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---------------------------------------------------------------第八弾 目次
CONTENTS 8
表紙	巻頭言 成瀬豊
2	駒場寮1997
3	清掃隊報告
4	キャンパス報告 5 石田雄一
8	陳述書 小川晴久
10	ギャラリーご案内
11	寮生インタビュー 牧野祥久
12	シンポジウム告知と原稿のお願い
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駒場寮経験をつなぐ討論紙	97/3/30	投稿歓迎

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編集/発行:	駒場寮存続を支援する会
連絡先:	目黒区駒場3-8-1東京大学駒場寮北9S
電話:		***-***-****
		**-****-****(呼)
共同代表:	成瀬 豊	(95,99期寮委員長)
		千葉 毅	(110期寮委員長)
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−第八弾−



<4月13日、恒例の大花見会が行われた。今年は寮委員会の主催>

 早いもので、東大教養学部当局による駒場寮への電気・ガス供給停止を契機に、駒場寮存続を支援する会を立ち上げてから一年が経ちました。
 この間、学部当局は、渡り廊下の破壊、電気ドラム窃盗など違法な自力救済を繰り返したあげく、寮生の反撃の前にそれを貫徹することができずに明渡し仮処分申請に踏み切ったものの、自らの主張を維持できず北・中寮の明渡しを取り下げるなど、寮生の運動の前に「廃寮」実質化の動きは、次々とつまずいてきました。明寮についても、国・大学当局は、非債務者の寮生の存在によって一度で明渡しを完了できないという失態を重ね、秘密裡の再申請と決定、執行補助者の暴力による叩き出しという法治国家とは信じられない手段でしか、明渡しを完了できませんでした。 明寮の周囲はフェンスで取り囲まれ、建物内部では取り壊しが始まった模様ですが、その一方で、北・中寮については、当局も「法的措置」による強硬路線ではコスト・時間・世論の風当たりの面で手詰まりになっており、話し合い解決を模索する動きもあります。
 今年の入寮募集でも元気な新入生たちが入寮してきており、またクラスからの駒場寮の利用・連帯も今まで以上に強まっています。寮生たちは、話し合いにより寮存続をかちとるため、全力で闘っています。
 皆さんからも、資金や知恵・労働力の提供など形ある支援をお願いします。

(共同代表・成瀬豊)



■駒場寮1997

3・29(土)明寮「不動産明渡し断行仮処分」強制執行
9時頃 101号館の動きの慌ただしさに、執行を察知。寮内に連絡。 執行官と執行補助者7人が寮に来る。ガードマン100人以上、教職員数十人を動員。私服刑事とみられる者も。
10時頃 弁護士が到着。債務者は明寮を出る。サークル寮生は占有を認められず。結果、債務者認定されていない学生4名が、執行官に居住(占有権)を認定される。住人が残ったため明寮の明け渡しは完了せず。
 4名のもの以外の寮内の荷物は、作業員により一号館の中庭まで強制的に運び出される。そのためのトラックが十数台。住人のいない部屋は、すべて板を打ちつけられて封鎖。一階はフロアごと封鎖。その後、明寮の電気は止められて、寮内まっ暗に。正面・裏口を各20人ほどのガードマンが固めて、人が中に入るのを阻止。4名の住人と弁護士のみが通行を許される。以後、24時間体制で明寮周囲にガードマンが常駐。
6時頃 明寮前で、抗議集会。
7時頃 学生会館で弁護士の記者会見。『抜き打ちの執行は不当。執行費用は払う必要なし』。前日に寮から『自主的に出ていくので、強制執行するな』と交渉を申し込んだが、学部側は拒否していた。このことを、学部側は記者会見で否定。また、公然と嘘をつく。
3・30(日)明寮「仮囲いフェンス工事」阻止
7時頃 突然、ガードマンの数が増える。そこへ資材を積んだトラックが寮前に到着。明寮を取り囲むフェンスを張ろうとする。全寮放送をかけて、寮生・支援者が駆けつける。トラックから資材を降ろさせまいと身をもって抗議。ガードマンがそれを排除しようとして、寮前は騒然となる。
9時頃 膠着状態に。事態を通行人にトラメガで情宣。学部側の要請で工事業者が来ているにもかかわらず、特別委、職員など一人も出て来ず。寮生が呼び出す。
12時頃 特別委と交渉。工事中止を拒否され、話し合い決裂。
3時頃 トラック、あきらめて帰る。
4時 ガードマンは相変わらず常駐して明寮を包囲。
翌日は、トラックは来ず。
4・2 学部当局、明寮の窓の封鎖工事を強行するも、寮生らが阻止
4・10 明寮に2回目の明渡し強制執行。2名の占有者が不在のまま、執行を完了させる。請求からもれていた住人が1名いたが叩き出される。明寮へのフェンスの搬入は寮生が阻止。


