隅谷三喜男 ◎東京大学名誉教授 ◎1916年8月26日生まれ 1937年 第一高等学校卒 1941年 東京大学経済学部卒 ―高在学中、本郷より駒場へ移転となり、移転前後、移転準備委員 1936年 寮総代会議長 1948年 東京大学経済学部助教授 1955年 同 教授 小出昭―郎 ◎東京大学・山梨大学名誉教授 ◎1947年3月 旧制静岡高校理科甲類卒業 1950年3月 東京大学理学部物理学科卒業 1950〜86年 東京大学教養学部(物理)助手・助教授・教授 この間 評議員二期、学部長 1986〜92年 山梨大学長 1994年〜 山梨県立女子短期大学長 田中秀征 ◎前経済企画庁長官 ◎昭和15年9月 長野県に生まれる 昭和40年3月 東京大学文学部卒業 第32期察委員長 昭和58年12月 衆議院議員初当選(61年6月迄) 平成2年3月 北海道大学法学部卒業 平成2年4月 福山大学教授(現職) 平成2年2月 衆議院議員再当選(8年11月迄) 平成3年11月 経済企画庁政務次官 平成5年7月 新党さきがけ結成 平成5年8月 首相特別補佐 平成8年1月 経済企画庁長官 金子万平 ◎フリー(物書き)/ 長野県農村文化協会理事 ◎1941年4月長野県上田市生まれ。 1960年東大入学、駒寮住まい(音感、部落研、劇研)。 1970年より長野市および近辺に在住、 フリー稼業二〇年。 主な著書に『修那羅の名神仏』『信州そばの話』『真田一族のふるさと』 『ムラのきた道』など。 長谷川和彦 ◎映画監督 ◎1946年 広島生まれ 1964〜65年 駒場寮に在寮(ギリシャ悲劇研究会所属) 1968年 今村プロ助監督として映画『神々の深き欲望』に参加 1976年 『青春の殺人者』で監督デビュー 1979年 『太陽を盗んだ男』 1983年 映画製作会社『ディレクターズカンパニー』設立(10年後に倒産) 現在 来年撮影予定の「連合赤軍』の準備中 友光健七 ◎弁護士(友光法律事務所) ◎1948年生 ◎1967年4月 駒場寮入寮 1968年6月 同寮委員長就任 直後に東大闘争発生` 1970年7月 全国学生寮自治会連合 (全寮連)委員長就任 1976年4月 弁護士 大池功 駒場寮在籍は[76.4―80.3]公害研−食事部−ひのもと救霊会―文理研。 やったことと酋えば、寮食堂の仕事(皿洗いから 宿直まで)、JAZZ、 反差別・三里塚・反「百年年」その他諸々の闘争、パイト、そして酒、‥… 今は一児の父、私立中学校教師、琉球民謡愛好家。琉球の自立,解放と 自らの演奏カの飛躍的向上を望む毎日です。 1957.10.31.生まれ。住んだ場所は川崎─世田谷―新潟−高槻―栗東─ 練馬─東村山─日野─駒場!─新宿―国立―小金井─調布─府中─調布。 都立立川高校─(76)─理科2類─(80)―教育[学校教育](83卒)
西村秀夫
(1997年6月15日)にしむら・ひでお 元教養学部学生部専任教官
信貴辰喜
「失はじ我らがほこり 護り来し伝への法火(ともし) 浄らかに燃えさかるとき 継ぎゆかな来ん若人に」 (いくつかの漢字をかなに代えて引用。)しかし,いまや寮生はこの地を追われ,明寮がこわされてゆくさまを見なければならない。
(1997年6月10日しるす)/ しぎ・たつき 教養学部元教授,1988年3月退職
小川晴久
〔東大生協発行誌「ほん」「(第244号,1996.9.17)〕おがわ・はるひさ 教養学部教授
沢田洋
(1997年6月17日) さわだ・ひろし 高校教諭
菅伸介
(1997年6月15日 すが・しんすけ(1983─86年在寮) 会社員
橋本暁
(1997年6月8日) はしもと・あきら(1986─88年在寮) 中学校教諭
山内恵太
