ほどの大きさの蛞蝓の主(ぬし)が息を潜めていたかもしれない。蛞蝓が化けたら、いかにも昔風のごろりとした枕にでもなりそうだ。まさしく梅雨どきのヌラッと湿った枕。「梅雨長き」は時間的長さだけではなく、お化け蛞蝓の「長さ」でもあろう。梅雨・蛞蝓・黴――それらを通過しなければ、乾いた夏はやってこない。「澤」(2008年6月号)所載。(八木忠栄)


June 2462008

 邪悪なる梅雨に順ひをれるなり

                           相生垣瓜人

ひは、従うの意。毎日続く邪悪な雨に渋々従っているのだという作者には、他にも〈梅雨が来て又残生を暗くせむ〉〈梅雨空の毒毒しきは又言はじ〉〈卑屈にもなるべく梅雨に強ひられし〉と、よほど梅雨の時期がお嫌いだったようである。雲に隠れた名月を眺め、炎天にわずかな涼しさを詠み取る俳人に「あいにくの天気はない」というが、これもやせ我慢や強がりから出る言葉だろう。そこに風雅の心はあるのだと言われれば納得もするが、たまには「嫌いは嫌い」とはっきり言ってくれる句にほっとし、清々しさを感じることもある。『雨のことば辞典』(倉嶋厚著)に「雨禁獄(あめきんごく)」という言葉を見つけた。大切な日に雨ばかり降ることに立腹した白河院が、雨を器にいれて牢屋に閉じ込めた故事によるという。雨乞い、晴乞い、ひいては生け贄をもってうかがいを立てるなど、天災にはきわめてへりくだったやり方が採用されていた時代に、なんと大上段の構えだろう。しかし、この八つ当たり的な措置に愛嬌と童心を感じるのも、また掲句に浮かぶ微笑と等しいように思う。『相生垣瓜人全句集』(2006)所収。(土肥あき子)


June 3062009

 青梅雨や櫂の届かぬ水底も

                           高柳克弘

梅雨という言葉は、俳句を始めるずっと以前に永井龍男の小説で知った。ある雨の日のできごとを淡々と綴るこの作品は、いつ読み返しても、平明な言葉のかたまりが、突如人間の肉体と表情を持ってそこにあらわれる。掲句でも、中七の「櫂」が、まるで水中に伸ばした腕の、開いた五指の、さらにもっと先をまさぐるような感触を思わせ、うっとりと、少し気味悪く、水の底の景色を見せている。そして、おしまいにそっと置かれた「水底も」の「も」に、この世のあらゆるものが濡れ濡れと雨に輝いている様子につながる。質のよい一節は時折、見えないものを手にとるように見せてくれる。青々と茂る葉を打つ梅雨の雨は、路上を打ち、水面を打ち、ぐっしょりと水底を濡らしている。降り続く雨のなか、小さな傘の内側で濡れない自分をどうにも居心地悪く思うことがある。小説のなかで会話する家族より、櫂の届かない水底より、ずっと不自然な場所に立たされているかのように、ふわふわと足元がおぼつかなくなる。〈噴水の虹くぐりては巣作りす〉〈巻貝は時間のかたち南風〉『未踏』(2009)所収。(土肥あき子)


June 0962010

 梅雨の夜や妊るひとの鶴折れる

                           田中冬二

ろそろ梅雨の入り。梅の実が熟する時季に降る雨だから梅雨。また、栗の花が咲いて落ちる時季でもあるところから「墜栗花雨(ついりあめ)」とも呼ぶと歳時記に説明がある。雨の国日本には雨の呼称は数多くあるけれど、「黴雨」「梅霖」「荒梅雨」「走梅雨」「空梅雨」「梅雨晴れ」などなど、梅雨も多様な呼び方がされている。さて梅雨どき、昼夜を通して鬱陶しい雨がつづいている。妊った若妻であろうか、今夜も仕事で帰りの遅い夫を待ちながら、食卓で所在なく黙々と千代紙で鶴を折っている。「鶴は千年……」と言い伝えられるように、長寿の動物として鶴は古来尊ばれてきた。これから生まれてくる吾子が、健やかに成長してくれることと長寿を願いながら、一つ二つと鶴を折っているのであろう。静けさのなかに、雨の夜の無聊と、生まれてくる吾子に対する愛情と期待が雨のなかにもにじんでいる。冬二には『行人』『麦ほこり』など二冊の句集があるが、実作を通して「俳句は決して生やさしいものではない」と述懐している。相当に打ち込んだゆえの言葉であろう。筆者は生前の冬二をかつて三回ほど見かけたことがあるけれど、長身痩躯で眼鏡をかけ毅然とした表情が印象に強く残っている。冬二の句に「白南風や皿にこぼれし鱚の塩」がある。たまたま梅雨と鶴を組み合わせた句に、草田男の「梅雨の夜の金の折鶴父に呉れよ」がある。平井照敏編『新歳時記』夏(1990)所載。(八木忠栄)


