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『現代思想』97年5月号座談会「駒場寮を考える」
(HTML編集者注: このページは、雑誌掲載稿ではなく、支援する会の手元にある原稿を元に作成しました)
場所:東大駒場寮北9S
日時:1996年12月22日午後1時から
参加者:
山口 素明(予備校講師)
佐々木 直哉(予備校講師)
阿波 六吉(大学教員)
中山 和人(塾講師)
山内 恵太(第140期駒場寮寮委員長)
司会:
編集部(現代思想)
小倉 虫太郎
小倉
それではまず皆さんと駒場寮との関りをお願いします。
山口
僕は、86年に大学に入りまして、それから駒場寮に四年、大学も四年で辞めましたので大学時代はずっと駒寮に住んでいました。廃寮計画が明らかになる91年には、すでに寮生ではありません。
僕らのころの寮委員会は、時期的に京大・吉田寮の在寮期限の問題がありまして、駒場に廃寮が来たらどうするか、が議論の中心にあったので、大学を辞めた直後に廃寮計画が来たときには正直、悔しい、という思いでしたね。その後、廃寮に反対する寮生の動きをOBの方でも支援しようじゃないか、ということになりまして、まあ、現場に支援とはいえのこのこ出て行くことに躊躇もあったんですが、やれることをやろうかと、「やだこら(駒場寮の廃寮に反対するヤングアダルツ)」という団体を立ちあげて参加、96年の春からは「駒場寮存続を支援する会」で活動しています。
司会の方から関りを語って欲しいという要請がありましたが、形式的にはそういうことです。ただ、内容的に整理するのがなかなか難しいんですね。駒場寮で生活し、経験してきたことをどういう形で語っても、ウソついている感じがするんですね。たとえば駒場寮は色々な人が交流する拠点であったとか、交差する場所であったとか、様々に言い表わして来たんですけど、それ以上に、一日中寝ていたりとか(笑)自分が如何に怠惰であるかを思い知らされる場所でもあったわけですよ。生活と活動がいろいろ入り交じって存在してる場所なんで、その中から社会的有用性のみ切り出して述べるのはウソになるし、かといって、ひっくるめて語ろうとなると、自分の四年なりを言葉にしなければいけないということで非常に難しいし恥ずかしい。(笑)そういう恥しさを含めて今の寮生にも引き受けて欲しいと思いながらかかわっています。
佐々木
僕は廃寮計画が明らかになったときに学生で、廃寮反対運動に学生として関って来ました。今年の春に大学を卒業して、現在は外から運動を弱い形でしかないですが支援しているということです。
僕は、駒場寮の存続運動に、新しい社会運動としての面白さというのはないんじゃないかと思っています。そもそも運動としてはなかなか厳しいな、というのがあって、では政治的に力を持てていなくても、文化的に面白いものを作れているかというとなかなか、90年代からということでいうと、それもないんじゃないかと思います。
編集部
教養学部が出した「知のモラル」にからめてビラを書いたんですよね。それを書いた情熱というのはどんなところから来ているのでしょう。
佐々木
僕は、今でも大学に幻想を持っているんですね。知識人、普遍的知性を備えて現体制の批判をすべき存在、が好きだというか、憧れてしまうところがあって(笑)、このビラで批判した東大の教官の中にも、フランス現代思想から借りてきた言葉でカッコイイこと言っている人がいるんですが、そういうカッコイイこと言っている人たちが、大学内では強権的に寮生と対峙することしかできない。思想をかつぐカッコよさを手にして、なおかつ学内でかなりエゲツナイことをやり続けるのはやめろと。エゲツナイことするなら、自分の掲げている思想なんてモノはぜんぜん意味のないものなのだと宣言して、そっちの店はたためと。そういった一貫性のない人たちに対する、まあ、多少一応、劣等感も入り交じった感情なんですが(笑)
阿波
僕は、70年代の終わりから、劇団関係から寮外生として、後には寮籍はあるけど実際は寮に住んでいない、いわゆる「幽霊寮生」として関っていました。実際に寮を使うのに、こちらはそれなりに面白いことをやろうとしてかかわるんですけど、そうやって好き勝手やっていると、寮を居住する場所として考えた場合に非常に迷惑だ、ということにもなる。結構、そういう感じで寮と劇団関係者はそんなに仲良くはなかったですよ。一方で駒場寮はキャンパスの中にあるから、居住空間でそういうことするなと文句を言われるのには腹立つこともありましたね。ただ同時にそういう安穏を貪って暮らしている連中の生活に脅威を与える快感というのか(笑)それはありましたね。
また、ここで寝てたりすると色んな人がやってくるんですよね。まあ、今日ここにいる僕らもそうなんだけど、学生に限らず、近所のおばさんが寮生に飯作って持ってきてくれるとか、ということがあって、そういうつながり方の面白さはあったんじゃないですか。
いまは、ただでさえ、キャンパスからそういう交流の場所というのが除かれつつある現状があって、駒場寮が交流の場所として果たす役割はますます大きくなっているんじゃないかと思います。
中山
僕は87年に入学してそのまま駒場寮に入ったんですが、受験のときに京大も受けまして、吉田寮に行ったんですね。まだ寒い季節ですから、ダルマストーブを囲んでどてらを着た吉田寮生が寮内を案内してくれて、そこで最後に彼が言ったのが、「いまこの寮は大学から認められていない。そして廃寮攻撃がかけられている。君たちも入寮する以上は、寮の一員として闘ってもらう」ということだったんですね。それを聞いて、ああ、これはやらなあかんな。と思ったんですけど、落ちたんですね。(笑)で、こっち来て、駒寮しかないと。そうすると入寮して一年上が山口さんたちの世代で、そのときが一番、自治意識というか、旧来のコンサバ左翼を引きずっている部分はすごくありましたね。僕らはよくあの人たちは全共闘のシッポだという言い方をしてました。
まあ、その中でつらつら考えてきたんだけど、そのつらつら考える時間、空間的余裕を与えてくれたのがこの寮なわけです。カウンターカルチャーじゃないかといってたわけなんですが、そこに挙げられてきた議論がそうした時間・空間的余裕というのが特権性じゃないかという批判でしたね。じゃあどうすんのかとそうなった場合に全共闘の答えをなぞっているだけじゃないかと、いう風に思いましたね。
その後でまた、これは話し始めると長いんですが、僕は長くいたんですよ。制度的には8年間大学にいられるんですが、そのほとんどを駒場寮にいたんですよ。だから悔しさというのはすごいあるんですよね。受け継いできたはずのものが、自分がいる間につぶれていくのが見えたんですよね。こういう形であっという間に潰れていくのだけは嫌だという気持ちですね。
先ほどからつながりという話が出ていますけど、いま僕の部屋にいる奴なんですが、そいつはそんなに寮存続のための運動をやるとかそういう感じじゃないんだけど、最後の最後まで使いきってやると言ってるんですよ。クレーンで鉄球をガンガンぶつけてきたら、寮の中から目をコスリながら寝ぼけマナコで出てくる、と言っている。個人的には僕もその線ですね。そういった人をつなげている部分も駒場寮にはあるんですよね。
だから新しくつなげられる部分もあれば、今までからつながってきた部分もあるし。それは人それぞれ様々だと。ただ面白いのは、それがいっしょにあることですよ。別に、考え方が違ってたからといって、方針に従えないという場合でも、見たときに挨拶して頑張ってんだなと。これだけ大きな所帯で、いろんな政治的傾向の人たちがいて、そこで政治とは何か、とつらつら考えたら人間の生活そのものではないか、としか言いようがないですね。