<明寮を封鎖するガードマンと抗議する学生>

4・11 翌日の工事をめぐって、寮委員会と三鷹特別委が未明まで交渉。結局物別れに。
4・12 学部、明寮をフェンスで囲う工事を強行。寮生らが抗議するも、延べ450名のガードマンにより排除。この日のガードマンは強硬で、学生の中には、眼鏡を割られたり服を破られたりする者が出た。のち、特別委と交渉。


<ガードマンによって排除される学生>

4・13 明寮フェンス前で、毎年恒例の花見を開催。寮生、OBなど多数が参加。
4・17 特別委と交渉。
4・22 今春の強制執行について、寮委員会・学生自治会主催の報告集会。主に新入生に対して、弁護士らが経緯を説明。
4・25 特別委と交渉。「CCCL計画」のうち、北寮の敷地と重なる「スポーツスクエア」を今年度概算要求していることが判明。
5・2 特別委と交渉。
5・3 寮風呂の脱衣場が学部当局によって破壊されているのを寮生が発見。


<破壊された寮風呂脱衣場>

5・5 北寮0Sに寮自治会運営のカフェがオープン。昼間のみ、コーヒー・紅茶が飲める。
5・7 特別委と交渉。「スポーツスクエア」の概算要求を取り下げるよう要求。
小林委員長はその可能性はある旨の発言。寮側、寮風呂の取り壊しへの反対を表明。
5・8 『ロッキン・オン・ジャパン』取材でミュージシャン・藤井フミヤが来寮。寮生が寮内を案内。
5・10 寮内および周辺を大掃除。1年生のクラスルーム利用者を中心に100名あまりの参加を勝ち取る。北寮前や南ホールなどが見違える。参加者にタイカレーをふるまう。夜、寮風呂などで交流会としてクラブ・イベント開催。
5・14 特別委と交渉。
5・21 北ホールで、佐高信と宮崎学の対談。「パーフェクTV」が番組として放送予定。


■清掃隊報告


寮主催・大掃除大会挙行さる

 5月10日、絶好の掃除日和の下、クラスルーム(去年からクラス単位で貸し出している部屋)利用クラスの代表者数十名、サークル部屋利用者数十名の参加も得て、午前9時から午後6時までにかけて大掃除が行われた(本隊からは3名が参加)。
 昼は調理班の手になるタイ・カレーに舌つづみを打ち、作業終了後は交流会。
 総勢約百名の力量により着々と寮内・周辺の整頓が進んでいく壮観に、ある者は「毛沢東主義万歳!」を唱え、またある者は寮存続のエネルギーを感じ取った一日であった。


<写真:大掃除の翌日も、やっぱり掃除の清掃隊員>

■海外からのキャンパス報告シリーズ 5


ドイツの大学制度と寮について

石田雄一(83年入学)


 ヨハネス・グーテンベルク大学のあるマインツ市は司教都市で、それ相応に神学部を中心とする大学が古くからあった。しかし、18世紀の末にフランスに占領されたときにナポレオンによって大学は閉鎖され、それ以後一世紀半にわたってマインツに大学は存在せず、グーテンベルク大学は第二次大戦後に再びこの地を占領下においていたフランスによって設立された新設大学である。ドイツの大学は通常町の中にあって各学部ごとに建物が散在しており、キャンパスというようなものは特にないが、マインツのように戦後に郊外に建てられた場合には、一応日本と同様に大学が一つのキャンパスにまとまっている。駅から町の中心とは反対の方向に五百メートルほど歩き、墓地の横を通り過ぎるとそこに大学の敷地がある。入るとすぐに巨大な城門のような建物があって、ドイツ人学生は「ナチ兵舎」などと呼んでいた(ただし、実際にはフランス占領軍が戦後に用いていた建物らしい)。この建物はコの字型になっており、中庭にはマインツ市の都市貴族だったヨハネス・グーテンベルクの像がある。今ではこの建物の一階、二階には大学の事務室があり、その上の屋根裏が学生寮になっている。日本人の常識では実に奇妙なもので、ちょうど、駒場の教務課の上に学生寮があるようなものである。二人一部屋で、毎日ここを通るとピアノやその他の楽器の音が聞こえ、よく問題が起こらぬものだと考えてしまった。キャンパスのなかには家族持ちの学生のための寮もあり、それは比較的贅沢な建物である。


