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いろは 9



---------------------------------------------------------------第九弾 目次
CONTENTS 9
表紙	巻頭言 千葉毅
2	駒場寮1997
3	 『教師の会』の集い
4	 6・28北寮裏工事強行
6	対論―<三教官提案>を巡って
		東名安奈v.s.片岡俊夫
14	 6・22シンポジウム報告
16	寄稿―シンポジウム一参加者
19	 財政の現状と構成・性格規定の
		 明確化について
20	会計報告・夏季カンパのお願い

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紙版、電子テキスト版、QuarkXpress版があります。

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駒場寮経験をつなぐ討論紙	97/8/3	投稿歓迎

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編集/発行:	駒場寮存続を支援する会
連絡先:	目黒区駒場3-8-1東京大学駒場寮北9S
電話:		***-***-****
		**-****-****(呼)
共同代表:	成瀬 豊	(95,99期寮委員長)
		千葉 毅	(110期寮委員長)
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<写真>6月28日、工事強行に抗議する寮生・学生が乗ったままの北寮裏口を重機が破壊(撮影・千葉)

■巻頭言 千葉毅


 『支援する会』は、当初の活動内容の一つとして「寮風呂の復興」を掲げてきました。しかしすでに、その寮風呂はありません。学部当局の重油持ち去り・配管切断に対し、燃料の調達・配管修理の見積りまでは抗したものの、有効な取り組みをなしえないまま寮風呂取り壊しの日を迎えることになってしまいました。
 「寮風呂復興」は、最初の会議では優先順位の低いものでした。とはいえ、一つの旗を掲げた以上、自ら降ろすのではなく、学部当局に引きずり降ろされてしまった点はしっかりと総括しなければなりません。
 「寮がみすぼらしい姿をさらすのが耐えられない」との思いから始まった清掃隊、あるいは『いろは』の討論紙としての性格以外の―駒場で何が起こっているかを伝える―部分、それらも寮生こそが自ら行ない、語るべきことで、私たちが率先して関わり、忙殺されるのはいびつなことなのかもしれません。
 「駒場寮の存続」「駒場寮経験」といった抽象的な言葉に逃げ込むのではなく、私たちは何をすべきで、私たちそれぞれは何がしたいのか、明確にしておかなければならないと思います。
 この夏には本裁判への突入も噂されています。駒場寮に望むものは人それぞれでしょうが、それらは存続が決まってから徐ろに実行にされるではなく、不断に実現を模索すべきもので、その模索こそが存続への支援なのだと思います。
(共同代表・千葉毅)

■駒場寮1997


<写真>権力との闘いを語るとき、経験の差がにじみ出る
(http://www.zorro-me.comより転載)

5・15教授会で、杉浦・平澤・平野の三教官から、駒場寮問題に関し て提案が出される。学部長預かりとなった(→P.6に関連記事)。
5・29話題作『突破者』の著者、宮崎学氏、今年2度目の来寮。北寮 0Sで寮生らと熱く歓談。
6・6寮自治会と学生自治会共同で、三鷹国際学生宿舎特別委と交渉。
6・7寮風呂で上々颱風のコンサートが開かれる。浴槽を舞台にして、周りをぎっしりと観客が取り囲む。マスコミ各紙で話題に。
<写真>会場はまさに蒸し風呂(撮影・千葉)
6・17寮自治会と学生自治会共同で、特別委と交渉。
6・19142期寮委員長選挙。信任多数で新寮委員長が誕生。
6・22900番教室で、シンポジウム『大学と自治と社会―駒場寮の過去・現在・未来』が開かれる(→P.14に関連記事)。学部当局は「寮委員会主催では会場を貸せない」と介入。
<写真>映画監督・長谷川和彦氏も参加(撮影・白井清美)
6・27学生自治会が特別委と交渉。北寮裏口を削りフェンスを立てる工事を翌日に行うことを通達される。
6・28教養学部当局、フェンス工事を強行。北寮裏口の屋根に座り込む寮生がいるにもかかわらず、重機で屋根を削る。工事を阻止しようとする寮生に対して、ガードマンが多数、寮内にまで侵入して暴行を働く。額を割られる、目を殴られるなど、寮生、サークル生に負傷者が多数出る(→P.4に関連記事)。同時に、寮風呂も破壊される。
7・4寮自治会と特別委が交渉。特別委は工事の「妨害」を批判。寮自治会は工事強行とガードマンの暴行を追及。破壊された北寮裏口と中寮の放送設備の復旧を要求する。
<写真>「炊事場の壁に穴を空ける」というプランだけはかろうじて回避された
(撮影・千葉)
7・5『教師の会』の集会が南ホールで開かれる(→P.3に関連記事)。北寮前の大掃除。
7・7夏の寮祭。二日間に渡って北寮前などで、ビデオ上映会、討論会『駒場寮の未来』、横山晃久氏講演会、等の企画がもたれる。ビールや焼き鳥の屋台が出る。
7・166・22シンポジウムの報告集(暫定版)を駒場の教官に配布。
7・17教養学部教授会。

■『教師の会』の集い


予備校生軍団、駒場に。
『教師の会』の集いがもたれる


 7月11日土曜日、南ホールにて、『教師の会』の集いが開かれました。『教師の会』は、予備校教師が中心になって年に一回集会を開き、その時に話題になっているテーマについて論じ合っています。この日は、沖縄の基地問題を論じる集会を宮下公園で行い、渋谷の街をデモしてから寮にやって来ました。
 南ホールには予備校生や寮生もまじえて約50名が集まり、自己紹介をしながら、今日の集会に参加した動機や各自の問題関心について自由に語り合いました。
 会の中心人物の一人である最首悟さんは、次のように語りました。「62年の大管法闘争の敗北によって、学生は管理される生徒になった。そのとき、大学は学生というマグマを失ったのだ。その延長線上に駒場寮闘争はある。この闘争は、大学とは何かということを問う歴史的な闘争だ」。
 それに対して、高校を中退した後、世界を放浪した経歴のあるサークル生から、「私は予備校生の皆さんに、必ずしも大学に行かなくてもいいんだよと言いたい。大学に行かなくても、人生やっていけます。ただ、私は大学に行くことを否定するわけではありません。友達がほしい人は大学に行ったらいいと思います」という意見が語られました。
 現役の予備校生からも初々しい自己紹介が多数された後、寮生の一人から、「いつでも遊びに来てください。歓迎します」とアピールがなされました(足達)。

<写真>「『現代思想』を読んで」現われた評論家・糸圭秀実氏。寮生のベッドを実力占拠(撮影・水島たかし)