山内
私は93年に大学に入学して寮に入ったのが95年なんですよね。それまでは住み込みのバイトをしていたんですが、そこを首になって追い出されて、寮に助けを求めて最初は物置みたいなところに入れられて(笑)
1ヶ月くらいしてからちゃんとした寮生になって部屋をもらえたんです。ところが大学のほうが95年からは入寮してはだめだといっていて、僕はだから最初に「違法入寮」とされたグループなんです。それまでは大学に反感とかもったことはないんですけど、こいつら勝手なこというなあと、まず思ったんですね。それから、寮の中で学生が全部切り盛りしている。こんな場所は見たことないなと思って、自主管理の意義について考え始めたんです。
管理されていくのはもともと嫌だったんで、こういったやり方で出来るんだなと。それをなんとか広げていくのが理想なんですけど、なかなか難しい。学生の中にもやってる人間とやられている人間とに乖離というか、温度差はありますが、とりあえず駒場寮には自主管理の空間がある。そういう自主管理を大学の方はなくしてしまいたいと考えいるみたいで、そのことが4月以降、大学側が「廃寮」を進めていく過程で明らかになったと思います。たとえば、大学は4月に電気・ガスの供給を停止するんですが、そもそもこの建物に学生が住む権利はないと、だから、人が100人以上住んでいるんですが、それでも電気を消してしまえということができる。
また、その後、自分たちで電気ドラムを100個くらい買ってきて、電気を引くんですけど、それをトラックに積んで持っていってしまう。普通だったらそれは盗みだろうと考えるわけですけど、学生相手だとそれをやってしまう。そして保管しているんだと開き直る。何様だという感じ。この何様だと考えざるをえないような関係を、実質的に変えていくには、自主管理を続けていくしかないと思っています。特に、自分も含めて若い世代というのは、管理されることに非常に素直だと思うんですよね。そういうところからズレる、先程の話だと、一日中寝ているとか話しありましたよね。そういうような外とちょっと違う雰囲気というのがあると思うんですけど、管理される従順な視点から外れていくきっかけに寮がなっていければいいなと、思っています。
いまちょっと人手がないんで出来てないんですけど、去年から北寮入り口に自主管理バーがあります。究極の理想はスタッフと客という垣根を失くして行こうと、ある時期はかなりうまくいっていて、スタッフが酔っ払って倒れていても客が何とか運営していた。こんな風に、寮のシステムを使って自主管理という発想を広げていく、そういう拠点になっていればいい。寮がなければこれはかなり難しい。幸いなことにある程度の広さや地の利もありますから。
4月以降インカレサークルとか大学の外の人たちとつながりがかなりできてきて、アフリカの太鼓たたいている人とか、うろうろしているという、訳のワカラナサがますます増えているんですよ。学生だけじゃなくて働いている人たちもいるんですよ。
■■「知のモラル」と現場の知
小倉
佐々木さんが仕事の都合で途中でぬけなければならないということなので、先にお伺いしますが、先程いわれた普遍的知性の象徴としての東京大学があるとして、一方で訳のワカラナサを許容していくものとして駒場寮がある。この空間の機能をまったく別のものに変えようという知性の機能についてどういう風に考えますか
佐々木
僕は根が近代主義者というか、近代化の流れというのは不可避だなと思っています。
だから、駒場寮のように、分けの分からないものを抱え込んでいることはいいことなんだ、というのは認めるんだけれども、ただ、それは多数派を形成しえないだろう。もちろん多数は願望がないというならそれでもいいんだけど、やっぱり近代化していく流の中で生じてくるいろんな軋轢と摩擦というのをなくしていくことは考えていかなければいけない。で、これは難しいなあと、これは駒場寮の経験以外からも考えるわけです。
僕が大学に入ったとき、フランス現代思想というのは流行だったのですが、そういうのでやっていけるのだろうか、という不信感、現実の社会問題を解決する思想としては難しいのではないか、という眼で日本で受容された現代思想というのを見ていた。じゃあ現代思想が批判している近代的な思想を踏まえなければいけないだろうと、自分はそっちをきちんと勉強して行こうと。
実際、東大においてもフランス現代思想をやっているような人たちが、駒場寮にみられるように、学内ではエゲツナイことをやっているというのを見たときには、これだからフランス現代思想はダメなんだと(笑)。
ただその後さらに思ったのは、およそ現代において思想が意味を持つ役割の領域は少ないのではないかと。僕は、様々な社会問題の正しい解決法を教えてくれるという機能がない限り、思想に意味を認めないんだけれど、近代思想も現代思想もそもそもそういった問題に関心を持たなくなってるのか、仮にそういう課題を扱ったとしても、分かったような分からないようなことしか言っていない。だから思想なるものをかついでいる人たちは信用できないな、という感覚があります。もちろん、彼らは思想というのは社会問題を扱うものではないというかもしれない。それならなおさら、社会において、たいした位置を占めない。だったら思想が今の世の中でも重要であるかのような幻想は振りまかないで欲しい。そういう意味で、僕から見た現代思想はちゃらちゃらしたという(笑)感じ。自分はそういうちゃらちゃらしない思想をあらためて作れないだろうかと、そう考えています。
中山
佐々木君の言うように、思想が社会的影響力を持たなくなった時点で制度としての大学は死んでいる、と言ったほうがいいんじゃないか。まだ佐々木君はまだ大学に託しているものがあるみたいですけど。
佐々木
その点は同感です。僕はその点に絶望した。
山口
みなさん希望持っていらっしゃったんですねぇ。
僕は絶望経験というのはない。
たとえば僕がいわゆる「思想」的な言説に触れて一番良かったのは何かと考えると、人との論争に勝てるということ。(笑)
中山
それはちょっと。
山口
まあとりあえうず聞いてよ。これは駒場寮の悪いところでもあるし、面白いところでもあるしんだけど、とにかく何についてもテーマ見つけて議論するんですわ。といってもそれは僕らの世代くらいまですごくやってたんだけど、後々すごく嫌がられて(笑)
中山
多分、僕らかその後くらいまでですね。
僕らの場合はそれはある役割を示していて、高校時代までにつくられてきたものがそれで一回潰されるんですね。そしてそっから先にどうするのか、という課題に直面することになる。
山口
僕らもそういう意味で潰されたし、意識的に潰しもしましたね。具体的にいうと恥ずかしいんですけど、中学で生徒会長やって高校は受験校ときて、それで大学入って、そうだ日本をよくしよう、と思ってじゃあ官僚になろうと思っていた。(笑)一方で高校時代に生半可にマルクス読んでて、そうすると経済だな、下部構造からだ。(笑)なんて漠然と考えてたんです。
で、寮に入って同室になった先輩に「君は何がやりたいの」なんて聞かれて「マル経です」と答えた。すると「どうして」とくるわけですよ。いろいろ説明するんですが、どうしても「日本をよくしよう」というのと「自分が官僚になる」というのが結び付けられない。あたりまえなんですけど。それで、ああ、自分の建前的な議論には世俗的な欲求が密接に結び付いているんだ、ということにはじめて気がついた。ようするに偉くなりたかっただけだったんですね。その無意識な結び付きを見出す方法として、議論することはあったわけだよね。