June 2362010

 立札のなき花ありて梅雨の園

                           田村泰次郎

園に咲くそれぞれの花には、たいてい名前を書いた札が立ててある。薔薇園などでもうるさいほどマメに札が立てられている。プリンセス・ダイアナ、プリンセス・ミチコ……といった具合である。薔薇にかぎらず花に見覚えはあっても、名前まで詳しくない当方などにはありがたい(すぐに忘れてしまうのだけれど……)。もっともダイアナとミチコの違いなど、当方にはどうでもよろしい。梅雨どきの花園は、訪れる人も少ないだろう。そうしたなかで、なぜか立札がない花があったりする。立札のあるものはスッと見て過ぎるにしても、立札のない花には妙に気にかかって、しばし足を止めしまうことがある。掲句では、花の前に何人かかたまって覗き込んでいるご婦人方が、あれよこれよと知識をひけらかしているのかもしれない。さりげない花でも、立札があれば一人前に見えるからおかしい。雨が降っていたり曇天だったりすると、立札のないのが歯抜けのように妙に気にかかってしまったりする。何気ないこまやかな着眼にハッとさせられる句である。泰次郎は小説「肉体の悪魔」「肉体の門」などで敗戦直後にセンセーションを巻き起こした。映画にもなった。そんなことを知る人も少なくなった。泰次郎には多くの俳句がある。「故旧みなひと変りせる祭りかな」「昨日来し道失へる野分かな」。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


October 08102010

 我を捨て遊ぶ看護婦秋日かな

                           杉田久女

性看護士への悪口。「芋の如肥えて血うすき汝かな」同時期にこんな句もある。僕の友人だった安土多架志は長く病んで37歳で夭折したが、神学校出で気遣いのある優しい彼でさえ、末期の病床で嫌な看護婦がいるらしかった。その看護婦が来るとあからさまに嫌な顔をした。病院という閉鎖的な状況に置かれた人の気持ちを思えばこういう述懐も理解できる気がする。同じように長く病んだ三好潤子には「看護婦の青き底意地梅雨の夜」ある。それにつけても看護の現場に生きる人は大変だ。閉鎖的空間に居ることを余儀なくさせられた病者の気持ちに真向かう職業の難しさ。俳句は共感というものを設定し、それに適合するように自己を嵌め込むのではなくて、まず、自分の思うところを表現してみるということをこういう俳句が示唆してくれる。「詩」としての成否はその次のこと。『杉田久女句集』(1951)所載。(今井 聖)


May 3052011

 愚かゆえ梅雨どしゃ降りを酒買いに

                           今江立矢

雨の句には、当たり前だが鬱陶しいものが多い。この句では、ご当人はさぞかし鬱陶しいことだろうが、読者にはむしろ明るく感じられる。ドジな人だなあと、可笑しくなってくるからである。酒くらい降ってない日に前もって買っておけばよいのに、それを選りに選ってどしゃ降りの中を買いに行くとはね。でも、そんな思いをしてまで買いに行くのが酒飲みというものだ。よほど今夜は飲むのをやめようかと何度も逡巡したけれど、結局は辛抱たまらずの外出なのだろう。降りしきる雨のなか、ズボンの裾を濡らしながら、おのれの愚かさを自嘲している。「愚かゆえ」には間違いないけれど、この愚かさは事情や場面が違えば、実はまた読者のそれでもあるだろう。だから、読者はこの句の作者に愛すべき人間像を見いだして、微笑することができるのである。まことに俳句とは「思い当たりの文芸」である。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)