■6・28北寮裏工事強行


繰り返された警備員による学生弾圧

 キャンパスプラザは、北寮裏口および渡り廊下に重なるように設計されていた。学部当局はフェンスは寮にはかからないようにする、と直前まで言明し続けたが、工事前日の27日、交渉で「無理だった」と一方的に通告。そもそも学部にはフェンスをずらすつもりなどなく、キャンパスプラザの設計自体も寮を破壊するためにわざと重ねてきたのであろう。
 学部当局の暴挙に抗議するため、駒場寮は翌日の工事強行への抗議を決める。
 座り込みを続ける寮生らに構わず、渡り廊下や庇を破壊する重機。「警備業法」で定められた範囲を逸脱し、怒声をあげながら殴る蹴るの暴行を加える警備員たち。ニヤニヤしながら一部始終を眺めていた200人もの教官ら。この日、学生20数名が負傷、4名が救急車で運ばれた。(水島たかし+編集部)

6・28ドキュメント
 朝7時過ぎ、警備員が駒場寮裏手に集結。寮生は工事を阻止するため渡り廊下の屋根に上る。警備員がそれを排除しようとして小競り合いが続く。
 やがて、明寮跡地に待機していた重機(ユンボ)が搬出される。それを阻止しようと、寮生らは乗用車で重機の出入口に乗り付けるが、引きずり出されて警備員から激しい暴行を受ける。
 結局重機は搬出され、渡り廊下の屋根の上に抵抗する寮生らを乗せたまま解体を強行。降り落とされれば怪我ではすまない事態。同時に警備員が渡り廊下屋根に登り、寮生らを引きずり降ろす。寮生を屋根の上から放り投げておきながら、下ではわざと受け止めず、落ちたところを袋叩きにする。
 こうした中、駒場寮側の弁護士が到着し、寮委員長とともに学部長室へ向かうが、職員が人垣を築いて中に入れず、学部長特別補佐の永野三郎教官は、「忙しいから」と会おうともせず弁護士らを追い返す。
 並行して工事強行は続き、人が乗っているのにもかまわず北寮裏口の庇の柱の1本を破壊。さらにもう1本も破壊して、万が一そのまま庇が崩落すれば死者も出かねない事態であった。また渡り廊下の屋根の残りも破壊。やはり屋根に人を乗せたままで、屋根ごと数人が落下。
 続いて重機は寮風呂の破壊に向かう。怒った1人が現場に向かうと、見張りを立てた上で(!)20名近くの警備員がリンチを加えたという。彼は救急車で運ばれた。
 昼頃、北寮裏口の庇を残して事態は膠着。座り込みの排除のために警備員が北寮内に突入してくることが予想され、1階の入口の封鎖を補強。
 午後2時半すぎ、三鷹国際学生宿舎特別委員長・小林寛道教官が「総攻撃を開始します」と軍隊まがいの号令。警備員が北寮1階の窓や入口から侵入を開始、さらに北寮裏口の扉を重機で破壊しようとした。
 寮内に侵入した警備員は、庇の上の寮生らの排除を開始するが、警備員の侵入を阻止しようとした1人が突然殴られたうえに引き倒され、右目は一時失明状態、歯も欠ける。座り込んでいた1人も、廊下に引きずり上げられた際に頭を打ちつけ意識を失う。意識を失った彼に、殴る蹴るの暴行が続く。この2人も(加えて午前中に負傷した1名も救急隊員の判断で)救急車で運ばれた。
 結局学生は排除され、庇は完全に破壊された。学生排除の現場だけでなく、寮内に侵入した警備員は、寮に入ろうとする学生を閉め出す、1人の寮生に数人で張り付いて拘束するなどの行動に出る。
 午後5時過ぎに破壊も終わり、教官や警備員は去った。

<写真><写真>上・北寮裏口の庇の上で工事強行に抗議する寮生たち/下・警備員に守られた重機(撮影・水島たかし)

■『支援する会』専従かく殴られ記


<写真>

支援する会メンバーも2名が大怪我

 6月28日正午過ぎ、私は、共に銭湯料金値下げ運動を斗う同志と待ち合わせた駒場寮に到着した。というのも翌29日、我々銭湯利用者協議会は、高円寺―阿佐ヶ谷 夜デモを計画しており、そのための横断幕を駒場寮の会議室かどこかで作らせてもらおう、ということだったのである。
 ところが、矢内原門を通って北寮入口に来たものの―入れない。入口が封鎖されていたのであった。さては再び占有移転禁止の仮処分で執行官が来ているのか。寮内は真っ暗であった。
 寮生に経緯を聞くと、明―北寮間東側の渡り廊下の残り全部と、北寮裏側出入口の庇が取り壊されている、とのことであった。さらに寮委員長に事情を聞くと、朝から取り壊しが始まり、寮生たちは庇の上に座り込むなどして抗議している最中ということがわかった。
 午後2時台には、工事をいったん中断して三鷹国際学生宿舎特別委員会と寮委員会の話し合いがもたれたが決裂、2時30分には数十名の警備員が、我々が横断幕を作っていた北寮入口前に集まり始めた。私たちは彼らの強行突入を阻止すべく立ちはだかった。しかし多勢に無勢、あっという間に「排除」され、警備員たちは閉められていた北寮の扉を無理やり突破して寮内になだれ込んだ。私たちも寮内に入り西側階段を叫びながら2階へ登っていった。「絶対通すな!」階段を登ったところで、ちょうど警備員と寮生たちが攻防していた。私は思わずそこに入り込んだ。と、一瞬の後、私の右目にものすごい衝撃が走った。まさに目から火花が走り、次いで激痛。口の中からは、砂を噛んだような「ジャリッ」という音が。次の瞬間、私の右目は視力を失っていた。
 「いくらなんでもこりゃマズいわ」―私は右目を左手で押さえ、すっかり腫れ上がっているのを確認しながら、残った右手を挙げて、「すいません。右目が見えないんですけど、救急車を呼んでもらえますか」と叫んだ。それまで寮生らを盛んに挑発し、警備員をけしかけていた教官たちも「マズい」と思ったのか、慌てて警備員を鎮めにかかり、私は寮務室に運ばれて救急車の到着を待った。この間に、現場を目撃した市民が警備員の暴行を110番通報したらしい。
 十数分後、私は学生に付き添われて正門まで行き、到着した救急車に乗り込んだ。車内で怪我の確認や血圧測定を受けているあいだ、救急車のドライバーが病院を探していた。さらに十数分たって、救急車は西新宿の東京医大に向かって走り出した。医大には、遅れて目黒警察署の警官2名、そして銭湯料金値下げ運動の同志2名が到着した。
 とりあえず診察を受けて、「まぁ失明ということはないんじゃない」という医師のことばにヤレヤレと思いつつ、今度は回転灯を消したままのパトカーで目黒署に向かった。簡単な事情聴取の後、同士2名と共に電車で駒場寮に帰りついたのだった。

帰りの井の頭線車中で『an・an』の中吊りを見ながら
柏木「人相は後天的に変る、ってあるけど本当にそうだよね」
同志「……(殴られたときくらいおとなしくしてろ)」
(柏木信泰)

『支援する会』、教養学部長に対して損害賠償請求を申し入れ

 『支援する会』は7月16日、学部長・大森彌に対し、当会の2名が受けた損害賠償を要求しました。
 治療費に加え、1名は眼鏡を割られ、2名とも仕事を休まざるをえなかったなど、肉体的・経済的な被害は甚大です。また、最悪の場合、柏木君は手術が必要かもしれず、また10万円以上かかるといわれて、欠けた歯の治療を見合わせている状態です。
 当日は大森学部長が不在だったため、小林寛道、生井澤寛、永野三郎らに、@被害を誠意をもって補償すること、A警備業法にすら違反する警備員の使用について責任を認め謝罪し、2度と繰り返さないこと、を要求してきました。
 今回は、教養学部としての検討を約束させるにとどまりましたが、引き続き追及を続けていきます。

■対論―<三教官提案>を巡って


いわゆる「三教官提案」とは?