〔寮内交流誌「ぷあ」96年再刊準備号〕 やまうち・けいた 96年に二期寮委員長(138 ・ 140 期)
〔「ぷあ」1996年のある号より〕
| 1877. | 東京大学・第一高等中学発足 |
| 1883.3. | 明治16年事件(卒業式に東大寄宿舎で暴動) |
| 1889.3.22 | 第一高等中学校移転:神田一橋→本郷向ヶ岡 |
| 1890.2.24 | 第一高等中学校の寮として創設(木下広次):「東寮」「西寮」〜四綱領・「籠城主義」 |
| 2.27 | 全20箇条の規約制定 |
| 1894.9.12 | 第一高等学校寄宿寮となる〜規約改定 |
| 1903.5.12 | 藤村操入水自殺(華厳の滝・「厳頭之感」) |
| 1906.6.9 | 栗野転校事件(新渡戸稲造) |
| 1911. 2.1 | 徳富蘆花謀叛論演説事件 |
| 1918. | 〔「新人会」結成〜1929解散〕 |
| 1934. | 帝大農学部と一高のキャンパスを交換〜寮新築 |
| 1.17 | 駒場の寮の名前決定:「南寮」「中寮」「北寮」 |
| 9.14 | 寮の移転完了:本郷向ヶ岡→駒場 |
| 〜洋風ベッド排撃運動 | |
| 1942. | 卒業年繰上げ:3年→2年 |
| 1943.10. | 大学生、高等・専門学校生徒徴兵猶予停止 |
| 12. | 学徒出陣開始・文科系学生の入営 |
| 1944. | 「学徒勤労動員令」 |
| 7.31 | 自治寮改革(安倍能成)(軍による査閲→学校取り潰しの危機に対処するため):寮幹事制導入・総代会廃止・寮主任住み込み |
| 1945.3.18 | 明寮を第二海軍技術廠が接収〜軍との間に絶えず摩擦 |
| 5.26 | 駒場空襲〜寮生が命を賭と(ママ)して消火に当たる |
| 8.28 | 明寮を東京高校に貸与 |
| 9.3 | 一高授業再開〜全寮制度復活 |
| 9.6 | 米軍の寄宿寮接収の噂により寮生の荷物の疎開指示 |
| 12.12 | 休校(食糧事情による)〜翌2.2 |
| 1946.2.22 | 寮委員会制復活・総代会復活(天野貞祐) |
| 7.17 | 明寮が東京高校から返遷される |
| 10.12 | 規約改正:正門主義・長髪美髪禁止の否決、懲罰委員会設置 |
| 10.25 | 原口統三入水自殺(逗子の浜・『20歳のエチュード」) |
| 1947.3.31 | 「学校教育法」公布・東京大学となる |
| 1949.2.1 | 第一高等学校最後の紀念祭(紀念祭=駒祭・寮祭の前身) |
| 5.31 | 新制東京大学発足〜南寮は第一研究室となる |
| レッドパージ | |
| GHQの圧力で駒祭中止 | |
| 1950.3.24 | 一高最後の卒業式 |
| 東京大学総長の諮問機関として学寮委員会設置 | |
| 6. | 東京大学寄宿寮となる |
| 9.29 | レッドパージ反対試験ボイコット(〜9.30)〜寮食堂でピケ隊組織 |
| 11.25 | 第一回駒場祭 |
| 1952.7.18 | 血のメーデー事件(5.1)で寮に捜索が入る:検挙者7名 |
| 1953.8. | 自治庁選挙部長「学生は郷里で投票せよ」通達→「選挙権問題」 |
| 1954.3.14 | 「不法監禁事件(3.14事件)で寮内捜索 |
| 1956.5.26 | 「教育三法」反対ストライキ |
| 6. | 現行規約の基本となる抜本的規約改正:ストーム禁止 |
| 1958. 11・ 9 | 「全日本学生寮自治会連合」(全寮連)結成 |
| 1959.11.28 | 清水丈夫籠城事件(〜12.10) |
