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July 0271996

 梅干すといふことひとつひとつかな

                           石田郷子

は必ずアルミニュームの弁当箱に梅干しを入れてくれた。しかし不思議なことに、母が梅干しを食べるのを見たことがない。土用干。ひとつ、ひとつ。生活をみつめるとはこういうことなのだろう。『秋の顔』所収。(八木幹夫)


August 1281997

 塩漬けの小梅噛みつつ冷酒かな

                           徳川夢声

声は、映画弁士、漫談家として話術の大家であった。俳句が好きで、いとう句会のメンバーとなり、おびただしい数の俳句を作った。彼の句集を古書店で求めて読んだ井川博年によると、数は凄いがロクな句はないそうだ。掲句にしても、なるほどうまくはない。「それがどうしたの」という感想だが、しかし、この冷酒はうまそうである。酒好きも有名で、戸板康二は次のように書いている。「大酒家で、映画館で眠ってしまったり、放送できないので古川緑波が声帯模写で代役をつとめたという珍談もある。英国女王の戴冠式に招待されていく船の中で吐血し、晩年は停酒と称して一切アルコールを絶っていたが、酔っているようなユーモラスな口調で誰ともしたしみ、愛される人柄だった。……」(旺文社『現代日本人物事典』)。(清水哲男)


October 12102004

 梅干の真紅を芯に握り飯

                           中嶋秀子

語は「梅干」で夏。梅を干す季節から定まった季語だが、句のように「握り飯」とセットになると、夏よりもむしろ秋を思わせる。運動会の握り飯、遠足やハイキングの握り飯など、とりわけて新米でこしらえた握り飯は美味かった。当今のスーパーで売っているようなヤワな作りではなく、まさに梅干を「芯(しん)」にして固く握り上げたものだ。飾りとしか言いようのない粗悪な海苔なんかも巻いてなくて、純白の飯に真紅の梅干という素朴な取り合わせが、目の保養ならぬ目の栄養にもなって、余計に食欲が増進し、美味さも増したのだった。掲句は、そうした視覚的な印象を押し出すことによって、握り飯本来の良さを伝えている。昔話「おむすびころりん」のおじいさんが取り落とした握り飯も、きっとそんな素朴なものだっのだろう。ついでに引いておけば、明治時代の教科書には、こんな梅干しの歌が載っていたそうだ。「二月・三月花ざかり、うぐいす鳴いた春の日のたのしい時もゆめのうち。五月・六月実がなれば、枝からふるい落とされて、近所の町へ持ち出され、何升何合はかり売り。もとよりすっぱいこの体、塩につかってからくなり、しそにそまって赤くなり、七月・八月暑い頃三日三晩の土用干し、思えばつらいことばかり、それも世のため人のため。しわはよっても若い気で、小さい君らの仲間入り、運動会にもついて行く。まして腹痛のその時は、なくてはならぬこのわたし」。『玉響』(2004)所収。(清水哲男)


June 2062007

 梅漬けて母より淡き塩加減

                           美濃部治子

い頃から梅干甕は、お勝手の薄暗く湿ったあたりにひっそりと、しかし、しっかりと置かれ、独特の香りをうっすらとただよわせていた。赤紫蘇を丹念に揉んでしぼりこんでは、くりかえし天日に干す作業。そうやって祖母が作った梅干は、食紅を加えた以上に鮮やかな真ッ赤。そしてすこぶる塩が強く酸っぱいものだった。食が進み、梅干一個で飯一膳が十分に食べられた。今も食卓では毎食梅干を絶やさないが、市販の中途半端に薄茶色のものや食紅を加えたものは願いさげ。自家製の梅干は祖母から母、母から妻へと何とか伝授されている。食事にきりっとアクセントをつける梅干一個の威力。減塩が一般化してきて、祖母より母、母より娘の作る料理の塩加減は、確実に淡くなってきている。塩加減がポイントである梅干もその点は例外ではない。さて掲出句。かつて母が丹精して作っていた梅干の塩辛さをふと思い出し、「でもねえ・・・」と自分に言い聞かせながら、漬けた梅干を試食しているらしい様子はむしろほほえましい。自分(娘)ももうそんなに若くはなく、母の年齢に近いのだろう。梅干にはその家なりの伝来の塩加減や色具合もあって、それがちゃんと引き継がれているだろうけれど、塩加減はやはり時代とともに少々変化してくるのはやむを得ない。治子は古今亭志ん生の長男・金原亭馬生(十代目。1982年歿)夫人。馬生も俳句を作ったが、治子は黒田杏子に師事し、本格的な句を残して昨年十一月に亡くなった。ほかに「十薬にうづもれをんな世帯なる」「去るものは追はず風鈴鳴りにけり」など。『ほほゑみ』(2007)所収。(八木忠栄)