 5月22日の教養学部教授会にて杉浦教授(相関社会科学)、平野教授(国際関係論)、平澤教授(化学)が連名で提案。教養学部学生自治会と駒場寮委員会には、5月27日の三鷹国際学生宿舎特別委員会との交渉の席で知らされた。
 内容は、駒場寮の寮機能停止を前提としながら、
というもの。

「駒場寮廃寮問題を大学らしい方法で解決してほしい」
「寮地区の今後の利用構想に関し、学生・院生が専ら利用する施設に関しては学生・院生との話し合いの場を設けて広く意見を募るべきである」
「当初議論の叩き台であったはずの案が、駒場寮廃寮をめぐる裁判で十分検討されないまま内容が硬直化した」(平野教授)
「裁判による最終的な解決は、教育的にもマイナスが大きい。学生が全人格をかけて主張していることを教育現場で受け止めないとすれば、今後学生の積極的な活動や創意を萎えさせ、教官を日常性の中に埋没させてしまうだろう。しらけた学生と無責任な教官がいるキャンパスにはしたくない」(平澤教授)
「計画を学生に押しつけるかたちになる」(杉浦教授)

■廃寮への同意調達としての三教官提案

東名安奈


 <悪への道は善意で敷きつめられている>とはよくいったものです。
 三教官提案を読んだとき、その善人振りに目眩がしましたが、直後に、寮生も善意を発揮すれば…、と背筋が寒くなりました。<世が滅ぶとも正義は行われよ>などという原則主義、私も嫌いですけど、しかし、<正義は行われず世も滅んだ>というのはもっと嫌な話です。

 このごろ偏向新聞である『東京大学新聞』は、三教官提案を報じるなかで、「提案は教授会では好意的に受けとめられた模様」(1997.6.10)としています。このことが、提案を評価するさいの決定的な鍵です。なぜ提案が教授会で好意的に受け止められるのか、考えてみなければなりません。
 報道では、<CCCL計画を学生に押し付けることなく、駒場寮廃寮問題を大学らしい方法で解決する>点に、提案の意図があるとされています。これを理解するさい、提案が「駒場寮の寮機能停止を前提とし」ている点を曖昧にしないことが絶対必要です。
 これはかなりの嵌め手です。
 第一に、この提案を受け入れれば、寮生が「寮機能停止」すなわち廃寮に同意したとみなされます。
 第二に、勝手に教官だけが騒いでいる駒場寮地域の再開発計画に―CCCL計画通りかは別として―学生が同意を与えることになります。
 これらの点で、三教官提案は、従来、駒場当局―三鷹国際学生宿舎特別委員会(以下特別委と略す)が権力的・暴力的に追求してもできなかったことを、「大学らしく」「押し付けでなく」容易に達成できるわけですから、特別委の対応以上に悪質と評価したいもの。

 三教官提案の核は、寮生が「駒場寮の寮機能の停止」に同意する、すなわち駒場寮の廃寮に同意する、ということです。これは提案の前提であり本質です。
 ですから、駒場寮廃寮を一貫して追求してきた教授会がこの提案に賛同するのはむしろ自然なんです。しかもそれがかなりの嵌め手であってみれば、<活路はここにあり>とみなされるのは必然でしょう。特別委が学生・寮生にこの提案を提示したのは、この嵌め手が自分たちの利益を損なわないとみたからにほかなりません。
 学生・寮生が提案を受けて交渉に応ずれば、<駒寮存続運動は自壊した>という評価になります。

 もっとも、三教官の気持ちとしては、「裁判による最終的な解決は、教育的にもマイナスが大きい」とか、「しらけた学生と無責任な教官がいるキャンパスにはしたくない」(平澤教授)とかいうものがあるようです。しかし、真剣に「大学らしく」「押し付けでなく」駒場寮問題を解決したいなら、「駒場寮の寮機能の停止」という前提を放棄しなければならないはずです。それができないのですから、提案者の善意を信用するわけにはいかない。まじめに話し合い解決を追求するなら、廃寮決定の見直しも含むものでなければならないんじゃないですか?

 こうした見解にたいし、<三教官提案の動きが出てきた客観的意味を軽視した危険な考え方だ>という意見を聞き及びました。
 しかし、動きが出てきたことでまず評価すべきは、それをもたらした情況であって、動きそのものではないはずです。火事だということで、眠っていた人も何かしはじめるかもしれませんが、場合によっては早く燃え尽きるよう油を注ぐ奴も出てきます。
 <三教官提案の客観的意味を軽視するな>という意見に従ってこれを考えると、<裁判等の剥き出しの権力・暴力で学生に対処してしまった研究教育者にあるまじき行動にたいする衝撃が深部で浸透しつつある>という情勢評価以上には出ないと思われます。この情勢は正しく理解すべきであり、軽視すべきではありません。しかし、提案の内容は別です。

 その内容にかんしてですが、これには評価できる点もあるという議論が聞かれます。提案では、「今後に予定されているCCCL計画の推進をこの時点で停止し」、「駒場寮地区に学生の自治組織による日常的な管理を委ねられたスペースを設けることを目指し」とされていることを、積極的に評価しようというわけです。すなわち、CCCLが停止され、自治が残るのだから、これは寮生側に有利なのではないかという見方です。

 しかし、ここでいう<CCCLの停止>は、駒場寮地区の再開発停止を意味しません。「現在の計画も選択肢の一つとして生かしつつ」と報道されているように、CCCLも話し合いの上で復活可能にしています。