もちろん、単純に叩き潰してオルグするという、古典的な方式としては中山君の世代くらいからしっかり批判されてきましたよ。ロゴス中心主義だとかファロクラシーだ。とかいきなり言われてさ。こっちは、え、ファロクラシーってなんだ?と辞書調べてさ。(笑)
中山
そのファロクラシーという批判で提起されたのは、この寮が男子寮であって女性がいないということでしょ。しかも、権威思考が強いということがどうしても見えてくるということでしょう。この間もその視点がないと批判されていたじゃないですか。
山口
え、何? ああ、「左翼はモテる」の話でしょ。(笑)それはまた別の話ね。
小倉
重要なテーマですね。
山口
「おまえらモテないことを自分のせいにしないで他のせいにしているだろ、モテたいと思ったらちゃんと左翼になれ。左翼は有史以来モテてきたんだ。」というやつね。「在原業平=左翼説」(笑)
それを一例として出すのはどうかと思うけど、駒場寮において行われてきた議論は、もちろん権威主義的にぶった切って相手を降参させて折伏するという側面と当時は明確に分離されてはいないんだけど、まだ問題以前の問題を切り出してくるという機能はあったと思うんだよね。そこに思想行為が果たした機能は大きいと思う。
佐々木
問題を眺めなおすというのは確かに思想の仕事なんだけど、それを解決に持っていくのが思想だという面もあると思うんですよね。
山口
解決に向かう技術を生む知的な営み、ということですか?たとえば話を戻してこの駒場におけるそういった知的営みへの希望と絶望。
佐々木
僕はハーバマスが好きなんですよ。というのは、彼は自分の専門外でも、たとえば歴史家論争など過去を相対化する動きにたいしてはガツンとやるわけですよ。
で、最近日本で、東大の藤岡信勝なんかが「新しい歴史教科書を作る会」をやってますよね。そういう動きにきちっと対峙して欲しい。たとえば東大では、高橋哲哉さんがショアーの上映会をやったりしているわけだけれども、同じ大学に所属している藤岡信勝にちゃんと対峙して欲しいという希望がある。もちろん準備中なのかもしれないけれど、それがぜんぜん見えてこない。
ある意味、ショアーの上映運動といったらかっこいい運動ですよね。それにたいして、藤岡と対峙するなんていうのは泥臭い仕事だ。かっこいい仕事はやるけどそうでないのは避けるのではまずいと思うんですよね。
小倉
最近、関曠野さんに話を聞いたときに彼が言っていたんですけど、結局、知識人というかモノ書く人がどうやって食っていくか、ということで大学教員にならざるをえない、安定した収入がないと生きていけない、ということがあって、それが制度的な足枷になっている。
編集部
でもどうだろう。それで首になるわけじゃないし、大学なんていうのは知を闘わせながら練りあげていく場所でもあるから、藤岡の立場を批判することに経済的なあるいは地位的なリスクはないんじゃないの。
小倉
経済的にというか、泥臭いというか
阿波
リスクにはならないかもしれないけど、評価にもつながらないからね。
編集部
日本の場合には現代思想が商品としてしか供出されなかったという背景がある。
たとえば先ほど話に出した関さんなんかは、東京裁判というところから日本の保守がどのように問題設定を行ってきたかということを総体的に覆す仕事が必要だ、ということを言ってるわけなんだけど、そういうことをやる気迫というのはどこからくるのかな、と考えた場合に、大学の中での論争というのは可能だと思うけど、そういうところまでひろってくる気迫というか力量というのは、大学の知識人にあるのかな。関さんみたいに大学に近寄らない人が、安定した収入も無しに、考え続けているということがあって、そこを考えると、知識人のモデルというか、何をもって知識人というのかということを考えておく必要はあるでしょう。東大の教官というレベルの知識人なのか。この場でいろいろ話し合っていることだって、知にかかわっている作業の一つだと思うんですよね。そういうことが、ある意味で駒場寮という場所ではあったんだろうと思うし、その中で「知とは何か」という問いを立てれば、ようするに「交流すること」だと思う。色んな訳の分からない人たちが入ってきて交流するということは、あり続けなければならない。
山口
大学なんかは危機感持っているわけでしょ。
阿波
学際的交流とかいって、専門分野の垣根を壊して行こうという動きはかなり前からある予ね。でも、それは研究者としての評価につながるから交流するわけ。たとえば藤岡叩きが業績になればやるだろうね。(笑)そうでないとやらないという情況なんだよね。大学の中で議論するということが何を示しているのか分からないけど、教授会の内部でということで言えばなおさらそうだよね。言論の場を作っていくという話にはなっていない。
■■媒介するものとしての知
小倉
全共闘のころからそういうテーマってあるじゃないですか。それこそ丸山真男、折原浩、最首悟という人たちは何らかの形でそういう問題に取り組んだわけじゃないですか。だから、モダン/ポストモダンというよりは、知の批判的な機能というのをどういう風に自分の生にかかわらせていくかということでみんな悩んでいるんだと思うんですよね。そこは問いの立て方を変えただけでポストモダンも変わらないんじゃないか。
そういうときに批判的知というものと自分が生きるということの切り結び方が非常に普遍的問題としてあるんだけれども、日本のポストモダンというのは開き直りの材料としてあるんだと思うんですよね。要するに何にもしないことを正当化してしまう。モダニズム受容からしてそういう問題を孕んでいたんだと思うんですよね。丸山真男とかどう思います。あるいは今の折原浩とか。
佐々木
全体として知と生がどう切り結ぶかということに少しは悩んでいるとは思うんだけど、知を背負っていろいろ書いている人たちは、自分の書いていることが、現実の生の場面で役立つことは現在ではないんだよということをきちっと言って欲しいというのはありますね。言いっぱなしになっちゃってて、幻想を振りまく結果になっていると思うんですよ。
小倉
彼ら幻想を持つ方が悪いという開き直り方もしますが。
佐々木
そうですね。
そういう風に知を組み立てる側は幻想を持たないということでいいかもしれないですけど、組み立てたものを消費する側が多数派で、多数派になったときにそれはやばいことだと思うんです。浅田彰なんかの言い方はカチンと来ましたね。誤読するような読者に作者は気を使う必要はないという言い方をしていましたが、彼みたいに読解力のある人はいいかもしれないけど、そうでない人が多数派だということは自明で、特権的な批判だなと思いました。
編
誤読からむしろ面白いことが起きるということもあると思いますが、
教官がいっているようなことを逆手にとって運動に使っちゃう、みたいな
中山
問題は誤読か正読かということではなくて、レスポンスの問題ではないかと思いますよ。そのように読まれたということが、書き手のほうにどんなレスポンスとなったのか。その往復にこそ面白さがあるわけでしょう。浅田彰の言い方にカチンと来るとすれば、そこにレスポンスを受け付けない態度が見えるからだと思うんですが。
山口
結局、小川さんのような形でレスポンスを受け取る人たちがいないわけですね。
小倉
大学自体がどう生き延びるかというか、商品として差別化していけるかということに躍起になっている
編
商品というか、良くできたマニュアルみたい。どう勉強すればカッコヨクなれるかみたいな。丸山真男みたいに、みんなが聞き耳を立てて聞くような迫力あるものではないように思えるんですよ。そこでさっきレスポンスがないといいかたをされましたが、小さい権威に立てこもるというかレスポンスを遮断する本の作り方がある。