June 0562011

 梅雨深し名刺の浮かぶ神田川

                           坂本宮尾

の句の中には、気持ちをとらえて放さない言葉が3つもあります。贅沢です。季語の「梅雨」のほかに、「名刺」と「神田川」。とくに神田川と聞けば、多摩川でも隅田川でも江戸川でもなく、特別にしっとりとした抒情を感じるのは、誰もが有名なフォークソングを思い浮かべるからです。固有名詞がまとうイメージに、どこまで邪魔されずに句を詠むかという考えがある一方で、逆に、どこまでちゃっかり利用できるかを考えるのも、創作の楽しみと言えます。ただ、ここに出てくる神田川には、手ぬぐいをマフラーにして歩いている若い二人が出てくるわけではありません。川面に浮かぶ名刺から、何を想像するかは、今度は読者の楽しみとなります。リストラにあった会社の名刺なのか、昇進していらなくなった昔の肩書の名刺なのか。梅雨の雨と、さらに神田川に濡れそぼった名刺から感じられるのは、結局やるせない人生には違いありません。『現代俳句の世界』(1998・集英社) 所載。(松下育男)


June 1962013

 梅雨ごもり眼鏡かけたりはずしたり

                           ジャック・スタム

文:shut in by rain / putting on my glasses / taking them off。故ジャック・スタムは知る人ぞ知る英文コピーライターで、俳人との交流も少なくなかった。ドイツ生まれのアメリカ人だったが、俳句は自ら英語と日本語で書いたほどの日本通。眼鏡はしょっちゅう曇るから、日に何度もはずしては拭かなければならない。まして梅雨どき、降りこめられて家から出られないときの鬱陶しさはかなわない。「かけたりはずしたり」の厄介さは、眼鏡をかけている人にとって梅雨どきならずともたまらない。「梅雨ごもり」などという古風な表現は、現代俳人の句にもあまり見られない。もっとも、梅雨であろうが、かんかん照りであろうが、現代人はこもってなんぞいないで、クルマでどこへでもスイスイ出かけるかーー。ジャックは趣味が幅広かった。十三年間親しく付き合って、俳句も手ほどきしたという江國滋は「(ジャックは)なんの因果か、日本語で俳句を作る趣味にとりつかれてしまった」と指摘しているが、句集には日本語と英語両表記の秀句がならぶ。1987年「日本語ジャーナル」誌の俳句コンクールで金賞を受賞した。他に「入梅の底を走るや終電車」「ひらがなでおいしくみえる鰻かな」もある。『俳句のおけいこ』(1993)所収。(八木忠栄)


June 2062013

 青梅雨や部屋がまるごと正露丸

                           小林苑を

ッパのマークの正露丸。お腹が痛いときのみならず虫歯にも効くという万能薬。その昔、フンコロガシの糞のような正露丸や黄色っぽい肝油を顔をしかめて飲んだものだ。あの独特のにおいと味。漢方薬を飲み慣れた人はなんとも思わないかもしれないが、小学生の私には嫌な薬だった。梅雨時のじめじめした部屋が「まるごと」正露丸!まるで部屋の中にいる自分も正露丸の中に丸め込まれたみたい。じめじめと毎日降り続く雨に悩まされているとき、陰気臭くてやだなあ。と愚痴をこぼす代わりに「部屋が丸ごと正露丸」と呟けば漫画チックな図が想像されてクスッと笑えそう。『点る』(2010)所収。(三宅やよい)


June 2362013

 梅雨雲の裂けたる空に岳赭き

                           水原秋桜子

和十四年、『蘆刈』所収。磐梯山と檜原湖を詠んだ連作の一つです。山岳雑誌『山と渓谷』に見る山岳写真のように、構図が決まった句です。作者は、梅雨雲のむこうに岳赭き(やまあかき)を置いて、遠近法の構図におさめています。同時に、不安定な梅雨の雲行きの中に、一瞬の裂け目からその赭き威容を現わにする磐梯山に出会う。それは、動中静在りの邂逅でしょう。句中に描かれている要素は、水・空気・光・土の非生命です。灰色に湿った視界の中に一瞬垣間見えた磐梯山の「赭」は、それらの要素に火山の火を加え、色彩が強調されています。また、下五を「赭し」ではなく「赭き」と体言止めにしたところも、磐梯山の「赭」は形容ではなく、土質そのものの物質性を示しているように読みます。(小笠原高志)