 ここでかなりの程度初歩的な観点を再度明確にしないといけないと思います。CCCLであろうが、ほかの再開発計画であろうが、駒場寮の地面を検討の俎上に載せるものは、駒場寮の存続とは二律背反に陥る、ということです。駒場寮の地面は、全体計画の相当部分を占めますから、再開発計画を認めるなら、駒場寮廃寮に手を貸すことになるわけです。
 それに、そもそも今回の紛争は、学生と教官が合意できるCCCLないしはその代替案をめぐるものではなかったはずです。現在でも特別委が駒場寮廃寮の執行官になっていることに象徴されるように、もともと駒場寮問題とリンクしているは三鷹宿舎建設であって、CCCLではありません。この点、実際に明寮破壊がCCCL絡みで生じていることなどもあり、往々にして不明確になることもありますが、駒場寮問題をより広く再開発問題の一環として考えるというのは、問題の本質をずらかし曖昧にするものです。
 このように、CCCLをかならずしも撤回せず、しかも駒場寮廃寮を必至とする再開発計画に同意させてしまう提案が、どうして寮生に有利といえるでしょうか。

 また、寮機能が停止されても自治スペースが残れば、寮生に有利な形で決着をみることができるのではないか、という見方ですが、これは、寮とは何かということに照らしても、また当局の現状に照らしても、誤った議論だと思います。
 自治スペースという言い方をすることによって、形式的には寮ではないが、実質的に居住機能を持たせたものを構想できるということなのでしょうが、これはまったく了解不能です。そもそも、<駒場寮の建物に寮機能はなくとも実質的に居住機能はある>と構想すること自体が、素人にはよく飲み込めません。もし理解できるとすれば、<駒場寮建物の居住機能なるものは学寮として保護される性格のものではない>ということでしょうね。大学のある建物では学生の居住が黙認されているというにすぎないでしょう。こうしたことが世間的に通用するかどうか知りませんが、少なくともいえることは、これは、文部省が推進している新新寮政策にすら届かない地平に、みずから貶めていく立場だということです。これはかなり絶望的な選択ではないでしょうか。
 よしんばそういうものが出来たとしても、今後当局が、<その自治スペースは寮ではないから居住してはならぬ>と言い出さない保証はどこにもありません。考えてもみてください。現在の当局は、長年の承認関係にあった駒場寮自治会を一方的に非承認し、権力的に廃寮の挙に出、さらに実際に暴力を振るう暴力集団です。こうしたやくざな集団を根本的に更正せずに、<自治スペースを残す>と合意しても、今後同様のことをまた仕掛けてこない保証はどこにもない。現段階ではまだ寮という形式を主張することができるでしょうが、<寮ではない自治スペース>に移行してしまったとき、同じように主張することはほぼ不可能になります。むしろ、こうした自治スペースなるものは、完全廃寮に至るための中間駅を設定しようとするものとみた方が評価として正しいのではないでしょうか。
 このように、寮の形式を曖昧にする決着の仕方は、自滅への道というしかないわけです。

 三教官提案が出てきた当局側の亀裂は正確に評価しつつも、提案そのものはお話にならないと斥け、駒場寮自治会を承認させ、廃寮という前提なく真摯に話し合う場を要求していく必要があるということでしょう。現在の特別委は、この基準に照らしまったく資質に欠けますから、その解散を要求し、別の話し合いルートを形成することが肝要かと思いました。

■歓迎すべき新しい情勢

片岡俊夫


 声を上げたり、行動を起こすには至らないまでも、昨年来の教養学部当局のやってきたことを知って、常軌を逸している、と感じている人は少なくない。電気・ガスの切断、ガードマンの雇用、寮生を叩き出しての明寮の破壊、そして仮処分の対象となっていない建物の破壊など、地上げ屋も顔負け。市民社会のルールに照らしても異常としか言いようがない。教官たちが「知のモラル」云々を売り物にしながら、自分たちが寮つぶしのためにやったことを、とくに自責の念もなく「当然の行動だ」と思っているとすれば、それこそ、特権にあぐらをかいた知的退廃以外の何であろうか。
 6月10日付の東大新聞の記事を知ったとき、「やっと教官内部で大きな動きが出た」「去年の闘いは防戦一方のように見えたかもしれないが、しっかり効果を上げている」という感想を持つとともに、「このチャンスを逸してはならない」という思いを強くした。それゆえ、「余計なお節介」ではないかと懸念しつつも、OBや支援する会のメンバー、寮生と若干の議論を試みてきた。今回、『いろは』編集部によって機会を与えられたので、この情勢をどうみるか、どう対処するかということに絞って、私見を述べてみたい。

三教官の行動の持つ客観的意味
 まず、教授会で規定の計画への異論が出るということ自体が、非常に珍しいことである。教官内部の不満・批判が、初めて公然と形を持ってあらわれたことの意味を、軽視すべきではない。3人の教官の行動の背後には、おそらく、その10倍20倍の声を上げない批判者が存在しているはずだ。また、不満や批判の出てきた動機が、どんなものであっても、三鷹特別委の強引なやり方に対する反発が強まっているならば、歓迎すべきことであり、単に「相手方の足並みの乱れ」として傍観・座視するのではなく、積極的にこの情勢を利用して学内世論の形成をはかり、寮破壊に熱中している一部の教官を孤立させるような、系統的な活動を行うべきであると思う。
 提案が東大新聞の記事になり、さらに6月22日のシンポジウムに提案者の一人である平澤教官が参加され、提案の趣旨についての説明と若干の討論が行われたことの意味も、非常に大きいものがあると考える。批判を教授会で語るだけでなく、新聞記事という形で公にし、さらに廃寮に反対する学生も多数集まる場に出向いて率直な意見交換を行ったことは、彼らが教授会の中だけでなく、問題をより大きな場に提示してオープンな議論をする覚悟をもって、行動に踏み切ったと思われるからである。
 三教官の提案が、「廃寮」決定とその後の破壊行為の問題を問わない=容認する内容になっている点は不十分であり、その点への批判を控えたりする必要はないが、「今後に予定されているCCCL計画の推進をこの時点で停止し」という、大胆な提案を行ったことは、率直に評価するべきであろう。たとえどれだけ不充分な内容でも、三鷹特別委のやっている学生への対応とは明確に異なる提案が出されたことは、廃寮強行派に対する、ある種の「不信任」宣言という客観的な意味を持っているのである。
 これまで、三鷹特別委ら廃寮強行派の行動に異を唱える声が、小川教官の個人的努力を除いて聞かれなかったのは、教官の中に「廃寮がスムーズに進むならどういうやりかたでも構わない」という、ことなかれ主義が横行していたからだと思う。では、なぜ今、新しい事態が生まれたのか。
 第一に、廃寮強行派のインモラル攻撃に対して、寮生や支援する会が、かなり有効な反撃を行っているということであろう。例えば、東大新聞の記事には、CCCL計画について「平野教授は、当初議論の叩き台であったはずの案が、駒場寮廃寮をめぐる裁判で十分検討されないまま内容が硬直化した、と語る」という記述がある。これは、仮処分をめぐる法廷での論戦の中で、寮側が「CCCL計画の全容さえ示せないではないか」という追及をしたことに対して、困った三鷹特別委側が「これが最終案だ」と強弁したことが、教官の中に批判や反発を引き起こしていることの証拠である。
 おそらく、明寮と同じことを残る2寮について強引にやった場合、当局の側も、いろいろな意味で無傷ではすまないだろうということが、ようやく多くの教官に実感をもって受け止められ始めた、というふうに私は解釈している。もう一つの理由として、強行派の手口があまりにひどいために、道義的な面で動揺が起きているということが考えられる。廃寮は「やむをえない」としても、あのやり方は恥ずかしい。とくに、仮処分申請という手段に訴えたことで、「学生を指導すべき地位」を自ら放棄したと感じ、「知的権威の失墜」を懸念している教官も、少なくないのではないだろうか。