 その他の学生寮は大学の外にあり、私自身が住んでいた寮は大学から最も離れていて、バスで40分以上、場合によっては一時間以上もかかるので多くの学生は自家用車を持っている。ドイツでは自動車のリサイクルも盛んで、中古車屋を通さずに貼り紙などで古い車の売買が行われ、安いものでは5万円ほどで買える。そのため、学生にとって自動車を持つことはそれほどの贅沢ではない。寮には学生用に大きな駐車場もあり、しかも無料の高速道路が寮と大学とを結んでいるので、これを使えば5分〜10分ほどで大学まで行ける。自治会もあったようだが、集会などには顔を出さなかったのでそれがどのようなものかは分からない。学生寮の経営は直接に大学が行なっているわけではなく、Studentenwerkと呼ばれる公益団体が行なっているが、事務所は大学のキャンパス内に置かれている。マインツにはグーテンベルク大学の他にも音楽大学その他の専科大学が置かれており、そこへ通う学生もこのStudentenwerkが管理する寮に入ることができる。学生運動の盛んな頃はどうであったか知らないが、私が在学していた九十年代には家賃値上げ反対の声は寮生の側から出ることはなく、実際、滞在中に三千円ほどの値上げが一方的な通達によって行なわれた。寮に滞在できる期間は本来二年と限られていたが、私が滞在しているときに規則が変更されて三年半まで住めるようになった(そのときに、おそらくは愉快犯のしわざであろうが、所定の日時にStudentenwerkで手続きを行なわないと延長できないという嘘のビラが全寮生のポストに配布され、少なからざる寮生が手続きのために事務所に押しかけるという事件があった)。私の住んでいた学生寮は、日本で「シンシンリョウ」と呼ばれるものに相当するのかもしれない。全員個室で各部屋には小さなキッチンとシャワー兼トイレ室を備えているので、「学生用ワンルーム・マンション」と言った方が正確かもしれない。隣の学生とはよく顔を合わせる機会があったが、向かいの住人とは二年半の滞在中にほとんど顔を合わせたことがなかった。こうした寮は駒場寮などとは対極に位置する種類のものであり、寮問題に関するビラでは悪例としてやり玉にあげられている種類に属するのだろうが、与えられた短い期間で可能な限り研究を先に進めねばならない三十歳を過ぎた外国人学生にとっては駒場寮のような環境はとても堪えられたものではないだろうし、周囲に煩わされずに研究に専念できたという点で、ここの寮での生活は私にとっては極めて快適であったことは否めない。 Studentenwerkの経営する寮は民間の下宿よりも安価なため、特定の優遇措置の対象となる外国人奨学生などを除いては申し込んでから一年から二年ほど順番を待つのが普通である。また民間の住居探しはコネがなければ非常に難しい。というのは、いわゆる「外国人お断り」のところが多いからである。(ただし、日本企業の海外駐在員なら借りられそうな高級な住宅を不動産屋に高い仲介手数料を払って見つけるつもりなら、極めて楽である。)授業料に関して言えば、大学は幾つかの例外を除いて全て州立なので授業料は一学期百マルクほど、つまり日本円では8千円ほどであり、学生証があれば市内の交通費が無料になり、また劇場などが半額になるので、実際にはタダより安いといった感じである。それだけに韓国や台湾、中国、イスラム圏からの留学生が多く、彼らは日本人学生以上に熱心に勉強し、また夏休みにはアルバイトをする者が多い。それに比べると日本人留学生はボンヤリしているようだが、アメリカと違って、日本の大学に入学できないために留学するようなケースは極めて少ない。ドイツの大学に入学するためには初等・中等教育を合わせて14年間受けていなければならないからであろう。つまり、日本の高校を卒業しただけでは入学資格がないわけだ。ただ音楽大学には日本の高校を卒業しているだけでも入学できるので、音楽留学を目的とする高卒の日本人を語学学校などでは見かけるが、入学に要求される技能のレベルはかなり高いので、日本の音楽大学に入れなかったがためにドイツに来るような者はめったにいない。また大学を修了する場合、イギリスやアメリカのような「学士」という学位はなく、最も短い期間で取れる学位は「修士」であり、「ディプローム」も修士号に相当する試験である。それゆえ、大学終了には、優秀な学生でもだいたい4年はかかるわけである。日本で大卒というと、必ずしも専門的な知識を持ってはいないし、また特に文科系では学部卒なら自分の専攻とは無関係の職業につくのが普通である。それに対してドイツで大学をきちんと卒業した者は特定の専門知識をすでに有するので、その専門を生かした仕事に就こうとする。それだけに大学を卒業した者の失業率も実に高いというのが実状である。浮世離れした知識で生きていけるような職場が限られているということはどこの国でも同じである。


