名取里美の句

November 16112010

 初冬や触るる焼きもの手織もの

                           名取里美

ャサリン・サンソムの『LIVING IN TOKYO』は、イギリスの外交官である夫とともに昭和初期に日本に暮らした数年をこまやかな視線で紹介した一冊である。そのなかで、ある日本人の姿として店に飾られている一番高価な着物を、買えるはずもない田舎の女中のような娘があかぎれの手で触れているのを見て驚く。そして「日本では急き立てられることもなく、娘は何時間でも好きなだけ着物に触ったりじっと眺めていることができます」と、誰もが美しいものに触れることのできる喜びを書いている。布の凹凸、土のざらつき、どれも手から伝わる感触が呼び起こすなつかしさがある。わたしたちはそれぞれの秘めたる声に耳を傾けるように手触りを楽しむ。初冬とは、ほんの少し寒さが募る冬の始まり。まだ震えるほどの寒さもなく、たまには小春のあたたかさに恵まれる。しかし、これから厳しい冬に向かっていくことだけは確かなこの時期に、ふと顔を出す人恋しさが「触れる」という動作をさせるのだろう。動物たちが鼻先を互いの毛皮にうずめるように、人間はもっとも敏感な指先になつかしさを求めるのかもしれない。〈産声のすぐやむ山の花あかり〉〈つぎつぎに地球にともる螢の木〉『家』(2010)所収。(土肥あき子)


February 0422011

 若布干す鳩も鴉も寄つてくる

                           名取里美

ってくる鳩や鴉は若布を狙っているのではないだろう。浜に打ち上げられる雑魚の死骸などが目的か、あるいは干す人の温情にすがって何かもらうつもりだ。この場面から先、鳩や鴉は目的を達したのか。それが気になる。人を介護したり、犬猫を可愛がったり、孫になんでも買ってやろうとしているあなた、鳩と鴉にも少しでいいから喜捨を。『家族』(2010)所収。(今井 聖)




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