インモラル三鷹特別委への包囲網を
 三教官の行動が善意から出たものであることは、シンポジウムで平澤教官と長谷川和彦氏、上野名誉教授とのやりとりを聞いた参加者にとっては明らかであると思うが、提案は「駒場寮の寮機能停止を前提としながら」という内容になっており、彼らは教授会内でまだ少数派なので、現時点で寮自治会や学生自治会として、この提案の内容に沿った対当局交渉を行うことには、賛成できない。
 仮に、三鷹特別委が、この提案をあたかも自らの主張であるかのように寮側に提示した場合にも、「無責任に方針を変える人たちとは信頼関係が保てないので交渉できない」「当局側の交渉担当者の解任・交代を要求する」という態度をとるべきだと考える。
 しかし、だからといって、「三教官提案は欺瞞的だから問題にならない」というような姿勢をとるべきではないと思う。廃寮強行派を孤立化させる上で、この提案にみられるような三鷹特別委とは違う発想が教官内部にもあることを広く宣伝するのは、なによりも効果的であろう。また、提案は、より多くの教官との討論を行うための素材となりうるし、これを題材として公開討論の場を設けることは、これまでの経緯を知らない新入生に対して、三鷹特別委の酷さを訴えるためにも役立つだろう。
 もう一つの理由は、「話し合いによる解決」を掲げてきた寮生側が、「当局が廃寮決定を撤回・謝罪しない限り交渉はしない」という態度表明をするだけで、事実上、他に対話のチャンネルを開いていない状態を続けるのは、戦術的に賢明ではないと考えるからである。
 この闘いは、歴史的経緯と手続き論的に言って寮側に理があると思うが、現状では、手続き論で当局内の亀裂を拡大することができるとは思わない。現時点で教官内に反対派が形成されるとすれば、その軸は、ルールもモラルもない三鷹特別委の行動に対して、「話し合い」を対置する形でしか起こり得ないであろう。廃寮決定の不当性を訴えることは当然であるが、その撤回を対話の前提条件として「踏み絵」にしてしまうのではなく、反対派・穏健派とのさまざまな対話(交渉ではない)を活用して、強行派に対する包囲網の形成を図るべきだと思う。
 もし、「これ以上三鷹特別委にはまかせられない」という声が高まり、反対派や中間派が事態を収拾することになるならば、その主張は「十分な理解を得てから進めるべきだった」「手続き的に瑕疵があった」という類のものになるだろう。つまり、強行派が「手続き論的に」弱みを持っていることが、最後の段階で奪権の旗印になりうるわけで、教授会決定の不当性を継続してきちんと訴えておくことは、そこで大きな意味を持つのである。

将来に禍根を残さないために
 私が、一社会人として、これまでの経緯を傍から見ていて感じるのは、寮生側の主張と行動が、「東大生という地位にあぐらをかいてはいけない」という思慮と自省に裏打ちされた、言ってみれば相当にナイーヴなものであるということである。それに比して、三鷹特別委の態度は、東大教官という「特権的地位」をなんら省みることのない、傲慢でインテリジェンスのかけらもないとしか思えない。学生が無軌道で、教官がモラリスティックだというなら、昔からありふれた構図だろうが、それが逆転しているというのは、いったいどういうことだろうか。
 駒場の教官たちが考えている新しい大学像というのは、そういうものなのか。だとすれば、もし仮に、寮生や学生がこのインモラルな攻撃に屈してしまい、今回のような教官内の動きも封じられてしまったならば、その後に残るものは茫漠たる「知の廃墟」のような場でしかないだろう。駒場寮問題が突きつけているものは、単に寮が存続するかどうかということだけでなく、これからの大学のありようにも、きわめて深い関りがあると考える。その意味で、この問題は、寮生と三鷹特別委の利害のみならず、知的営為に携わるすべての者にとって、何ほどかの意義を有していると私は思う。部外者である私が発言をしているのは、そういう動機からであり、立場や表現こそ違え、三教官を行動につき動かした気持ちの底にも、同じような危機感が横たわっているのではないだろうか。(塾講師・7
3年入学、76年〜79年在寮)

「海外からのキャンパス報告」と
「清掃隊報告」はお休みします。

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清掃活動に単身決起する『上々颱風』の敏腕マネージャー・玉井氏(撮影・千葉)

■ 6・22シンポジウム報告


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 6月22日、教養学部駒場キャンパス900番教室にて、公開シンポジウム『自治と大学と社会―駒場寮の過去・現在・未来』が開かれた。直前まで駒場寮委員会主催ということで準備が進められていたが、「存在しない団体に教室の貸し出しはできない」という教養学部の不当な介入を受け、急遽「シンポジウム実行委員会」が主催するかたちになった。    (文中敬称略)

寮委員長とサークル生から、寮の現状とこれまでの経過について報告があった後、第二部「駒場寮経験から」では、各パネラーの方から以下の趣旨の発言をいただいた。

隅谷三喜男
 ひと口に「駒場寮60年」と言っても、全寮制であった一高の寮と戦後の寮の間には断絶がある。一高時代の寮に見られた人生論議の気風が、現代という思想性欠如の時代にあっても駒場寮に息づいていることを望む。
廃寮問題について:(寮生・学生に対して)寮存続の意味を明確化してほしい。(大学当局に対して)きちんとした話し合いの場を設けて、手違いをひとつずつ正していくことが必要。

田中秀征
 59〜60年当時の時代状況は「戦後史の分水嶺」と性格づけることができる
(日本の体制選択に実質的・最終的に決着のついた時;経済の季節から政治の季節への転換点)。
 59年12月に安保闘争の闘士が寮に篭城した時、大学自治・寮自治について考え抜いた末に到達した洞察(現在も変わらない考え):将来的な新しい理念なり価値なり思想性を生み出す担い手は大学、学生以外にありえない。そうした理念なり何なりに必然的に伴う反社会性に(歴史の動向に対する謙虚さに基づいて)目をつぶろうということで保障されているのが大学自治・寮自治である(60年安保を上回る大改訂である現在の「ガイドライン見直し」問題に対して、なぜ学生は声を挙げないのか、というアジテーションを含む)。
寮存続運動に対して:広く人々を納得させられる旗印を掲げて運動を進めていっ
てもらいたい。