 もっとも、大学といってもUniversitaetと呼ばれる総合大学とFachhochshuleと呼ばれる専科大学という区別はある。前者は理論中心の知識を取得する場であるのに対して、後者は職業人養成を眼目にした技能教育の場である。同じ経済学部でも、総合大学では日本の大学と同様のことが行われているが、専科大学では企業研修が必修単位となっており、例えばブレーメンの経済専科大学の日本学科の学生は、来日して日本の会社で全員半年研修することを義務づけられている。また、私が在学していたマインツ大学の演劇学科の新入生を対象としたガイダンスでは、「ここは演劇を対象として研究するところなので、俳優や舞台監督になりたいというのなら早いところ専科大学の演劇科に移籍するように」という指示が教員の側からの最初の挨拶であった。しかし、最近になって総合大学と専科大学の区別を緩やかにしようという傾向が強まっている。例えばギーセン大学の演劇学科などでは実践的演劇人を目指す学生と演劇を学術的研究対象とする学生とが席を並べて学ぶそうであり、同じような試みは他の学部学科でも始まっているようである。これは目下進行中のEU統合の動きと関わりがある。現在EU統合の一環として、学生が国境を越えて大学に通うということに対して様々な助成が企画されつつあるが、EU内の学生を対象に行なった最近のアンケートでは多くの学生がドイツの大学に魅力を感じないと答えたそうであり、それは特にドイツの大学制度が他の国と極端に異なっていることにも由来するらししい。そうしたこともあって、現在さまざまな改善が検討されているそうである。総合大学と専科大学の垣根を取り払うという努力も、そうした改善の一環であり、また修士号取得が最短の大学終了というドイツ独自の制度の見直しも考えられているらしい。ドイツでは単位取得などに関する制度が日本ほど統一されておらず、大学内でも学科ごとに異なっている。しかし、全ての大学に共通して日本と大きく異なる点は、いわゆる「講義」は聴いているだけでいいのだが、別に取得単位として認められるものではない。学生は単に知識を得るために聴講するのであり、単位を取得する場合には「演習」に参加しなければならない。


 演習にはプロゼミナールとハウプトゼミナール、オーバーゼミナールと三種類あり、プロゼミナールには入学したての学生が参加する。ハウプトゼミナールに参加するためには、所定のプロゼミナールの単位を習得した上で、学科内部の「中間試験」なるものに合格する必要がある。通常は、この試験に受かるには二年ほどかかるので、プロゼミナールは日本の学部のゼミに、ハウプトゼミナールは修士課程のゼミに相当するものである。それに対してオーバーゼミナールは特定のテーマがあるわけではなく、むしろ博士論文執筆中の学生が自分の研究発表をする場として催されている。日本と異なり学籍に空きがあれば別の大学に移籍することもできるので、一度取得した単位は別の大学でも有効であり、これはドイツの大学が日本よりはるかに優れている点である。日本では大学院すらも実体にそぐわない「格付け」に従って大学選びをしなければならないのが実状であり、そのため自分の指導教官を自由に選べないという難点がある。特に文科系の学生は自分の専門に関して何ら知識を持たない者が「指導教官」となり、役に立つ助言を与えることもできない者に指導者づらをされて無用なケチをつけられるということを少なからず経験しているだろう。ドイツでは、学生が博士論文を書く場合にはある程度研究方針や分野が一致した教官を大学の枠を超えて選ぶことができるので、そうした問題は起こり得ない。また、博士論文執筆中の学生のためにGraduiertenkollegと呼ばれる組識があり、学生は自分のテーマに合ったKollegに選抜試験を経て入ることができる。資金は各Kollegが設置されている大学がある州の政府から出ているようだが、別の州の大学に所属していようとも、自分のテーマに合わせてどこの大学のKollegにも志願できる。参加を許可された学生には二年間の奨学金が支給されるので、日本で言えば学術振興会の特別研究員のようなものだろう。もちろん学術振興会に比べると奨学金の額はかなり少ないが、文科系の学生にとっては学術振興会の研究員になった場合には単に給与を支給されるという以外には何らメリットがないのに対して、ドイツのGraduiertenkollegでは月に一度、同じKollegに属する学生たちと研究発表をするための集まり ― 遠方から来る学生には交通費が全額支給される ― があるので、同様のテーマを研究する学生との間で様々な情報交換を行なう機会があり、マインツ大学に設置されていた「二十世紀の演劇」をテーマにしたKollegでは研究発表の集まりの他に月に一度、著名な研究者を招待して二日続きの客員ゼミナールが催されていた。ここにオブザーバーとして参加させてもらえたことは、私自身の研究のうえで非常に刺激になるものであり、新たな研究動向にマインツに居ながらにして触れることができたのは非常によい経験であった。近年、日本の幾つかの大学では学院構想という標語のもとに大学院の充実が進められてきたようだが、文科系の大学院に関しては、ともかく大学ごとの枠をできるだけ取り払う必要があるだろう。


 しかし、この点では各々の大学よりも学術振興会のような資金力が豊富で、しかも大学の枠を超えて存在している組織に何らかの新しい企画を期待したい。学術振興会の特別研究員の制度は理科系の学生にとっては非常に有意義なものであろうが、文科系の学生は何も一つの研究所に所属している必要はないのだから、ドイツのGraduiertenkollegのような、大学を越えた組識などを企画してもよいのではないかと思う。私個人は学術振興会は評判の悪い「××公団」などとは違って非常に有意義な特殊法人だと思っているが、文科系の研究者のための制度は理工系のそれとは区別し、真の意味での「学術振興」を目指すのならもう少し工夫をして頂きたいものである。