知識人のイメージみたいなものが、大教室でボソボソしゃべっている教官にたいして学生が聞き耳立てるみたいなあり方ではないわけですよね。それはある意味でいいことなのではないかと思うんですね。現在における知識人というのは、奥まったところで何か重要なこと語っているというよりも、一人一人が広告塔でいいとおもうんですよ。あちことで言っているやっている、そこにレスポンスが返ってきたら、それに応えるという、自らをメディアとして動くという方向でしかないんだ、と思うんですよ。その意味では浅田彰は広告塔として自分を使っているという点が、そういう形でしか生きられない知識人のモデルという気はしていますね。
中山
果たしてメディア足り得ているのかという問題は残りますけどね。
佐々木
いろんな社会問題に直面している人を含めて、読まないんだなあということを大学を出てから特に感じました。思想がどうこうと議論している人たちは社会において少数派なのに、あたかも自分たちが社会の本流であるかのような意識で議論してしまっている。
小倉
思想というか、知というのも二通りあって、役に立たないことで批判的機能を果たしうるような知というのは、哲学や思想の重要性だと思うんですよね。直接には役に立たない。直接には社会問題を解決できない。だけど問題を作っていくという役割、あるいはなんかもやもやしたものに名前を与えていく、たとえば「なんかやだなあ」という気分にファロクラシーという名前が出てくると「あ、なるほど」と。(笑)
そういうかたちで直接役に立たないが故に、人々に武器を与えてくれるような機能を果たすものと、もう一つは積極的に社会の工学にかかわっていくような知。経済学とか社会学とか。それを分けて議論しないと。
佐々木
その前者のほうで、人々に力を与えていくといっても、人々といってもそれはある程度、活字を熱心に読むという人たちですよね。それは圧倒的に少ないというか。
小倉
それは昔からそうでしょう。だけどもジワジワと効いてくる。
たとえばフェミニズムの議論なんかは本を読んでる人は極少数でしょうけど、ここ20年くらいで、たとえばセクハラなんていう議論も、一定人々の意識に浸透してくるわけじゃないですか。そういう例はいっぱいありますよ。近代そのものが考えてみればそうじゃないですか。デモクラシーの意識であるとか、自由主義の意識であるとか。元々は知識人たちが象牙の塔で考え出したようなところもあるじゃない。
大学の先生方にたいする期待が過剰なんではないですかね。
むしろ今の駒場の人たちは自分たちの知が社会に役立つと確信しているんじゃないですか。いい官僚作ろうと。
阿波
象牙の塔にこもらないということが、大学再編のスローガン的に使われていますからね。
90年代の大学再編はそこが一番違うじゃないですか。
阿波
その意味で寮で飲む場所を作ったというのは実は画期的なんだよ。駒場でいうと、酒を飲める場所を作れという要求は、教官からも学生からもずっとあったんだよね。で、生協で議論すると、十八、十九の学生がいるから出せない。じゃあ学館でだそうかとかいろいろ計画はあったんだけど実現してこなかった。それが、駒場寮という場所は居住空間だという性格から駒場寮は作ろうと思えば作れた。でもそれを作ってこなかった。それは東大生が決まり守って管理していくのが好きだというのがあるのかなぁ。ところが、最近になって寮がバーを作った。あれはテレビなんかでも取り上げられたから、テレビを見てきたお客さんが来てて、そこへ読売新聞の記者がきたりして。
そのうち、駒下の商店街で酔っ払っているおじさんなんかがやってきて盛り上がったりすると、大学側が、盛んに「地域への還元」とか「地域に開かれたキャンパス」と言っているけど、その辺を駒場寮の方が先取りできる契機になるんじゃないかと思いますよね。
■■メディアとしての駒場寮の可能性
小倉
大学が新しいものを作れるのかとか、果たして社会に貢献できるのかということが現実的に問われてきているのが、90年代の大学をめぐる情況だと思うんだけど、そういうのを先取りして自分たちでやってしまうというのもあると思うよね。
たとえば阿波さんが紹介してくれたように、以前の駒場寮においては住む空間と表現する空間との対立があったわけだけれども、今の文脈でいうと、バーが色んな人を媒介する場として成立しつつある。
さっき僕がメディアという言い方をしましたけど、つなぐという意味でのメディアという意味では、住んでいる人々が、住む場所なんだけど、表現の場所に変わるときに関ってしまう一人一人がメディアになってしまうということだと思うんですよ。
山口
何で僕らのときにバーがなかったかということを考えていたわけなんですが、つながり方のイメージに大きな違いがあると思ったのね。
僕らが寮生だったとき、この空間での生活のあり方を、どのように肯定できるかということは度々議論になった。さきほどからも言われているけど、人が実際に暮らしているわけだから、美しいことだけではないわけですよ。それこそ一日中寝てたりとか、だらだらしてたりとか。麻雀もやるし酒も飲む。
たとえば当時から、駒場寮に廃寮が来たら「あんないい場所で、東大生に怠惰な生活をさせて、そんなことを許していいのか」「特権的だ」という批判がおこるに違いないという話がされていたわけですよ。教員の中にもそういうことを理由に廃寮賛成に回っている人たちはいますよね。
だから申し訳ないからちゃんと生きよう(笑)なんて議論は繰り返し出てくる。電気消されても「ロウソクの灯で一生懸命勉強しています」とか。それだけ切り出して、寮生の生活です、というのは嘘だし、かえって自分の首締めることになる。色んな人が出入りして、つながりをつけていく場所としての駒場寮の機能は、そういった意味付けのいい加減さによって可能だった側面もあるから。
だから、自分たちのルーズさも含めて、駒場寮といういいかげんさを持った空間の存在意義を社会的に説得していかなければならないわけだけど、説得するというより、この場が東大の学生だけでなく、他の人たちを積極的に呼び込むような空間として機能させたい、という話はあったんですよ。
ところが、先ほど指摘があったような「全共闘の尻尾」なのかあるいは「コンサバ左翼」なのか、僕らがやったのは、小倉さんも出ていたらしいけど88年の反原発の交流会を呼んできたりとか、87年の皇太子訪沖の時にデモに参加する学生の宿泊場所として使ってもらったりだとか、88-89年に「風の旅団」というテント劇団の公演を呼んで来たりだとか、
小倉
ああ、あんときもオレいたわ。
山口
そうでしたか。その節はどうも。
だから、僕らがメディアとして機能して行こうとするときに、駒場寮は、生活の場であると同時に、様々な人が訪れて、そのたびに意味付けを変えていくことが比較的可能な空間だったんだけど、生協から向こうは主に、大学側が意味付けをしている空間で、その場所の意味付けの力をどう獲得していくかというのが僕らの戦略的な目標になっていたわけなんだ。でも、その過程でバーというのは出てこなかったんだな。これはなぜだろう。
中山
酒を飲むんだったら、バーではなくて部屋で飲むということだったからじゃないですか。
山口
それもある。だけどもう一つには単純に、自分たちがメディアとして機能しようというときに、酒を飲む人とつながろうと思わなかったんだよね。
中山
なるほど、そういう生真面目さというのはあったかもしれんね。そこら辺を歩いている人とつながろうという風には考えていないわけだ。たとえば呼び掛けを行って、ビラを撒いて、賛同してくれる人とつながろうとしたんだ。あるいは外に出て、自分たちと同じベクトルを持つ者とはつながろうとした。でもそれが異なる者とはつながろうとはしなかったんだ。