| 1964.2.18 | 文部省「学寮における経費の負担区分について」通達(2.18通達)〜「教育投資論」の思想→80年代に「受益者負担主義」の姿をとって現われる |
| 8. | 文部省「○○大学学寮管理運営規則」(マル管規)策定〜大学当局による寮管理の徹底を求める |
| 1965.12.8 | マル管規・2.18通達をめぐり紛糾の末「寮自治五原則」採択 |
| 1966.6.12 | 「東京大学寮連合」(東大寮連)発足 |
| 1968.7.5 | 教養学部無期限スト突入(〜1.16)〜東大闘争 |
| 9.9 | 基礎科学科無期限スト突入(〜1.14) |
| 10.22 | 教養学科無期限スト突入(〜12.27) |
| 12.11 | 総代会「暴力集団(ママ:全共闘を指す)を駒場から追い出す」決議 |
| 12.13 | 寮食堂で代議員大会〜加藤提案に応じる代表選出 |
| 1969.1.10 | 大衆団交〜「確認書」取り交わし |
| 1.11 | 北寮屋上で学生大会〜ストライキ解除決議 |
| 1.18 | 安田講堂攻防戦(〜1.19) |
| 1974. | 文部省「新々寮6条件」:食堂不設置/居室の完全個室化/大学当局による入寮選考/負担区分の徹底/各大学の寮生総数の固定/管理運営規則の明確化 |
| 1978.4. | 寮食堂北ホール改築 |
| 10.8 | 会計検査院「負担区分不適正」の指摘 |
| 1979.12.4 | 解放派に明寮の一部が不法占拠される(〜12.9)(12.8警察導入) |
| 1981.4. | 寮食堂の自主運営権を学部に返還;学部は生協に経営を委託 |
| 1982.1.25 | 学部「2.18通達は遺憾」発言(団体交渉にて) |
| 7.7 | 学部 同発言を一方的に破棄 |
| 1983.7. | 学部「新負担区分制度の導入」通告〜負担区分闘争 |
| 12.14 | 「新負担区分制度導入」反対ストライキ |
| 1984.3.19 | 負担区分問題に関し合意書仮調印(〜20)(84.5合意書を全寮投票で批准/5.24合意書正式調印) |
| 7. | 寮婦さんの学部雇用化(従来は寮生雇用) |
| 1985. | 電気容量3倍化:一部屋5A‐→15A(〜87秋) |
| 1988.4. | 寄宿寮の値上げ |
| 大蔵省関東財務局「三鷹寮敷地の非効率利用」の指摘〜敷地没収の惧れ | |
| 1988. | 総代会「天皇制に反対する」決議(「Xデー」情況を受けて) |
| 1989.9. | 「風の旅団」事件〜学生3名逮捕される |
| 1990.3. | 寮風呂改修(87年の建て替え合意を破棄) |
| 1991.10.17 | 「三鷹国際学生宿舎(仮称)構想」の電撃的発表(10.9臨時教授会で一方的に決定の上)(1990.3から三鷹寮建て替え計画を極秘裡に進める→1991.7の学部交渉では計画の存在を否定する答弁) |
| 11. 11 | 緊急総代会「予算請求待て、三鷹新宿舎建設と駒場寮廃寮を抱き合わせにするな」決議(11.12学生自治会代議員大会で同上の決議) |
| 11. 28 | 交渉決裂〜学部「予算請求をここで取り下げると文部省に対して面子・信頼を失う「学生の間に強い反対の声はないものと解釈する」 |
| 12. | 学部 無作為抽出した学生を対象にアンケート実施〜駒場寮の廃寮に触れず、三鷹新宿舎の「素晴らしさ」だけ歌って計画賛成に誘導 |
| 1992.1.13 | 学部 計画の見切り発車を宣言 |
| 6. | 「駒場60周年記念事業」募金学内で開始 |
| 1992.10.8 | 三鷹国際学生宿舎(仮称)第一期工事起工式 |