金子万平
 「赤い航空母艦」と称された60年当時の駒場寮の別の側面の紹介。60年安保後、三井三池闘争に行っていた学生の持ち帰った花札・麻雀が流行し始めたこと。寮食堂の食券のごまかし方を研究する学生など、自治に安住して自治の足下を掘り崩すような寮生のいたこと。二、三年前訪れた時の駒場寮がこうした流れの延長上にあるように感じられたという印象。
駒場寮に存続の意義はあるか:@経済面で言えば、寮がなければ困るという貧乏な学生がたくさんいて、その人たちが学生運動の担い手でもあるという時代は、既に60年頃から変わりつつあったような気がする。Aあまり表だって発言しないタイプの学生たちの支持をきちんとつなぎとめておけるように寮自治が機能しているか。B寮歌を生み出すようなエネルギーといったものが、少なくとも外には伝わっていない。
寮の運動はどうあるべきか:本来から言えば、大学にとって寮という異質な部分はあった方がよい。教官のあり方の問題に絡めるなどして、社会的広がりのある運動、元気の出るような運動をやってほしい。その中から再生の道が開けるかもしれない。

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長谷川和彦
 寮生活のいくつかの断面。インポ合戦の話。同室の友人とのインスタントラーメン争奪戦の話。空手部のストームに対抗して懲罰委員会にかけられた話。
廃寮問題について:@個人がおもしろいこと・気持ちのいいことをやれれば、それを理念化してくれる政治思想や政治家は要らないのではないか、という実感から言えば、今の寮生・サークル生の気の済むようにやるしかないのかもしれない。A今の寮問題の発端は、東大闘争における確認書(当局との手打ち)にある、との言い方で、やはりあの時、東大を解体しておくべきだったとの心情を吐露。

友光健七
 東大闘争の時の話。平穏で政治的関心も低調だったそれまでの空気が、68年6月17日の機動隊導入で一夜にして変わったこと。ただし、そうした中でも、駒場寮では比較的健全な生活が営まれていたこと。
現在の駒場について:寮生を相手に裁判を起こし、ガードマンを使って強制的にたたき出すという当局の姿勢には隔世の感を覚える。
田中秀征氏への反論:学生は時代のイデオロギーを反映して運動に立っていたにすぎない。現在の混迷したイデオロギー状況の中で、学生だけに先鞭を切れと求めるのは酷である。
寮存続運動への激励:これまで日本をおおってきた「土建屋政治」が、ここ駒場でも当局によって行われている。この同質性をしっかり捉えて突きつけてほしい。ここまで頑張ってこられたのは、やはり寮が共同生活体だからで、今の大学でこのようなことができるのは寮だけである。そういう意味でも一層頑張ってほしい。

大池功
 @食事部の寮委員として働く中で得た「自分で食っている」という自信と、A様々な政治的軋轢の中で、それでも一定の秩序を形成して共同生活をつくっていっているという自信、この二つに支えられて自由を求めていた18、19、20の頃。

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現在の駒場寮への期待:@(74、5年当時の寮自治会のあり方をふまえて)多種多様な人間の共同生活を成り立たせるという自治の基本ラインを維持できているかどうかの自己検証。A当時「色々な方向に開かれた寮」との自負があったが、振り返ってみると限界があった。本当に開かれた、豊かな寮であってほしい。B金のない人の生きられる場であってほしい。

小出昭一郎
 駒場寮と一番関わった、東大闘争の時のエピソード。全共闘による建造物破壊の補修用に教官から募ってあったお金を寮食堂の赤字補填に役立てるために動いた。
残念に思うこと:そこにも現れているように、当時の駒場には、鋭い対峙の中にあっても、教官と学生の間に信頼関係があり、私たちはひそかに誇りとしていた。今、それがなくなっているように見受けられるのは遺憾の極みである。

第三部は、第二部で講演したパネラーに加えて、第一部で発言した寮委員長とサークル生、新たに「支援する会」から成瀬豊が壇上に上がり、駒場寮の未来について熱い討論が交わされた(抄録)。

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司会:駒場寮存続の思想的契機という切り口でお考えをお聞きしたい。
隅谷:寮存続の意味について、寮生・学生の主張にまだ統一性がないように思われる。 
―寮生数名からこれに答える発言があったあと、
小出:これからの学生寮には国際性が求められる。
金子:東京大学にとっての異物であること。
長谷川:ここまでの話を聞いていると、寮存続の意義という点ではみな大体同じことを言っている。ここらで、どうやったら寮が残るのかについて話をしようじゃないか。
隅谷:寮を残そうとするなら、教官と寮生の間で話し合いの場が必要だ。
―これに対して、会場からの発言。
参加者A:それは理想論だ。今の駒場の教官は、正当な理屈を主張しても動くような人々ではない。そういう幻滅を我々はいやというほど味わわされてきた。結局テロルしかないんじゃないかと思う。もちろん、断固住み抜く実力行使という意味だが。
参加者B:最近、教授会で、これまでの方針に見直しを求めるような提案があったと聞く。これは、ある意味ではチャンスではないか。
平澤教官:今日は発言するつもりはなかったが、いま話題にされたので発言する。駒場寮の廃寮決定について大学側がフライングを犯したというのは、多くの教官が認めるところだと思う。したがって、我々の提案には寮に対する謝罪も伴う。また、寮における共同生活の意義は理解しているつもりだ。しかしそういう考えは、いまの教授会では受け容れられない。このまま行くと寮側には何も残らない。何らかの自治空間は残した方がいいと思ってあの提案をした。
長谷川:大学がフライングを犯したことを認めるなら、フライング以前の状態に戻そうというのが筋のはずだが、そうでないのはなぜなのか。
平澤:それはわかっているが、現在教授会ではそういう議論はできない。

―ここで、会場から、
上野:私は数年前まで駒場の教官だった者だ。平澤先生の提案はダメだ。先生の提案では、大学が謝って寮がなくなるか、大学が謝らなくて寮がなくなるかの違いでしかない。

 ここで時間切れにより討論終了。

散会後、参加者は駒場寮に移動し、酒食を囲んでの交流会となった。酒が入った長谷川さんは、駒場寮を舞台にした劇映画を撮ると言って怪気炎をあげた。住み抜くというのなら、トイレをもっときれいにしろとの指摘もされた。宴会は、途中からの参加者もあり、筆者らが帰ったあと、朝まで続いたそうだ。
(足達+難波)

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(文中写真 撮影・千葉)

■寄稿― S氏よ、運動の到達点から取り残されてはいないか?