■「明渡し断行仮処分」資料


小川晴久教授の陳述書
 前号の高橋宗五教養学部助教授の陳述書(抄録)に引き続き、「不動産明渡し仮処分」審尋に向けた小川晴久教養学部教授の陳述書を再録します(編集部)。

陳述書


東京大学教養学部教授 小川 晴久

 私は、一九八〇年東京大学助教授に採用されて以降(一九八九年教授昇任)、今日まで教養学部で十六年教鞭をとっている者です。専門は東アジア思想史です。教授会の一メンバーとして、以下のことを申し述べます。

社会的共通資本としての駒場寮

 ―百年の歴史(注)をもつ寮自治は教授会決定で廃されるようなものではない―
(教授会決定で存廃が決まるようなものは自治ではない)

(注)一八九〇年、校長が一高寄宿寮に自治制を許す。一九三五年、駒場に現在の三寮を開く。一九四九年教養学部の設置、一九五〇年一高終了に伴い、新制駒場寮となる。

廃寮「決定」方法の誤り

 六年前の一九九一年十月の東京大学教養学部の教授会決定と評議会の了承で、駒場寮の廃寮が「決定」したと東大当局が主張するにも拘わらず、そして昨年四月一日を期して廃寮が「宣言」されたにも拘わらず、駒場寮が健在であるのはなぜでしょうか。寮自治というものは教授会の決定によって廃止されるようなものではなく、軽い存在でもないからです。自治である以上、それを担う主体がいます。駒場寮の場合は、寮生たちであり、寮生たちからなる寮自治会です。したがって、寮自治によって担われてきた駒場寮の存廃を決めるのは寮生たちであり、寮自治です。少なくとも寮生たち(寮自治会)の同意が必要です。しかるに六年前の駒場寮廃寮「決定」は主体である寮生(寮自治会)の預かり知らぬところで、教授会だけで一方的に決めてしまいました。寮生たちの参加は皆無でした。駒場寮廃寮決定に寮の自治は全く関与していないし、関与する機会と場を、学部当局と教授会によって奪われました。まさに学部当局と教授会によるクーデタです。だから教授会によって存廃が決まるようなものは自治でもなんでもありません。寮自治は教授会が廃止だといって廃止されるようなものではないのです。
 決定過程に寮生を参加させず、寮生の同意がなかったために、大学当局が一方的「決定」を寮生側に呑ませようと、今日まで四百回近い「話し合い」をもったと主張したとしても、寮生側が教授会決定という誤った方法を追認できない以上、「話し合い」が実を結ばないのは当然です。寮生側が今日まで寮生活を従前通り続けているのは、廃寮「決定」が不法なものであり、まちがったものであるからです。大学当局が寮生たちを不法占拠と呼ぶのは全く当たりません。
 教授会のみによる廃寮「決定」が不法・不当なのは、寮自治の原則から立証されますが、また一九六九年の東大確認書や、一九八四年の水光熱費負担区分に関して結ばれた合意書に明らかに違反しています。
 万一、国(東大)の求める通り、明け渡し断行の仮処分が行われれば、大学の自治は教授会の自治であるということを実質的に認定することになり(一九六九年東大確認書に違反)、東京地裁が東大確認書をくつがえすことに加担することになることを、ご承知おき下さい。
 なお、付言すれば、一九九一年の教授会での駒場寮廃寮を前提とした三鷹国際学生宿舎建設計画は「特に異論はなく、出席者の満場一致によって了承され」たと市村宗武前学部長は陳述書2で述べていますが、教授会では採決を取らない慣習であり、「満場一致」という認定は極めて不正確であることを申し添えます。当時の教授会メンバーに駒場寮廃寮に心を痛めない教師が一人もいなかったとは、実際に合いません。私も心を痛めた一人でした。
 なぜ教授会の決定だけで駒場寮廃寮は決定しえないか。寮生たちの同意を得ていないという形式上の不備だけでなく、駒場寮が社会的共通資本となっているという内容上の重さがあります。