山口
そうね。だから、交差する交差すると、言ってたんだけどさ。交差するも何も最初から方向決まってんだよな。(笑)それを同じようなところを束ねていくというイメージがもしかしたらあったのかもしれないな。
■■駒場寮の今後に何を期待するのか
編集部
では、そろそろ今後ということで。
山口
これから大変な時期だと思うんですが、何もましても強調しておきたいのは、阿波さんの方からもありましたが、この場所が、自分から意味付けをしていこうという人々にとって自由度の高い場所であって、そういう場所というのはなかなかこの社会に少ないということなんですね。大抵の場所が、たとえばここで座ってはいけない、寝てはいけない、という風に意味付けを固定されてしまっていて、なかなか変えていくことは困難になっています。それを変えることができれば、結構、清涼な開放感がありますよね。
だからそういった開放感を与え続ける場所として、また、駒場寮があるおかげで、そこからいろいろなところに根を張っていける、という場所として機能していって欲しいなということです。
阿波
「いろは」(駒場寮存続を支援する会・討論誌)の2号に投稿したんですが、今の大学の研究予算や助成について、大量に金が流れていくときに必ず官僚の介入があるんです。それに応えるような形式に大学を整え直そうという動きが、東大でも全国の大学でもあるのだけれど、その中のひとつが、今回の駒場寮廃寮の問題であると思っています。おそらく日本中の大学がこのやり方で許されるのか注目している。
駒場寮のように多様に意味付けが可能な空間に予算をおろしてくるということは、官僚的な論理から言えば意味がなくなっちゃう。何に使ったということが明確にならないとね。官僚の論理からいうと、駒場寮のような空間はぜひとも潰したいものだろう。学生自治だとかいろいろ言い方はあるけれども、そういった言葉で表せないものとして今後も駒場寮があってほしいと思います。
中山
最後までとどまるということです。
山内
管理する/されるという関係を越え出ようとする自主管理というものが潰されていくというのが、駒場寮廃寮の基本的な問題だと思っています。それがどういった社会的な背景でなされようとしているのか、正直よくわからないです。でも、駒場寮を廃寮にした跡地に予定されているキャンパスプラザのプランを見ていると、学生の自主性は重視されていなくてですね、対話と協調という形式での大学側の学生管理を、学生にすんなりと受け入れさせていく装置になっているんですね。
ただ、東大生というのはそこでただ従順に管理されていくというだけではなくて、将来、自分が社会的に管理する地位について、当然のように管理するということをやるようになるんですよ。現在も、当事者が反対しているのに強権的に潰す、というのを見て何とも思わない人たちは、多くはないがいるわけです。そしてもし寮が潰れて、キャンパスプラザで管理されるようになれば、そういう人たちはどんどん増えるでしょう。そういう悪い人たちを外に送り出さない(笑)というつもりでやって行きます。そんなこと許したら僕らが後の世代に文句言われますから。
【年表】駒場寮廃寮問題
それまで秘密にされてきた駒場寮の廃寮計画が明らかになってから6年目に突入している。当時の中学2年生が、現在は寮生として廃寮反対運動に加わっているのだから、長い闘いになっている。このことは、東大駒場寮の寮生のほとんどが教養課程の学生、つまり1、2年生であることを考えれば、実に驚くべきことだ。一年立てば教養学部学生のおよそ半数が入れ代わってしまうのだから。
廃寮を推進した教養学部教授会執行部は、寮生・学生側がしょせん駒場キャンパスを通過する者にすぎないとタカをくくっていた節がある。旧制一高同窓会への根回しは十全に行ったにもかかわらず、学生の同意を得る努力を怠ってきたのはそのためだろう。一時的に激しく抵抗されるしても、おそらくこれほどまでに長期にわたり抵抗を受けるとは考えもしなかったのではないか。
廃寮反対運動の継続性は、東大当局の読みに反して、駒場寮のような空間が現在の学生にとっても必要とされていることの証拠である。現代の若者は相部屋を好まない、自治などには無関心であるはずだ、という想定から、東大当局は廃寮に反対する寮生を特別な「一部の学生」として切り捨ててきた。だからこそ、寮生が全学投票や学生ストライキに訴えようとも無視し続けてきたのである。確かに多数ではない。だが確実に駒場寮存続を求める寮生・学生が、この間の当局の強権的な姿勢にもかかわらず存在し続けていることは、東大当局の描く学生像が、実は、偏見以外の何ものでもないことの証しなのだ。
駒場寮は、国が仕掛けてくるであろう法廷での闘いに取り組みながら、新たな仲間の獲得をめざしていくだろう。本誌読者のみなさんにも、この闘争への更なる注目と理解と支援・協力をお願いしたい。(文責・山口)
駒場寮存続運動の情報が必要な方は、ぜひ駒場寮存続を支援する会にご一報を。討論誌「いろは」を送らせていただきます。
連絡先:目黒区駒場3-8-1東大駒場寮北9S
電話:080-330-5092
カンパ宛先:郵便振替 00190-5-582922 駒場寮存続を支援する会
1984年
東大教養学部第八委員会(駒場寮担当)と駒場寮の合意書締結。「駒場寮に重大な影響を及ぼす計画があった場合には、事前に協議する」
負担区分導入問題に関する問題の経験から、学部と駒場寮との関係のありかたについて確認。
1988年
東大三鷹寮の敷地の不効率利用国有地という指定で敷地の没収の可能性出現
1990年
3月 敷地の有効利用のための三鷹国際学生寄宿舎建設を概算要求で頭出し
12月 総長発言「留学生に宿舎を提供したいが、現寮の増改築に関して現寮生との折り合いがつかない」(交渉がほぼない状況下で一方的に。寮生を無視した計画立案の姿勢はこの頃から見られる)
1991年
3月 再び、三鷹国際学生宿舎概算要求頭出し
7月 学部交渉で、学生側「寮の建て替え計画があるか否か」質問、回答は「具体的計画はない」。
「概算要求頭出し」は隠蔽されていた。
8月 国際交流・貢献という名目を前面に、担当教官らの努力によって、三鷹国際学生宿舎予算化の可能性が急浮上する
10月 9日 臨時教授会で三鷹国際学生宿舎構想を承認。(東大教養学部の決定となる)
三鷹国際学生宿舎特別委員会(委員長永野三郎教授)設置。
担当教官らが実現可能性を確信した所で議案が提出され、それを教授会で承認し、そのグループが特別委員会として正式に稼動する形式。
10月12日 学生自治会委員長、駒場寮委員長の公開質問状。「三鷹に新寮を建設し、その影響が駒場寮にも及ぶとの噂があるが本当か否か、本当であればその全容を明らかにせよ」と要求。
10月14日 特別委員会が両委員長に口頭にて概要説明。噂は本当であった。
10月15日 評議会で教養学部教授会の基本方針を承認。(東大全学の決定となる)
10月16日 特別委員会が学生自治会、駒場寮、三鷹寮に「21世紀の学生宿舎を目指して」草稿をもとに口頭で基本方針を説明
10月17日 「21世紀の学生宿舎を目指して」を配付。(公開質問状によって公表が早まった)
基本方針
(1)千人規模
(2)日本人学生と外国人留学生の混住とし比率は7:3。女子学生を含む
(3)個室、食堂なし。補食用設備、共用施設の充実
(4)大学が建物の管理および入寮選考に責任を持つ
(5)年次計画の進行に伴い、三鷹寮・駒場寮は順次廃寮とする
10月24日 公開説明会:当時の計画内容を70人ほどの学生に説明。青写真段階であると強調すると同時に、内容変更を断固として拒む。