June 2462013

 沢蟹が廊下に居りぬ梅雨深し

                           矢島渚男

の句には、既視感を覚える。いつかどこかで、同じような光景を見たことがあるような……。しかし考えてみれば、そんなはずは、ほとんどない。廊下に沢蟹がいることなど、通常ではまずありえないからである。にもかかわらず、親しい光景のような感じは拭いきれない。なぜだろうか。それはたぶん「廊下」のせいだろうなと思う。それも自宅など住居の廊下ではなく、学校や公民館などの公共的な建物のそれである。これが自宅の廊下であれば、きっと作者は驚いたり、訝しく思うはずだ。いったい、どうやって侵入してきたのだろう。いつ誰が持ち込んだのか、という方向に意識が動くはずである。ところが作者は、少しも驚いたり訝しく思ったりはしていない。そこに沢蟹がいるのはごく自然の成り行きと見ており、意識はあくまでも梅雨の鬱陶しさにとらわれている。公共の建物の廊下は、家庭のそれとは違って道路に近い存在なので、見知らぬ人間はもとより、沢蟹のような小さな生き物がいたとしても、あまり違和感を覚えることはない。降りつづく雨の湿気が充満しているなかに、沢蟹が這う乾いた音を認めれば、作者ならずとも微笑して通り過ぎていくだろう。そしてまた、意識は梅雨の暗さに戻るのだ。と思って句を読み返すと、見たこともないはずの情景が一層親しく感じられてくる。『延年』(2002)(清水哲男)


March 2932014

 春雷や暗き茶の間に妻と客

                           渡邊そてつ

子編歳時記の春雷の項に、柔らかな春にはためくのも趣がある、とあり、はためくは、はたたくと同義で鳴り響くことだという。これが春雷か、と認識したのはかなり前だが、あっと思ってから耳を澄ましていても二度と聞こえなかった記憶がある。何回かここに句を引いている『現代俳句全集』(1954・創元社)の第二巻からの一句、六十年前の現代である。子規、虚子、に始まって、爽波、風生、立子、青邨等々見知った名前は多くはなく、総勢百四十二人がそれぞれ三十句〜七十句余りを載せている。掲出句の作者は医学博士とある。この句は<坂の灯の暗くはあれど初桜 ><日に幾度蔵に用ある梅雨の傘 >に挟まれているので、日常の一瞬の景と思われるが、一句だけを読むとそこに物語めいた不思議な艶が感じられる。これが夏の雷であったらおどろおどろしい気がしてしまう、というのは考えすぎか。(今井肖子)


June 0962014

 梅雨冷えや指にまつはるオブラート

                           佐藤朋子

薬がカプセルに入れられるようになってから、あれほど普及していた「オブラート」を見かけなくなった。若者だと、知らない人のほうが多いかもしれない。「デンプンから作られる水に溶けやすい半透明の薄い膜のこと」などと説明しても、イメージがわいてくるかどうか。梅雨時に身体をこわしている作者は、苦い粉薬を飲もうとしている。いつものように何気なくオブラートを箱から取りだして薬を包もうとしたら、指にからみついてきてうまく広げられない。室温が低いために、オブラートが指の温度に敏感に反応したわけだ。ただそれだけの些事を詠んでいるのだが、このことがこのときの「梅雨冷え」の様子を具体的に告げていて、印象的な句になっている。ちなみに、「オブラート・oblaat」はオランダ語だそうである。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


June 1462014

 梅雨の花林にしろく野にしろし

                           水原秋桜子

日、梅雨時の日差は白いですね、と言われなるほどと思った。曇っていても、本来は強い夏の太陽の存在が梅雨雲の向こう側に感じられる。そして、山法師、梔子、など木に咲く花から、群れて明るい十薬や雨に重たげな蛍袋など、白い花も目につく。自然の白は豊かで優しく、掲出句もそんな花の色の句のはずが、しろく、しろし、とひらがなで重ねると強く、どこか穏やかかならざりしの感があるなと思いながらいろいろ見ていると『秋櫻子俳句365日』(1990)に載っていた。六月の項の著者有働亨氏は、掲出句の前にある<人ふたりへだつ林や梅雨の蝶 >の前書「石田波郷君は東京療養所に、山田文男君は清瀬病院にあり」を引いて「(この重複した表現は)病弟子二人を思う秋櫻子の晴れやらぬ心の韻律」と述べている。そういう背景を思いながら読み返すと、作者の後姿とその目の前で無垢な白が濡れているのが見えてくる。句集『霜林』(1950)所収。(今井肖子)