社会的共通資本としての駒場寮

 六十年余の伝統のある駒場自治寮の価値は、寮の先輩たちや現在の寮生たちが沢山証言しています。相部屋であって、上級生や理系・文系と分野の違う者同士が一緒に生活をし、自らを律していく寮生活の中で、互いに教室や書物では学べないことを学んでいく。戦前の先輩たちはヒドゥン・カリキュラム(隠れた貴重な授業)と呼んでいました。加えて、このような二四時間自由になる自治生活空間が、大学の中にあることの重要性を強調したいと思います。明け方まで灯のついている生活空間が大学構内にあることは、大学自身が生きているシンボルであり、大学にあったか味を与えます。それは三鷹国際学生宿舎に吸収するという形で代替できるものではありません。駒場から駒場寮がなくなれば、駒場から生活の灯が消えるのです。先のヒドゥン・カリキュラムは教養学部での人間形成と学問的精神の涵養(以上をリベラル・アーツの内実とすれば)に不可欠であるとしますと、駒場寮の灯が消えることはリベラルアーツにとって甚大な影響を及ぼします。だから寮生たちや先輩たちは廃寮に真剣に反対しているのです。
 駒場寮の周りには、一一〇〇本の樹木と湧水の一二郎池と森があります。東大教養学部内では一番密度の濃い自然地帯です。寮と自然とは一つのものです。ところが大学当局の用意しているCCCL計画(駒場再開発計画)では、寮を撤去したあと、ここに数個の建物を建て、福利厚生地区にするといいます。この計画を実施すれば、一一〇〇本の樹木の半分以上は伐られ、自然は大いに破壊され、この地域の生態系は破壊されます。したがって、駒場寮廃寮は自然破壊への道を切りひらくものです。持続可能な開発が叫ばれている今、こんなひどい開発計画が、国立大学の中で進められてよいものではありません。東京地裁が国(大学)側の言い分を認め、明け渡し断行の仮処分を決定することは、自然破壊の開発側に手をかすことになります。このことも十分お考えいただきたいと思います。
 駒場寮の存続の重要性は、寮自治の上からも、自然環境保全の上からも明らかですが、最近私は、三里塚問題の調停に学者の立場から尽力されている、経済学者宇沢弘文氏の「社会的共通資本の理論」というものを知りました。社会的共通資本とは、自然資本(いわゆる自然)、社会資本(いわゆるインフラストラクチャー、建物なども入る)、制度資本(教育、医療、行政、自治ほか)の三つから構成され、これからは(二十一世紀は)自然資本を土台にして、これら共通資本を自治で管理していくというのがこの理論の骨子です。自然資本は国に管理させてはならないというのが、環境破壊の実際と三里塚問題の経験から引き出された貴重な教訓ではないかと思います。
 私は、この理論は東大駒場寮問題の把握や、東京大学教養学部内での駒場寮問題の位置づけに大変役に立つ理論であると直観しました。適用してみましょう。

社会的共通資本 としての駒場寮
自然資本……一一〇〇本の樹木、一二郎池、野鳥
社会資本……六〇年余の歴史をもつ文化財としての駒場寮、あと五〇年はもつという堅牢な建造物
制度資本……キャンパス内にある二四時間生活できる学生自治寮

 東大教養学部にも適用してみましょう。

社会的共通資本としての東大教養学部
自然資本……寮のまわりの自然もこの一環
社会資本……駒場全キャンパスの建物、道路、諸施設。駒場寮は六〇年余の歴史をもつ貴重な建物
制度資本……研究教育体制、事務機構、学生諸組織、教授会自治、学生自治(寮自治はこの一環)

 駒場寮は、社会的共通資本としての独自の価値をもち、かつ、社会的共通資本としての東大教養学部の重要な構成体であることがこれではわかります。したがって、駒場寮を廃寮にしてよいか否かは、独自の価値をもつ社会的共通資本としての駒場寮を解体してよいのか否かという問題であり、その廃止によって東大教養学部の社会的共通資本が大変容を遂げることを是認するか否かの問題です。
 したがって、駒場寮という建物が国有財産であるからといって前記の社会資本という面からのみ裁判で裁かれるという、単純で一面的な問題ではないのであり、大学内部で吟味され、議せられるべき問題です。

 担当裁判官に訴えます。

 明け渡し断行の仮処分是か非かのこの審理で、以上のような総合的見地に立って国側と寮生側の言い分を時間をかけて丁寧に聴取し、慎重に対処していただきたい。せめて大学内部で話し合うようにという和解勧告を出していただきたい。
 重大な誤りを犯している九・一〇占有権移転禁止仮処分の執行と一・二八決定を是認し、明け渡し断行を強行して、ひどい判例をつくるような愚は犯さないでいただきたい。