| 5.〜 | 寮と学生自治会にこれまでとは異なる路線が浮上:三鷹新宿舎建設推進に重点を移動/駒場寮については「一方的な形での廃寮には反対」との言い方で「条件によっては廃寮も呑む」の立場に立つもの |
| 1993.1.22 | 総代会 以前の路線に軌道修正;ほぼ同時期、学生自治会も |
| 2.24 | 学部「学内世論が盛り上がれば駒場寮は残る」発言 |
| 7.27 | 500名分の廃寮反対署名提出 |
| 11.1 | 学部「創造的学園スペース『駒場CCCL(Center for Creative Campus Life )』の創設に向けて」発表 |
| 11.19 | 「寮存続を求める」ストライキ(学生の賛成数3500名) |
| 11.23 | 寮存続を訴える加藤登紀子コンサート(動員数4000名) |
| 1994.10.28 | 総代会「95年度以降の入寮募集続行」決議, |
| 11.14 | 学部95.4.1以降の入寮募集停止、96.3.31をもっての駒場寮廃寮を通告 |
| 12.2 | 「入寮募集停止撤回・駒場寮存続を求める」ストライキ |
| 1995.10.17 | 学部「廃寮通告」を行なうことを告知〜学生の結集により破産 |
| 12.1 | 〜教養学部学生全学投票:廃寮反対・キャンパスプラザ構想(CCCL一期計画)撤回を投票総数の7割で批准 |
| 12.22 | 学部「プレハブ仮サークル棟」建設通告(駒寮廃寮後の「サークルスペース」の一時的代替として)〜 「プレハブ」座り込み阻止行動→96.2 交渉の末、学部「プレハブは廃寮とは無関係の施設である」と認める |
| 1996.4.2 | 〜学部「説得隊」と称する教職員を寮内に送り込む |
| 4.8 | 学部 電気・ガスの供給停止/渡り廊下を破壊〜寮生・学生の強い抗議で止めさせる |
| 4.24 | 学部 再度取り壊し工事の強行を図る〜寮生・学生の行動により阻止 |
| 5. | 教養学部学生全学投票:電気とガスの復旧・渡り廊下取り壊し中止・誠実な交渉を求める主文I 7割以上の賛成を以て批准/寮存続を求める主文II 賛成が約半数を占めたものの規定数に達しないため再投票(6月の再投票も同じ結果) |
| 〜 | 学部「学生の皆さんへ」と題するビラを撒いて寮存続運動の妨害を繰り返す |
| 6.3 | 学部(寮生が学生自治諸団体との協議の上、生存のために引いていた)電気コードをリール数十本ごと盗む. |
| 6.14 | 全国集会(京大吉田寮・東工大サークル連合・信州大サークル協議会・山形大学学寮など参加) |
| 6. | 学部「学部長への法的措置の一任」を教授会で決定(採決を求める動議を否決の上) |
| 9.10 | 学部による「占有移転禁止」仮処分申請を受けて東京地裁、仮処分執行 |
| 〜 | 「寮生20名で寮全体を共同占有している」というでたらめな決定 |
| 1997.2.5 | 国=大学側「明渡し断行」仮処分申請 |
| 2.25 | 学部長名恫喝文書を寮生に郵送:「自主的に退寮しなければ執行費用・損害賠償を請求する」 |
| 3.6 | 東京地裁にて第一回審尋〜キャンパスプラザ計画の杜撰さが露呈 |
| 3.18 | 第二回審尋〜審尋打切り決定 |
| 3.19 | 国=大学側、仮処分申請対象を明寮のみに変更 |
| 3.29 | 「明寮明渡し断行仮処分」強制執行(200名ほどの警備員動員の下) |
| 4.25 | 学部との交渉で、CCCL計画のうち北寮の敷地と重なる「スポーツスクエア」を概算要求していることが判明 |
| 〜 | 北寮・中寮に対する法的措置の可能性を示唆する学部との間でぎりぎりの交渉が続いて現在に至る |
1997年6月21日 編集: 6.22シンポジウム実行委員会