11月12日 学生自治会代議員大会決定(学生側の最初の方針。即時的な反対ではなく議論を深め計画を変更することを要求。学部の強引な決定過程に関しては触れず、計画内容を検討)
自治会:(1)駒場寮の抱き合わせ廃寮に反対
(2)駒場寮の建替、駒場寮の改修を要求
(3)学内議論のために三鷹計画を1年延期すること
11月14・28日 学部交渉(計2回)で学生が要求した11項目のうち学寮の基本性格についての8項目については合意。
具体的な3項目(1)三鷹に新寮を建設すること、その際駒場の廃寮を前提としない、(2)新寮建設に当たっては全構成員自治の立場に立って充分な討論をし、合意後に着手すること、(3)本年度は予算要求は行わないこと、について学部は合意を拒否した上に「現状では強い反対は見られないので、予算要求は止められない、新宿舎計画は進める」と表明。
12月 6日 学部が新宿舎計画の感想を問うアンケートを「三鷹国際学生宿舎に関する計画説明書」を添えて学生の10%を無作為抽出して開始。実際に宿舎に入ることができる可能性が低い環境にある学生らにこのような宿舎はどうでしょうかという感想を尋ねるもの。これで「是非」を質問したとされる。駒場寮の廃寮に関しては説明書のみで記述。アンケートでは黙殺される。
1992年
1991年度の東大学生の保護者の平均年収が初めて1000万円を越える
1月13日 「三鷹国際学生宿舎建設について」を配付。その中でアンケート結果を公表:
回収率52.5% (468/891)。計画に賛成72.4%。反対4.3%。学部は計画の推進を表立って宣言
1月 駒場寮存続のための5者協議会(学生自治会、駒場寮委員会、三鷹寮委員会、学友会学生理事会、学生会館委員会)開催
1月23日 5者協議会主催「計画強行を止めよう」集会。(120人)
2月24日 特別委員会委員と駒場寮生との交渉。廃寮は三鷹宿舎建設予算獲得のための道具と明言。
3月12日 教養学部教授会にて、駒場寮跡地の再開発と学術奨励資金のための総額40億円募金承認。
4月14日 「計画の撤回または大幅修正を求める」集会。(200人)
5月21日 駒場寮総代会
(1)三鷹に自治を保障し学生の要求を反映した新寮をつくれ
(2)困窮学生を救済し、サ−クル・クラスなどの自主的活動を保障するため、駒場寮の一方的廃寮に反対
6月1日 「駒場60周年記念事業」学内募金開始
6月10日 特別委員会と学友会の交渉(新サークル棟計画について)
6月11日 学生自治会代議員大会
(1)学生の要求を取り入れて(入退寮選考への参加など)「三鷹国際学生宿舎」建設を進めよ
(2)苦学生に新たな経済負担を課し、サ−クルなど学生の自主的活動に障害を持ち込むような駒場寮の一方的廃寮を行うな
6月 三鷹寮敷地の埋蔵物発掘調査
7月10日 「三鷹国際学生宿舎および駒場寮跡地利用に関する」公開説明会。
学部は「一方的廃寮はしない。駒場に寄宿寮をつくる可能性もある」と説明。
10月 駒場寮食堂(東大生協運営)の土日祭日営業を中止
10月 8日 三鷹国際学生宿舎第一期工事着工
11月29日 駒場寮有志を中心に廃寮反対の署名活動開始
1993年
1月18日 「廃寮に反対しよう」集会と学生自治会主催「跡地利用を促進しよう」集会とが別個に開催される
1月22日 駒場寮総代会
(1)三鷹国際学生宿舎建設は推進するが、自治を認めさせていこう
(2)駒場寮廃寮との不当なリンクをはずすこと
(3)駒場寮の重要性と廃寮反対を学内外にアピ−ルしよう
2月19日 駒場寮総代会
(1)宿舎建設と抱き合わせの駒場寮廃寮を撤回させよう
(2)廃寮反対の署名集めを積極的にすすめよう
(3)三鷹新宿舎の93年度選考を延期するよう要求しよう
2月24日 駒場寮と特別委員会との交渉
学内世論が高まれば駒場寮を残すと特別委員会が明言。
3月 課外活動施設(駒場寮内サークルに配慮した)新設の概算要求
3月11日 三鷹国際学生宿舎への入居者募集開始
4月20日 蓮實学部長「大学を知のレジャーランドに。学生の自治は不要」と発言
5月26日 三鷹国際学生宿舎第一期工事竣工(175室)
5月31日 三鷹寮の廃寮
6月 1日 三鷹国際学生宿舎入居開始(旧三鷹寮から40人)
6月30日 公開説明会 駒場寮跡地の再開発計画としてCCCL(Center for Creative Campus Life )構想を発表、駒場寮入寮停止と廃寮のタイムスケジュ−ルを提示
7月 9日 学部交渉 学部は従来の方針を保持
7月27日 特別委員会交渉、駒場寮存続を求める署名 (2,500筆)提出
8月11日 三鷹国際学生宿舎第二期工事着工
9月 駒場寮委員会が駒場寮存続を求めるサ−クル・クラスアピ−ルを募集
9月10日 駒場寮食堂(東大生協運営)営業中止
9月20日 文部省と全寮連の交渉にて「計画の実施については学内合意を尊重する」
9月29日 特別委員会と駒場寮委員会の交渉
11月 1日 学部文書「創造的学園スペース『駒場CCCL』の創生に向けて」配付(駒場寮の入寮募集停止と廃寮時期を予告)
11月 2日 「廃寮撤回を求める」集会。「要求書・七つの要求」(署名3421筆、賛同57団体)を学部長あてに提出
11月11日 学生自治会代議員大会:廃寮反対ストライキ提起
11月19日 ストライキ(批准投票: 賛成3,508、 反対927)、集会、文部省・大蔵省デモ、国会請願
11月23日 「駒場寮存続を考える」加藤登紀子野外コンサ−ト(約4千名参加)、晩餐会
12月 「駒場60周年募金」学内で4000万円。学外はなし。
1994年
3月23日 三鷹国際学生宿舎第三期工事着工
4月 1日 三鷹国際学生宿舎C棟(135室)に入居開始
4月14日 ストライキと新入生の署名とを受けて、三鷹計画をどうするかについて駒場寮委員会から特別委員会に対し公開質問状
4月16日 駒場寮で33時間の連続停電。学部が一方的に通達し、強行した事件。寮生らの深夜の抗議によって33時間におさまる。
4月17日 停電問題など学部の学内行政のありかたについて問題が焦点化し、「84年合意書」など手続きに関して交渉が始まる。
4月21日 学生委員会と駒場寮自治会、北ホール委員会と停電事件に関して交渉
4月 駒場寮委員会が新入生に対し、駒場寮存続を求める署名活動(2,133筆)
4月28日 4月14日の公開質問状に対し、特別委員会はこれまでの経緯を詳しく説明し、「大半の授業が正常に実施されるような実効の少ないストライキでは計画変更はありえない。入学式前の新入生が、これまでの経緯を把握した上で判断したと思えない」と文書回答
5月26日 学生自治会と特別委員会の交渉
・自治会は公開質問状に対する回答に抗議
・特別委員長は、「学生が一方的廃寮に一貫して反対している」ことを認めると表明
・特別委員会は、「ストライキなどで示された学生の意思は受け止めるが三鷹計画全体の方が重い」と表明
5月31日 各学生自治団体に「CCCL計画」を説明、ゾ−ニング案を提示
6月20日・24日 駒場寮委員会と特別委員会の交渉。84年合意書を巡って議論
7月21日 学部発行パンフレット「CCCL駒場」を配付
8月31日 三鷹国際学生宿舎共用棟(多目的ホ−ル)竣工
10月 1日 三鷹国際学生宿舎D棟(127室)に入居開始
10月28日 駒場寮総代会:「入寮募集停止」通達の如何にかかわらず、95年度以降も例年通り入寮募集を行う
11月14日 学部長から駒場寮委員会に対し、95年度からの「入寮募集停止」を通達。続いて同趣旨を各学生自治団体にも通達
11月15日 学生自治会代議員大会:駒場寮入寮募集停止通達の撤回を求めて、ストライキを行うことを発議