以上

一九九七年三月四日
東京地方裁判所御中

陳述書2


東京大学教養学部教授 小川 晴久

 一月二十八日「決定書」で加島滋人裁判官が「本件建物に係る本件債務者らの占有の形態は、もはや、ここの居室を生活の本拠等として使用するという通常の場合とは本質的に異ったものであり」と認定されていることが、重大な誤認であることを証言したいと思います。
 私は、昨年四月八日、教養学部当局が寮の電気とガスを止めて以来、この駒場寮廃寮問題での一教師としての意見表明を文書や口頭(教授会で)で精力的に始め、今日に至っていますが、この四月から約一年間、駒場寮に頻繁に出入りするようになりました。当初はその汚さが目について我慢がならず(学部によって「廃寮」が宣言された直後であったので無理からぬところがありますが)、寮委員会に苦言を呈したり、要望したり、また自らゴミ捨て場の清掃をしたりしているうちに、寮のOBを中心とした「清掃隊」や寮生たちの努力によって、寮の内外はずいぶんきれいになりました。今では自分の家に出入りしているように違和感が全くなくなり、空気のような存在になりました。大学当局が派遣する「説得隊」の一員として寮に入るのであれば、決してこのような状態にはならなかったでしょう。延べにすれば二百回近く寮に出入りした一教師として、寮生は寮委員会の使用許可のもと、許可された部屋に寝泊まりしていましたし、寮費(経常費)を払わなかったり、継続の手続きを怠っている寮生の部屋には、閉鎖を通告する寮委員会の文書(添付資料参照)が貼られていて、しっかり部屋管理の自治をしているなと感心したりしたことを、証言いたします。
 寮自治のなんたるかは、実際に寮に出入りし、見聞して具体的にわかるものであり、寮生活の実態もまさしくそうです。「廃寮」を宣告されてからのこの一年の駒場寮生の生活ぶりは先月発行された『一九九七年度東京大学こまばりょう!入寮募集要項』を繙けば、いきいきと伝わってきます。一読した感想としては、この冊子は今国内で発行されているどの冊子よりも充実し、読みごたえのあるものではないか(もっとも、駒場寮に関心が少しはないとこうは言えないかもしれませんが)と思いました。この冊子は、一・二八「決定書」の認定や国(大学)側が提出した陳述書1(右松鉄人陳述書)の描写がいかに実際とかけ離れたものであるかを立証する文書です。担当裁判官にぜひご一読いただきたい旨申し添え、私の陳述を終わります。

以上

一九九七年三月五日
東京地方裁判所御中

■ギャラリーご案内

テアトルム・ムンディ ギャラリーのご案内

「怪物くんの家」のような外観の駒場寮。その真ん中にある北寮3Fにテアトルム・ムンディギャラリーはあります。廃虚をイメージさせる薄暗い階段をのぼりつめると出会うウォーホールファクトリーのようなブラックドア、そこがテアトルム・ムンディギャラリーです。
「こんなところに本当にギャラリーがあるの?」と最初は誰もが思ったと言います。しかし一度この西洋館に足を踏み入れた人々は、建物の発する異空間性にすっかり魅了されてしまうようです。
「再開発」と称した営利欲求の為に歴史ある建物の文化価値や自然環境をも破壊していく日本の「ゼネコン思想」は、駒場寮廃止問題にとどまらず、バブル経済期の地価高騰のため商業的イデオロギーに迎合することを余儀なくされている現在のサブカルチャーシーンにとっても共通の問題と言えるでしょう。そんな中、駒場寮に可能性を見い出した様々なジャンルのアーティスト達がテアトルム・ムンディギャラリーで映像、写真、パフォーマンス……etcの表現を展開しています。これからのラインナップ予定としてはイタリアンエロスアニメーションの上映会、廃虚講座、ジャンクアートオブジェ展、ニューヨークインディペンデントフィルム上映会……etcなど盛りだくさん。
これらテアトルム・ムンディギャラリーが主催する企画には寮居住者はすべて無料にて参加頂けます。是非一度、あなたもテアトルム・ムンディギャラリーのジャンクアート空間に足を運んでみられては?