シンポジウム一参加者


 6月22日の公開シンポジウムに参加した者として、そのシンポジウム全体の感想を述べようかと考えたが、私の手に余るので、シンポの第三部にて、昨年春まで寮生で今はOBのS氏が発言した次の二点についてのみ、感想を述べたいと思う。
その二点とは、S氏の「吉田寮が存続できたのは偶然だ」と「もはやテロルしか残されていない」という二つの発言である。S氏は昨年3月の卒業以後、現役寮生ではなくなったからある程度当然のこととは言え、驚くのは情報があまりにも彼に伝わっていないことだ。これは寮自治会や支援する会など情報発信の側の問題もあるが、主要には彼自身が、それほど寮から主体的に情報を入手しているわけでもなく、また吉田寮について論評しているにも関わらず、関連資料が満載されている『吉田寮資料集』★1を読み込んでいるわけでもないことにある。まず、第一に問われるのは、そのような寮問題をめぐる基本的な情報から途絶された状態に置かれている者が「吉田寮が存続できたのは偶然だ」「もはやテロルしか残されていない」といった言わば放言に類するような発言をするモラルであろう。

 具体的な事実に即して分析すると、第一の吉田寮が現在存続できている理由であるが、私はこれは偶然どころか必然であるとさえ考えている。『吉田寮資料集』を読めばほとんど自明であると考えるが、吉田寮の寮自治の力量と言った主体の側の問題、文部省の学寮政策や大学当局の方針という客観的な条件の問題、さらには寮ツブし策動の作戦における大学当局の失敗など、いずれをとっても吉田寮は残るべくして残ったとしか言いようがないと筆者には思われる。
 S氏の分析では、現在の文部省の学寮政策は学寮を一掃してしまうという学寮解体政策なのだそうである。文部省の政策の下で、全国の大学から寮は一掃されつつあるが、あれほど攻撃が強かった吉田寮は残った、だからそれは分析不能だというのが、おそらくS氏の感想なのではあるまいか。
 文部省の学寮政策は、確かに70年代前半には、新寮は建てない、老朽化による自然廃寮を待つという露骨な学寮解体政策であったが、全国寮運動の前進の前に、70年代後半には、新寮は建てるが自治は奪うという新々寮(新規格寮)政策に転換を余儀なくされている。その後、時代によって若干ニュアンスは変わっているとしても、基本線は変わっていない。すなわち、大学当局の管理権が否定・制約される強固な寮自治が存在し、国に財政的負担が重くのしかかる寮には、「正常化」や寮生への負担の押しつけなどの徹底した攻撃をかけ、それに従わない場合には廃寮をも選択肢とするが、一方、全国学生運動の後退の中で、寮自治会が崩壊したり、文部省が許容するレベルにまで弱体化した寮─それは往々にして負担区分通達をもはるかに上回る寮生負担が押しつけられている寮ともおそらく一致する─は存続・建て替え・新築(三鷹国際学生宿舎を見よ)し、場合によってはそのような寮での自治会を育成すらしているのである。このように、文部省の学寮政策は画一的な学寮解体一色ではないが故に、その政策の矛盾点をつき、学内合意により寮を残させるということも十分に可能なのである(もちろん画一的な学寮解体一色であったとしても、自動的に寮が残る道が閉ざされるという訳ではない)。
 そのような背景の下で、かつての吉田寮への廃寮攻撃は存在したし、現在の駒場寮への廃寮攻撃も存在するのではないか。
 吉田寮の事例を子細に分析する余裕はないが、このような背景に基づく廃寮攻撃に対して、吉田寮には私の感覚から言っても過剰なほど全員参加の寮自治会活動が追求される作風があり、例えば「吉田寮自治会」名で出すビラの1枚1枚が総会で検討されるほど、寮内での討論とそれを基盤にした団結があるのである。それは、全国の他の寮自治会のお手本と言ってもよいぐらいであり、おそらく現時点で全国最強の寮自治であろう。
 このような吉田寮ではあるが、寮自治とは何であるかをおよそまともに考えたことがない京大当局には、中核派が牛耳っている熊野寮より、赤ヘル・ノンセクトラジカルが主導している吉田寮の方が軟弱と見えたのだろう。京大当局は、廃寮攻撃の第一の矛先を熊野寮ではなく吉田寮に向けるのである。ところが、熊野寮は執行部の主張がいかにラジカルであろうと、執行部と一般寮生の意識の乖離はとてつもなく大きくアパート化しているのに対して、吉田寮は先ほど述べたとおり、私の評価では全寮生の団結と参加による強固な寮自治と寮運動が存在したのである。それは全寮生の参加を基盤にしているが故に、主張のラジカルさでは当然熊野寮には劣る─もちろんラジカルであればあるほど良い訳ではないがここでは単純化して述べる─が、徹底した討論を基礎に、力関係をより正確に見据えた戦略を練り上げ、全寮生の力で粘り強く闘うことができたのではなかろうか。京大当局が、「在期」から始まる廃寮攻撃を、熊野寮ではなく吉田寮を第一のターゲットとして開始したことこそが、私の分析では京大当局の最大の失敗だったと思われる。廃寮攻撃の第一のターゲットが吉田寮でなく熊野寮であったら、事態はどうなっていたかわからない。
 その後の吉田寮の運動の経過はここでは避けるが、関心がある向きの方は、ぜひ『吉田寮資料集』をひもといていただきたい。
 ところで、S氏は別の場で、「サイコロの5の目が出る確率は言えるが、次に5の目が出るかどうかは偶然だ。それと同じで、吉田寮が残る可能性は高かったと言えたとしても、それが実際に残ったのは偶然と言える」と言って自らの「偶然」発言を正当化しているようである。しかし、ちょっと待ってほしい。それは日本語の使い方として正しいのか? 普通の日本語の使い方として、確率が1に近い事象や、主体的な努力によって確率が変動するような事象に対しては「それが起こるかどうかは偶然だ」とは言わないのではないか? 通常の日本語の使い方を曲げ、用語の独特の使用法によって事態を説明することは、少なくとも運動を今まで運動にかかわってこなかった人々にまで押し広げ発展させようという立場に立とうとするものがすべきことではあるまい。