12月 2日 ストライキ(批准投票:賛成2,604、反対1,338)。学生自治会委員長が入寮募集停止通達に対する抗議文を学部長あて提出
12月 5日 学部長と駒場寮生との交渉
1995年
1月17日 駒場寮委員会主催、駒場寮存続を訴える「入寮停止通達粉砕」全国集会(120名参加)
1月26日 学部交渉
2月25日 駒場寮自治会が入寮募集要項配布
3月 8日 学部は、駒場寮自治会に入寮募集活動の停止を申し入れ
3月10日 学部文書「新入生の皆さんへ:三鷹国際学生宿舎の建設と駒場寮跡地利用にかかわる「CCCL駒場」計画について」を配布
駒場寮自治会自主入寮募集を開始
4月 1日 三鷹国際学生宿舎E棟(81室)・F棟(87室)に入居開始
駒場国際交流奨学金発足(教養学部教官の拠出金による)。月額1万円の貸し付け。95年度受給者は3名
6月19日 学部長名で違法な入寮募集に対する注意文
7月27日 学部長名で前・現駒場寮委員長に対し説諭。学生側は拒否
9月11日 特別委員会と学友会との交渉。「新サークル棟」から「キャンパスプラザ」(多文化交流施設)へ
9月25日 学部文書「駒場寮廃寮による在寮期間について」を郵送(内容証明付き)
10月17日 東京大学名の駒場寮廃寮「告示」および教養学部の「特別措置」(95年3月31日以前からの駒場寮在寮者への三鷹国際学生宿舎への入居案内。サークルには新施設が完成するまでの過渡期も含めて活動に支障のないよう配慮)を掲示・伝達。学部長が告示を口頭で読み上げたが、学生の抗議行動により、学生には伝わらなかった。その後予備交渉により学生と学部長の話し合い(交渉)をもつことにした
11月10日 学部長と学生自治会・駒場寮自治会との話し合い(第1回・4時間)
11月16日 学生自治会代議員大会:96年度以降の駒場寮入寮募集支持(賛成40 反対7)
12月 7日 代議員大会決定の全学批准投票
(1)キャンパスプラザ白紙撤回(賛成3,095反対922)
(2)駒場寮存続または新学内寮の建設(賛成2,993 反対1,009)
12月19日 学部は95年4月1日以降の各入居者に対し退去勧告文を郵送(学部が、学部雇用であった寮フを通じて寮生名簿を入手。この強要された裏切り行為のために寮フは退職。)
12月22日 特別委員会が駒場寮内サークルの移行措置等の説明会を行う(プレハブ3棟、1年半のリース)
12月28日 12月19日の退去勧告文を保護者宛に郵送
1996年
1月17日 駒場寮委員会:仮サークル棟(プレハブ)撤回要求。1月19日までの回答を要求
1月18日 仮サークル棟(プレハブ)入札説明会会場にヘルメットをかぶった者を混えた学生が乱入
1月19日 特別委員会が学生自治団体に仮サ−クル棟(プレハブ)について説明
1月22日 1月17日の駒場寮委員会の要求に口頭で回答。要求は教授会にかけたが、仮サ−クル棟(プレハブ)の撤回はしない
1月24日 駒場寮総代会:仮サ−クル棟(プレハブ)計画阻止
1月25日 学部長と学生自治会・駒場寮自治会との話し合い(第2回・4時間)
2月13日 仮サークル棟(プレハブ)着工、駒場寮委員会主導による座り込み建設阻止行動開始
2月14日 寮委員会と学部長の「非公式」会見
2月15日 特別措置による、95年3月31日以前入寮の駒場寮生の三鷹国際学生宿舎への入居募集開始
2月16日 学部長と駒場寮自治会との話し合い(第3回・2時間)
2月22日 駒場寮委員会仮サ−クル棟(プレハブ)建設現場にテント敷設
2月23日 特別委員長と駒場寮委員会、テントで会見
2月24日 特別委員長が仮サークル棟(プレハブ)工事凍結を条件とした交渉を打診。駒場寮委員会、受け入れ
2月25日・26日 駒場寮委員会入寮募集案内配布
学部は、4月1日より駒場寮を廃寮することを受験生に明示
2月27日 学部は、仮サ−クル棟(プレハブ)工事を中断
2月28日 特別委員会と駒場寮委員会の交渉(3/1まで)
3月 1日 学部が次の公示を行うこととし、その内容について両者で確認書を取り交わした。プレハブ工事の再開について了解し合った
公 示「教養学部が自動車部駐車場脇及び体育研究棟脇に建設中の「プレハブ」は、駒場寮廃寮の如何にかかわらず、学内諸団体に福利厚生施設として提供することを目的とするものである」
3月10日 学部が、合格発表時に「駒場学寮の廃寮について」と教養学部報号外を添え、新入生からの「駒場寮に入らない」誓約書書類を配布(署名400筆)
駒場寮委員会、96年度入寮募集開始
3月11日 特別委員会と駒場寮委員会の交渉。4月1日以降、電気・ガスの供給を停止することを予告。学部は、「平成7年4月以降駒場学寮へ入居した諸君へ」を駒場寮委員会に手渡す
3月13日 駒場寮生及び保護者に再度の在寮期限通知郵送
3月21日 特別委員会、各学生自治団体に対して「駒場学寮廃寮に関する説明会」:「プレハブ、柏蔭舎、シャワー室、廃寮の手順」について説明。
4月1日以降の電気・ガス供給停止予告
3月26日 プレハブ棟使用開始
3月31日 駒場寮委員会ら、北寮前で「花見」集会
4. 1 学部、「廃寮」を宣言
4. 2 寮内の調査を目的としたいわゆる「説得隊」の寮内不法侵入開始。
「退去勧告、電気・ガス供給停止予告」通知。これ以降断続的に教養学部教員・職
員に動員体制が敷かれる。
4. 3 駒場寮、生協付近で連続不審火。生協脇プレハブ全焼。
4. 8 午前10:00電気・ガスの供給停止(北寮・中寮間の配電盤
カット)。パワーショベルによる中寮・一研間の渡り廊下解体。
4. 9 学生5自治団体による共同記者会見。同抗議行動。
永野三郎評議委員、電気ガス供給の停止について
「人道的にはよくないかもしれないが、法的には問題ない」
と暴言。翌
10日も抗議行動
これ以降、東大職員組合、駒場職員組合、本郷寮などから次々と
「電気ガスの復旧を求める」声明があがる。寮は旧寮食からと学内
自治団体と協議の上、プレハブサークル棟から電気ドラムにより緊
急に電気線敷設
4.13 教員複数名がプレハブサークル棟に侵入、ドラム
をぬいて施錠しようとする。学生課ロビーで学生・支援に
糾弾され、三鷹特別委委員長・小林寛道はプレハブサーク
ル棟への介入を自己批判、および電気・ガス復旧交渉を持
つことを確約。
4.15 学部長大衆団交(前半学生自治会、後半寮自治会)
寮自治会枠で二点を確約
(1)居住者の追い出しなどの実力行使は行わないこと
(2)寮内放送設備の復旧
4.17 寮委員会・三鷹特別委交渉(〜4.20)
電気・ガスの復旧を交渉の前提とするか否かが焦点(4.23
に寮生会議をふまえて寮委員会が回答)
4.23 三鷹特別委交渉、寮委員会側「電気・ガスの復旧が交渉の
前提。現時点で妥協しても得るものはない」と回答。国会
議員要請行動。工事車輛の侵入を阻止するため寮食堂周辺
に監視テント設営
4.24 学部、寮裏渡り廊下破壊再開。パワーショベル・チェーン
ソー導入。
駒場寮委員会、教養学部学生自治会は、駆けつけた支援とと
もに工事車両進入を実力阻止。しかし寮裏は防衛するも、第
一研究室脇の渡り廊下が一部破壊される。この日から駒場は
緊張状態に。
4.25 パワーショベル退散
5. 8 学部、寮委員長あてに「学外者退去の命令」寮委員長受け取り
を拒否
5. 9 駒場寮「廃寮」問題に関する緊急代議員大会開催
可決事項
沒d気・ガス復旧・渡り廊下破壊中止・誠実な話し
合いを求める
学生自治にとって貴重な場である駒場寮の廃寮に
反対し、存続を求める
。「中立」な年表を作成し、主文氈Aについての
全学批准投票を行う
5.10 渡り廊下実力取り壊しの可能性薄れる(暫定予算執行の期限
切れ?)