June 1862014

 梅雨樹陰牡猫が顔を洗ひ居り

                           木山捷平

が顔を洗うと雨が降る、という言い伝えを捷平は知っていて、この句を作ったのだろうか。梅雨どきだから、猫はふだんよりしきりに顔を洗うのだろうか。さすがの猫も梅雨どきは外歩きもままならず、樹陰で雨を避けながら無聊を慰めるごとく、顔を撫でまわしている。ーーいかにものんびりとした、手持ち無沙汰の時間が流れているようだ。猫はオスでもメスでもかまわないだろうが、オスだから、何かしら次なる行動にそなえて、顔を洗っているようにも思われる。猫の顔洗いはヒゲや顔に付いた汚れを取る、毛づくろいだと言われる。しとしとと降りやまない雨を避けて、大きなあくびをしたり、顔を洗ったり、寝てみたりしている猫は、この時季あちこちにいそうである。ちょっと目を離したすきに、どうしたはずみか、突如雨のなかへ走り出したりすることがある。捷平が梅雨を詠んだ句には「茶畑のみんな刈られて梅雨に入る」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


June 2862014

 梅雨に和す鰭美しき魚焼いて

                           神尾久美子

こんな感じです、と送られてきた動画を見てびっくり、かなり大きい雹が降っている映像、都内からだ。その日は都心でも雷が遠く聞こえて空は暗く大雨の予感、まさに梅雨最中という一日だった。うっとおしいけれど梅雨が無ければお米も実らないしな、などと言いつつ六月も終わる。雨ばかりだと滅入りもするが、外の雨を見ながらの家居は小さな幸せを感じるものだ。ゆっくりと時間を使って過ごせるそんな日は、勢いよく炒め物を作るより、じっくりと魚を焼く方が似合っている。グリルでタイマー、ではなく網で、魚が焼けていく様をじっと見ている作者。少し焦げ色のつき始めた鰭を美しいな、と思った時、和す、という美しい言葉が浮かんだのだろう。『新日本大歳時記 夏』(2000・講談社)所載。(今井肖子)


June 1362015

 入梅を告ぐオムレツの黄なる朝

                           山田弘子

の時期に雨が降らなければ水不足になるしあれこれ育たないし困るのだ、と分かってはいる。それでも〈世を隔て人を隔てゝ梅雨に入る〉(高野素十)、これからしばらくは雨続きですよ、と宣言されてなんとはなしに気分が沈むのが梅雨入りだろう。掲出句で入梅を告げているのは朝のテレビ、作者はちょうど朝食のオムレツの前に座ったところだ。雨模様の窓を見つつ、当分はこの雨が続くのかやれやれ、と思いテーブルのオムレツに目をやると、光を思わせる卵色とあっけらかんと赤いケチャップがいつにもまして鮮やかに見え、よし、という気分になる。そして、隔てるどころかその日もたくさんの人に明るい笑顔を見せて過ごしたにちがいない。『彩 円虹例句集』(2008)所載。(今井肖子)


June 2462015

 母恋ひの舳倉(へくら)は遠く梅雨に入る

                           水上 勉

登半島の先端輪島の沖合に舳倉島はある。周囲5キロの小さな島である。一般にはあまり知られていないと思われる。近年は定住者もあり、アワビ、サザエ、ワカメ漁がさかんで、海士の拠点になっているという。野鳥観察のメッカとも言われるから、知る人ぞ知る小島である。私はもう40年ほど前に能登半島を一人旅したとき、輪島の浜から島を眺望したことがあった。鳥がたくさん飛び交っていた。作者は「雁の寺」や「越前竹人形」「越後つついし親不知」などで知られているが、母恋物を得意とした。梅雨の時季に淋しい輪島の浜にたたずんで、雨にけむる舳倉島をじっと眺めて感慨にふけっている様子が見えてくる。「母恋ひの舳倉」の暗さは、心憎いほどこの作家らしく決まっている俳句である。母への愛着恋着は時代の変遷にかかわりはあるまいけれど、「母恋ひ」などという言葉は近ごろ聞かれなくなった。作者には似た句で、他に「母恋ひの若狭は遠し雁の旅」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