 次に「もはやテロルしか残されていない」という発言であるが、ここでもまずS氏特有の用語の使い方を批判する必要があろう。S氏の真意は「今の駒場の教官は、手続き論や寮の存在意義といった正当な論理を主張しても動くとか変わるというような人々ではない。そういう幻滅を我々はいやというほど味わわされてきた。結局、断固住み抜く実力行使という意味で、テロルしか勝利の道はないのではないか」ということのようであるが、例えば昨年4月や今年6月28日の取り壊しの実力阻止といったやむを得ない実力行動をも含めて「テロル」というセンセーショナルな用語の一言で片付けてしまう、その無神経さに驚かされる。このような用語の使い方は、寮存続運動に加わりたいと考える広範な人々を「テロル」という言葉によって遠ざける役割を果たし、そのような用語の使い方をするだけで、ある方面から「スパイ・挑発者」規定されることも、当然ありうることであろう。
 やむを得ざる実力阻止行動などによって、事態を一時的に一定程度打開することは可能としても、基本的には学内外の世論の結集こそが、事態の進行の方向性とスピードを決定づける。ましてや「テロル」は必要もないし、運動に致命的破壊をもたらす最悪の挑発行為である。現時点でも、依然として寮存続のための論理、学内外の世論を結集させるための理論こそが第一義的に重要であり、現在も苦闘を続けている現場の寮生から求められているのではあるまいか。別の場でS氏は、「寮生は理論を求めていない」とも言っているようであるが、それは理論を求める寮生の声が彼の耳に届いていないだけのことではないだろうか。
 S氏は、三里塚を例に出し、運輸省の路線を一定程度転換させえたのは、農民や運動団体の論理だけでなく、中核派のテロルにより、千葉県収容委員全員が辞任し、後任を選任できなくさせ、収容委員会を機能停止状態に追い込んだことが大きな要因であると主張しているようでもある。三里塚問題については、私は詳しくないので、事態の因果関係については不明な部分も多く、また、中核派のテロルの評価は難しい問題を含むが、しかし百歩譲って、仮に収容委員会の機能停止状態が運輸省の路線転換の要因の一つだったとしても、では何故収容委員会の機能停止を運動の最初から行わなかったのかという疑問は残る。S氏の言うとおりであれば、1960年代、計画浮上の当初から収容委員会を機能停止させるという戦略をもっていれば成田空港開港を阻止できたのであろうか。推測に過ぎないが、私はそうではないと考える。おそらく、世論との矛盾などにより、運輸省の二期工事強行は路線として困難なものになり、転換せざるを得なくなったのではないのか。収容委員会の機能停止はきっかけにしか過ぎないのではあるまいか


 以上、寮存続運動の開始当初、言わば牽引車の役割を果たしたS氏だからこそ、正確な認識と判断を持ってもらいたいがために、辛辣な批判になった。どうか再度正確な認識と判断を持ち、現場の寮生たちへの激励と支援を行ってもらいたい。そのための批判を心がけたつもりだが、言葉足らずで行き届かないところもあるかもしれない。S氏に異論があれば、全面的な反論を待ちたい。

★1 『吉田寮資料集』は、すでに在庫がなくなったとのことであるが、吉田寮、駒場寮等に立ち寄ることができる方は寮自治会に問い合わせれば、見せていただくことはできると思われる。
なお、『吉田寮資料集』所収のいくつかの資料は、長尾高弘氏のホーム
ページ(
http://www.longtail.co.jp/yoshida/) にて公開されている。

■『支援する会』の財政の現状と構成・性格規定の明確化について


 おかげさまで、『駒場寮存続を支援する会』も発足して1年3か月が経過しました。この間、討論紙『いろは』の発行部数も600部を超えるまでになりましたが、私たちの予想と期待に反して、賛同費やカンパの集まり具合はよくありません。このままでは、『いろは』の次号の発行にも支障を来しかねません。
 また、会員からは寮をめぐる情報提供の充実を提起されており、そのための体制を新たにとることや、弁護士スタッフの体制を強化することも、必要です。さらには、『支援する会』に結集し、『支援する会』の諸活動に献身的に参加している会員に対し、費やした時間をいくぶんなりとも補償することも必要でしょう。
 これらの活動を財政的に支えるため、『支援する会』の会議では、『いろは』独立採算化のための賛助会員制度や、『支援する会』の月額会費化が提案され、検討されています。
 私個人としては、『支援する会』の月額会費化を含めて、『支援する会』の構 成と性格規定を明確にすることを提案しています。具体的な骨子としては、下記の通りです。これは、共同代表としてではなく、成瀬個人の提案ですが、皆さんのご意見をお聞かせください。
  1. 今まで、寮存続の支援(精神的支援を含めて)の意思がある人々の間でも、ともすれば、『支援する会』の会議に出席している集団のみが『支援する会』である、つまり『支援する会』とは出席できていない自分の外にある他者である、というような雰囲気があった(言わば、自治会執行部の人を「自治会の人」と言う人が多いのと同じ)。これを払拭し、『支援する会』は「寮存続を支援するという目的を共有し、会費を納入し、『支援する会』の諸活動に参加・協力するすべての人々」から構成されているということを、規約の制定を含めて明確にする。つまり、例え会議に出席できない人であっても、『支援する会』は自分を含めた組織であるということを実感できるようにする。
  2. したがって、今、毎月2回定例で開いている会議は、執行部という位置づけを明確にし、代表を含め執行部の選出方法・任期等を明確化する。また、年に数回総会を開催し、『支援する会』の総意を決定する。
  3. 本年8月より、1口1000円を月額会費とし、可能な限り6か月分以上の前納を会員にお願いする。
  4. 年収500万円以上の会員は、目安として2口以上をお願いする。同様に、年収1000万円以上の会員は、4口以上をお願いする。何口にするかは自己申告とする。
  5. 定額収入がない会員(学生・フリーター・失業者など)は、状況に応じて、減額する。
  6. これまでに多額のカンパをお寄せいただいた方については、本人の希望がある場合には12か月を限度として会費に振り向けることとする。
  7. 『支援する会』の活動に従事した会員に対しては、その時間分の補償を、財政状況を踏まえつつ、行う。
以上。
(文責・成瀬豊)

■会計報告・夏季カンパのお願い


 別稿にあります通り、現在『支援する会』の財政は、極めて厳しい状況に置かれています。財政難解消のため、『いろは』読者の皆さんに、夏季カンパを提起させていただきます。いつも、カンパのお願いばかりで恐縮ですが、皆さんご自身の経済事情に応じて、一応下記を目安としてご協力をお願いできませんでしょうか? もちろん個別事情によって口数の増減は一向に構いませんのでよろしくお願いいたします。 (文責・共同代表 成瀬 豊)
  1. 1口1万円とし、極力8月15日までに振り込みをお願いします。
  2. 年収500万円以上の方はできれば2口以上、年収1000万円以上の方はできれば5口以上を目安にお願いします。
  3. その他、小額でも、また随時のカンパでも構いませんのでよろしくお願いします。
カンパ振込先

さくら銀行 中野新橋支店(普通口座)
口座番号 *******
口座名称 駒場寮存続を支援する会
難波卓志
郵便振替
口座番号 *****-*-******
口座名称 駒場寮存続を支援する会

<写真>煮干しのカンパもお待ちしてます(?)(撮影・千葉)

会計報告(1996.4.27〜1997.7.31)

(HTML版では省略)
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駒場寮という名の渾沌に一穴もあけさせまじ

「駒場寮存続を支援する会」からすべての仲間の皆さんへ。
駒場寮存続のための支援と協力と参加を呼び掛けます。
1996.4.28 「駒場寮経験者」
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