半月ぶりにレポ体制の解除
5.20 全学批准投票開始(〜24日)
学部主催(CCCLに関する)「ティーチイン」自爆、新入
生切り崩し工作を粉砕
5.23 唯一つながっていた旧北寮売店への電気供給停止
5.25 全学批准投票開票主文沁^成74%批准
主文賛成50.02% 白票数との関係で再投票
5.29 駒場寮存続を支援する会主催 北寮前ビアガーデン(〜31日)
6. 3 学部、電気ドラム窃盗・電気線損壊
寮側、内容証明で市村学部長および判明した実行犯あてに電気
ドラム返還要求の通知書を送付。
6. 4 寮生K君・支援H君電ドラ窃盗に抗議しハンスト突入
6. 7 K君倒れる救急車で病院へ
6. 8 新電気線敷設(旧寮食へ)
6.13 電気線増設 6.14 「廃寮」粉砕!全国集会」アピール・学内デ
モ後101号館前で抗議行動
午後3時から深夜3時半までの追及。永野評議員救急車で逃走
小林寛道、6.21に電気ドラム返還についての交渉をもつことを
確約
全学批准再投票開始(〜20日)
6.21 全学批准再投票開票賛成49.7%再々投票へ
三鷹特別委との交渉、平行線
6.27 教養学部学生自治会定例代議員大会開催
寮委員会提案すべて可決
主文1 「明寮」取り壊し反対
主文2 「法的措置」執行の学部長一任決定反対
主文3 採決を求める動議すらも否決した教授会の非民主主義的な姿勢に抗議
学部文書「旧駒場寮内にとどまっている諸君へ」配布さる
「・・・貴君個人にとって法的にも重大な不利益が生じることにな
りかねません。」(この頃、寮生の実家宛てにも同内容の恫喝文書
が送られた。)
6.30 第139期寮委員長就任
7. 4 夏の寮祭開始(〜7.10)学部「寮祭を認めない」告示
7. 4 「駒場寮存続を支援する会」後援・寮祭企画、 シリーズ「東京大学への自己言及」シンポジウム第一回開催 寮外生多数参加、終了後北寮前ビアガーデンで自由討論
7. 8 「説得調査隊(三鷹特別委+学生委員)」寮内侵入をはかる→明寮居住者の同定作業の進捗状況が判明
7.11 7月定例総代会 「明寮取り壊し」決定糾弾、撤回要求および実力阻止方針が可決
7.14 東大七寮連絡会議 本郷寮に支援要請
7.15 学部 40ページ(本文18ページ経過報告19ページ)か
らなる学内広報(「駒場キャンパス再開発と駒場学寮廃寮」特集号)
を東大全学に配布
7.15 学部交渉(学生自治会枠)および「キャンパスプラザ」説
明会←駒場寮自治会の枠消滅(学部:「駒場寮は存在しない、発言
権は認めない」)
全学投票は「無茶苦茶な要求」だから「ばかげたスタイル
は止めろ」、 建設は前提条件であるとして一方的に説明を
進める
7.18 7月定例教授会
学部当局は「学部長への法的措置一任」は既に決定ずみ、「法的措置路線」
は学部長会議で了承を得たと主張
9.10 駒場寮に居住する20名を債務者として「占有移転禁止仮処分」執行
多くの寮生がリストから漏らすいい加減な執行
10.31 「占有移転禁止仮処分」への異議申立て
11.21 秋の寮祭が始まる
11.25 国が裁判所に対して意見書提出。
10月31日に寮が提出した「仮処分執行異議申立書」への反論。
11.28 学部当局、南ホール(旧寮食堂)の電源ストップ。終日、寮内まっ暗に。
抗議集会と三鷹特別委交渉が開かれる。夜、緊急寮生会議
11.29 学生課が、南ホールの照明切り離し工事を策動するも、寮生により阻止。
深夜、突然電気が復旧
12.2 12月補充入寮募集開始
12.20 第五回寮問題公開学習会。小林寛道特別委委員長と寮委員長との公開討論。
午後九時より南ホールで「大蟹会」
97年
1.14 駒場寮廃寮反対全国集会
1.28 占有移転禁止仮処分執行に対する異議申し立てが、却下される
2.10 第141期寮委員長選挙
2.5 国が寮生・寮自治会ら48名に駒場寮三棟の明渡し断行の仮処分を申し立てる
2.25 教養学部長 大森彌が、個々の寮生に対して、3月5日までに明け渡さな
ければ、執行費用や損害賠償を請求するつもりであるという恫喝文書を郵送
3.6 10時から東京地裁で「明渡し仮処分」に関する第一回審尋が開かれる。
寮生・支援者50人が傍聴。国側は冒頭から審尋の打ち切りを要求
3.18 2時から地裁で第二回審尋。これで審尋打ち切りが決定
慎重審議を求める97年度新入生を含む2000筆の要望書を提出
3.19 国側、北・中寮について明渡し申請を取り下げる
3.25 地裁、明寮明渡しの断行仮処分を認める決定を出す
3.29 債務者48名に明寮への明渡し仮処分が執行される。
債務者以外の居住者4名の占有が認められる
これ以降、ガードマン200名によって明寮が封鎖される。
4.10 明寮に居住する3名を債務者として明渡し仮処分執行
決定書が明渡しを求めていない居住者1名も強制的に叩き出されてしまう。
明寮解体工事開始を寮生が阻止
4.12 450人のガードマンと50人の教員を動員して明寮解体工事着工
4.13 廃寮反対花見
|目次|
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