May 2752008

 打ち返す波くろぐろと梅雨の蝶

                           一 民江

週22日の沖縄の梅雨入りを皮切りに、今年もじわじわと日本列島が梅雨の雲におおわれていく。先日、雨降りのなかで、今までに見た最高に美しい空の思い出を話していたら、「南アルプス甲斐駒ケ岳で見た空は青を通り越して黒く見えた」という方がいた。あまりに透明度が高く、その向こうにある宇宙が透けて見えたのだと思ったそうだ。それが科学的根拠に基づいているのかそうでないかは別として、聞いている全員がふわっと肌が粟立つ思いにかられた。美しさのあまり、見えないはずの向こうが見えてしまうという恐怖を共有したのだった。掲句の波も、見えるはずのない海の奥底を映し出してしまったような恐ろしさがある。そこに梅雨のわずかな晴れ間を見つけ、蝶が波の上を舞う。春の訪れを告げる軽やかな蝶たちと、夏の揚羽などの豪奢な蝶の間で、梅雨の蝶はあてどなく暗く重い。タロットカードに登場する蝶は魂を象徴するという。もし掲句のカードがあったとしたら、「永遠に続く暗雲に翻弄される」とでも言われそうな衝撃の絵札となることだろう。〈よく動く兜虫より買はれけり〉〈梅を干す梅の数だけ手を加へ〉〈送り火のひとりになつてしまひけり〉『たびごころ』(2008)所収。(土肥あき子)


July 1272008

 干梅や家居にもある影法師

                           山本洋子

供の頃に住んでいた家には梅の木があり、毎年たくさんの実をつけた。縁側にずらりと梅の実が干されていたのは梅雨が明けてから、もうすぐ夏休みという、一年で一番わくわくする時期だったように思う。この句の梅は、外に筵を敷いて干されているのだろう。小さな梅の実にはひとつずつ、濃い影ができている。影は、庭の木に石に、ひとつずつじっと寄りそい、黒揚羽と一緒にやぶからしのあたりをひらひらしている。干している梅の実がなんとなく気にかかって、日差しの届いている縁側あたりまで出てくると、それまでひんやりとした座敷の薄暗がりの中でじっとしていた影法師が姿を見せる。影法師という表現は、人の影にだけ使われるという。寓話の世界では、二重人格を象徴するものとして描かれたりもするが、じっと佇んで影法師を見ていると、どこにでもついてくる自らの形を忠実に映している黒々としたそれが、自分では気がついていない心の奥底の何かのようにも思えてくる。『木の花』(1987)所収。(今井肖子)


July 1272010

 梅丁寧に干し晩年と思ひけり

                           関 芳子

人はもとより、誰にもその人の「晩年」はわからない。晩年とは、その人の死後に生き残った人たちがその人のある年月を定義する言葉である。だから句の「晩年」は言葉遣いとしてはおかしいのだが、しかし主観的には死の間近さをこのように感じることはありそうだ。毎年くりかえして同じように梅を干してきたが、気がつけば今年はずいぶんと丁寧に干したのだった。このようないわばルーティンワークに、半ば無意識にせよ特別な気遣いをしたということは、死がそう遠くはないからなのかもしれない。そうでなければ、梅のひとつぶひとつぶをいとおしむような行為が自然にわいてくるはずもない。作者はそう思い、わがことでありながらあえて「晩年」という言葉を使った。この心理は若い人にはわかるまいが、高齢者には多かれ少なかれ普通についてまわるものだ。むろん、私とて例外ではない。性来がずぼらなのに、ときどきこれではいけないと何かをやり直したりするようになった。「晩年」と結びつけたくはないけれど、そうなのかもしれない。いずれにしても、年を取ってくると、これまでになかったような行為に我知らずに出ることがあるのは間違いないようだ。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)




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