June 0762016

 突支棒はづれて梅雨に入りにけり

                           加藤静夫

雨の形容は、土砂降り、篠突く雨、バケツをひっくり返したような雨などなど。そしてあらたに「突支棒(つっかいぼう)がはずれたような雨」も掲句によって誕生した。それは、空のどこかにぶよぶよとした雨の袋が積まれていて、一本のつっかい棒で支えられているのだろう。おそらく天上にはつっかい棒を外す「梅雨棒外し」のような要職があり、うやうやしく棒を外す日などもあり、晴れて(晴れては変か…)棒が外されると、雨袋は我先にと地上へと転がり出ていくのだろう。つらつら考えてみると、梅雨の降雨量が夏の間の水を蓄えるわけで、天上から地下へ、水の固まりを移動させているだけではないのだろうか。雨の続く地表で、おろおろしている私たちがなんとも不格好で気の毒な生きもののように思われる。集中には〈遠足の頭たたいて頭数〉〈すでに女は裸になつてゐた「つづく」〉など、ニコリやニヤリが連続する一冊。『中略』(2016)所収。(土肥あき子)


June 1562016

 梅雨空に屋根職(やねしき)小さき浅草寺

                           玉川一郎

陶しい梅雨空がひろがっている。参道から見上げると、浅草寺本堂の大きな屋根を修繕している職人の姿が、寺の大きさにくらべ小さく頼りないものとして眺められる。梅雨曇りの空だから、見上げるほうも気が気ではない。はっきりしない梅雨空に、屋根職の姿と寺の大きさが際立っていて、目が離せないのであろう。「屋根職」は屋根葺きをする職人のこと。先日のテレビで、せっかく浅草寺を訪れた外人観光客たちが、テントで覆われた雷門にがっかりしている様子が紹介されていた。気の毒であったけれどやむをえない。そう言えば何年か前、私が浅草寺を訪れたとき、本堂改修のためあの大きな本堂がすっぽり覆われていて、がっかりしたことがあった。ミラノの有名なドゥオーモ(大聖堂)を初めて訪れたときも、建物がすっぽり覆われていたことがあって「嗚呼!」と嘆いた。しかもそのとき、無情にも2月の雪が降りしきっていた。そんなアンラッキーなこともある。一郎には他に「杉高くまつりばやしに暮れ残る」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


July 1072016

 ここにここに慶喜の墓梅雨曇

                           戸板康二

書に「谷中」とあります。何人かで墓地を散策、あるいは吟行中。「ここにあった、ここにあった」の声が出て、最後の将軍、徳川慶喜の墓を見つけました。梅雨曇りのおかげで日差しは強くなく、やや湿りがちですが、それほど暑くないお散歩日和のようで座はなごやかです。「ここにここに」の声が出て、一同お墓に気持ちを寄せているからでしょう。そしてもうひとつ、読む者には、ひらがなと漢字を使い分ける効果を伝えています。「ここにここに」というひらがなの表記をくり返すことで、墓地を歩く一行は、句の中に「ここにここに」という足跡を残しています。「こ」で一歩。「ここ」で二歩。俳句だから「ここにここに」で百歩くらい。このひらがなの使い方は、 意味に加えた視覚効果です。下駄の歯形のようにも見えてきます。句集は縦書きなのでもっとそうです。少し迷ってやや回り道をしたので字余りなのかもしれません。そんな想像を読む者に託して、中七以下は、画数の多い漢字表記が中心です。「慶喜」は固有名 詞であるうえに、激動の時代を生きた彼の人生を思うと、ひらがなカタカナでは軽すぎます。「梅雨曇」は、この三文字で空を灰色に覆い尽くす力があります。上五はひらがなで軽くビジュアルに、中七以下は漢字で重厚に。日本語を読めない人は、この文字の配列をどのように見るのでしょう。世界には315種類の文字がある中で、複数の文字を使い分けているのは日本語だけです。使い分けを遊べる文字をもってる楽しさ。『花すこし』(1985)所収。(小笠原高志)




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