■寮生インタビュー

牧野祥久の巻
Q.まず略歴から。
A.1969年1月22日生まれです。出身は杉並、小・中・高と地元の公立学校で、高校(豊玉高校)はあまり行ってなかったけれど、ギリギリ留年せずに卒業しました。その後フリーターをしながら小金を貯め込み、突然勉強する気になって、1992年、晴れて理科類に合格、入学しました。
Q.突然勉強する気になった理由は? 高校時代そんなにしてなかったんでしょ。
A.数学と物理は得意な計算とパターン暗記で、化学は結構覚えてて高校時代からできて、勉強すりゃウカるかな、と。で、ウカったと。最初、大学に入りたくなかった。というより、働きたかった。兄貴もそうだった(高校→フリーター→東大)。ああこんなのもありなんだ、と。で、ブラブラしたり働いたりして、いよいよ、じゃ大学でも行くか、と。ちょうどバブルが崩壊して、仕事(警備員)も厳しくなるぞ、と。今は若くて健康だから何とかなるけど、将来は…とか。あと、金貯めて何かしようと思っていたんだけど、何ともならない。というか何していいんだかわからない、と。で、とりあえず勉強して、大学受けるか、と。で、俺、東京に住んでバイトとかその辺のこともわかってるから、東大かな、と。
Q.なるほど。ま、受かってよかったですね。駒場寮にとってもね。で、合格後入寮して、その後寮委員長(129期)になるまでの話を…。
A.まず入寮は兄貴に勧められて、入寮案内を読んでみた。そしたら@安いA近いB広いC設備が整っている(風呂・電気温水器など)で、これはいいと。授業料も生活費も全部自分で稼いでいたから、特に安い・近いというのは魅力的だった。入寮して、“自治”といってもよく分かんなかったんだけど、高校のときから革命運動に興味があって、いつか自分が投獄されるのか、と漠然と思っていた。寮に入って、総代会に出席したり、寮委員長選挙があったりして、特にボス選は対立候補が立って(もちろん争点は「廃寮」問題)、自分も駒場寮の問題について真剣に考えるようになった、と。で、当時の寮委員会は「『廃寮』反対!」と口では言ってるんだけど、本気でやる気があるのか、と。で、じゃ俺がやるか、と。他にいねーし。てなわけで、129期(’93年2月〜)の寮委員長に信任投票を経て選ばれた。
Q.圧倒的な信任だったと覚えているんですけど。寮委員長をやって、どうでした? 大変だったこと、良かったこと。
A.大変だった、というか、自分の限界、自分がどういう者か、短所・長所など、何となくわかっていたけれどそれを再確認した、と。
Q.で、どういうヤツだったんですか? 牧野祥久という男は。
A.俺って真面目なんだけど…やっぱり不真面目だな、と。
Q.僕はもう分かってるんですけど、読者にも分かるようにお願いします。
A.本当に、真面目にやっているんだけど、あんまり「いいカッコしよう」とかいう意識がないんで、そのうちフニャ〜っと飽きたり、ダラダラしてしまったりする。根性がない?
Q.寮委員長時代は本当にご苦労だったと思います。でも君のお陰で今の駒場寮がある、まだ残っているというのは事実だと思います。で、寮委員長をやめた後、今にいたる5年間について一言。
A.寮委員長やめた後もずっと寮委員やっているんですけど、運動の中心にいつつ、頑張ったり日和ったり。その後の寮委員長達の期待に答えたり裏切ったり、と。…で、まだいる、と。
Q.まだいられるんですね。ちなみに私は駒場に6年いましたけど。君もいよいよ6年目に突入、と。ま、これから勉強すればなんとかなるでしょ。最後に個人的な趣味とか将来の展望について。
A.趣味はマージャン。寮の麻雀大会で優勝1回、2着が1回。将来の野望は、暖かい島でノホノホンと暮らしたいな、野望と言えるのかどうか分からないけど。まっ、あんまり働きたくないな、と。
Q.それは僕もそう思います。…それじゃ、今日は色々とありがとうございました。

(聞き手・柏木信泰 1997・5・9)


■シンポジウム告知と原稿のお願い


公開シンポジウム
     「自治と大学と社会〜駒場寮の過去・現在・未来」


日時6月22日(日) 13時
場所東京大学教養学部 900番教室
パネラー隅谷三喜男(元東京女子大学学長・東大名誉教授)
小出昭一郎(元山梨大学学長・東大名誉教授)
田中 秀征(元経済企画庁長官・32期寮委員長)
長谷川和彦(映画監督)
寮生・サークル生
他・多数

原稿募集
 6月22日の公開シンポジウム『自治と大学と社会―駒場寮の過去・現在・未来』に向けて、「私の大学 駒場寮」というテーマで原稿を募集しています。長さは6千字以内(短くても構いません)、締切は6月11日とさせていただきます(早くて申し訳ありませんが)。
 お忙しい中とは存じますが、当日配布のパンフレットに掲載させていただきたく、是非ともご協力お願いします。

■三鷹特別委・小林寛道



<ガードマンを率いる小林教授>

 三鷹国際学生宿舎特別委員長の小林寛道・教養学部教授。体育の教官らしいというか「頼れる兄貴」(オヤジ?)を気取り、対話の準備があるようにほのめかすのが得意だ。しかし、この春の一連の動きのなかで、平然と言を翻す姿が何度も目撃されている。なにより対話を訴えるならば、彼の背後に写っている警備員はいったい何なのだろう。
『事態を冷静にみまもり、ルールをまもることによって、大学の未来像をともに模索していくこと、いま教養学部の全構成員に求められているのは、問題解決のための理解と協力なのです。』(文書「学生の皆さんへ97(1)」)
 今、北寮「跡地」計画―「スポーツスクエア」の概算要求が東大内部で調整されているという。<ともに>模索するためには、このような一方的な、掛けた梯子をいつでも外せるようなやり方が、まず改められるべきである(千葉)。

HTML版特別付録・生井澤教授


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駒場寮という名の渾沌に一穴もあけさせまじ

「駒場寮存続を支援する会」からすべての仲間の皆さんへ。
駒場寮存続のための支援と協力と参加を呼び掛けます。
1996.4.28 「駒場寮経験者」
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